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2015年08月04日
以下の二つの記事から、幾つかのことが思い浮かぶ。この二つの記事が言わんとしている趣旨は、読み手の勝手だが、示唆的だ。そして、それを、自分がコントロール出来る範囲で、その言わんとする趣旨から、様々な思いを抱くのも、これも自由だ。筆者のこの二つの記事から、必ずしも語っている内容とは違うだろうが、この記事を読むことでの、気づき、思い、を語っておく。
前半のジョン・ダワー氏のインタビューから。このインタビュー記事から気づき、思ったことは、二つある。ひとつは、ソフトパワーは日本の誇りの一部だが、その頂点にあるのは、ノーベル平和賞にあたいする憲法を、個人的にどのような思いで受け止めているかは別にして、世界に冠たるソフトパワーだと位置づけるのは、悪いことではない。積極的に、世界に平和を求めるように促す国家的意思は、世界に影響を及ぼす、日本ならではの力の源泉なのではないのだろうか。その母体があるから、アニメもポップカルチャーも浮世絵も様々な世界的シーンで、影響力を発揮できる。
次に、≪戦後日本の姿は、いわば『従属的独立』だと考えます。独立はしているものの、決して米国と対等ではない」≫と云うダワー認識の部分。『従属的独立』と云う表現は穏当な表現になっている。筆者的には『隷属属国』と云う印象になる。ダワーが言うように、≪「日本の外交防衛政策を知りたければ、東京でなくワシントンを見ろとよく言われます。環太平洋経済連携協定(TPP)への参加しかり、アジアインフラ投資銀行(AIIB)加盟についての判断しかり。核戦略を含め、米国の政策を何でも支持するのが日本政府です。」≫
これに、日米同盟の深化の名の下、軍事行動の一体化が加わるのだから、ボランティア軍隊の提供である。『隷属属国』から、更に進化して『奴隷国家』にまで突き進もうとしている。
日本会議や安倍晋三の言い訳は、「いやいや、ここは耐える時だ。なし崩しに重武装化に邁進し、状況が許すなら核保有に舵を切り、真の独立を勝ち得る。そして、天皇制国家風味の全体主義独立国家の実現が可能なのだ」彼らの、妄想的本音は此処にある。これは一つの選択できる思惑外交ではあるのだが、この外交方針は、アメリカ一強時代の遺物である。グローバル世界だと右手で指さしておきながら、左手でアメリカのパワーは永遠だと言っている。安倍晋三の思惑外交が成就するには、最低でも、今後50年、アメリカの一強時代が確固たる存在でなければならない。ここに、安倍政権の重大な誤謬がある。
グローバリズムの特長の一つに、スティングリッツが提唱する「絶大な格差社会」の増幅が見られる。各国、平均的に格差が起きているわけではないが、先進諸国の多くは、この波に揉まれている。この波が、国境や民族・宗教等々のアイデンティティに火をつけるので、ナショナリズム的勢力の抬頭が顕著になる。このような時代になって、軍事力でグローバル世界の乗り切ろうと云う発想は、それこそが破滅の道である。実際問題、グローバルな世界で、最も水を得た魚になれるのは、マネーである。ユーロが挑戦的試みをして、今苦しんでいるが、中露やBRICS中心に、第二のユーロ、延いてはドルに替わる基軸通貨の地位を得ようとする試みも、グローバル世界への対応から生まれる発想だ。
しかし、安倍政権の、ダボハゼのような態度に、アメリカは疑心暗鬼に陥っているのではと、筆者は忖度する。本当に、彼らは馬鹿なのか?噂には聞いていたが、本当に本当だろうか?同盟国アメリカが日中の戦いに加担するとでも思っているのか?それとも、加担してくれなかったことを切っ掛けに、日米安保放棄を画策する積りではないのか?まさか、コロコロ変わる一内閣如きが、解釈改憲で、ワイマール憲法同様のクーデター政変を起こすくらいだから、ヤッパシ、日本て国は危ないよ。そのように受け止めている冷静な人々も多いだろう。
≪ 日本が誇るソフトパワーとは ジョン・ダワー氏に聞く
