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70年前、戦争に明け暮れた時代が敗戦によって終わりました。日本は加害と被害の両面を経験する、余りにも悲惨な15年に渡る昭和の戦争体験でした。
平和と繁栄、大東亜共栄圏や八紘一宇、正義の名の下に熱狂と狂気がアジアを恐怖で覆い、国家総動員、一億玉砕の大日本帝国は主要都市への空襲、艦砲射撃、2発の原発で帝国は焦土となり、地獄を出現させた戦争は神仏すら地上から消失させ、皇国日本を支えた思想も壊滅しました。余りにも悲惨な戦争体験は戦争は二度とダメが遺言となり、平和主義と自由社会の日本に新生しました。
しかし、日米一体化、同盟が平和と繁栄の礎とする、戦前と同様の亡霊が湧き上がっています。相互理解、協調で軍縮を目指すのでは無く、自衛隊の発動が専守防衛から必要最低限に変換され、必要ならば他国へも侵攻が可能な武力行使の新3要件、積極平和の言葉で飾された”力には力”で対抗する安保法案が可決されんとしています。
力で押さえられた平和は、力の均衡の破れで崩壊します。偏見と狭小な心が恐怖と不安を増幅させ、互の心を通わすことを疎外します。中国や韓国、朝鮮の人々と心を通わすことは可能です。理屈ではなく五感で相愛、友人となれます。
過去の戦争を反省するならば、人的交流の増加、経済のグロバール化が進む中で、一国だけでは経済は成り立たちません。対立の解消に武力は不用です。政治、思想、宗教的な対立が国家間の対立を生む愚は文明国とは言えません。
平和が政治的に後退する状況は平和に対する人々の願い、思想や宗教的な後退です。物質的欲求をあおる力は格差拡大や差別意識を増大させ、富める人ほどその保持に危機感を募らされる力が働きます。そして、自由主義的発想が強まり、民主主義精神の衰退をもたらせます。
古来、宗教は自然崇拝から発達し、実現不可能な人々の願い、祈りを具現化する偶像(フィクション)です。祈りでしか実現しない現実、生命としての限界、宗教とは人々の願いの偶像化=祈りです。多くの日本人は無宗教であると自認していますが必ずしも無宗教ではありません。家内安全、無病息災など神仏への願いは健在です。それは、偶像の衰退、崩壊です。信じるモノの喪失は宗教家の自失です。
絶対安心、絶対平和は生命にとって不可能であるからこそ宗教の存在意義があります。愛、謙虚、感謝・・・平和 偶像は再興されるべきです。人はなぜ信仰しないのか?リアリティの欠如?現実離れの寓話?しかし、私達にはリアリティをもって信じられるものがあります。
−私がある限り貴方はあり、貴方がある限り私はある−
As long as I am, you are existing. As long as you are, I can exist.
愛する人への愛の確信であり、愛する人の自己への愛の確信です。それは又、文明文化を発展継承してきた先人の命、祖先の命は自己の存在によって存在が証明され、同様に愛する人々、或いは子孫による自己の存在証明です。そして自己存在の確認(アイデンティティ)であり、命と文明の継承、生命科学の理です。
進化論や化石が知見されたのは19世紀になってからです。かつて釈迦は天上天下唯我独尊で個人の尊厳、自由、平等の概念を語りましたが、今や基本的人権として世界各国で保証されています。今なお続く戦乱の惨禍の一方で、死刑廃止の国が増えているのも現実です。原水爆の暴発戦争、そして死刑執行の無人攻撃機リーパーは戦争、戦闘とは言えません。
平和は力によって保たれる考えは歴史の進歩を無視した暴論です。一人一人の祈りを結び付けることで、初めて偉大な像として輝き、人々の希望が叶います、文明の進化は、限りなく平和実現に近づきます。
偶像の実体は祈り。ならば、宗教家の役割は祈りではなく、信じることです。感じることです。行動することです。宗門を出て宗教や宗派の違いを超え相互理解、融和の範を示すことです。使命はこの一点に尽きます。自らの大いなる愛を証す行いが困難を克服させます。人々の平和を信じる想い行動=偶像再興です。
歌姫 本田美奈子 2005年11月6日永眠 10回忌
Amazing Grace
無人機 プレデター 攻撃
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