2. 2015年7月31日 14:07:48
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小沢一郎 =「米国占領軍の協力者」 小沢一郎ほどアメリカの言いなりになった人はいない
政治 | author : くっくり | 2007.07.28 Saturday 「お気楽くっくり」にて多くのMacユーザー様からアドバイスをいただいています。 まだ解決までには至っていませんが、おかげで問題がだいぶ絞り込まれてきた感じです。 皆様とても親身に相談に乗って下さっていまして(アクセスしにくい状況にもかかわらず)、大変感謝、感激しております。本当にありがとうございます さて、先日、なにげにWikipediaを見てましたら、小沢一郎の項にこんなことが書かれてました。
石原慎太郎は「私は彼を評価しません。あの人ほどアメリカの言いなりになった人はいない」と評した。[要出典]
出典を探してみました。ありました。 06年4月7日の定例会見でそういう発言をしたようです。 ■<石原都知事>民主新代表の小沢氏…「私は評価しません」|Exciteニュース 東京都の石原慎太郎知事は7日の定例会見で、民主党代表に選出された小沢一郎氏に触れ、「私は彼を評価しません。あの人ほどアメリカの言いなりになった人はいない。大した党にならないと思うね」と酷評した。 石原知事は「(小沢氏は)自民党を牛耳っていた金丸信元副総裁らを背景に自民党幹事長を務めたが、アメリカに言われて、造らなくていい公共工事をやって、湾岸戦争の時は、一瞬にして戦費支出を決めた。自民党で一番いい思いをしたのは、あのグループ(旧経世会)じゃないの」と指摘。 【元記事はすでに存在しないため、因果応報な日々さんから引用させていただきました】 「あの人ほどアメリカの言いなりになった人はいない」の中身、もうちょっと詳しく載ってるところはないやろか?と探したところ、産経新聞05年11月7日付に掲載された石原都知事の「日本へ」の中に、こういうくだりを見つけました。 あの後とは、私が議員時代自民党が金丸信なる悪しき実力者の君臨の下経世会に支配され、その後体よく自民党を割って飛び出し新党を作って転々し今は民主党のフィクサーとして在る小沢一郎がその配下として幹事長を務めていた頃、日本はアメリカから構造協議なるものを持ちかけられ内需の拡大という美名の下に貿易を抑制し国内で無駄な支出を重ねることで国力を衰弱させよという圧力に屈した後々のことだ。大体、「構造協議」などという二国間協議のもっともらしい名称は国民の目を憚(はばか)るために日本の役人たちが改竄(かいざん)したもので、相手側の原文はストラクチュラル・インペディメンツ・イニシャティブ(構造障壁積極構想)、その「積極性」を持つ者は当初からアメリカということだ。それを当時の政府は国民への体裁を考慮し敢えての改訳を行った。そもそもこうした経済会議はOECDとかWTOといった汎世界的な協議機関で論じられるべきなのだが、他の先進国たちも相手が日本なら放っておけということでアメリカの非を唱えはしなかった。
その場でアメリカが持ち出した要求は二百数十項目にも及ぶ内容で、中には日本の実情を無視した荒唐無稽(むけい)なものも数多くあった。それに対して私たち有志の勉強会「黎明の会」は日本としての対案を百四十項目作って相手にぶつけさせようとしたが、その提案を申し込んだ自民党の最高議決機関の総務会を小沢幹事長は会期末に意図的に三度続けて開かずに封殺した。仕方なしに他に場所をもうけ、外国人記者クラブでもその案を発表したが、当時の日経連会長の鈴木永二さんにこんな良い案の発表が遅すぎると叱(しか)られたものだった。 しかしその後金丸、小沢体制下の自民党政府はさらに、向こう八年間に四百兆の公共事業を行って内需を刺激せよというアメリカからの強い要請を丸呑みして、結果としてそれを上回るなんと四百三十兆の公共事業を行ってのけたのだった。その結果夜は鹿か熊しか通らぬ高速道路があちこちの田舎に出来上がった。 これを読めば、石原氏が小沢氏を「あの人ほどアメリカの言いなりになった人はいない」と評したくなった気持ちもわかりますね。 先日発売された「WiLL」9月号でも、石原氏は「小沢総理なんてまっぴらだ」と題された記事の中で大いに吠えてます。 小沢氏とアメリカの関係については、上の話の他にこんな話も載ってました。 そして一九九一年(平成三)に湾岸戦争が起きた。ブレディというアメリカの財務長官が日本に圧力をかけに飛んできた。アメリカにはカネがないから、日本はカネを出せと言いに来た。