あの戦争が終わって70年、日本は立つべき場所を見失いかけているようにみえる。私たちは何を誇りにし、どのように過去を受け止めるべきなのか。国を愛するとは、どういうことなのか。名著「敗北を抱きしめて」で、敗戦直後の日本人の姿を活写した米国の歴史家の声に、耳をすませてみる。
――戦後70年を振り返り、日本が成したこと、評価できることは何だと考えますか。
「以前、外務省の高官から『日本はソフトパワーを重視している』と聞かされたことがあります。日本車、和食、漫画やアニメ、ポップカルチャー。世界が賛美するものは確かに多い。しかし、例えばハロー・キティーが外交上の力になるかといえば、違うでしょう。世界中が知っている日本の本当のソフトパワーは、現憲法下で反軍事的な政策を守り続けてきたことです」
「1946年に日本国憲法の草案を作ったのは米国です。しかし、現在まで憲法が変えられなかったのは、日本人が反軍事の理念を尊重してきたからであり、決して米国の意向ではなかった。これは称賛に値するソフトパワーです。変えたいというのなら変えられたのだから、米国に押しつけられたと考えるのは間違っている。憲法は、日本をどんな国とも違う国にしました」
――その理念は、どこから生まれたと考えますか。
「このソフトパワー、反軍事の精神は、政府の主導ではなく、国民の側から生まれ育ったものです。敗戦直後は極めて苦しい時代でしたが、多くの理想 主義と根源的な問いがありました。平和と民主主義という言葉は、疲れ果て、困窮した多くの日本人にとって、とても大きな意味を持った。これは、戦争に勝った米国が持ち得なかった経験です」
「幅広い民衆による平和と民主主義への共感は、高度成長を経ても続きました。敗戦直後に加えて、もう一つの重要な時期は、60年代の市民運動の盛り上がりでしょう。反公害運動やベトナム反戦、沖縄返還など、この時期、日本国民は民主主義を自らの手につかみとり、声を上げなければならないと考えました。女性たちも発言を始め、戦後の歴史で大切な役割を果たしていきます」
――政治は何をしたでしょう。
「私の最初の著書は吉田茂首相についてのものですが、彼の存在は大きかった。朝鮮戦争の頃、国務長官になるジョン・ダレスは、憲法改正を要求してきました。吉田首相は、こう言い返した。女性たちが必ず反対するから、改憲は不可能だ。女性に投票権を与えたのはあなた方ですよ、と」
「その決断はたいへん賢明だったと思います。もし改憲に踏み込めば、米国はきっと日本に朝鮮半島への派兵を求めるだろうと彼は思った。終戦のわずか5年後に、日本人が海外に出て行って戦うようなことがあれば、国の破滅につながると考えたのです」
「その決断の後、今にいたるまで憲法は変えられていません。結果、朝鮮半島やベトナムに部隊を送らずに済んだ。もし9条がなければ、イラクやアフガニスタンでも実戦に参加していたでしょう。米国の戦争に巻き込まれ、日本が海外派兵するような事態を憲法が防ぎました」
■ ■
――現政権が進める安保法制で、何が変わるでしょうか。
「日本のソフトパワーが試練にさらされています。集団的自衛権の行使に踏み込み、日本を『普通の国』にするというのが保守政治家らの考えですが、普通とは何を指すのか、私には分かりません。国際的な平和維持に貢献する といいつつ、念頭にあるのは米軍とのさらなる協力でしょう。米国は軍事政策が圧倒的な影響力を持っている特殊な国であり、核兵器も持っている。そんな国の軍隊と密接につながるのが、果たして普通なのでしょうか」
――戦後の日本外交は、米国との関係を軸にしてきました。
「日本の外交防衛政策を知りたければ、東京でなくワシントンを見ろとよく言われます。環太平洋経済連携協定(TPP)への参加しかり、アジアインフラ投資銀行(AIIB)加盟についての判断しかり。核戦略を含め、米国の政策を何でも支持するのが日本政府です。その意味で、戦後日本の姿は、いわば『従属的独立』だと考えます。独立はしているものの、決して米国と対等ではない」
