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サーチナニュース
中国と日本の近代化の違い・・・我われには自由があった!=中国メディア
2015-07-14 10:35
http://news.searchina.net/id/1581249?page=1
中国メディア・南方都市報は12日、中華民国期の思想家・外交官だった胡適氏が駐米大使を務めていた時期(1938年から42年)に執筆した、日本と中国の近代化について比較した文章について紹介する記事を掲載した。
記事はまず、胡氏が日本の近代化について「強力な統治階級(封建軍閥)を中心として集中的に行われたものである、統治階級が現代化すべきこと、せざるべきことを決定した。日本の近代化プロセスは秩序があり、経済的、連続的、安定的、効果的なものだった」と分析したことを紹介。一方で、この近代化モデルの欠点として「封建軍閥は知識に乏しく、開明的でないため、先見の明がない。西洋文化のある側面、ある段階しか見ていない」、「統治者に有利な旧来の習慣や制度を残し、これらを現代文化と接触させない方法を考える」ことを挙げたとした。
そして、日本の軍事力の現代化は急速に進む一方で、社会生活には多くの前時代的な野蛮なものが残されていると評したと伝えた。
一方、中国については日清戦争、戊戌変法、義和団の乱などで威信を完全に失った末期清朝政府に近代化の重責は担えなかったとするとともに、辛亥革命後も「現代化を推進する強力な統治集団がなかったために、現代化は緩慢かつ零細的で、浪費ばかりで役に立たない状況にとどまった」と評したことを紹介。一方で、中国の現代化モデルには「自由」というメリットがあり、人びとは「自由に触れ、判断し、批評し、鑑賞し、提唱し、受け入れ、さらには自由に疑い、批判する」ことができたと評したことを伝えた。そして「新文化運動」は自由な空気における必然的な産物であり、「この空気は同時期の日本に欠けていた」と論じたとした。
記事は、両国の近代化に対する胡氏の見解を紹介したうえで、「認識に不十分な点はあるが、胡氏は中国式の近代化をこよなく愛していたようだ」と説明。胡氏が「自由な接触や選択が文化の交流、変化の根本部分である」と認識し、「かつて神聖とされた物や制度に対して真剣に疑い、自由に批判することがすなわち、近代国家なのだ」と論じたとした。
そして、憲法理論を講じたり、神社の神聖とされる物に対して疑問を呈したりした学者たちが迫害や処罰を受けるなど、「各種のタブーが充満してい」た当時の日本を「近代国家」と呼ぶことは難しい、との認識を示していたと併せて紹介した。また、1921年に胡氏が芥川龍之介氏と対談したさい、芥川氏が「中国の作家が享受している自由は日本人よりはるかに多く、とても羨ましい」と語ったとされる記述が胡氏の日記から見つかっているとも伝え、「芥川氏のエピソードが、胡氏の論理を示す事例となっている」とした。(編集担当:今関忠馬)
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