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「似すぎ」の声が広がる東京五輪エンブレムとリエージュ劇場のロゴ(YouTube「ANNnewsCH」より)
東京五輪エンブレムのパクリ疑惑を生み出したものとは? コンペ参加者にかけられた1964五輪と日の丸の呪縛!
http://lite-ra.com/2015/08/post-1345.html
2015.08.02. リテラ
新国立競技場問題に続いて浮上した東京五輪のエンブレムのパクリ問題だが、意見は真っ二つに分かれているようだ。
博報堂出身で「にゃんまげ」「LISMO」「トヨタReBORN」などを手がけた気鋭のアートディレクター・佐野研二郎がつくった東京五輪のエンブレムと、それを盗作だと告発したベルギーのデザイナーによるリエージュ劇場のロゴ。
両者を見比べて、ネットでは「どう考えても似すぎ」「完全にパクリ」との声が広がる一方で、テレビ等のマスメディアでは、コメンテーターが「似ている」「そっくり」としつつも、「世界中にこれだけいろんなデザインがあれば、類似デザインがひとつやふたつはある」「基本図形や文字で構成されているデザインはどうしても似てしまう」と擁護している。
また、日本オリンピック委員会(JOC)も「国際的に商標登録をチェックしているから問題はない」とし、佐野自身もリエージュ劇場のロゴデザインを「まったく知らないものです。制作時に参考にしたことはありません」と完全否定している。
しかし、「たまたま」でここまで似るものなのだろうか。両者のデザインを見比べると、どちらもローマン体のアルファベットがベースで、太い縦棒の左上と右下に対になるようセリフ(文字のハネ飾り)を配置している。左がT、右がLに見えるようになっているのもまったく同じだ。ちがうのは、東京五輪のエンブレムには棒の右上に日の丸と思しき赤い丸がついていること、セリフ部分に金、銀の色をつけていることくらいだろう。
さらに、疑問を感じざるをえないのはデザインの必然性の問題だ。前述したようにどちらも左がT、右がLに見えるのだが、リエージュ劇場のロゴのほうは、Theatre de Liegeの頭文字なので、必然性がある。しかし、東京五輪のほうはTokyoのTだけで、Lが頭文字になる要素が見当たらない。右下にセリフを置いてLに見せなければならない理由がさっぱりわからないのだ。
コンペのプレゼンでは、インクルーシブな、全体を包み込む大きな円をイメージさせると説明されていたが、実際にはこのデザインで大きな円をイメージすることはかなり難しい。Lのセリフの内側のラインを延長して無理矢理円を描いてみると、その「全体を包み込む円」から日の丸がはみ出てしまう。
もっとも、問題はこれが意図的な盗作かどうか以前の話なのかもしれない。ここまで類似の作品が出てくるというのは、パクリでなかったとしても、デザインに独自性がないということだからだ。
実際、佐野の東京五輪エンブレムは、ベルギーの劇場だけでなく、バルセロナのデザイナーが考案した東日本大震災支援のために制作した作品と似ているとの声も挙がっているし、Jリーグのロゴデザインと似ていると指摘するスポーツ新聞もあった。
また、テレビでは、五輪のエンブレムデザインでは必ず盗作疑惑が巻き起こるもの、といった解説をしていたが、実際は2016年のリオデジャネイロ五輪のエンブレムに疑惑がもちあがっているくらいで、20年さかのぼってもそういう話はない。むしろ、北京五輪やロンドン五輪のマークは、デザインとしての良し悪しは別にして、類似作品が出て来そうにない独自性の強いものだった。
「WIRED」をはじめ複数の海外メディアも指摘しているが、これらに比べると、今回の東京五輪のデザインはあまりに凡庸で、保守的だ。つまり、どこにでもある、ありふれたデザインだからこそ、類似作品がいくつも見つかったとも言える。
ただ、佐野研二郎というデザイナーは、過去の作品を見ても、けっして保守的とはいえない。もっとコンセプチュアルであざとい仕掛けをするデザイナーだ。
では、なぜその佐野がこんなありふれたデザインをしてしまったのか。そこには1964年の東京五輪の呪縛があった。
佐野は発表会見でも盗作問題へのコメントでも、日本のグラフィックデザインの草分け的存在だった亀倉雄策がデザインした1964年の五輪エンブレムへのリスペクトを強調している。大きな赤い丸の下に、金色の五輪シンボルマークを配置したあのデザインのことだ。
しかしこれは、何も佐野に限ったことではない。今回のコンペ応募作品の多くは、亀倉雄策のデザインを何らかのかたちで受け継ぐことをコンセプトにしていた。