「過去を振り返れば、安倍晋三首相がよく引き合いに出す、祖父の岸信介首相が思い浮かびます。岸首相は確かに有能な政治家ではありましたが、従属的な日米関係を固定化する土台を作った人だと私は考えています」
「同様に、孫の安倍首相が進める安全保障政策や憲法改正によって、日本が対米自立を高めることはないと私は思います。逆に、ますます日本は米国に従属するようになる。その意味で、安倍首相をナショナリストと呼ぶことには矛盾を感じます」
――現在のアジア情勢を見れば、米軍とのさらなる協力が不可欠だという意見もあります。
「尖閣諸島や南シナ海をめぐる中国の振る舞いに緊張が高まっている今、アジアにおける安全保障政策は確かに難題です。民主党の鳩山政権は『東アジア共同体』構想を唱えましたが、それに見合う力量はなく、米国によって完全につぶされました」
「だからといって、米軍と一体化するのが最善とは思えません。冷戦後の米国は、世界のどんな地域でも米軍が優位に立ち続けるべきだと考えていま す。中国近海を含んだすべての沿岸海域を米国が管理するという考えです。これを米国は防衛と呼び、中国は挑発と見なす。この米中のパワーゲームに日本が取り込まれています。ここから抜け出すのは難しいですが、日本のソフトパワーによって解決策を見いだすべきです」
■ ■
――対外的な強硬姿勢を支持する人も増えています。
「今、世界のいたるところで排外主義的な思想がはびこり、右派政治の出現とつながっています。ナショナリズムの隆盛は世界的な文脈で考えるべきで、日本だけの問題ではありません。グローバル化による格差が緊張と不安定を生み、混乱と不安が広がる。そんな時、他国、他宗教、他の集団と比べて、自分が属する国や集まりこそが優れており、絶対に正しいのだという考えは、心の平穏をもたらします。そしてソーシャルメディアが一部の声をさらに増殖して広める。これは、20年前にはなかった現象です」 「北朝鮮や中国は脅威のように映りますが、本当に恐ろしいのはナショナリズムの連鎖です。国内の動きが他国を刺激し、さらに緊張を高める。日本にはぜひ、この熱を冷まして欲しいのです」
――では、日本のソフトパワーで何ができるでしょうか。
「福島で原発事故が起き、さらに憲法がひねり潰されそうになっている今、過去のように国民から大きな声が上がるかどうかが問題でしょう。今の政策に、国民は疑問を感じています。安倍首相は自らの信念を貫くために法治主義をゆがめ、解釈によって憲法違反を続けている。そこで、多くの国民が『ちょっと待った』と言い始めたように見えます」
「繰り返しますが、戦後日本で私が最も称賛したいのは、下から沸き上がった動きです。国民は70年の長きにわたって、平和と民主主義の理念を守り 続けてきた。このことこそ、日本人は誇るべきでしょう。一部の人たちは戦前や戦時の日本の誇りを重視し、歴史認識を変えようとしていますが、それは間違っている」
「本当に偉大な国は、自分たちの過去も批判しなければなりません。日本も、そして米国も、戦争中に多くの恥ずべき行為をしており、それは自ら批判しなければならない。郷土を愛することを英語でパトリオティズムと言います。狭量で不寛容なナショナリズムとは異なり、これは正当な思いです。すべての国は称賛され、尊敬されるべきものを持っている。そして自国を愛するからこそ、人々は過去を反省し、変革を起こそうとするのです」
◇ John Dower 38年生まれ。マサチューセッツ工科大学名誉教授。著作に「吉田茂とその時代」、ピュリツァー賞受賞の「敗北を抱きしめて」など。
■取材を終えて
とても大切なものなのに、思いのほか、本人は気づいていない。外から言われて、かけがえのなさを知る。よくあることだ。敗戦後に日本が手にしたものこそ世界に誇りうる、という指摘にはっとした。そうか、自分たちの手元を見つめればいいんだ。
