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いまさら「日米安保体制を望んだ昭和天皇」を強調する産経新聞  天木直人(新党憲法9条)
http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/121.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 7 月 20 日 10:15:05: igsppGRN/E9PQ
 

いまさら「日米安保体制を望んだ昭和天皇」を強調する産経新聞
http://new-party-9.net/archives/2236
天木直人のブログ 新党憲法9条


 きのう7月19日の産経新聞が国民必読の大スクープ記事を掲載した。

 その記事の要旨は、鈴木九萬という外交官の日記の発見によって証明された、戦後の日米安保体制構築に及ぼした昭和天皇の強い影響力だ

 遺族や親族のもとに保管されていた鈴木氏の日記から分かった事は何か。

 それは「戦力を保持しない日本の安全保障は駐留米軍に委ねるべきであると最初に打ち出した」いわゆる芦田メモが米国にわたっていた事がこの日記で明らかにされたことだ。

 なぜ、このことが重要なのか。

 芦田外相の下で作られたこの芦田メモは、1947年9月につくられ、戦後の日米安保体制の原型とされている。

 すなわち、独立後の日本の安全保障は米国との特別二国間協定より米国に委ね、日本の基地を米軍に提供するのが「最良の手段」と位置付けたメモだ。

 このメモが当時終戦連絡横浜事務局長であった鈴木氏からアイケルバーガー米陸軍中将(マッカーサーにつぐ占領軍ナンバー2)に私信として手渡されていたことはわかっていたが、それが米国政府にどう活用されていたかはこれまで確認されず、研究者の間でも米国政府要人には見せなかったのではないかという見方が定説だったという。

 ところが鈴木日記でマイケルバーガー中将が、「自分は日本の将来の安全保障を扱ったその文書を大いに活用した」と述べ、アイゼンハワー参謀総長(のち米国大統領)らに伝えていた可能性があることがわかったというのだ。

 そして産経新聞のその記事は次のように続ける。

 昭和天皇はマッカーサーとの会見で、駐留米軍で日本を共産主義から守ってくれと頼み、戦力の不保持を謳った憲法9条と国連が日本を守るのだと逆にマッカーサーから諭されたと言われている。

 その昭和天皇は、米国が沖縄および他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望し、そのことが米国の利益になり、日本を保護することになる、という考えを示した(いわゆる天皇メッセージ)

 アイケルバーガー中将は、共産主義勢力に対する日本の治安維持能力に危機感を抱き、マッカーサー元帥の安保構想に批判的だった。

 そのアイケルバーガーが1948年7月に離任・帰国する際、戦後初の外国人の賓客として昭和天皇に皇居で午餐に招待されている.

 この昭和天皇の安全保障観は、豊下楢彦教授の名著「日米安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交」(岩波新書)で書かれた吉田茂の天皇外交への恭順と見事に照合する。

 吉田茂もまた芦田と同じく外務官僚だった。

 もういいだろう。

 この産経新聞の大スクープ記事がいわんとするところは、戦後の日本の安全保障体制は昭和天皇と外務官僚によってつくられ、米国にそれを要望してできた国策であるという事だ。

 なぜ産経新聞はこのタイミングでこのようなスクープ記事を大きく掲載したのか。

 それは安倍首相の掲げる日米同盟強化も、集団的自衛権行使容認も、安保法制案の採決も、昭和天皇の外交以来の国策であるということだ。

 それに反する者は国賊であるといわんばかりなのだ。

 しかし、時代は変わった。

 昭和天皇から明仁天皇の時代となり、国民の意識も、国際情勢も、米国の影響力も、なにもかも大きく変わった。

 いまこそ日本の安全保障政策も、歴史の大きな流れを読み間違えることなく、正しく変わらなければいけない時である(了)


 

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コメント
 
1. 2015年7月20日 10:26:49 : b5JdkWvGxs
東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。
東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?
天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。