たとえば、次点だった原研哉や葛西薫の作品もやはり、亀倉と同じ円をモチーフにしていたという。そして当の佐野も今年、亀倉雄策賞を受賞した際のスピーチで「去年、あるきっかけがあり、亀倉雄策の本を読みあさった」と漏らしたことからもわかるように、明らかに東京五輪のデザインをやるために亀倉を研究している。
これは当然で、今回のコンペの参加者は、本気で採用されることを狙うなら、亀倉の“日の丸デザイン”をどこかに取り入れざるをえなかったのだ。
それは、2つの五輪をつなぐというデザイン的文脈をつくりだすためだけではない。最大の理由は、永井一正が選考委員長を務めているということだった。
永井は亀倉の盟友で、ともに日本デザインセンター立ち上げに参加した大御所デザイナー。1972年の札幌冬季五輪では、亀倉の東京五輪デザインを踏襲するかたちで、日の丸と雪の結晶をタテに並べるシンボルマークをデザインした。
しかも、永井自身が日の丸について強いこだわりをもっており、東京五輪に先立っては、1870年の太政官布告にもとづく「縦横比7対10、円の直径は縦の5分の3、円の中心は旗ざお側の横に100分の1寄せる」という従来の規定をデザイン的な美を追求する立場から「縦横比2対3、円の直径は縦の3分の2、円は旗面の中心」にするよう提案。東京五輪では採用されなかったものの、1998年の長野冬季五輪ではこの永井案が採用されている。
デザインコンペの常連参加者たちは、審査員がどういう好みをもっていて、どういう時代の空気があるか、にとても敏感だ。
永井のような人物が審査委員長を務めているうえに、2020年東京五輪は国家主義的な色彩の濃い安倍政権下で準備が進んで行く。日の丸をモチーフにしたデザインでなければ受け入れられないというのは、参加者の共通認識になっていたはずだ。
そして、“亀倉の東京五輪デザインへのリスペクト”は、その政治的意図を隠すためにも、必須の物語となった。
だが、その亀倉は「ジャパンデザインの象徴」などと言われているが、けっして日本の独自性を追求したデザイナーではない。むしろ、バウハウスのシンプルで幾何学的なデザインの影響を強く受けており、西洋のデザインを取り入れることに長けたデザイナーだった。50年代にはスイスの雑誌の表紙をそのまま盗用した事実が発覚しているし、60年代にも同じくスイスの時計メーカーの広告でも盗用疑惑がもち上がった(こちらは本人が否定)。
そして、この亀倉が手がけた1964年の東京五輪のエンブレムデザインも日の丸をモチーフにしているだけで、デザインそのものは、日の丸を幾何学模様のひとつととらえた、バウハウス的なモダンデザインそのものだった。
つまり、今回のコンペ参加者も亀倉のデザインを引き継ぐという時点で、シンプルな幾何学的図形をモチーフにせざるをえなかったのである。当然、それは「どこにでもあるありふれたデザイン」「凡庸で保守的なデザイン」になってしまう。そして、起こったのがパクリ疑惑だった。
そう考えると、今回の2020年東京五輪のエンブレムが罪なのは、そのデザインの凡庸さゆえに類似作品をいくつも呼び込んでしまっただけではない。亀倉、永井と続いてきたグロテスクな日本の五輪デザインの歴史を断ち切れなかったことにある。
そもそも、1964年の東京五輪のデザインは広く言われているような、日本の伝統とモダンの融合などではなかった。日本の伝統の要素は日の丸にしかなく、他はすべて欧米のモノマネという、まさに明治以降のフィクショナルな国家主義しか体現できていないものだった。そこには、本来、日本という国がもっている多様性も柔軟性もない。オリンピックは「都市」で開催される祭典なのに、前面に出されているのは国家と国旗。ちなみにこの50年で、国旗の図案をストレートにオリンピックのエンブレムにもってきたのは、東京五輪と札幌冬季五輪だけだ。
そして、佐野研二郎が手がけた2020年の東京五輪のエンブレムデザインはその国家主義的デザインを踏襲し、さらに押し進めたものだった。
ハートの鼓動と言っているが、明らかに日の丸としか思えない赤い円。前述したように、大きな円がインクルーシブな世界を表現しているはずなのに、日の丸はその円からはみ出ている。さらに、ダイバーシティ(多様性)を象徴するのが、それぞれの色を尊重する表現ではなく、すべての色をかけあわせたという黒。もしかしたら、「八紘一宇」でも表しているのか、と疑いたくなるほどだ。
日本はこの時代に、本気でこんなシンボルを掲げて、オリンピックを開催するつもりなのだろうか。
もっとも、2020年東京五輪が安倍政権下で開催され、安倍首相の親分・森喜朗が組織委員長を務めている祭典であることを考えると、このデザインこそふさわしいとも言えなくもないが……。
(酒井まど)
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