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ジブリの教科書4 火垂るの墓(文藝春秋)
デモにも参加、高畑勲監督「安保法反対」に本気の理由は? 国民のズルズル体質に危機感
http://lite-ra.com/2015/07/post-1267.html
2015.07.10. リテラ
今月半ばにも与党が強行採決に持ち込むと見られる安保法制関連法案。これを「違憲」とする多数の憲法学者を始め、文筆家、役者、芸人、アーティストと様々な方面から「反対」の声が上がっているが、こうした著名人のなかでとりわけ地道に活動に取り組んでいるのが、スタジオジブリの高畑勲監督だろう。
いまさら紹介するまでもないだろうが、高畑監督といえば『火垂るの墓』(1988)や『かぐや姫の物語』(2013)などで、世界的に高い評価を得ている映画監督。先日も、米国アカデミー賞の選考委員候補に選出されたという報道があったが、当の高畑監督はこうした“巨匠待遇”とはうらはらに、市民集会などに参加してもくもくと戦争法案に反対している。
そんな高畑監督が7月7日、東京都武蔵野市で講演会を行った。三鷹9条の会が主催する「戦後70年 憲法の9条はいま」と題された今回の講演で、高畑監督は、安保法制と安倍政権について、こう語った。
「いま『戦争のできる国』になろうとしていますが、政府はなんだかよくわからない『限定』をつけていますね。日本を取り巻く事態が根本的に変わったなどと、そういう言葉で脅しながら、これだけ『限定』をつけているんだから、と安心させようとする。『臨機応変に対処する』というようなことを為政者は常に言います。けれども、成功したことはないですよね。僕は、それを“ズルズル体質”と呼んでいます」
たしかに、具体的な説明をせず危険な本質をごまかして、なし崩し的に侵略戦争さえ可能な悪法を成立させようとする安倍政権のやり口は、“ズルズル体質”そのものだ。しかし、高畑監督が問題視するのは、なにも政府の卑劣なやり口だけではない。この体質は、われわれ国民にも共有されているのだと指摘する。
「よく、日本人は集団指向と言われます。和をもって尊しとなす、とね。もちろん、これにはいい側面もあります。しかし、若い人のなかで『空気を読む』という言葉が広がってきたとき、僕はもう、絶望したんです。全然変わっていない、と。戦前からずっと変わっていない」
高畑監督は語る。日中戦争から太平洋戦争への移行期、日本のなかには「絶対的な国力で上回るアメリカと戦争をしても勝つ見込みはない」と考える人が大勢いた。一部の軍人だけではなく、アメリカ文化を好む若者の間でもそう言われていたという。しかし、そんな彼らも、開戦するやいなや日本の戦争を否定しなくなった。ゆえに、高畑監督は「この戦争初期の人々の体質が、戦後に変わったと言えるのか」「一度戦争のできる国になったら、必ず国民もズルズルといってしまう」と釘をさすのである。
「それは、論理的に考えて、当然だということをわかってほしい。日本は島国で、みんな仲良くやっていきたい。『空気を読み』ながら。そういう人間たちはですね、国が戦争に向かい始めたら、『もう勝ってもらうしかないじゃないか!』となるんです。わかりますか? 負けちゃったら大変ですよ。敗戦国としてひどい目にあう。だから『前は勝てっこないなんて言っていたけれど、もう勝ってもらうしかない』となるんです」
つまり、高畑監督のいう“ズルズル体質”とは政府だけの問題ではないのだ。むしろ、いま戦争への道に反対する人々に対してこそ投げかけているのである。
「だから、われわれ自身が胸に問うてほしいのです。戦争になったら、やっぱりみなさん、日本国を支持するんじゃないですか? それで、支持しない人を非国民って言うんじゃないですか?」
高畑監督が引き合いにだすのは、詩人・金子光晴だ。明治28年生まれの金子は、反体制文化人として、戦中も戦争反対を貫いた。息子にも、わざと一晩中雨にうたせるなど、あの手この手を使って体調を崩させ、兵役を逃れさせたという。戦後、金子の行為は一部で賞賛されたが、高畑監督はここにリアリズムとも言える視線から一石を投じる。
「しかし、考えてもみてください。あなた、自分の息子が、あるいは自分の夫が徴兵をくらって戦争にとられてね、お隣の金子さんの家じゃあ行かないというのですよ? 非国民って言いませんか? ここにいる人の90パーセントが、こういう人に対して非国民と呼ぶと思います。それは人間として当然の反応でしょう。だから、みんなが自分の意見を貫くということに、期待してはいけない」
この指摘は極めて重要だろう。昨夏の朝日新聞の慰安婦報道問題を思い出してほしい。勝ち馬に乗ろうとしたメディアは一斉に「反日」「売国奴」と大合唱をし、保守派やネット右翼だけでなく、それまで関心のなかった人々まで“朝日バッシング”へと傾いてしまった。ましてや、ひとたび戦争が始まれば「負けたら大変なことになる」という「空気」一色となり、戦争反対を訴える人々は排除されていく──それが自然な流れだと、高畑監督は言い放つのである。