沖縄から出て行く予定だった米軍を引き止めたのは昭和天皇

9条を新憲法に入れろとマッカーサーに要求したのも昭和天皇だろうな

昭和天皇が共産革命を恐れて夜も眠れなかったのは有名な話

昭和天皇は共産革命と日本軍のクーデターを何よりも恐れていたから、日本が軍隊を持てない様にしたんだ。

米軍に東京の近くに駐留してもらえば日本に軍備は不要だからね。

日本がアメリカの植民地になったのも昭和天皇の意向なんだよ


昭和天皇は麻薬商売で稼ぐ為に満州事変を起こしたんだよね

日中戦争の黒幕は昭和天皇なのさ

軍人も政治家もみんな反対したのに昭和天皇が押し切ったというのが真相

南京大虐殺も昭和天皇の命令で仕方なくやったこと


しかし日中戦争が勝てそうもなくなったので、昭和天皇は日本で共産革命が起きて、自分が中国でやらせた虐殺が問題にされて死刑になるのが怖かったんだ。

それでルーズベルトと内通して八百長戦争をやって日本を占領してもらったんだな。

真珠湾攻撃の時、宣戦布告を意図的に遅らせてアメリカ人を怒らせる様にしたのも昭和天皇の指示で吉田茂がやった事:


日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。


アメリカから昭和天皇への指示は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。

1951年の講和条約締結と同時に日本は米国と日米安保条約を結んだ。この条約締結の真相を言えば、これはわざわざ日本の方から米国に請うたものであった(外交交渉による取決めなので、国民向けには全く違った表現を使ったかもしれないが)。もし連合軍が占領終了と同時に撤退すれば、日本を防衛する術が全くなくなるからである。

安保条約で日本は米軍に基地を提供した。また今日こそ米軍基地は機能的に配置されているが、当時は日本全土にバラバラに在った。自衛隊が整備されるにつれて米軍基地も整理統合されて行った。ところが左翼はこの安保条約を米国に強いられたものと事実と全く違う宣伝をずっとして来た。


ただこんな経緯があったためか、この最初の安保条約では米国が日本を守る義務はなかった。しかし日本を守る義務がなくとも、日本国内に米軍が駐留していれば他国からの侵略は防げるという日本側の発想である。まさに駐留する米軍人は、日本にとっての人質の役目を果した。ようやく60年の安保条約改定で米国が日本を守る義務を課した条項が追加されたのである。しかしこれも日本が米国を助ける必要のない片務条約であった。今回の安保法案はこれを一部見直そうというものである。


2. 2015年7月20日 10:30:08 : sWJ10WEuns
【戦後70年】日米安保『原型』芦田メモ 「米本国要人へ伝達」の証言記録 定説覆す可能性
2015.7.19 05:00 産経新聞

 戦力を保持しない日本の安全保障は駐留米軍に委ねるべきだと戦後の日本政府が最初に打ち出したのが、占領期の昭和22年9月、芦田均外相下の外務省で作成された「芦田メモ」だ。日米安全保障体制の「原型」と評価されながら、メモは米国政府に届けられなかったという説が有力だったが、占領軍ナンバー2のロバート・アイケルバーガー米陸軍中将を通じ、対日占領政策決定機関の極東委員会トップら米本国の要人に伝達されていたという証言が、メモを中将に手渡した終戦連絡横浜事務局長、鈴木九萬(ただかつ)氏の日記に記録されていた。(渡辺浩生)

 芦田メモは、占領軍でマッカーサー元帥に次ぐ地位にあった米第8軍(本拠・横浜)司令官のアイケルバーガー中将が、鈴木氏に占領軍撤退後の日本の防衛について見解を求めたのをきっかけに、外務省幹部が作成。芦田外相が決裁した。

 米ソ関係が改善されない場合、再独立後の日本の安全保障は2国間の特別協定により米国に委ね、日本の独立が脅威にさらされた際には、米軍に国内の基地を提供するのが「最良の手段」と位置づけた。

 22年9月、一時帰国する中将に対し、鈴木氏から私信として手渡されたが、メモが米本国でどのように活用されたかは、従来の公開資料でも不明で、研究者の間では「(中将は)自らの参考にするだけにとどめ、アメリカ政府の要人には見せなかったようである」(坂元一哉氏「日米同盟の絆−安保条約と相互性の模索」)という見方が定説となっていた。

 遺族や親族の元に保管されていた鈴木氏の日記(大学ノートに英文で記載)には、翌23年7月下旬、中将と面会した際、前年9月に手渡した芦田メモに対する米国内の反応を尋ねた会話が記録されていた。

