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SEALEDsを批判する自民党の武藤議員の公式ブログは、 『長谷川三千子NHK経営委員』の主張と全く同一、 安倍内閣そのものの考えを知る手がかりとなる。
http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-1489.html
リュウマの独り言
自民党の武藤貴也議員が SEALEDsを批判しているのだが、 その批判の方法は 「安倍総理や櫻井よしこ」らの主張と全く同じ論法なのである。
「戦争に行きたくない (したくない) 。」という考えは 極端に「自分中心的」で 「利己主義的」な考えで、 戦後の教育のせいだという。 御年 80歳の方が言うのならともかく 30歳を少し過ぎたばかりの議員である。 自分自らが 「戦後教育真っ只中」のはずなのに こんな立派な 「軍国議員」が 生まれているではないか。 一部に流布されているように 「戦後教育のせい」ではない。 私だけかもしれないと思い、 いろいろな方の意見を読んでみたが、 そのすべてが 戦後の教育で 「二次大戦以降」について 教えることに 学校は消極的だった。 ほとんど 何も知らないまま、 卒業してしまう。
私も、 中学、高校と もてあます時間を利用して『乱読』のように 憲法や法律の本を読んだからこそ いくらかの知識があって、 NHKの 「長谷川委員」のような意見に対して 「今までに一度も聞いたことの無い 特殊な意見」などと 感想が言えるのである。 これを学校教育だけで 卒業していたなら 「彼女の意見」を真に受けてしまうであろう。
山崎 雅弘 @mas__yamazaki
自民党の武藤貴也議員は自分のブログに「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の三つとも日本精神を破壊するもの」と書いて、堂々と否定しているのがすごい。この三つの正反対が、彼が理想と見なす政治状況なのだという。首相の政策とも一致している。
「戦前の日本では『元老院制度』や『御前会議』などが衆愚政治に陥らない為のシステムとして存在していた」として、戦後の日本国憲法下の民主的な政治を「衆愚」と断じているが、自分が国会議員になれたのはその「戦後民主主義」のおかげという基本的な現実が全く見えていない。
彼が書いているブログを読むとわかるが、 これらを体系的に考えたのは NHKに 安倍総理の肝いりで送り込まれた経営委員の長谷川三千子氏だろうと思う。 埼玉大の教授ということだが、 ご両親も大学教授である学者一家で育った。 我々とは 階層が1つも2つも上の人なのだが、 何を考えたか 彼女は聞いたこともない『奇妙奇天烈な学説』を披瀝している。
武藤貴也 公式ブログ より引用
日本の全ての教科書に、日本国憲法の「三大原理」というものが取り上げられ、全ての子どもに教育されている。その「三大原理」とは言わずと知れた「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」である。
戦後の日本はこの三大原理を疑うことなく「至高のもの」として崇めてきた。しかしそうした思想を掲げ社会がどんどん荒廃していくのであるから、そろそろ疑ってみなければならない。むしろ私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。
まず「国民主権」について。「国民主権」とは「国家の政策決定権は国民一人一人にある」という民主主義の根本思想であるが、長谷川三千子先生によれば、そもそも「民主主義とは、人間に理性を使わせないシステム」である。つまり民主主義が具体化された選挙の「投票行動」そのものが「教養」「理性」「配慮」「熟慮」などといったものに全く支えられていないからである。しかしながらこのことは、世界の歴史を見ると第一次世界大戦以前は常識であった。第一次世界大戦前は、民主主義はすぐに衆愚政治に陥る可能性のある「いかがわしいもの」であり、フランス革命時には「恐怖政治」を意味した。民衆が「パンとサーカス」を求めて国王・王妃を処刑してしまったからである。戦前の日本では「元老院制度」や「御前会議」などが衆愚政治に陥らない為のシステムとして存在していた。 (引用終り)
NHKの経営委員で 最も恐ろしい存在が、この「長谷川三千子」である。 彼女から比べると 籾井も百田も 可愛い存在だ。 害毒が表に出ている。 しかし、 彼女の場合は 「武藤議員」のように、 カルト宗教の信者のような聴衆を作り出してしまう。 ギリシャやローマ時代の哲学から、 彼女の見解で その歴史を話していく。全く知識のないものにとっては、 呆然と 『教祖様の言』を メモを殿ながら 繰り返すしかない。 『民主主義』が いかがわしくて、恐怖政治を意味するという この程度の学説に驚いてはいけない。 基本的人権の尊重に至っては もっとも攻撃している。 これについて 「武藤貴也 公式ブログ」で もう少し見てみよう。
武藤貴也 公式ブログ
次に「基本的人権の尊重」について。私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。全ての国民は、国家があり、地域があり、家族があり、その中で生きている。国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう。従って、国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」という「日本精神」があったことは言うまでも無い
次に「基本的人権の尊重」について。私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。全ての国民は、国家があり、地域があり、家族があり、その中で生きている。国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう。 (引用終り)
長谷川先生によると 「基本的人権」というのは、『自由に人を殺してもよい権利』なのだそうだ。 「基本的人権の尊重」は 最も危険な考えで、こんな権利を尊重すること自体がおかしい。 日本では いったん「天皇」にその権利を返し、天皇から「適切だと思える権利だけ」を (戦前のように) 下賜給わることの方が 正しいことだ、というような主張をしている。
「国家」という政治体制が 滅ぼうがどうしようが、 (支配層はともかく) 国民は滅ばないことは 「歴史が証明」しているのだが、 彼らはそんなことは考えない。 「教祖様」の言う通りなのである。 彼らに 「基本的人権の尊重」を 訴えるほど無意味なことはない。 「長谷川氏」を NHKからまず追放する方が先だろう。 「基本的人権」は 国家(政府)のためならば、 当然制限されるのが『常識』と考えているのだから …
平和主義に至っては 論戦にもならない。 なぜなら 前提を全く認めないからである。 現在の政治が、「立憲政治」であるという前提で 内閣は 「憲法を守るべきだ」と主張しても 立憲政治の意味が分からず、 憲法に直接書いてないことは 何をやってもよい、などという主張をする人々との議論は不可能であろう。
武藤貴也 公式ブログでは、 『憲法』について このように結んでいる。
以上述べたように「日本国憲法」の問題は9条の問題だけではない。「日本国憲法」の思想そのものが「日本精神」を破壊してしまったと私は考えている。 今の荒廃した政治、社会をよく見つめなおし、国家の在り方の基本である憲法をしっかり論じることが必要であると思う。
なお、 この憲法の 「三大原則」は 永久に国民に与えられる権利であるから、 恒久条項として 憲法改正には 適さない条項である。 いったん この憲法を破棄し、 新憲法を作るのなら それはそれでありだろうが …
また、一人「カルト宗教」の信者が生まれている。 彼らは 教祖様は正しいと信じている。 そうだったなあ。
教祖様は 宙に浮くことができる、と 高学歴の若者が信じ入信する事件があったなぁ(笑)
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