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どっちも悪い となぜ言えない
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2015-07-07 反戦な家づくり
ポーランドという国は、ナチスドイツとスターリン・ソ連の両方から侵略された国だ。
アウシュビッツはもちろんポーランドにあり、カティンの森でスターリンに虐殺されたのもポーランド人だ。(カティンを始め2万人以上の捕虜虐殺)
1939年からナチスドイツの支配下に置かれ、1944年にはワルシャワ蜂起に立ち上がるがスターリンは援助することなく見殺しにした。
戦後はソ連の支配下になり、自由を束縛された。
まさに、歴史上の二大悪人に、交互に踏みにじられた。
そして、「どちらも悪い」という思いを持ち続けたのである。
日本の場合は、自国内の軍国主義と、米英の帝国主義に、まさにボロボロにされた。
東京などの大都市爆撃、沖縄戦、広島、長崎、で数十万人の非戦闘員が無差別に虐殺された。もちろん、その原因を作ったのは、日本による中国とアジアへの侵略であり、自己保身(国体護持)のために降伏しなかった天皇を含む軍国主義の指導者たちである。
たしかに原因を作った方が、歴史的な責任は大きいだろう。ほとんどの国民もそれを支持していた責任はある。
しかし、どっちが悪いのかと言えば 「どっちも悪い」のである。
ところが、日本の場合はポーランドと違って「どっちも悪い」と言う人間はほとんどいない。
自国の軍国主義については、悪かったという勢力と、悪くなかったと開き直る勢力があるが、米英帝国主義の虐殺については、なぜか粛々と受け入れるのである。
無差別爆撃を「クウシュウ」と呼び、原爆を落とされたにもかかわらず 「二度と繰り返しません」と誓う。「繰り返させない」ならわかるが、他国がやったことを自らがやったように反省する奇妙さ。
暴れ回る大量殺人犯を取り押さえるために、家族もろとも皆殺しにしたようなものだ。
もちろん、家族も殺人犯の応援をしていたのだけれど、それでもやっていいことではない。
戦争の反省とは、「どっちも悪い」ということを、本気の本気で言い切ることなのだ。
しかし、日本はそれができない。
その一番の理由は、「自国が悪かった」と口では言っても、態度が言っていないからだ。
1945年で明確に区切りをつけて、天皇を少なくとも退位させ、戦犯が堂々と政治の舞台に出てくるようなことを許さず、正当な補償をしていれば、「悪かった」という言葉は真実になるだろう。しかし、日本の態度は、真逆である。国体は護持されてしまったのである。
こうして、自らの罪を開き直ったせいで、日本は米国の大虐殺も、その後の植民地支配も責めることができなくなってしまった。
右翼は自らのすねの傷故に責められず、左翼は、右翼を退けて「民主主義」をもたらしてくれた米国を責めることができなかった。
70年間、ずっと同じ構図の中で、右翼と左翼が米国の手のひらの上でつつき合ってきた。
そして、誰もが政治に無関心になり、政治を汚いものだと思い、ひとまかせの文化が強固に根を張ってしまった。
しかし、もうそろそろ気がついてもいいのではないか。
国体を護持させたのは、米国の支配戦略だったということに。
■■
安倍晋三の戦争は、まもなく火を噴こうとしている。
米国の要求で集団的自衛権を行使すると決め、関連法案を今まさにごり押ししている。
しかし、安倍晋三個人の狙いは、小沢一郎氏が喝破したように、単純な米国追従ではない。
米国の下請けのふりをしながら、独自武装、独自の戦争体制をつくろうとしている。
その意味では、たしかに戦後レジュームの打破なのだ。
すねの傷故に右にも左にも大きく振れることのなかった戦後日本。戦争にも革命にも遠いところで暮らしてきた戦後日本。
すねの傷の痛みを感じない、かつての侵略への罪悪感がまったく無い安倍晋三はその戦後日本を破り、戦争の方向に大きく踏み出そうとしているのだ。
米国はもちろん、安倍晋三の狙いを警戒している。
あくまでも米軍の下請けをやらせたいのであって、独自の戦争ができる体制は絶対に許さない。
すくなくとも、オバマ系はそのように思っているはずだが、戦費調達もままならない米政府の懐事情は、安倍の好き放題を許さざるを得ないとこまで追い詰められている。
戦争法案のみならず、わずか2年半で悪政の限りをつくしてきた安倍晋三を、まだ4割が支持しているこの国で、今すぐ暴走を止める手立てはない。
ただ、はっきり見えるのは、戦後体制の矛盾である。
70年間、巧妙に隠されてきた戦後支配の仕掛けが、赤裸々になりつつあるのである。
安倍が傲岸不遜に蹴散らした、日本の戦争責任。これを、安倍のように蹴散らすのか、それともきちんとカタをつけるのか。
私たちが、戦後の軛(くびき)から本当に解き放たれるためには、戦争責任をきっぱりとカタをつけなければならないのだ。
ここに、これからの歴史の分岐点がある。
今すぐに決着をつける力は私たちにはないけれども、このことに思い至らない運動は、結局「手のひら」の上のダンスになりかねない。急進とか過激という意味ではなく、真にラディカル(根源的)な運動が求められている。
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