当時は傀儡政権の海部政権、これは金丸と小沢が作った内閣です。金丸は海部の言うことなんか全く聞かずに、自分で人事をし、内閣を作った。海部は総理にしてもらっただけで、人事は何もできなかった。 その海部内閣の主要閣僚、外務大臣・中山太郎、大蔵大臣・橋本龍太郎、通商産業大臣・武藤嘉文、内閣官房長官・坂本三十次の四人で紀尾井町の「福田屋」という料理屋で接待したら、ブレディがいきなり四十億ドル出せと言った。 四人はぶったまげて「そんなカネは急には出せない」と断った。ブレディは繰り返し三回言った後、「駄目なら俺は帰るぞ。駄目なんだな」と念を押した。 「よしわかった。これで日米関係は悪くなる。あんた方の責任だ。もう一回名前を教えろ。中山、橋本、武藤、坂本だな」。 そうしたら慌てて一人が立ち上がって「ちょっと待ってください!」。恐らく官房長官の坂本でしょう、そう言ってある人に電話をかけた。 当然、相手は幹事長の小沢です。その後には金丸がいたろう。小沢が相談して、金丸が「それじゃあ出してやれ」となって、四十億出すことになった。 ブレディは日本に四、五時間しかいなかったのに四十億ドルせしめて帰ってきて、ワシントンで記者会見をした。 私は日本の政治家で一人だけ外人記者クラブのメンバーなんです。年中アメリカ人の記者と喧嘩する。喧嘩すると仲良くなるので、こちらに嫌な情報も教えてくれる。その一人からブレディの情報を聞いた。けれども嘘か本当かわからない。NHKの日高義樹くんが当時ワシントンの支局にいたので、帰国した時に裏をとって聞きました。その通りだと。 記者会見で、記者が「あまり機嫌がよくないけど、日本はやっぱりカネを出しませんでしたか」と聞いた。ブレディは「出したよ」と答える。 記者が「不機嫌なのを見ると、額が少ないんですね?いくらなんですか?」と聞かれて、ブレディが「四十億ドル」と言ったら、みんなぶったまげた。 日本に数時間しかいなくてそれだけのカネが取れたのなら大成功じゃないですか、と言われたブレディがニヤッと笑って「俺は二日かかると思ったんだが、アイツらちょっと脅かしたら四時間でカネを出した。だったら最初からもっとふっかければよかった」。こんなことまで言われていたんだ。 その後、さらにアメリカは九十億ドルを要求してきた。さすがにこれは内閣の一存では決まりませんから、九月に臨時国会を開いて、結局、合わせて百三十億ドルを出してアメリカの戦争を助けた。 ところが出した直後に戦争は終わってしまった。カネをどう使ったか報告がない。日本にキックバックしたという噂があります。日本のメディアはやる能力も覇気もないから調べられない。アメリカ人の二人の記者が書きました。そのカネが誰にいったのか。想像に難くないけど。 そして、それからすぐ小沢一郎は党を割って出て行った。 その後、一九九二年(平成四)に金丸事件が起き、金丸さんは略式起訴された。警察が金丸さんの事務所に踏み込んでみると、刻印のない金の延べ棒が出てきた。金塊というのは、それを作った国の刻印が必ずあるんです。刻印のない金塊は北朝鮮です。北とどういう取り引きがあってのことか。途中で当人が亡くなってしまい真相は闇に葬られてしまった。 小沢・金丸は何をやったんですか。アメリカに約束した八年間に四百三十兆のカネを無駄遣いして日本の経済力を弱めた。 四百三十兆のカネを使って何をやったか。沖縄の経済需要の全くない島に五万トンのコンテナ船が着くような港ができている。市長が自慢して見に来てくれと言われたけれど、船が来るのかと聞けばニヤニヤ笑うだけ。 北海道で熊や鹿しか出てこないようなところに道路を作った。