 中将は、「自分は日本の将来の安全保障を扱ったその文書を大いに活用した」とし、「大勢の著名人が読んだ。例えば極東委員会委員長の(フランク・)マッコイ少将だ」と答えた。

 極東委員会は占領政策の最高政策決定機関としてワシントンに置かれ、米英中ソのほか仏豪蘭比印など11カ国で構成され、マッコイ氏は委員長と米国代表を兼務していた。

 実際、すでに公開されているアイケルバーガー中将の日記によると、中将は一時帰国中の22年10月にワシントンでマッコイ氏と会見。アイゼンハワー参謀総長やロイヤル陸軍長官ら陸軍首脳、グルー元駐日大使とも面会していた。こうした要人らにメモが閲覧されていた可能性が出てきた。

 講和後の安保問題の検討は吉田茂政権に引き継がれ、25年、日本国内の基地を米軍に提供する意向が米側に正式に示され、26年1月の講和交渉と同9月の日米安全保障条約締結に至ったが、吉田氏は自著で芦田メモを「日米安全保障体制の基本をなす考え方と全く同一のものであった」(「回想十年」第3巻)と評価していた。

           ◇

■昭和天皇にメモ報告

 日米安全保障条約の「原型」とされ、占領軍ナンバー2のアイケルバーガー中将を通じて昭和22年秋、極東委員会トップら米本国の要人に伝達されていたことが明らかになった「芦田メモ」。パイプ役を務めた終戦連絡横浜事務局長、鈴木九萬氏の日記によると、昭和天皇もメモの行方について報告を受けていた。連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が日本の「非武装中立」を提唱する中、再独立後の日本の安全保障に天皇が寄せられた深い憂慮を改めて裏付けている。

 昭和22年3月、マッカーサー元帥は早期講和を提唱し、憲法9条で戦力の保持を禁じられた日本の再独立後の安全保障は、国連に委ねるべきだとの考えを表明した。元帥の構想は米ソの協調維持を念頭に置いたものだった。

 外務省は水面下で対応策の検討に着手。9月に芦田均外相の決裁で作成された芦田メモは連合国軍総司令部(GHQ)を介さず、鈴木氏を通じて一時帰国するアイケルバーガー中将に私信として託す手法がとられたが、米ソ関係悪化を予測して、駐留米軍による防衛という選択肢を日本自ら示す初めての文書となった。

■講和後の安保体制にご関心

 この時期、昭和天皇の最大のご関心も、講和後の日本の安保体制の行方にあった。22年5月のマッカーサー元帥との会見で、「日本ノ安全保障ヲ図ル為ニハ、アングロサクソンノ代表者デアル米国ガ其ノイニシアチブヲ執ルコトヲ要スルノデアリマシテ、此ノ為元帥ノ御支援ヲ期待シテ居リマス」と懇願された(児島襄「日本占領第3巻」)。

 「芦田メモ」が作成された同じ同年9月には、寺崎英成・御用掛(天皇の通訳)がGHQのシーボルト外交局長を訪ね、天皇の「沖縄メッセージ」を伝えている。「米国が沖縄および他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益になり、日本を保護することになるとの考え」を示したもので、同局長から米国務省にも報告された(「昭和天皇実録」)。日本の安全保障を確保する手段として沖縄への米軍の長期駐留の意向を天皇自ら示されたものとされている。

 天皇は翌23年7月には、離任・帰国するアイケルバーガー夫妻を、戦後初の外国人の賓客として皇居での午餐(ごさん)に招待された。

■中将は日本の治安維持に危機感

 一時はマッカーサー元帥の後任に目されたアイケルバーガー中将は、共産主義勢力に対する日本の治安維持能力に危機感を抱き、元帥の安保構想にも批判的だった。中将に「敬意を表し最善を尽くした」(鈴木氏)天皇のもてなしは、帰国後の協力を期待された“宮廷外交”ともいえる。

 鈴木日記によれば、7月19日の午餐での天皇のお言葉は、戦前に御用掛として天皇に仕えた鈴木氏の助言で起草され、「思いやりと理解ある占領政策の指揮」への感謝と、「帰国後も日本の将来に関心を持ち続けてほしい」という要望を伝えられた、という。

