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『ニューズウィーク日本版』2015−6・30
P.33〜34
「「後悔はまったくない」
インタビュー:09年に普天間基地の県外移設をぶち上げ、撤回に追い込まれた 鳩山元首相が語る「最低でも県外」発言の真意
09年の総選挙で鳩山由紀夫・民主党代表が普天間飛行場(基地)について「最低でも県外」とぶち上げ、首相就任後、移転先をめぐって民主党政権が迷走を重ねたのは記憶に新しい。鳩山元首相は、辺野古への移設を断固拒否し、本土と鋭く対立する沖縄の現状をつくり出したいわば「張本人」とみられている。なぜ、あえて「最低でも県外」と言い切ったのか。その真意と今の沖縄への思いを本誌編集長・横田孝と副編集長・長岡義博が聞いた。
*
―普天間基地については06年に辺野舌移設での日米合意があり、その後、09年7月に民主党代表として「最低でも県外」と発言したことが普天間移設の迷走の発端になった。
当時の民主党では「沖縄ビジョン」をまとめていて、「最低でも県外」という言葉こそなかったが、まず県外に移して最終的には国外が望ましい、と決めていた。それを00年の総選挙のときに、多くの沖縄県民の期待ということで分かりやすく「できれば国外、最低でも県外」と申し上げた。
民主党のマニフェストにそこまで書いてはいなかった。「政権を取ったらそんなに簡単じゃない」と言う人がいて、そのなかで妥協していったが、沖縄に選挙応援に行ったときに強い県民の意思を感じ、言葉にした。
―当時、民主党内に代替案はあったのか。
嘉手納基地との統合、グアム・テニアンへの移設案はあった。もちろん(政権交代前なので)どうしたら実現できるかまで、細かく詰めてはいなかった。
―代替案を詰める前に「最低でも県外」と発音したことに後悔の思いは。
ないですね。むしろ言ってよかった。結果として現在、こういう状況になってきたから。沖縄県民の声が統一されてきた、という意味ではよかった。もっとほかに「ここがあるぞ」というのを見せられればよかったが。
―なぜあれほど焦ったのか。
10年の5月までに決着、と時間を区切ってしまったことが、結果的に致命傷になったというのはある。(10年に)参院選と沖縄県知事選を控えていて、知事選の前にこの問題を消しておかないと、政権維持が難しくなるのではとの判断があった。
―民主党には「政治主導」「コンクリートから人へ」といったさまざまなアジェンダがあった。それが、普天間問題に足をすくわれる形になった。
大きな改革をすべてやろうとした、ということだ。官僚主導の政治から国民自身が結論を出す政治へという革命的な改革だったから、官僚から大きな抵抗があることは当然予想された。
ただ、官僚の天下りなどは目に余る状態だった。無駄遣いをなくし、国民にスリムな中央政府を見せて、それでも無理なら消費増税という流れをつくろうとしていた。こういった問題と、安全保障問題である普天間移静を両方とも解決するという状況に相当無理があった。
―普天間も含めて、なぜすべて一度にやろうとしたのか。
革命的な政権をつくったわけですから。外交にはしばらく手を付けなくていい、という状況ではなかった。そうでなければ、辺野古に決まってしまう。
―しかし辺野古を否定すれば、普天間に固定化されかねない。
それは絶対に避けなければならない。もっと強く、国民全体で「普天間はとにかく閉じろ」
と言うべき。実は「その後」はアメリカの問題なんです。それを日本の問題として捉えたところに、ドイツとの大きな違いがある。
ドイツは(米軍基地がある)地域の利益と米軍基地の必要性を考え、地域の利益を優先させる場合には米軍に「出て行ってください」と言える。その先はアメリカが考えることで、ドイツは考慮しない、とドイツとNATOの地位協定ではなっている。日本政府もアメリカに対して「普天間を閉じてくれ。その後のことについてはアメリカが考えてくれ」と、もっと強く求めるべきだった。
―辺野古間題はどう解決すべきと考えるか。
海兵隊の必要性(の有無)はアメリカでも議論されている。今までの規模である必要はない、と。私も海兵隊が「抑止力だ」と間違えて言ってしまったが、海兵隊自身は抑止力じゃないですよ。国家対国家より、テロリスト集団にどう対応するかが問題になっているときに、海兵隊がふさわしい軍事力なのか。日米で真剣に議論すべきです。
―当時、「勉強するほど海兵隊の抑止力の重要性が分かった」と発育した。その昔蕪との整合性は?
