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週プレNEWS連載コラム "本"人襲撃
高橋源一郎が探し続ける答えとは… 「民主主義と真剣に向き合ってみたら、この国にそもそも存在しなかった」
[2015年07月14日]
http://wpb.shueisha.co.jp/2015/07/14/50697/
東日本大震災と福島の原発事故に見舞われた3・11以来、この国の姿は大きく変わり、突如として目の前に現れた多くの「問題」を前に様々な言説が今も飛び交い続けている…。
そうした「言葉」たちに耳を澄ませながら、ともすれば「絶望」に陥(おちい)りそうな重い現実の中にわずかな希望の光を感じさせてくれるのが、『朝日新聞』に連載中の作家、高橋源一郎氏のコラム「論壇時評」だ。
くしくも震災の翌月から連載が始まり、今年3月までの48回分が『ぼくらの民主主義なんだぜ』としてまとめられた。このコラムを通じて高橋氏は何を感じ、今の日本をどう見つめているのか、直撃した。
―連載開始が3・11の直後だったというのは象徴的ですね。
高橋 「論壇時評」が始まったのが2011年の4月です。震災の翌月ですから、当初は何をどう書けばいいのかわからなかったですね。
でも実は、僕の中ではこの初回の前に「論壇時評ゼロ」とでもいうべきものがあるんです。震災のわずか4日後に『ニューヨーク・タイムズ』から寄稿の依頼を受けたんです。そして、その依頼の中身というのが、なんと「今回の震災は日本にとって単なる自然災害にとどまらず、戦後という時間、時代を決定づける重大な文化的意味を持つと思うのですが、そのことについて書いてください」って言うんですよ…。
震災からまだ1週間経ってないのに、この考え抜いた依頼ってすごいでしょ。「ああ、外からはそういうふうに見えるんだ」と思いながら、自分が属している国で起きたことだから、自分もきちんと答える必要があると思って書いたんです。これは19日付で掲載されました。
この「論壇時評ゼロ」があったおかげで、ある程度、心の準備はできていたと思います。その後、連載を始めるにあたってまず思ったのは、3・11以降、この国で起きていることに興味がない人はいないし、もっとわかりやすく言えば、みんな困っているだろうということです。
そのなかでこうして「考える場所と時間」を与えられたのだから、ぼくが考えるということは、この国の困っている人たちの「代表」のひとりとして考える、次々と起こる問題を「ひとりの日本人」として考えるということなんだろうなあ…と思っていました。
―極めて「私的」な作業にも見える作家の仕事と、「みんなの代表」として考えるということは、高橋さんの中で異なる種類の作業だったのでしょうか?
高橋 結論から言えば、そのふたつに違いはありませんでした。むしろ、この論壇時評を手がけたことで「小説家の仕事とは何か」ということをもう一度、確認させられました。
昔から「小説家=炭鉱のカナリア」論というのがあって、炭鉱に入っていく時、鳥カゴにカナリアを入れていく。毒ガスが出ていると、敏感なカナリアは鳴いて、人間に危険を知らせるんです。でも先に死んじゃうんですけれどね。小説家って普通の人たちより少しだけ感受性がこまやかで、世界の変化を敏感に感じ取るセンサーとかアンテナの役割を果たしていると思うんです。
そのアウトプットがたまたま「物語」だというだけで、小説は「人間と人間の関係」や「社会のなかの人間」を扱っているのだから、社会の変化に鈍感な小説家なんていないはずです。もちろん、ぼくの場合もアウトプットが「物語」でも「評論」でも、使っているアンテナはまったく同じだと思います。
だから、依頼があった時、直観的に「受けるべきだ」と思ってはいたんですが、連載を重ねていくうちに「この論壇時評こそ、小説家がやるべき仕事なんじゃないか」と確信できるようになってきました。
書いていくうちに、ああ、こういうことを自分はやろうとしているんだと見えてくる。そして24時間アンテナをフル稼働させ、見るもの聞くもの、論壇時評の材料にならないかとセンサーを研ぎ澄ませるようになっていったように思えます。
―この国を飛び交う無数の「言葉」から何を選び出すかというのも、また難しい作業だったと思うのですが?
高橋 震災の後、ぼくだけではなく、この国に住む人の誰もが目の前で起きている大きな変化を「言語化したい」と思いながら、モヤモヤとした気持ちでいたと思うんですね。
「この国はこれでよかったのか? これでいいわけないよね? じゃあ、何がよくなかった? どう変えたらいいのか? 変えることは可能なのか? 一体何が正しいのか…?」
それでも、ぼくを含めてみんな、どの声もあまり信用できない。特に、声の大きいやつは信用できない。だったら、ぼくも誰かの声に加担するのでなく、ぼく自身が何か答えを出すのでもなくて、そのヒントになる言葉を探す旅をしようと思ったのです。作家は言葉で勝負する仕事だから、言葉を読み解く能力には長(た)けています。だから、ぼくがヒントを探す上で最も重要視したのは、その人の「言葉の感度」が優れているかどうかということ。
そうやって「優れた言葉の出し手」を探していったら、結果的に説得力のある言葉や、フェアにものを考え、世界をきちんと見ている人たちにつながっていったのです。
―そうした「言葉」を通じて定点観測を続けてきた高橋さんの目に、震災から4年余りと、この国の「今」はどのように映っていますか?