 鈴木氏はその5日後の24日、葉山御用邸を訪れ、約20分間拝謁。「陛下のご希望をかなえるよう最善を尽くすことを約束する」という中将のメッセージを伝えるとともに、「私が書いた昨年9月の機密文書と今用意している新しい機密文書についてご報告申し上げた」とある。

 「昨年9月の機密文書」とは、鈴木氏が22年9月に中将に託した芦田メモを指す。鈴木氏はこの拝謁の3日前に中将から、「メモが極東委員会委員長のマッコイら米本国要人に読まれていた」という証言を聞き出していたので、おそらく天皇に報告したであろう。

 「新しい機密文書」とは、中将の要望により鈴木氏が新たに作成したメモで、米ソ関係の悪化により、芦田メモで示したシナリオ通りに事態は向かっている−と分析。離日前の中将に手渡された。

 「米国民が戦後の日本に対して一層理解を深めるよう中将の取り計らいを希望する」。天皇が鈴木氏に託したお言葉である。天皇は芦田メモの成り行きを通じて、安保構想をめぐる最新の検討状況を把握されていたといえる。

 中将は帰国後、陸軍省顧問に就任。「反共のとりで」の日本は米国の安全保障と不可分だとして再武装などを意見具申し続けた。

           ◇

 ■現代史家・秦郁彦氏の談話「曲折たどり日米安保条約に」

 昭和天皇はマッカーサー元帥との間で対等に近いトップ会談を続けた。一番重要な問題は日本の安全保障だったが、元帥は最初は国際連合に依存すれば大丈夫だと考えた。米ソ冷戦が厳しくなっても、憲法第9条を事実上作ったのは自分だから、再武装にも終始消極的。だから、天皇には元帥との信頼関係を保持しながらも、米国側の中にチャンネルを複数持ちたい、という戦略があったと思う。

 そのひとつにアイケルバーガー中将が選ばれたのではないか。午餐も、儀礼的な要素をひっくるめて、天皇が大切に思っていますよという意思表示ができれば十分だったと思う。

 沖縄を再開発し空から日本を守ってもらうという発想も、米本国にアピールするのが一番良いと、寺崎英成・御用掛を使って国務省の出先であるシーボルトGHQ外交局長に届けさせた。天皇の頭の中では、この「沖縄メッセージ」と「芦田メモ」はセットだった。外務省の正規ルート以外にいくつかのルートを設定し全体をみながら調整することを、自らおやりになったのだと思う。

 芦田メモの存在は随分前から知られていたが、それが米国内でどういう形で議論され、回覧されたかはずっと不明だった。その点は今回裏がとれた。米国では『日本は東洋のスイスたれ』という元帥と本国との間に意見の乖離(かいり)があったが、客観的に見てメモが示した選択肢以外方法はなく、紆余(うよ)曲折をたどりながら日米安全保障条約につながっていく。

               ◇

 芦田メモ 芦田均外相(片山哲内閣)下の外務省幹部が昭和22年9月13日付で作成。米ソ関係が良好となった場合、日本の安全は国連が担うとし、米ソ関係が改善されない場合(1)平和条約の実行監視に関連して日本国内に駐留する米軍が安全保障機能を担う(2)日米間で特別協定を結び、平時は沖縄や小笠原諸島を念頭に日本本土の周辺に展開する米軍の抑止力に期待して、独立が脅威にさらされる有事には米軍が日本国内に進駐して軍事基地を使用できるよう取り決める−との選択肢を提示。(2)が日本の安全保障の「最良の手段」とした。

 鈴木九萬 明治28年茨城県生まれ。東大法学部卒。大正10年外務省入省。昭和12年宮内省御用掛(昭和天皇の通訳)。15年駐エジプト公使。日米開戦で9カ月の抑留生活を送り、17年交換船で帰国。20〜27年終戦連絡横浜事務局長。第8軍司令官、アイケルバーガー中将との間で築いた緊密な関係は、GHQを介さない対米チャンネルとして活用された。駐豪大使、駐伊大使を歴任し36年退官。62年死去。

