31. 2015年7月22日 09:39:46
: FoozYI3PZF
>>30.一主婦さん おはようございます。 一主婦さんは間違っている事などないですよ。寧ろ私の方が変わった見方をする事が多いと思いますよ。 一主婦さんの方が全然真っ当な意見です。私はどの道安倍政権はもう長くないと思います。しかし、彼は悲願である安保法制をやり方はどうあれ衆院可決させたのですよね。 あとは無理やり総理の座にしがみ付くかどうかですが、彼にそれ程の精神力や神経の太さは無いように感じますね。本物の悪党ならまだしも、彼はそうではなく元々胆力などない勘違いなお坊ちゃんに過ぎないのですから間違った神輿に担がれて利用されて終わり。いずれお役目終了というところでしょう。 今後法案の行方次第で政権が首から上を挿げ替えて存続するかどうかまでは分かりませんが、国民の批判の矛先が沖縄問題他も含めて自公だけでなく米国にまで向かうようになれば自公政権は次の選挙でどうなるかわかりませんね。 私の心配はその後です。 野党連携という課題がありますが、このトップ不在の合同会社のような状況が果たして上手く纏まるのでしょうか。 小沢氏の先入観である政権交代には野党第一党である民主党が旗振り役をやるべきという真っ当過ぎる先入観が少々気にかかります。 私個人としては最早野党は数ではないと思うのですのね。それよりはここの政治家の信念や資質。ましてや政党ごとの細かな政策の違いなどそこまで国民は気にしているようにも思えないのですよね。 もう細かな事はいいから、とにかく政治家なら国民の代表としてまともに仕事をしてくれと。最低限、私達の為に生活と命を守ってくれという事に尽きると思うのです。 政治家など多少金儲けしようが、多少悪さしようがそんな事はいいけれども幾ら何でも酷すぎだろ。国民を馬鹿にするにも限度がある、いい加減にしてくれという状況でしょうか。 これ、そろそろ国民も限界。 もうこれまでと違った新たな政治を国民が求めているという事です。 この兆候はこの国の政治が大きく転換する可能性を秘めている良き状況だと個人的には思っていたりします。 生みの前の苦しみといったら良いでしょうか。 で、この新たな政治は国民の想像から創造されると私は思います。 集合意識とは割とあなどれないものでこのヴィジョンが国民側で明確に描けていないようでは良き創造は出来ません。想像が不可能であれば当然ですが実現は難しいと考えます。 しかし、このタイミングで国民側この国と行く末と在り方を共通認識としてぼんやりとではなく明確に描ければ、政治は多分その方向に進みます。 このままだと自公政権が倒れた後、さあ、政権交代したとなった時。 動力無きただの烏合の衆がぽつんと佇んであっけに取られる状態になってしまうような気がするのです。 自公政権を駆逐して、さあ始めようとなった時、この烏合の集団を一体誰が纏めるのでしょうか。 それは野党の数の問題ではなく、自公以外の政治家の中から、政治家個人の資質で国民がどこかの段階で選択しておくべきだと思うのです。 次なる選挙で自公以外の党にバラバラに投票して政治家にトップを選ばせる。さあ、政権交代した。 誰がトップになるのだろうという政治家任せの状況。 ちなみに自公の場合、これで安倍総理が生まれてしまったのですよね。 民主党の場合は鳩山さんでした。 安倍さんは強権的である意味強かったけどトップとして以前に政治家としての資質、国民の代表たる意識が完全に欠如しています。 逆に鳩山さんは聡明であり国民の代表としての意識も高かったが政治家としの強さに欠けていた。 私は政治家任せはもう何となく嫌なのですよね。 岡田総理?志位総理?松野総理? なんかピンと来ませんが、彼等は当然国民の為の政策を掲げるでしょうが、私の勝手な想像では国民は喜ぶでしょうが、彼等は多分小沢一郎のように権力側からの圧力、ましてや強制捜査などの攻撃にはそれほど晒されないような気がするのです。 