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自衛隊の高級幹部には「大日本帝国的価値観」を引き継いでいるひとが少なくないようだ。
※関連投稿
「安保法制 私はこう考える(毎日新聞):自衛隊関係者以外価値観や考え方の違いを超えて高く評価されている「村山談話」」
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[風見鶏]制服重視、平和に資するか
間もなく公開になる映画『日本のいちばん長い日』(原田眞人監督)は1945年4月、組閣の大命が下った鈴木貫太郎が固辞しようといろいろ言い訳をする場面から始まる。
「軍人が政治にかかわらないことを明治天皇に教えられ、今日までモットーとしてまいりました」
海軍で連合艦隊司令長官など歴任した鈴木だが、このとき予備役入り、すなわち職業軍人でなくなって16年がたっていた。軍人は一度なったら一生、軍人なのだろうか。
このことは戦後、何度か論争になった。現憲法に首相や閣僚は「文民でなければならない」との規定ができたからだ。
50年代、日米開戦時の駐米大使だった野村吉三郎参院議員(元海軍大将)は何度か閣僚候補に取り沙汰されたが、違憲の疑いを指摘されて入閣できなかった。
94年には「南京大虐殺はでっち上げ」と発言した永野茂門法相が在任11日で辞任に追い込まれるという騒動があった。終戦時は陸軍大尉、戦後は自衛隊の陸幕長という経歴が辞任圧力を増幅した感があった。
先の大戦の悲惨なありさまを考えれば、戦後日本が「軍人」に過敏なまでに反応したのは自然なことだ。今世紀に入って元自衛官の閣僚が2人誕生したが、大した政治問題にならなかった。ものごとはいずれは落ち着くところに落ち着くものである。
とはいえ、先の大戦が軍の暴走で始まったことは忘れてはならない。文民統制とは何か。どれほど論じても論じすぎではあるまい。
アジアの安全保障環境が厳しさを増す中で、安保の最前線にいる自衛隊のものの見方を国政に反映することは大事である。これを踏まえ、政府は近年、いろいろ仕組みを変えてきた。
例えば、制服と呼ばれる現役自衛官が防衛相にじかに意見具申できる仕組みに改めた。従来は背広を着た防衛官僚を間に挟んでいたので真意が伝わらないとの不満が制服組にはあった。
「ともすれば全体の目標に向かって相互のコミュニケーションに不足や齟齬(そご)をきたし、自衛官の主体的・自律的な責任意識の希薄化をもたらす」
防衛省が2008年にまとめた改革会議報告には制服と背広の不仲をこう記してある。公文書にここまで書くのはよほどのことだ。
次の一手として安倍政権は首相官邸の重要ポストである官房副長官補(事態対処・危機管理担当)に制服組である陸自の磯部晃一東部方面総監の起用を検討中と聞いた。現職の高見沢将林氏に至る5人はいずれも東大や京大を出た防衛官僚(警察から異動を含む)。そのいすに防大卒の陸将が座ると、官邸の雰囲気はかなり変わろう。
先日、戦前の帝国議会でたびたび軍部批判の弁を振るった斎藤隆夫の記念館に行ってきた。「聖戦の美名に隠れて(略)いわく国際正義、いわく道義外交、いわく共存共栄、いわく世界の平和……」とのくだりで知られる反軍演説によって議会を除名になった。
顕彰会の坂本雄作理事や親族の斎藤義規さんにいろいろなエピソードをうかがったが、「軍人は選挙権を持つべきでないと言っていた」と聞いて驚いた。政治不介入を徹底するとはそういうことなのか。存命であれば、制服の官邸入り構想をどう評するだろうか。
冒頭に登場した鈴木は昭和天皇に「ほかにいない」と懇請され、節を曲げて戦争終結の大任を担った。記念館には終戦の詔勅の一節を大書した塔が建つ。
文民統制とは何か。どうすれば平和に暮らせるかを第一に考えたい。
(編集委員 大石格)
[日経新聞7月26日朝刊PP]
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