 ロバート・アイケルバーガー(1886〜1961年) 1942(昭和17)年以降、米陸軍第1軍団司令官、第8軍司令官としてニューギニアなど南西太平洋諸島、フィリピンでの対日戦を指揮。45年8月横浜に進駐し、本土の各地に展開した占領軍を指揮した。48年離任。49〜50年ヴォルヒーズ陸軍次官の対日顧問。54年大将に昇任。

http://www.sankei.com/life/news/150719/lif1507190017-n1.html


3. 日高見連邦共和国 2015年7月20日 11:31:47 : ZtjAE5Qu8buIw : mFuG9qQlTk

>>01 『中川隆』

相変わらず、どこまでもオマエのコメントで、どこからが『引用』なんだよっ!(笑)

読み難ぇ〜上に、意味不明〜!!


4. 真相の道 2015年7月20日 11:43:40 : afZLzAOPWDkro : viUfaRj73o
>昭和天皇は、米国が沖縄および他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望し、そのことが米国の利益になり、日本を保護することになる、という考えを示した(いわゆる天皇メッセージ)


結局昭和天皇が希望された通り、米軍の抑止力によって日本の平和は維持されることとなりました。

昭和天皇には先見の明があったわけですね。

日本の平和、治安維持が軌道に乗ったところで、沖縄は日本に返還。

その後も中国、北朝鮮からの脅威への抑止として米軍沖縄基地は役立っています。

中国は共産党一党独裁の軍事国家であり、第二次大戦後もチベットやウィグルを軍事侵略して自国に強制的に取り込んだ。

我々国民はこういう事実をきちんと把握し、軍事侵略抑止策=安保法制を進める必要があるわけです。
  
   


5. 英松 2015年7月20日 14:01:29 : ETND93SaXW5yw : JCztBn3yxQ
なぜ、産経新聞は昭和天皇を辱める様な事柄を報道したのだろう。
昭和天皇が、昨日まで激しく戦った敵に己の身の危険におののいて、恥も外聞も捨て身の安全を託すなんて卑怯な事をされる御仁では断じてない。
無礼千万だ。
靖国の英霊も仰天されている事だろう。

英霊よ、安らかに眠れ!


6. 日高見連邦共和国 2015年7月20日 14:48:42 : ZtjAE5Qu8buIw : mFuG9qQlTk

>>04 『遁走の道』

おいおい、オマエ、こんなところで油売ってていのか?オマエのスレッド炎上中だよっ!(笑)

ていうか、やっぱりオマエ、『新共産主義クラブ』だろう!?


7. 2015年7月20日 15:31:47 : b5JdkWvGxs
>昭和天皇が、昨日まで激しく戦った敵に己の身の危険におののいて、恥も外聞も捨て身の安全を託すなんて卑怯な事をされる御仁では断じてない。


昭和天皇は臆病で卑怯で情け無い人間として有名だったよ:


昭和天皇は若いころから、宮中の書斎にはナポレオンの胸像が飾られていた(有名な話らしい)。パリを訪問したときに土産として自分で買ったもので、珍重していた。

「ナポレオンの軍隊は安上がりの徴集兵で」彼は「この軍隊を愛国心に燃える兵隊の群れに仕上げた。日本の軍隊は葉書一枚で徴兵された“民草”といわれる安上がりの軍隊で、ナポレオンの軍隊以上に愛国心に燃えていた。

ナポレオンは補給のほとんどを現地補給とした。天皇の軍隊はこれを真似た。

ナポレオンは参謀部をつくり、機動力にまかせて、波状攻撃を仕掛けた。天皇は大本営を宮中に置き、参謀部の連中と連日会議を開き、ナポレオンと同様の波状攻撃を仕掛けた。」

「あの真珠湾攻撃は、そしてフィリピン、ビルマ、タイ…での戦争は、ナポレオンの戦争とそっくりである。」と鬼塚氏は書いている。そう言われれば確かにそうだ。

 つまり、昭和天皇はナポレオンを崇拝し、彼にならって大戦争を仕掛けるという壮大な火遊びをやったのである。真珠湾攻撃が「成功した」と聞くと、狂喜乱舞したと言われる。2・26事件当時の侍従武官・本庄繁の『日記』には、天皇がナポレオンの研究に専念した様子が具体的に描かれているそうだ。