その先に街なんかありゃしない。そういう馬鹿なことをやった。みんな国民の税金です。そのため国債も発行した。それで日本の財政はガタガタになってしまった。 いまだに六百七十兆という厖大な国債がある。あっという間にイタリアの倍の国債依存率になってしまった。この体たらくを作ったのは誰なんですか。 今、年金の問題で騒がれているが、これはまさしく組合の体質の問題だ。四十五分働いて十五分休む。一日にキーボード五千字しか打たない。原稿用紙にしたら十二枚半だ。小説で十二枚半書くのは大変だけど、そこにある資料を打ち込むだけです。こんなものを業務協定で約束させる組合なんて、昔の国鉄よりもっと悪い。 国鉄は民営化することによってよくなった。当時の国鉄の中に、西日本の井出、東日本の松田とか、東海の葛西とか、そうそうたる連中が体を張って組合と戦い、殺されるのを覚悟で民営化した。 社保庁も安倍総理が、このままじゃ駄目だ、一度つぶして、解体し新しいものにしようとしている。それに反対しているのは組合におもねっている民主党じゃないですか。 アメリカの言いなりになって、いまだに国をアメリカ化するための要望書をつきつけられている。こんな国は日本しかない。こんな体制を作ったのは誰か。小沢一郎じゃないですか。こんな男がリードする政党が日本を変えていくとはとても思えない。 私は民主党に期待しているんです。しかし岡田君も挫折した。前原君もつまらんことで挫折した。ああいう若い人たちがもう一度立ち上がって、若い仲間と若い発想で、自民党が思いもつかないことを考えてやってくれることを期待しています。 しかし現在上に立っている小沢一郎たちに、何を期待するんですか。彼が過去にやってきたことを思い出すと、本当に怖い。彼が日本の親父になるのは、ひとりの日本人として、まっぴらゴメンです。 ちょこっと注記。最後の「日本の親父」のくだり、これは小沢氏の顔が載った何種類かのポスターのうちの一枚に、「我らの親父」と書かかれてあったことを揶揄しています。 石原氏は 「日本をアメリカの経済奴隷にしたのは金丸・小沢」 と言い切ってます。そして、「戦後、カネ、カネ、カネで来てしまった日本を反省して、他力本願で、アメリカさんに頼って失ってきたものを取り戻そうというのが安倍総理の言う『戦後レジームの脱却』じゃないかと思う」とも。 ちなみに1990年の金丸訪朝団が訪朝した翌月、小沢氏も訪朝してたんですね。
紅粉船長と栗浦機関長が北朝鮮に捕らえられた「第十八富士山丸事件」で、金丸訪朝団が先遣隊として行き、翌月、小沢氏が土井たか子と連れ立って紅粉船長らを平壌まで迎えに行った。
その時書かされたという「礼状」がこれ。 自由民主党と日本社会党はこれまで多年にわたり、第十八富士山丸船員の釈放のための切なる要請を行ってきました。この要請を考慮した朝鮮労働党の勧告に従い、今般、朝鮮民主主義人民共和国政府は、共和国の法律を侵害した罪で一五年の労働教化の刑罰を受け服役中の第十八富士山丸の紅粉勇船長と乗浦好雄機関長を人道的見地から大赦令を実施し釈放のうえ日本に返すことにしました。自由民主党と日本社会党は人道主義的立場から第十八富士山丸船員に対して寛大な措置を取られた朝鮮労働党と朝鮮民主主義人民共和国政府に深い感謝の意を表します。自由民主党と日本社会党はこの際、両名が共和国の法律を二度と犯さないようにし、帰国後、両名の言動が日朝友好関係発展に支障を与えることのないよう、あらゆる努力を約束します。
当時の情勢とか考えると仕方なかった面もあったのかもしれませんが、悲しいまでに北のスポークスマンと化してますな。 その上、紅粉船長らの「口封じ」まで約束して帰ってきた。民主主義国家の政権与党の幹事長がですよ。 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid338.html 「あの人ほどアメリカの言いなりになった人はいない」の中身、もうちょっと詳しく載ってるところはないやろか?と探したところ、産経新聞05年11月7日付に掲載された石原都知事の「日本へ」の中に、こういうくだりを見つけました。
