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岸信介氏の政治的手腕とりわけ日米安全保障条約改定は、戦後日米関係史における日本側の大きな資産として評価したい。
高く評価するのは、「改定の核心は、51年9月に吉田茂首相が署名した旧安保条約が明記していない米国による日本防衛義務を明確にした点」ではなく、無期限で米国側の判断だけで日本側からの破棄条件さえなかった旧安保条約に日本側から破棄できる条件を定めたことである。
(「日本防衛義務を明確にした点」を評価しないのは、日本が外国から武力攻撃を受けるとしたら、日本攻撃の軍事的能力がある国家に“戦争好き”の米国が武力行使に踏み切ったときがもっとも可能性が高いからである。米軍の基地が日本領土に存在することで日本が“巻き込まれ”で攻撃を受けてしまうのである。そのような攻撃に日本も反撃するよう求めた条文が日米安保第5条である。これまでは、朝鮮やベトナムなど米国が武力を行使した相手に在日米軍基地を攻撃する“能力”がなかったから巻き込まれなかっただけの話)
岸氏が尽力した安保条約の改定により、1970年以降日本側からの申し出で日米安保条約を廃棄することができる。むろん、日米安保条約を継続する“選択”もありだが...
一方、国葬でおくられた吉田茂氏は、岸氏が政治課題とした日米安保条約の改定に必要性を認めず、岸氏などの対米自立の動きを冷笑したカスの政治家である。
哀しい現実だが、鳩山一郎氏や石橋湛山氏の“末路”(鳩山氏はその前に首相になりそう担った時点で公職追放)を顧みれば、田中秀征氏が安倍首相に望む「岸氏の先代である石橋湛山元首相の国際協調路線に転換すべき」というのは甘い夢想に近い話だとわかる。
鳩山一郎氏の孫である鳩山由紀夫氏が、普天間基地一部機能辺野古移転問題で米国の意向に逆らったことで職を辞するに至った(表面的理由は政治献金問題だが)のはつい最近のできごとである。
岸信介氏に米国支配層を“騙す”意図がどこまであったのかはわからないが、日本が自立に近づくためには、“親米で従米のふり”をしなければ物事が成就しないことを理解していたことは間違いないだろう。
孫である安倍晋三氏に祖父岸氏の「政治的価値観的DNA」がどれほど残っているか気になる昨今である。
虎の尾を踏むことは危険過ぎるので、日米安全保障条約は、米国側から廃棄を望む方向にもっていくか有名無実化するしかないと思っている。
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[風見鶏]岸信介が眺めた地球儀
静岡県御殿場市にある岸信介元首相の旧邸は、玄関を入り、ホールを抜けた右側に書斎がある。岸は親しい人とはここで会ったらしい。執務机の右に、直径1メートルに近い、立派な地球儀が置かれている。
1970年から17年間、岸は御殿場に住んだ。若き日の安倍晋三首相は地球儀を眺める祖父を見た。安倍政権の「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」は、これと無縁でないのだろう。
岸は地球全体を見渡す国際派よりも、日米基軸論者の印象が強い。60年に日米安全保障条約を改定したためである。例えば田中秀征氏(元経済企画庁長官)は次のように語る(朝日新聞2015年5月15日)。
「安倍晋三首相が祖父、岸信介元首相の同盟強化路線を引き継ぐのではなく、岸氏の先代である石橋湛山元首相の国際協調路線に転換すべきだった」
「2カ月で石橋氏は病気退陣し、岸氏が後継首相となります。石橋氏が集団的自衛権(同盟)よりも集団安全保障(国連)を重要視した点で2人の首相には大きな違いがありました」
見出しは「国連重視の石橋構想、今こそ」だった。石橋内閣の官房長官だった石田博英の秘書をつとめた田中氏は石橋の政治的な孫にあたる。
が、実は石田は岸内閣の最初の5カ月間も官房長官をつとめた。岸首相、石田官房長官の下で57年5月20日に閣議決定した「国防の基本方針」をみる限り、岸が国連より同盟を重視したとは断定しにくい。
「国防の基本方針」の決定は、日本の国連加盟の5カ月後である。第1項は「国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する」とある。国連中心の国際協調主義である。
最後の第4項で日米安保体制に触れる。だが「外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する」と、国連への期待を捨てない。
にもかかわらず、岸が日米基軸論者とされるのは、安保改定のせいだが、改定の核心は、51年9月に吉田茂首相が署名した旧安保条約が明記していない米国による日本防衛義務を明確にした点である。国連を重視する「国防の基本方針」とは矛盾しない。
旧安保条約で日本防衛義務が明確でない点は安保反対論者も意識していた。旧安保条約に基づく米軍駐留を違憲とした59年3月30日の砂川事件に関する東京地裁判決(伊達判決)に次の一文がある。
「日米安全保障条約上合衆国軍隊は外部からのわが国に対する武力攻撃を防禦(ぼうぎょ)すべき法的義務を負担するものでないから、たとえ外部からの武力攻撃が為(な)された場合にわが国がその出動を要請しても、必ずしもそれが容(い)れられることの法的保障は存在しない」
伊達判決を覆し、自衛権を合憲とした最高裁判決は59年12月16日であり、60年1月19日の新安保条約署名の1カ月前だ。新条約は60年5月20日、衆院本会議で強行採決された。新条約はその後広く支持されるようになり、歴代民主党政権も「同盟深化」を語った。
政府・与党が説明するように、安全保障関連法案の狙いが日本防衛の強化だとすれば、それは岸の安保改定の延長線上にある。集団的自衛権は国連憲章が認める自衛権であり、それを基礎に抑止力を広げ、強める安保法案は、安保史に照らせば、事実上の条約再改定に近い。書斎で地球儀を眺める岸の姿が浮かぶ。
(特別編集委員 伊奈久喜)
[日経新聞7月19日朝刊P.2]
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