終戦の玉音放送が流れる日の朝、侍従が天皇を書斎に訪ねると、昨夜まであったナポレオンの胸像がなくなっており、代わってリンカーンとダーウィンの像が置いてあった、と…。

 この変わり身の素早さには驚かされる。つまりもう占領軍が来てもいいように、好戦的なナポレオンの像は撤去し、アメリカの受け(好印象)を狙って、リンカーンを飾り、自分は生物学に専念している(政治に無関心な)人間なのだとの印象を与えるためダーウィンを飾ったのであった。天皇は書斎からしてこうなのです…といえば、戦争責任が回避でき、マッカーサーに命乞いできるという思惑である。

戦後、天皇が海洋生物の研究家になったのは、ただひとえに自分が専制君主ではなかったというポーズであり、戦争中の責任を隠す念のいった方便だった。国民もそれに騙された。

 そして戦争指導の責任を全部、東条ら軍人(それも陸軍ばかり)に押し付けた。

大東亜戦争で米英と戦った主力は帝国海軍である。陸軍の主任務地は支那およびビルマやインドであって、太平洋を主任務地としたのは海軍であったから、あの太平洋での拙劣きわまる作戦で惨敗につぐ惨敗を喫し、国家を惨めな敗北に導いた直接の責任は、海軍にあった。

ところが、戦後は「海軍善玉論」がマスコミや出版界を席巻し、あの戦争は全部陸軍が悪かったという風潮が醸成された。多くの作家(阿川弘之ら)がそのお先棒を担いだ。

だから後年、阿川弘之が(あの程度の作家なのに)文化勲章を授賞したのは、海軍と天皇の戦争責任を隠してくれた論功行賞であったとしても不思議はない。

海軍の作戦を宮中の大本営で指導したのが、昭和天皇だったから、天皇としてはどうしても敗戦の責任を海軍に負わせるわけにはいかなかった。そこから「海軍善玉論」を意図的に展開させたのではないか。

佐藤氏は太平洋の作戦全般を大本営の服部卓四郎や瀬島龍三ら下僚参謀が勝手に指揮したと書いているが、知ってか知らずか、さすがに本当は昭和天皇が指導したとは書いていない。

東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、

「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。

これは当時としては真実である。

しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。

それで天皇は部下を遣わして、東条と軍部に戦争責任を負わせるべく工作をした。

 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。

キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。

みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2


8. mmio 2015年7月20日 15:59:58 : eknahdHeg4gUM : CkAkDRSrSo
外務省、外務省出身者はどうも狭窄視野で痛い。米国の脅威を
過剰に意識しているせいなのだろうが。

そもそも米国は、国民の抵抗を受けた違憲法案を通してまで集
団的自衛権をやれ、とは言っていない筈。民意が離れたガタガ
タな国と軍事パートナを組むなんぞ、北朝鮮をパートナにする
ようなもので危なくて仕方が無い。

安倍が、議会制民主主義に則って(合憲的に)安保法案を成立
させます!と米国に宣言したから、米国・豪州などは成立を望
んでいる。しかし違憲は断じて許さないと言う国民の抵抗が大
きくなれば、米国は「安倍に嘘を付かれた!」と思い始めるだ
ろう。


9. 晴れ間 2015年7月20日 18:12:31 : FhUYgDFvAt2/E : xni5yVaf3k
憲法9条と日米安保条約は、同じメダルの二つの面。
憲法9条死守を唱えている人は、少なくとも日米安保条約廃棄と日本の対米独立まで視野に入れた戦略を立ててほしい。(一部の人は、そこまで考えているだろう。)

アメリカに依存できなくなったとき、日本は独自に平和の道を探さねばならなくなる。ロシアと平和友好条約を結び、戦後を終わらせることだ。中国とも平和友好の関係を築かねば、日本は立ち行かないし、国際社会の孤児になる。

人間平等の精神とは相容れない天皇制も早く廃止するにこしたことはないが、今の皇室は平和勢力だから、宗教勢力の排除を優先する方がいいだろう。
宗教団体の政治活動を、法律で一律禁止することだ。そうすれば、創価学会や統一教会に日本の政治が牛耳られることはなくなる。(カルト宗教にすがっている愚民に、政治が左右されることもなくなる。)

