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戦後70年 高畑勲監督が語る戦争とは
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150703/k10010137551000.html
7月3日 15時25分 NHK
映画『火垂るの墓』や『かぐや姫の物語』で知られ、世界的に高い評価を受けるアニメーション映画監督の高畑勲さん(79)。
岡山市出身の高畑さんは9歳の時、1700人以上が犠牲になったとされる「岡山空襲」を経験しています。これまでその体験を語ることはほとんどありませんでしたが、戦後70年の節目を機に初めてふるさとでそのときの体験を語りました。
「この体験がなければ『火垂るの墓』は作らなかったかもしれない」と語る高畑さん。なぜ今みずからの体験を語ろうと思ったのか取材しました。
(岡山放送局 福田陽平記者)
■たくさんの死体見た 強烈な空襲体験
高畑さんの代表作の1つ『火垂るの墓』は、空襲で母親を失った幼いきょうだいが、2人きりで生き抜く姿を描いた物語です。映画で焼い弾が落ちる空襲のシーンには、当時9歳だった高畑さんが体験した「岡山空襲」の記憶が色濃く反映されています。
昭和20年6月29日。空襲の夜、寝ていた高畑さんは、外の騒がしさで目を覚ましました。空から大量の焼い弾が落ちてくるなか、高畑さんは1歳年上の姉と一緒に無我夢中で逃げたといいます。
「窓の外が真っ赤だったんです。空襲警報は出ていなかったけど空襲だとすぐ分かった。それで、すぐに跳ね起きて、パジャマ姿ではだしのまま外に飛び出したんです。(降ってきた焼い弾は)シャーッ!!というようなすごい音がする。見上げると点々と火の雨が降ってきて、軒下に隠れるしかないんです。隠れるところがなくて、(焼い弾の)直撃を受けて死んだ人もたくさんいました。焼い弾だけでなく、中には爆弾が入っていて青いせん光を放っていた。それがバーン!!と破裂したら姉がバタンと倒れたんです」
あとで分かったことですが、姉は爆弾の破片がお尻に突き刺さり失神してしていました。高畑さんは必死に名前を呼んで姉を起こすとそのまま一緒に逃げ、辛くも助かりました。運良く出会った姉の知り合いの家族のところで休ませてもらったあと、市街地に戻ると高畑さんの前にあったのは変わり果てた姿の岡山でした。
「もう本当にたくさんの死体を見ました。死体は黒こげで油がにじんで、こんがり焼けている。本当に歯の根が合わなくてガタガタって震えが止まらなかった」
■訪れた心境の変化
「岡山で空襲を受けたことは、僕の人生の中でいちばん大きな出来事」とも語る高畑さんですが、これまで空襲体験を語ることはほとんどありませんでした。それは戦争の悲惨さを伝えるだけでは戦争を防ぐことはできないと考えてきたからです。
「(戦争の悲惨さは)知っていたほうがいいし、知ってほしいということはありますが、戦争の体験をいくら伝えてもそれはこれからの戦争を、防ぐ力にはならないだろうとずっと主張し続けています。戦争の末期に悲惨な目にあったといくら言っても、『悲惨にはなりません』といって戦争は始められる」
しかし、戦後70年となり、安全保障法制を巡る議論が活発化するなかで、かつて日本がどのように戦争に突入していったかを知って考えてほしいと強く思うようになり、公の場で体験を話すことを決めました。
■「和を以て貴しと為す」の危うさ
日本が戦争を始めてしまった大きな理由として高畑さんが注目するのは、日本に古くからある「和を以て貴しと為す(みんな仲よく調和していくことが最も大事)」ということばです。
「“和を以て貴しと為す”というのは生きやすくてよいことだと思うんですよね。しかし、それによって大事な局面を過ってしまう危険性がある。当時も『(アメリカと)戦争したって勝てっこないよ』と言っていたのに、戦争が始まったらみんな大賛成になっちゃったんですよ」
高畑さんの目には、それはさらに進んでいるようにも見えます。議論を避け、集団で1つの方向にまとまろうとする安易な姿勢に高畑さんは警鐘を鳴らしています。
「心配になるのは“空気を読む”なんてことばは30年前にはなかったんです。空気を読むというのは、場違いなことをしないってことでしょう。議論になるようなことをみんな避けているように思うんですね。しかし、集団は好き。だから今の若者はコンパはやる。でもコンパの時に出す話題というのはみんなが盛り上がれる話題しか出さないんです」
■80歳の自分にできることは
岡山市で開かれた講演で、高畑さんはフランスの詩人の作品の一節を紹介しました。かつてドイツで起きた再軍備の動きに合わせて開かれた集会に送られたことばだといいます。
Si tu ne veux pas la guerre,
もし きみが望まないなら 戦争を、
Repare la paix.
繕え 平和を
(ジャック・プレヴェール 1953年)
戦争によって平和を作るのではなく、今ある平和を保ち続けることに注力すべきだというメッセージです。
さらに高畑さんは、あらかじめしたためてきた文章を読み上げました。
「空気をすぐ読む驚くべき同調気質、残念ながら、今も少しも変わっていない。私は自分を含めてこの体質・気質は本当に怖いです。だから憲法第9条は最後の歯止めとして絶対に変えてはならない」
ことし、80歳を迎える高畑さんは、戦争が自分たちの生活を一変させる危険性があることを知ってほしいと強く願っています。
講演は次のようなことばで締めくくられました。
「もっと抽象的な意味での平和の尊さを述べるべきだったのかもしれませんが、私は79歳で、ことし80歳になります。日本は今、岐路に立っていると思うんです。『平和の重さ』を語ろうといったときに、何も言わずに済ますわけにはいかないんです。反対の人もいらっしゃるかもしれませんけれど、私は私の意見として述べさせていただきました」
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