海兵隊は抑止力ではないと思っていたが、海兵隊を含む4軍全体が日本に存在し、全体で抑止力を構成していると考えていた。辺野古移設に戻る決断をしなければならないとき、国民や国会に説明する上で「全体を考えれば抑止力」という言い方をした。海兵隊に抑止力がないことを考えれば、そういう言い方は望ましくなかった。
―首相として辺野古間題をやり直すとしたら、どうしたいか。
オバマ大統領と直接やりとりしたかった。そのチャンスがほとんどつかめなかった。官僚を排除して、直接対決をしなければこのような大きな議論は答えが出ないと思う。
―09年11月、来日したオバマ大統領に「トラスト・ミー」と言ったが。
一般的な「トラスト・ミー」なんですよ。信じてくれ、と。
―普天間問題を何とかするから、という意味か?
この問題を含めて新しい日米関係を構築していきたいと思っているから、その点を信頼してほしい、ということです。辺野古にするから「トラスト・ミー」ではなく、一般論として自分という人間を信じてほしい、と。最後に2人で話したのが外に漏れたんです。官僚に意図を曲げて伝えられた。
夕食会の後、茶室でオバマ大統領が好きだというパンケーキを用意したのですが、彼は「おなかがいっぱいで食べられない」と。「せっかく用意したのだから、少しだけでも」と言ったらちょっとだけ食べてくれた。その時です、「トラスト・ミー」が出たのは。自分としてはもろもろの問題について「アイ・ウイル・トライ・マイ・ベスト、トラスト・ミー」と言ったのだが、それが曲解された。意識的な曲解は非常に多かったです。
―10年5月、普天間問題が佳境の時、沖蝿に行って「帰れ」コールを受けました。
あと数カ月早く行きたかったが、秘書官たちに「今はまだ行くべき時ではない」と止められた。5月になって2回行くことになったのだが、5月では遅過ぎる。どんどん追い込まれるなかで話をしに行かざるを得なかったので、当然「帰れ」コールとか、「怒」「怒」「怒」というプラカードが並ぶわけですよ。
最近も沖縄に行ってきたんですが、「私たち、『怒』ってプラカードを掲げていました」という人たちが今は支援者になっている。本土にいると、「鳩山なんか沖縄に行ったら目の敵にされるんじゃないか」と思われるかもしれないが、今どの地域より沖縄が私に対して温かい。
―今も、当時のやり方が間違っていなかったと思うか。
私は代替案を持っていなかった。だから何も言うべきではなかったかと問われれば、そうではないと思っている。現在の沖縄県民の意思を考えれば、「よくあの時言ってくれた」ですよ。うまくいかなかったことについて不満を持っているのは明らかだが。
―問題提起をしたことには後席はない、と。
もっとうまい捉起の仕方があったと思うし、まるで一点の曇りもないと言うつもりはない。でも、言うべきこと、言うべき時だったと思う。
(鳩山元首相が理事長を務める)東アジア共同体研究所長の孫崎享から「どうせ首相を辞めるのなら辺野古移設に戻らず、『最低でも県外』を果たせなかったので辞める、ということにしてくれれば、辺野古に落ち着かずに済んだ」と言われました。でも、私は辞めるために仕事をやっていたのではない(笑)。
―そんなことをしたら、逆に「無責任」という批判がより高まったのでは。
かもしれません。少なくともアメリカからは、「決めた」と見られた部分はあったと思う。そうでなければ「何も決められない総理」ということになってしまう。」
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