あの後とは、私が議員時代自民党が金丸信なる悪しき実力者の君臨の下経世会に支配され、その後体よく自民党を割って飛び出し新党を作って転々し今は民主党のフィクサーとして在る小沢一郎がその配下として幹事長を務めていた頃、日本はアメリカから構造協議なるものを持ちかけられ内需の拡大という美名の下に貿易を抑制し国内で無駄な支出を重ねることで国力を衰弱させよという圧力に屈した後々のことだ。
大体、「構造協議」などという二国間協議のもっともらしい名称は国民の目を憚(はばか)るために日本の役人たちが改竄(かいざん)したもので、相手側の原文はストラクチュラル・インペディメンツ・イニシャティブ(構造障壁積極構想)、その「積極性」を持つ者は当初からアメリカということだ。それを当時の政府は国民への体裁を考慮し敢えての改訳を行った。そもそもこうした経済会議はOECDとかWTOといった汎世界的な協議機関で論じられるべきなのだが、他の先進国たちも相手が日本なら放っておけということでアメリカの非を唱えはしなかった。 その場でアメリカが持ち出した要求は二百数十項目にも及ぶ内容で、中には日本の実情を無視した荒唐無稽(むけい)なものも数多くあった。それに対して私たち有志の勉強会「黎明の会」は日本としての対案を百四十項目作って相手にぶつけさせようとしたが、その提案を申し込んだ自民党の最高議決機関の総務会を小沢幹事長は会期末に意図的に三度続けて開かずに封殺した。仕方なしに他に場所をもうけ、外国人記者クラブでもその案を発表したが、当時の日経連会長の鈴木永二さんにこんな良い案の発表が遅すぎると叱(しか)られたものだった。 しかしその後金丸、小沢体制下の自民党政府はさらに、向こう八年間に四百兆の公共事業を行って内需を刺激せよというアメリカからの強い要請を丸呑みして、結果としてそれを上回るなんと四百三十兆の公共事業を行ってのけたのだった。その結果夜は鹿か熊しか通らぬ高速道路があちこちの田舎に出来上がった。 1980年代から1990年代にアメリカは、日本に対しすさまじいばかりの金額の内需拡大要求をしています。その要求を丸呑みした小沢一郎は、元祖媚米派というべき存在です。
金丸、小沢体制下の自民党政府は、日本に対してまるで、「北京ダック」のように内需拡大のための資金を飲み込ませた売国政府です。 その後の日本があまりの内需拡大策に消化不良になり、バブル崩壊を起こしたのは周知の通りです。 バブル崩壊により、体力を失いかけた日本に対し、アメリカから今度は、「財政再建」という課題が持ち込まれました。「内需拡大」というアメリカからの命令に従順に従った結果生じた、莫大な日本政府の借金。今度はそれを減らすことをアメリカは命令してきたわけです。 そして、今度はそれを小泉純一郎が丸呑みしたわけです。元祖媚米派の小沢一郎に対し、小泉純一郎は第二期媚米派と言うべきかもしれません。 経済政策において、「内需拡大策」と、「財政再建策」は水と油ですが、どちらも時期と規模を間違えれば碌な事にはなりません。日本経済を鉢植えの花にたとえれば、バブル前の日本は、「水を与えられすぎて根ぐされを起こしかけていた」状態だったのに対し、小泉改革時の日本は、「水が少なすぎて枯れかけている」状態です。どちらもあまりに極端なのです。そして、どちらもアメリカの指示なのです。 アメリカは、80年代から90年代にかけては、アメリカ企業の需要拡大のために「内需拡大」を唱えていたものの、アメリカ企業の体たらくに匙を投げて、今度は日本企業そのものをアメリカ資本のものにしようという作戦に転じたのかもしれません。 「アメリカは日本のためを思って『要望書』を作ってくれているのだ」と主張するアメリカ大好きの自称保守は、80年代から90年代にかけてのアメリカの理不尽とも思える「内需拡大要求」についてはどう弁明するつもりでしょうか。 http://blog.goo.ne.jp/sinji_ss/e/cfae6e2fa55379f912ddd6e54a402ef0
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