戦後の日本人は立場を問わず、自らの国を愛することに不器用になっていたのだろう。反発したり、逆に突っ走ったり、どこかの国に依存したり。愛国 という言葉に素直になれない。70年前、形容しがたいほど惨めで痛ましい敗戦を経験し、国家への信頼を一度、完全に失ったのだから、それも当然なのだが。 戦後70年の夏は、この宿題に向き合う好機かもしれない。国家という抽象的なものではなく、戦後を生き抜いた一人ひとりの道程にこそ、よって立つ足場がある。 ≫(朝日新聞デジタル:ニューヨーク支局長・真鍋弘樹)
以下の鶴見俊輔氏訃報に触れての記事の最後のフレーズ≪1億2000万人の日本人は今、71億人余の「外人」に囲まれ生きている。≫の部分だ。
あるデータによると、直近の世界の人口は72億人強、73億人に接近中である。日本の2015年7月現在の人口は1億2695万人。大雑把に言って、73分の1、1/73。逆に言えば、73倍の“外人”に囲まれて実は生きている。推計では、2050年に人口1億人を切るのが日本。2050年の推計(国連推計)世界人口は96億人だそうだから、日本人を取り囲む“外人”の比率は96倍、1/96になる。
しかし、筆者を含め、島国国家として生活している実感には、73倍の“外人”に囲まれて実は生きていると云う実感がない。おそらく、この辺の感覚を、我々日本人は、無自覚ではなく、意識的に意図して自覚する必要があるのかもしれない。そういう事はスルーして、グローバリゼーションと知ったような時代感を語ってもかなり無意味だ。ただ、最近の、若い世代や女性の人々の、反戦争と云う肌感覚の行動も、これは思索するとかより、数段強い力を国内的には発揮するだろうと思われる。
昨夜、あるファミレスで、若者グループ(男女混合大学生風)がガヤガヤ言い合っていたが、「進撃の巨人」(諫山創)は好戦漫画だと批判する連中とそうじゃない人間の尊厳の闘いのプロセスだと、侃々諤々。しかし、安倍晋三が戦争法案を出したことで、日本の若い世代が、どちらを選択するにしても、戦争とか平和と問題をテーマに議論している姿を見ると、安倍晋三の唯一のポイントは、日本人に、戦争と平和への自覚を喚起した点は、皮肉だが評価できる。これで、国民の力で、腰が砕けたら、右翼連中から見れば、安倍は噴飯中の噴飯者になるだろう(笑)。
≪ 発信箱:鶴見俊輔さんの絵本=小国綾子 毎日新聞 2015年08月04日 東京朝刊
哲学者、鶴見俊輔さんの訃報を聞いて、彼の絵本「わたしが外人だったころ」を読み返した。15歳で渡米し、戦争を迎え、敵国人として留置され、交 換船で日本に帰国した半生を振り返り、米国でも日本でも自分を「外人」だと感じてきたとつづる。<自分の底にむかっておりてゆくと、今もわたしは外人です>とも。
絵本を見開いたページには、空飛ぶ戦闘機や、赤や黄色の炎を上げて燃える街の絵。東京での空襲体験を語るのと同じそのページで、鶴見さんはアメリ カ時代の思い出を打ち明けている。日米開戦を最初に知らせてくれた学生時代の米国人の友人の言葉。「これから憎みあうことになると思う。しかし、それをこえて、わたしたちのつながりが生きのびることを祈る」。鶴見さんはしかし、憎めない、と書いた。「日本にもどってからも、わたしはアメリカ人を憎むことができないでいました。自分が撃沈か空襲で死ぬとしても、憎むことはできないだろうと思いました」と。
死ぬとしても憎めない−−。そんな言葉を読むたび、人と人との結びつきの力強さを思う。どんな安全保障よりも、一人一人が友達になることの方が強 いと信じたくなる。74年前、確かに日米開戦を回避できなかった。けれどもあの日、太平洋を隔ててもっともっと多くの友情が存在していたなら、別の歴史もありえたのではないか、と。
絵本の最後にある鶴見さんの飾らぬ言葉が好きだ。<日本人は、外人にとりかこまれて、この世界でくらしているのに、日本人本位に考えるのでは、わ たしたちは地球上に住みにくくなります>。1億2000万人の日本人は今、71億人余の「外人」に囲まれ生きている。 ≫(毎日新聞:夕刊編集部)
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