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1960年1月19日、新安保条約にサインをする岸信介首相(当時)、右は米国のアイゼンハワー大統領(写真:AP/アフロ)
長老から見て、安倍首相の何が問題なのか 藤井裕久氏、「岸氏の姿勢とは異質のものだ」
http://toyokeizai.net/articles/-/78464
2015年07月28日 安積 明子 :ジャーナリスト 東洋経済
混乱の中で7月16日に衆院を通過した安保関連法案は、7月27日に参院で審議入りした。憲法59条の「60日ルール」を用いれば、同法案は今国会で成立する見通しである。これにより安倍晋三首相は祖父・岸信介元首相の悲願をひとつ達成したと思うことだろう。が、戦後70年の日本国民の総意といえるのかといえば、疑問の声は少なくない。さらにいえば、そもそも岸氏の遺志といえるのだろうか。
藤井裕久氏は1955年に旧大蔵省に入省後、田中内閣時に二階堂進、竹下登両官房長官の秘書官を務め、1977年に政界に転身。細川内閣と羽田内閣で蔵相、野田内閣で財務相を務めるなど、戦後日本の政治の現場を最も長くその見てきたひとりだ。その藤井氏は、今回の安保関連法案には、あまりにも多くの問題が内在していると語る。
■再軍備、海外派兵には憲法改正が必要と考えていた
7月27日、取材に応じる藤井裕久氏
安倍晋三首相とそのおじいさんの岸信介さんの政治姿勢は、全く異なっています。確かに岸さんは日本の再軍備を望んでいました。海外にも派兵したかったのでしょう。しかし現行憲法の縛りがある限り、それはできない、海外派兵するには憲法改正が必要だと考えていたのです。
実際に岸氏は1958年に米国NBCのセシル・ブラウン記者のインタビューに応じ、自分自身を憲法改正論者であることを認めた上で、「憲法改正の必要があり、具体的な改正点が決まっていても、それを提案するには衆参両院の3分の2以上の同意が必要で、さらに国民投票が必要であるという非常に丁寧な手段を講じなければならない」「日本国憲法の制約の範囲でこの問題(安保改正)を取り上げるべきは当然であって、海外派遣は現在の憲法のもとにおいて許されていないことは明らかであり、日米相互の協力といっても、憲法の制約の範囲内で考えていかなければならない」と語っている。
そもそも岸さんは筋を通す政治家でした。昔の政治家には気骨があったのですよ。
藤井氏はこう言う。それに対し、安倍首相は、憲法改正の要件を緩めようと96条改正論をぶちあげ、それも不可能と知るや、昨年7月には集団的自衛権を認めることを閣議決定してしまった。
そのようなやり方はきちんとした手続きを経ていない上、論理上の一貫性がありません。解釈改憲により表面的には祖父の遺志を継ごうとしていますが、果たしてそれで岸さんは喜ぶのでしょうか。
■安倍首相は故意に事実をねじまげている
藤井氏が何よりも許せないのは、安倍政権が故意に事実をねじまげ、無理やり集団的自衛権を合憲の範囲に押し込もうとする点だ。安倍政権は、歴代政府が集団的自衛権を認めてきた根拠として、1959年の砂川事件判決と1972年の政府見解を挙げる。だがそれは正しくないという。
1959年の砂川事件最高裁判決は日米安保に関して判断したもので、集団的自衛権として積極的に肯定したものではありません。そもそも日本は司法消極主義をとっており、この判決でも統治行為論を採用しています。ここで『日本には集団的自衛権がある』と読みこむのには無理があります。
1972年の政府見解が、そもそも「曲解」と憤る。
当時の内閣法制局長官は吉國一郎氏で、彼が政府見解を作りました。その中ではっきりと『他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は憲法上許されないといわざるをえない』と明記されています。どこをどう読んだら、これが集団的自衛権を認めることになるのでしょうか。
そもそも「現行憲法はGHQの素人によってたった8日間で作られて押し付けられたもの」とする安倍首相の見解に対し、藤井氏は大きな疑問を抱いている。
現行憲法が作られた当時の首相は幣原喜重郎氏、外相は吉田茂氏です。幣原氏は戦前からその国際協調路線が『幣原外交』と称されていましたし、親英米派の吉田氏は戦中に和平を企てたという嫌疑で憲兵に拘束されたこともある。いずれも戦前戦中を平和主義で貫いてきた政治家たちです。現行憲法の基本原則のひとつである『平和主義』には、こうした先人たちの思いが込められているのです。現行憲法が単なるアメリカからの押し付けではあるというのは、とんでもない間違いです。
藤井氏には安倍首相が歴史的事実を丁寧にくみ取ろうとする意思がないように見えてしまうようだ。
小泉純一郎元首相の後継として安倍首相が出馬した2006年の自民党総裁選では、1972年の日中国交正常化の際に周恩来氏が『中国はごく少数の軍国主義分子と日本国民を厳格に区別してきた』と発言したことについて尋ねられ、安倍首相は『文書として残っていない』として無視したことがありました。しかし当時の中国は文革の真っ最中で、そのような文言を公文書を残したら、命すら危なくなるという事情がありました。そのような中で周氏があえて出したメッセージを、どうしてきちんと受け止められなかったのでしょうか。
■憲法が要請している手続きを経よ
安倍首相の手法に異議を述べるのは、決してイデオロギーが違うからではないと藤井氏は述べる。
私は集団的自衛権を明記した憲法に改正した上でいまのような安保法制をつくるのなら、それは認めてしかるべきだと思います。でもそれには、衆参両院の3分の2以上の発議と国民の過半数の賛成という憲法が要請している手続きを経なくてはいけません。それを一気にすっ飛ばし、十分な根拠もないまま解釈で行うなんてとんでもない。断固これに反対します。それが私がお仕えしてきた歴代の政治家に対する最後のご奉公だと思っていますし、戦後の日本を作ってきたひとりとして、未来へ繋がる日本国民のみなさんへの責任だと思っています。
藤井氏は同じ思いを抱く亀井静香氏や武村正義氏、山崎拓氏などとともに、日本記者クラブや外国特派員協会などで安保関連法案の危うさを訴えた。同法案が衆院本会議にかけられた16日には、衆院第一議員会館で記者会見を開いている。こうした長老たちの思いは、安倍首相に届くのだろうか。
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