何故なら既得権益側にとって脅威に成り得ないから。 これでは本物とは言えませんし、本物でなければ改革は出来ません。 それはイコール国民の為の政治は結局出来ないという事になります。 勿論、この想定は間違っているかもしれません。しかし、仮にそのように進むのであれば国民側からの圧力でどこかで本物の政治家にいい意味で化けてもらう必要があるかもしれません。 中々難しいですが、もし政権交代後、可能ならばトップ、謂わばこの国の舵取り任せられら人物。それを政治家に任せで決めさせるのではなく、その人物をどこかの段階で政党の数などに関係なく、先に国民側から求めておく必要があるとやはり思います。 民主党政権交代時の過ちを繰り返さない為、それと政治家任せではなく国民側が主導して民主的な政治を取り戻す為に必要な過程だと思うのです。面倒な決断や特定の人物を選択する事は当然ですが、批判に晒される事に繋がります。 ですが我々国民自身がこの面倒を避けてきた事、謂わば政治に無関心であった事が結局は今の政治を生み出したとも言えるのです。 要は政治家自身の責任もあるけれど、その責任の一端は我々国民自身の政治に対する無関心でもあるのですよね。 なので、国民自身が望む政治をして欲しければこの面倒を省みず、どこかの段階で選択と決断をしなければなりません。勿論、選挙制度だけに準じて公正な手続きで同じ事を相手の土俵で繰り返す事も良いでしょう。 でも、それだけでは本当に求めている政治は生まれないかもしれません。求める事自体には特に手続きなど必要なく方法は無限大にあります。 しかもそれが公正でないというわけではありません。 求める事は自由であり、自由こそが民主主義の根幹だからです。 ですので、その為に大切なのは我々国民自身の覚醒、政治参加、何故こうなったかという部分、それを個々に真剣に考える必要があると思うのです。 個人的な選択では、私は小沢一郎以外いないと思っています。 例え信者と言われようがそんな事はどうでもよく、これが私の選択です。 何故なら検察権力が手を出せない唯一の人物であり、仮に二度目のマスコミ総攻撃を受けたなら、その二度目の攻撃自体によって、国民の目を自動的に醒ます事が必然的に可能であり、更には国策捜査による冤罪で国民投票で選んだ民意を踏み躙られたある種の被害経験を持つ政治家。真に眠っていた国民が心から共鳴出来る可能性を持ち合わせた政治家だから。要は知らない多数が存在しているから。 変わる為には知る必要がありますが、知らなければ変われないのです。なので知れば国民が共鳴出来る可能性を最も秘めている稀な存在だから。 人は誰しもそうですが、特に政治家もいう特殊な職にある人達は、通常であれば知れば知るほどボロが出て来ます。現民主党の面々や維新の方達、特に大阪組にその傾向は顕著に表れました。 その通常と逆なのが小沢一郎という政治家なのです。善のイメージから悪のイメージに取って代わりがっかりする事が多いお人好しの国民性ですが、悪のイメージから善に変わる少数派がこの世には多々存在します。 彼等はどの業界であれ、共鳴を呼び起こす事の出来る貴重な存在であり、通常ではやはり知られていない事が多いのです。 なので必要なのは国民の覚醒、それと政治参加、何故こうなっているとか、この辺りがポイントになってくるのでしょうか。 結局、他の野党党首では限られた選択肢の中から一応の支持は出来ても共鳴を伴わない消極的支持にしかならず、真の共鳴をもたらす事は難しいと思えるから。 なので先を見据えて国民全員がこの国の舵取り役は誰が良いのか今から想像しておいた方が良いと私は思います。ここが描けなければ、その描けない状況、要は政治の混迷はその通り続くのではないでしょうか。 訳の分からない事をまた長々と書いてしまいましてごめんなさい。 取り敢えずは現状打破する為にとにかく頑張りましょう。 都民 |