http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/455.html
Tweet |
末法思想と言う言葉を知っておられる方は多いと思います。
末法思想とは、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観のこと。
そうして末法の時代に入ると釈迦の生まれ代わりのような人物が登場し仏教を立て直すといます(釈迦の予言でもあります)。
日本では1052年から末法がはじめると言われていました。当時は鎌倉時代。日本大衆仏教が興った時代でもあります。
釈迦の生まれ変わりを「本仏」と言って、日蓮が、その本仏であると言う話が興っていたようです。
その経緯次のようなものです。
>「日蓮本佛論」に「於いては、Aの『開目抄』の言葉を以って、本抄を「人本尊開顕の書」であると主張し、日蓮が『龍之口法難』【文永八年(1271年九月十二日】に上行菩薩の再誕と言う迹を払って、「久遠元初の御本佛」としての本地を開顕したとする『発迹顕本』という思想の根拠としている。
しかし、日蓮が【文永十一年(1274年)十二月日】に身延で図顕した『万年救護之大本尊(国指定重要文化財)』の讃文には「上行菩薩出現於世始宣之」と「上行菩薩が出現して始めて此の大本尊を弘通する」という意味の言葉が明記されている。
然らば、それに先立つ【文永九年(1272年)二月】に著された『開目抄』に「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」と記述されていたとしても、必ずしもこの文面を以って日蓮が本佛宣言をしたとは言えない。
http://homepage3.nifty.com/juhoukai/mandara/016.html
日蓮の弘安年間に記された遺文には、自らを上行菩薩の使いである旨の表記は散見されるが、日蓮正宗の主張による【弘安二年(1279年)十月十二日】の『本門戒壇大御本尊』図顕の前後に書かれた遺文には、自らが「末法の御本佛」であるという自覚を窺わせるものはありません。
【弘安二年(1279年)九月】に著された『寂日房御書』には「日蓮は此の上行菩薩の御使として、日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしはこれなり、此の山にてもをこたらず候なり」(外受ノ二)、また【同年の十二月三日】の『右衛門太夫殿御返事』には「日蓮は上行菩薩にも似たり、此の法門を弘むる故に」(録外二十五ノ5)と記されています。
要するに確かな資料に依る限り、「上行菩薩再誕日蓮」と「日蓮本佛」は並立し得ない思想である事がわかります。
日蓮正宗等に於いては「上行菩薩再誕日蓮」を「外用」、「日蓮本佛」を「内証」と立て分けた教学を構築していますが、その確かな「文証」は皆無です。
BとCに於ける所謂「血脈抄(『本因妙抄』・『百六箇抄』)」についてですが、現在の仏教学や文献学の分野に於いては、これらは日蓮真撰とは認められていません。
また、富士門流の祖である日興の教学思想を考察する上でも、第二線の資料としても使用できません。
日興遺文にも「日蓮本佛」を窺わせるものは無く、彼の弟子の著作にも見当たりません。
「日蓮聖人の御法門は、三界衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておはしまし候」
(『原殿御返事』 『日蓮宗宗学全書』2興門集、173)
「日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘通の大権なり」
(『五人所破抄』〈三位日順)『日蓮大聖人御書全集』大石寺版P1611)
日蓮遺文集として最も権威のある『昭和定本日蓮聖人遺文』には総数434編の日蓮遺文が収録されていますが、その内で真蹟・曾存とされる遺文は222編、真偽未決とされるものが212編あり、その未決の中で55編は偽撰であろうと言われています。
しかし、『本因妙抄』と『百六箇抄』に関しては、本遺文集には収録されませんでした。
勿論、編纂には全ての日蓮宗各派の関係者が編纂委員となり、多くの第三者的な立場の研究者が参加していますのです、決して不公平な裁定がなされた訳ではありません。
件の「血脈抄」が『昭和定本日蓮聖人遺文』に収録されなかった主な理由は、それらの文書には正筆や時代写本が現存せず、加えて、正筆紛失の経緯も詳らかでなく、曾存とすることが出来ないばかりか、真撰とされる他の日蓮遺文と比較した場合に、思想内容や表記法等に著しい相違が認められ、それらが元来、興門流の自家用文書としての性格を有するものと判断された為だと言われています。
(引用終わり)
日蓮本仏論は日蓮宗の秘事として語り継がれ、その中でも日蓮正宗が特に大切に考えていました。
ところが、仏教の勉強会のようなものとして出来ていた創価学会の前身は、当時から、日蓮ところか、その指導者、牧口常三郎、戸田城聖等を釈迦の生まれ変わりになぞらえようとした。
この過程はオームの麻原と何ら変わりません。
その集団は日蓮正宗に合流することになりましたが、「本仏」を巡る思惑に日蓮正宗と相容れなくなり、創価学会の集団には呆れ返りまもなく破門することになります。
創価学会のこの傾向は、破門後にさらに強まり、最終的には戸田の後継者、池田大作を「本仏」と称することにためらいがありません。
次に紹介しますのは、その「池田本仏論」です。
「池田大作本仏論」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池田大作本仏論(いけだだいさくほんぶつろん)は宗教法人創価学会の一部信者による同会名誉会長の池田大作を現人神として扱う教義、思想の敬称である。
本仏論の原型
本仏論の原型となるものは意外に古く、戸田城聖が会長を勤めていた1950年代まで遡る。戸田は常日頃より「創価学会の組織の中にいつかご出現されるであろう久遠の一念三千様が・・必ずやご出現なされるのだ!」と周りに予言していた[1]。戸田は広宣流布の一切の後事を青年部全体に託したが、後継者として特定された個人名を出さずに他界する。
無罪判決と本仏論の始まり。