この戦争に対する論理的な思考、冷静な視線は、自身の作品に対しても同様だ。本サイトでも以前お伝えしたが、高畑監督はこれまで「『火垂るの墓』では戦争を止められない」といくども主張してきた。曰く「昨今の良心的な反戦映画」もそうだ。現在の「反戦映画」は「自分は家族を守るために戦地へいく」としきりに強調する。だが高畑監督は、それは「お国のため、天皇陛下万歳では、今の人が共感できないから、そのかわりに客の同情をえるためです」と分析し、こうした言葉は「詭弁だ」と断言するのだ。
これは、高畑監督自身が、小学校4年生のときに空襲を受けた体験があるからこそ言えることだろう。空襲の夜、焼夷弾が降り注ぐなか、高畑監督は姉と2人、裸足で逃げた。爆弾の破片が身体に突き刺さり失神した姉を必死で揺り起こしたという。一夜明け、自宅のほうに戻ると、遺体だらけだった。「生きているかのような姿で亡くなっていた。ガタガタと震えが止まらなかった」。そう、先月の岡山市での講演会でも語っている。
戦禍の悲惨さは、彼自身が身をもって知っている。それでもなお、こうした体験を語ったとしても、戦争を止める力にはなりえないのだと言う。なぜならば、どれだけ戦争被害の苦しみを表現しようが、安倍晋三のような政治家は必ず「二度と悲劇を繰り返さないために、自衛力を強化する」と主張するからだ。戦争体験を描き、語ることは人々の情緒に訴えかけるが、しかし同時に、為政者によって「そんなひどい目にはあいたくない」という切実な思いを利用され、「自衛のための戦争」に向かわされてしまう。
しかも、日本は戦前からの“ズルズル体質”を受け継いでいる。ゆえに、ひとたび「戦争のできる国」になると、政府が命令するまでもなく、人々自らが打って一丸となる。だからこそ、高畑監督は“歯止め”としての憲法9条の必要性を強く訴えかけるのだ。
「ようするに、政府が戦争のできる国にしようというときに“ズルズル体質”があったら、ズルズルといっちゃう。戦争のできる国になったとたんに、戦争をしないでいいのに、つい、しちゃったりするんです」
「賢そうな顔していますよね、安倍っていう人は。でも、いくら賢そうでも、小賢しいといいますかね。あの人もある時点で引退するんでしょうが、そのあとも日本には臨機応変に対処する能力はないと思う。そうした場合にどうするか。日本がずっとやってきた“ズルズル体質”や、責任を取らせない、責任が明確にならないままやっていくような体質が、そのまま続いていくに決まっている。そうしたら、歯止めがかからないのです。だから絶対的な歯止めが必要。それが、9条です」
「『普通の国』にならないで『9条によって縛られる』と言っていいのです。9条によって縛られているからこそ、われわれは知恵を出さないわけにはいかない。原発だってそう。原発をやめると決めたら、もう、知恵を出さざるをえないじゃないですか」
日本の戦後70年は、直接的に戦争をせず、人ひとり殺すことも、また、殺されることもなかった。それは憲法9条の“不戦の縛り”が、われわれに平和の道を模索することを止めさせなかったからだ。もちろん、それは決して簡単な道ではなかった。様々な外交努力が重ねられてきたし、沖縄の基地問題のように犠牲も大きい。しかし、それでも9条が、戦争という最後の手段に打って出ることを食い止めた。“戦争ができない”からこそ、日本は知恵を振り絞りながら、生きて行くしかない。そしてその知恵は、かならず、われわれに備わっている。そう、高畑監督は言うのである。
だから彼は行動し続けるのだろう。先日は学生が主催した渋谷でのデモに夫婦で参加したという。一般参加者に混じってだ。自分が現地へ行けないときには、せめてメッセージを送る。決して派手なことではない。過激でもない。だが、高畑監督は続ける。それは、自らの頭で考えることを止めないための「憲法9条の縛り」の実践、そのものだ。
毎日新聞が今月4、5日に実施した世論調査では、ついに安倍政権への不支持(43%)が支持(42%)を上回ったが、高畑監督が釘をさすように、この国は、半歩でも戦争に足を踏み込んでしまったら、ズルズルと雪崩れ込んでしまうだろう。流されやすいわれわれの心の防波堤となりえるのは、憲法9条だけだ。
一説では来夏の参院選後、与党は憲法改正の国民投票に踏み切ると言われている。もし9条が骨抜きにされてしまったら──そのときは、国民自らが思考停止状態に陥り、一直線に戦争へ向かっていくことになる。そして、その日は着々と近づいてきている。高畑監督の言葉を、胸に刻むべきだ。
「いま、9条は背水の陣です。戦力の不保持と交戦権の否定。戦後まもなくに、前者はなくなってしまった。はっきりさせておいたほうがいい。9条を守れと言っているわれわれ自身だって、あっという間に変わってしまったのですから」
(梶田陽介)
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