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新国立競技場(ザハ・ハディド改良案)の完成イメージ(新国立競技場ホームページより)
新国立競技場問題、下村氏と森氏は退場を 世界に赤っ恥、あきれ果てる迷走の行方は?
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44346
2015.7.21 筆坂 秀世 JBpress
一体、どこに、誰に怒りをぶつけたらいいのだろうか。国民の評判がすこぶる悪かった新国立競技場について、7月17日、安倍首相は「現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで見直す」と表明した。日本スポーツ振興センター(JSC)の有識者会議でゴーサインが出てからわずか10日目の白紙発言である。
この意図は見え見えだ。安保法制が衆議院を通過したが、法案への国民の批判は依然として大きく、深刻な支持率の低下に直面していたからだ。
■白紙決定するも安倍首相の支持率は上がらず
安倍首相は、「1カ月ぐらい前から検討していた」と答えているが、これは到底信用できない。有識者会議には、森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下、五輪組織委員会)会長、舛添要一東京都知事らに加えて、下村博文文科相、遠藤利明五輪相の2人の閣僚が参加しているのである。この2人は、2520億円の新国立競技場建設計画を了承しているのである。まさか、この2人を除いて「検討していた」というわけではなかろう。
安保法制への批判が根強いだけではなく、それに加えて新国立競技場をめぐって国民の怒りが沸騰している現状に危機感を抱いたからである。当然の危機感であったと思う。もしこのまま、原案通りに推進するという対応をすれば、安保法制にプラスして新国立競技場問題でも、安倍内閣への怒りが集中したことであろう。
政治の世界は「一寸先は闇」と言うが、下手をすれば安倍政権の命取りにもなりかねなかった。
国民の感覚とずれたことを言うのが“得意”の森元首相が、思わず「国が2520億円ぐらい出せないとは。俺は不満だ」と語った。ある意味その通りなのである。2520億円で国の財政が破たんするわけではない。だが、そういうことではないのだ。国民は、国の財政を心配して怒っているわけではない。
例えば年金生活者は、わずかの年金から介護保険料を天引きされ、国民健康保険料(税)を天引きされているのだ。アルバイトや派遣で働く多くの人たちは、時間給いくら、という世界で暮らしているのだ。にもかかわらず何が良いのか、わけの分からないデザインの競技場に湯水のように税金が注がれる。しかも当初予算を大幅に上回る。ところが誰がそんな結果を招いたのか、責任の所在はさっぱり分からない──。この無責任さに怒り心頭に発しているのだ。森という人は、この一番大事なことが分かっていないのだ。
最新の世論調査では、白紙に戻したことについては、当然ながら賛同する意見が圧倒的多数を占めている。だが、安倍内閣への支持率は大きく低下したままである。白紙にしていなければ、もっと下がっていたであろう。その意味では、安倍首相の白紙判断は、安倍内閣にとって間一髪セーフということであろう。
■そもそもデザインがそれほど重要か
森氏が、「生ガキがだらーんとしたようなデザインは、もともと好きじゃなかった」という趣旨の発言をして物議を醸しているが、そもそも競技場にとってデザインがそれほど重要なのか。白紙前、多くの関係者が「あのデザインで招致に成功した。これは国際公約だから変えることはできない」と発言していた。ところが、安倍首相が白紙発言をしたのに対して、どの関係者からも「国際公約違反だ」という声は上がっていない。不思議な話だ。
もちろんデザインはどうでもよいなどと言うつもりは毛頭ない。しかし、そもそも競技場にとって何が重要なのか。私などはど素人だが、順不同に思いつくままに書いてみると、(1)競技者にとって使いやすいこと、(2)観客にとって見やすいこと、(3)環境に配慮され、景観ともマッチしていること、(4)地震になどに災害に強いこと──などが考えられる。