戸田の死後、池田が創価学会会長に就任するが当初は本仏論を主張する動きはなかった。しかし、1962年に大阪事件の無罪判決が言い渡されると一部信者が久遠の一念三千様は池田会長のことではないかと勝手に解釈、戸田が生前、池田を後継者に指名していたという誤った話が学会内に広まる事となる[2]。補足ではあるが創価学会のHPでは戸田は広宣流布の一切の後事を青年部全体に託したとされており、特定の個人を後継者に指名した記述は一切ない。
一部幹部の暴走と本仏論の広まり。
大阪事件の無罪判決を機に福島源次郎や山崎正友など一部の過激な幹部たちが池田会長を仏であるかのように喧伝。内容が全国に広まる。特に大阪事件の無罪判決を創価学会は利用し各支部や地区に至るまで池田会長を仏や現人神であるかのように喧伝が行われた。それには池田の著書である『人間革命』の文面も使用された。福島、山崎など一部幹部による池田会長を仏や現人神であるかのように喧伝が行われた結果、一部信者が暴走、言論出版妨害事件や宮本顕治宅盗聴事件などの事件を起こし社会問題化すると同時に、宗門である日蓮正宗との軋轢を招いた。
日達は1974年に「最近ある所では、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておるということを薄々聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません」と池田本仏論を批判[3]。しかし、福島や山崎が日達を批判したことや公明党が野党第2党として躍進したため、本仏論は収束せず更なる広まりを見せた。池田は、日達の発言から6年後の1980年『聖教新聞』の紙上で「代々の会長を神格化などしてはなりません」「私などを絶対視してはならない」「私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております」と自らの本仏論を否定した。また、その後も創価学会の総会・幹部会などで自分たちの活躍は池田先生のおかげであるなどと池田を褒めたたえ神格化する傾向が強くなり、池田への称賛を忘れた会員や幹部に他の会員から非難や嫌がらせが相次いだため、池田大作が自ら総会、幹部会の発言におけるいかなる発言であろうと他人が発言者を非難してはいけない。自分(池田大作)を華美に褒め称える発言も慎むようにと厳命し通達を出す事態となった。
日蓮正宗からの破門と本仏論の肯定
創価学会は宗門である日蓮正宗との軋轢を繰り返した末、1991年に日蓮正宗から破門される。破門後、本仏論が学会内で再び広まることとなる。
こうした中、2002年3月28日に会則改定を実施、教義について定めた条文から日蓮正宗に関連する文言を削除するなど日蓮正宗との決別を明確化させる一方、初代会長・牧口常三郎、第2代会長・戸田、第3代会長・池田の「三代会長」を「創価学会永遠の指導者」と定める条文を新たに盛り込んだ。その「三代会長」に関しては、更に、当該会則改定で新たに付加された序文の中で「『三代会長』に貫かれる師弟不二の精神と広宣流布実現への死身弘法の実践こそ「学会精神」であり、永遠の規範」と規定されている。ここで、初代会長の牧口と第2代会長の戸田の2人は既に他界していることから、池田が実質的に唯一無二の「永遠の規範」であり「永遠の指導者」であるということになり、当該会則改定が”池田本仏論”の具現化とみなされる所以となっている。
その後、前記会則改定に並行して宗教法人・創価学会としての規則の改定を所管庁である文部科学省に申請、2002年4月26日に文部科学大臣より認証が下りた。このことを伝えた聖教新聞同年5月2日付紙面によると、新たな規則では前記会則改定で盛り込まれた序文並びに新教義条文を踏まえたものとなっており、前記で触れた新会則に続いて日蓮正宗との決別を明確にしている。そのため、創価学会は池田を事実上の「教祖」と仰ぐ独立した新興教団に変質した、との指摘が為されている。
なお、規則改定直後に初めて開かれた本部幹部会に於いて、第5代会長・秋谷栄之助は、規則改定のことには触れず、その直前に行われた会則改定を基に池田を賞賛する発言を展開した。
(引用終わり)
800万人とも言われる創価学会会員(信者)の為に、このような批判は謹んできたが、創価学会の余りにも身勝手な行動、憲法無視をみて、これ以上放置する事の危険性を感じ攻撃を開始することになった。
そもそも、池田本仏論に見られるように、創価学会の上層部は宗教と政治の区別がついてなく、創価学会を国教のようにし国家をも支配しようとしているものである。
まるで現実離れした空想のように感じされるであろうが、ついこの間、オームの麻原も同じような考えを持っていたでしょう。
オーム程度であれば、国家単位で見れば、それほど脅威ではなかったが、サリン事件を起こすなど、見逃せるものでなかったことは十分に経験したことです。
創価学会の日本征服も、彼らの頭の中にはあるものとすべきです。
その証拠が公明党の存在であり、創価学会が霞ヶ関官庁、とりわけ司法の分野に会員を送り込んでいることです。
もちろん、一般会員には、このようなことはおくびにも出さず、別の言い方で修辞しているでしょう。
次に、池田及びその側近共が如何に思い上がっているを示しましょう。
池田大作レイプ訴訟
創価学会男子部本部長によるセクハラ事件
池田自身は、もみ消しに成功しましたが、池田がハーレムを作っていると言うような噂も立っています。
現在は、国王なのか、現人神か知らないが、高齢の池田の跡目を巡り幹部たちの争いが始まっているように聞きます。
このような創価学会をスランスを始め数カ国がカルトと認定しています。
一般会員に何を言っているか知りませんが、上層部はこんな連中で構成されているのです。
一般会員は自分が信じている教えが釈迦のものではなく池田大作の教えであると解っているのでしょうか。
日蓮でさえも、他人が本仏となぞらえても自身で本仏と思ったことはない、それを池田は自ら本仏であることを願い、宣言した。
池田ごときが釈迦の生まれ変わりなどと、宗教も舐められたものです。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK189掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。