高橋 震災や原発事故が起きるまで、ぼくたちはこの国のことをよく知りませんでした。人間は問題が起きない限り、考えようとはしません。マズいことが起こった時に初めて考えようとするんですね。だから、ぼくは3・11が、日本人がこれまで気にしてこなかった近代日本の傷を直視する、ひとつの転機になるんじゃないかと思っていました。
豊かな時代はいいにつけ悪いにつけあまり考える必要はありません。実際には3・11の前から「失われた20年」があって、日本は少しずつ貧しくなっていたんだけれど、それを覆い隠していたものがあの震災で吹っ飛んでしまった。そして、この国の本当の姿を見たら地方は疲弊していたし、政治の機能はひどく劣化していた。そんな日本を直視して、病巣を暴いて、本当のことを知って、どういう国にしていこうと考えるか、その出発点になると思っていたんですね。
ところが、実際にはそうならなかった。むしろ本当のことは見たくない、自分たちの現状はみっともないからなかったことにしたい。考えるために歴史を知ろうとするんじゃなく、逆に歴史を自分にとって都合のいいように書き換えようとする動きが目立つようになりました。
民主党政権が生まれた時、みんな「変えたい」という気持ちはあったはずなのに、震災という禍々(まがまが)しい経験を経た後、事実をもとに変えてゆくのではなく、逆に「事実を隠蔽(いんぺい)」しながら「今でないもの」に変えようという流れが勢いを増しているように感じられます。
―そうしたなか、本書のタイトル『僕らの民主主義なんだぜ』に込めた思いとは?
高橋 「論壇時評」なので、このタイトルは事後的につけたものなのですが、気がついたらこのコラムでぼくが繰り返し使っている言葉が「民主主義」だったんです。
実は、民主主義という言葉は好きじゃなかったんです。けれど、このコラムを書いているうちに民主主義の本当の意味が見えてきた。このコラムで、最初に民主主義という言葉が繰り返し現れるのがフランスの思想家で政治家、原発問題の専門家でもあるジャック・アタリについての回です。
彼は「民主主義国家でなければ原子力エネルギーを使ってはいけない。情報公開と透明性がなければ民主主義国家ではない」と言い切っていました。だとするなら、日本には民主主義はなく、原子力エネルギーを使う権利はないことになります。
また、フィンランドの核廃棄物保管施設「オンカロ」を描いたドキュメンタリー映画『100、000年後の安全』では、オンカロの責任者が反原発派の急先鋒である監督のインタビューを受けています。
両者の立場はまったく相いれないけれど、それを全部撮らせて、映画の公開も許している。絶対に意見が合わない人たちが、それでも最後まで意見を戦わせ続けていた。つまり、コミュニケーションをあきらめない、ということです。そして、それを公開し続けることがフィンランドで原発政策を続けることを担保しているんです。
この映画を見て、ぼくはこれが民主主義なんだと思いました。それと同時に、日本に民主主義はないという事実に気がついたんです。結局、3・11が明らかにしたのは、この国の「対話の非存在」なんですね。安倍首相の国会での答弁見てればわかるでしょ? 「オレが決めたんだから、言うことを聞け!」でおしまい。一切、対話をしようとはしない。
安倍首相のおかげで、この国に民主主義なんかないということがわかったと思います。民主主義の原理を考えたルソーが言うように、代議制民主主義は最悪よりはまし、という程度のものなのかもしれません。
それではどうやって民主主義を実現してゆくのか? 実現できる場所はどこなのか? その答えは、ぼくたち自身が探すしかないでしょう。そして、そのヒントは至る所に見つかります。だからぼくは決してペシミズムには陥っていません。
特定秘密保護法が成立した時、「この国の民主主義は終わった」と嘆く人もいました。けれど、この国にはそもそも民主主義は存在しなかったのだと考えれば悲しむ必要はありません。むしろ民主主義がないことに気がついてよかったんです。
民主主義は、自分でつくるしかないし、自分で探すしかありません。安保法制に反対してデモを続ける学生たちのように、そのことに気づく人は少しずつ増えているとぼくは思っています。
(インタビュー・文/川喜田 研 撮影/有高唯之)
●高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)
1951年生まれ、広島県出身。作家、明治学院大学国際学部教授。横浜国立大学経済学部中退。81年『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長篇小説賞優秀作、88年『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞、12年『さよならクリストファー・ロ ビン』で第48回谷崎潤一郎賞受賞。近著に『デビュー作を書くための超「小説」教室』など
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