その過程で、日本の民主主義革命と近代化が一歩でも前進することを、私は切に願う。



10. 2015年7月20日 18:18:37 : BLqL2LUvlg
米軍駐留にて守られたのははたして日本国民なのか天皇家か?
同じ国土に住んでいたからこそ国民もついでに守られていたのでは。
家電や自動車や食品は明らかに進化しました。しかし相対的に国民の
生活は楽になりましたか?豊かになったと思わせられているが収入を
得ることが難しくなり支出だけが増大している気がしませんか?
コストダウンで知恵をしぼりモノが安く大量に作れるようになったは
ずなのに民衆はなぜお金で苦労させられ続けるのでしょう?
なぜ増税が続くのでしょう。
日本が経済成長しても米国や朝鮮半島に流れる金が多くなっただけで
はないでしょうか。それがなければ最低年金支給額30万円で向こう
100年は安泰だったという説もあります。



11. 2015年7月20日 18:20:25 : Qk6305OesY

神代の昔より、大和の国は他国に攻め入ったことは幾度かあるが、
他国に占領されたことはなかった。
70年前、、、「大日本帝国」の馬鹿どものおかげで、大和の国は「鬼畜米」に占領され、それ以来まだ占領されたままである。
自国がすでにアメリカ植民地とされながら「日本の防衛」を云々するマインドコントロールされた日本人。
――自立できない国・日本、だから、『国際社会』は冷笑、『経済大国』になっても尊敬に値せずと、国連常任理事国の呼び声などかかるはずもないという。
沖縄は対米支配の最大の犠牲を受けている、ジュゴンを蹴散らして新米軍戦争基地建設を強行されようとしている。
首都圏富裕層は、自分の電気の犠牲になった福島を捨て、米おこぼれ利権のために沖縄を差し出すのである。
売国日本財界・アメリカポチ自民党政治は、沖縄県民の明確な意思を踏みにじるファシズムである。
――ー反ファシズム共闘が必要


「産経新聞」は、対米従属日本財界・売国政治促進新聞です。
古くは、国際勝共連合(血わけキチガイ教団・統一教会)の仲間。

戦後直後、
日本の隣接国で、他国(日本)を攻めようなどという国などあろうはずがなかった。
それどころか、アジア諸国では日本の侵略戦争による荒廃からの復興で手いっぱいだった。
世界は「国連」による平和の流れが主流に起こっていた、
大国ソ連も、アメリカなどとの取引で「千島列島」の分け前を受けそれ以上の欲は出さなかった。
中国や朝鮮は内紛で手いっぱいだった。
日本人は生きることに手いっぱいだった。
そんな状況で、「日本の防衛」など問題になるはずもない。
なのに、
「ポツダム宣言」に違反して、米軍が日本に居座った。
戦後の在日米軍の駐留は、アメリカの世界戦略による一方的都合による駐留であった。
アジア大陸を前に、扇を広げた地形の国・日本、その全土に米軍を配備した。
戦後より、在日米軍が「日本の防衛」のためにあった、などという話はホラ話である。
それどころか、
マッカサーは、
いったんは非武装日本「平和憲法」を承認して置きながら、
すぐさま、日本軍創設を要請し、無理だとわかると「警察予備隊」をつくらせて在日米軍をめぐる日本人の反米闘争の弾圧に当らせ、やがて、保安隊、そして、「日米安保条約」(日米軍事条約)と自衛隊をつくらせ、日本人の反米闘争から在日米軍を守らせ、またアメリカの補完部隊として育成し現在の対米従属「安保法制」まで導いたのである。

朝鮮戦争特需とベトナム戦争特需のおこぼれもあり急成長した日本の大企業(戦前財閥たちも)、産業資源の欲しさにアメリカに媚びへつらい生きる道を見出し、沖縄と日本国土をアメリカに差し出し今に至っている。
そのために、国民をたぶらかし扇動するためにCAIと一緒になって自由民主党(戦前の戦犯たちの寄せ集め、安倍や麻生の爺様たち)をつくり、国民を支配してきた。

「産経新聞」は、その彼らの利権政治のための提灯新聞。
努々疑って正解なのであります。


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