流線型かどうかなど、瑣末なことのはずだと私は思っていた。そうすると案の定だった。IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が18日、「デザインは重要ではない。大事なことは、選手や観客のために2020年にスタジアムが完成していることだ」と語ったというのだ。
ところがザハ案は、オリンピックのメイン会場に不可欠なサブトラックもなく、屋根を付けた場合の芝の維持・管理についても不透明だったと言われている。
「国際公約だから変えられない。国の威信にかかわる」などと、脅迫的な言辞でザハ案を強行しようとしていた連中は、なんと弁明するのだろうか。世上言われているように、2019年のラグビーワールドカップに間に合わせるためには、金額がいくらに膨れ上がろうともザハ案で強行するしかない、ということであったとすれば元ラグビー協会会長としてラグビーW杯招致に熱心だった森氏の責任は極めて大きい。
■JSCは必要なのか?ゼロベースで見直しを
河野一郎JSC理事長の発言を聞いていると、「こんな組織が必要なのか」という根本的な疑問が湧いてくる。
何を聞かれても回答は、「文科省の指示に従ってやっています」というだけだ。こんな連中に高い給料を払う必要はない。「文科省の指示に従ってやっています」とだけ言えれば誰でも務まるではないか。
「有識者会議」というのもこのJSC理事長の私的諮問機関に過ぎない。しかもメンバーは「一体、何の有識者なのか?」という疑問を抱かざるを得ない人物ばかりだ。
JSCが行った新国立競技場のデザインを選定するコンペティションの委員長は安藤忠雄氏だったが、この選定も妥当だったのか疑問を持たざるをえない。安藤氏は16日の記者会見で、「こんな大きいものは、私は作ったことがない。なぜ2520億円になったのか、私も聞きたい」などと語った。何をかいわんや、である。これらは、すべてJSCが行ってきたことである。だが河野理事長に聞くと、先の迷回答が返ってくるだけなのだ。こんな連中が本当に日本のスポーツの振興を図ることができるのだろうか。
あらゆる競技において、選手はすべて自己責任で競技を行っている。負けたからといって、誰かに責任を転嫁することなどあり得ない。だがスポーツ振興の財政を牛耳り、施設を牛耳っている連中は、何ひとつ自己責任を果そうとはしていない。フェア精神など皆無だ。新国立競技場だけではなく、JSCについても一度解体して、ゼロベースであり方を見直すべきではないか。
■森喜朗氏は五輪組織委会長にふさわしくない
下村文科相は、一貫してザハ案での強行着工を強調してきた。国会でも「大胆な見直しは、もう間に合わない」とか「(槇文彦氏らの)代替案を検討したが、五輪開幕にぎりぎり間に合うか」などと答弁してきた。ところが今になって、「JSCの責任だ」とか、安藤氏に責任を転嫁する発言を繰り返している。
建築家の槇文彦(まき・ふみひこ)氏らは、ザハ案では巨額の工事費と維持費がかかること、芝育成上の問題もあることなどを指摘し、代替案を昨年来提言していた。その最大の要因は、キールアーチ構造にあった。これを見直す以外、2520億円どころか3000億円を超すであろうという問題点を解消する方法はなかったのである。
その改善を提案したのが、槇氏らの提言であった。ところがこの提言に真面目に対応しようとはしなかった。槇氏らの提言は詳細なもので、工事費も1000億円前後で可能、誇示期間も42カ月(3年半)で可能とするものであった。デザインもシンプルで観客席には屋根も付けるという構想であった。
常識的に考えれば、槇氏らの案の方がはるかに現実的であり、競技場としての機能も十分に備えたものであった。
ここまで競技場問題で迷走した以上、安倍首相は少なくとも下村文科相の更迭という決断をすべきだと考える。
同時に、何らの痛痒も感じていないばかりか、失言、放言が止まない森喜朗東京五輪組織委員会会長は会長職にふさわしくない。そもそもザハ案にこだわり、見直し時期を遅らせてしまったのはラグビーW杯を新国立競技場でということに、森氏が拘泥したからであろう。その責任は重大であり、安倍首相はこの人選こそゼロベースで見直すべきだ。競技場建設と違い、まだ時間は十分にある。
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