38. 2015年7月03日 10:49:54
: 1pbveSTIGA
>>32.jkさん おはようございます。 ご心配ありがとうございます。 私、少々焦りすぎかもしれませんね。笑確かに小沢氏の場合、自ら動くより求められて動いた方が良いのかもしれませんね。またマスゴミから叩かれる材料になりかねませんし、その辺りも含めて色々とお考えがあるのかもしれませんね。 日刊ゲンダイでの連載の件は知りませんでした。情報ありがとうございます。 >>34.うちな〜〜んちゅさん お久しぶりです。
確かに私はどちらかもいうと寝技ではなく直球タイプですね。笑 どちらにしても良い流れにはなってきていますので、さざ波が大きなうねりになる事を少々見守りたいと思います。 勿論、微力ながら機会があって参加可能な場には参加するつもりです。 >ああああ、でもやっぱり、若い人にホントの小沢ンを知ってももらいたいし…。なやむわ〜〜(笑)。 うちな〜〜んちゅさん、でもこれは大丈夫ですよ。 意識の高い若者は詳細までは別としても、陸山会事件が欺瞞であった事にちゃんと気付いていますよ。 Sealsなどのデモを見る限りでは、若者達が最近ようやく声を挙げたように見えるかと思いますが、事実は全然違います。
私の知る限りでは、水面下なので表立っては現れていませんでしたが、実際にはもっともっと多くの若者グループが実は原発事故前から政治の欺瞞に気付いていましたから。 山本太郎氏のように勇気ある大きな声を挙げて政治の欺瞞を訴えて実際に政治家になった例は稀ですが、彼と同じ思いの若者達は本当に驚くほど以前から大勢いるのです。 私あの知る限りですが、以前から政治に関心の高い高齢者層の方々からはこうした声が以前から聞こえてきました。 どうしたら若い人達に分かってもらえるのだろうかと。 また、それとは裏腹に同じかそれ以上に若者達は、どうしたら正しい情報を高齢者層に伝えることが出来るのかと考えてきたのです。 具体的に言えばリテラなどの新しいメディアはそれらを具現化した象徴的な形だと思います。 若者達には割と有名な方が仕掛けている媒体ですから。 結局、年齢層に関わらず分かっている人は以前から分かっていたのです。 ただ、どうすれば変えられるのかという事を妙なレッテルを貼られる事を回避する形で真剣に模索しているのですよね。 それを形にしたのが先のSealsによるデモですし、彼等は妙なレッテル張りを回避する為に全ての政党に登壇を呼び掛けました。非常に賢いやり方だと私は思います。 ただ、それでも小沢一郎という固有名詞は何となく誤解を受けるイメージがあるだけで、何となく表立って評価しているとは言い難い独特の空気感が存在していた事は確かです。 そして世間の批判を顧みず、その空気感を打破する為にあるきっかけを契機として自ら行動を起こしたのが若者達から一定の支持を集めているあの山本太郎さんなのですよね。 彼の行動を評価していた人達の中にはその大胆な行動を見て批判された方もいるでしょうが、それ以上にその意味を汲み取った人達も大勢いるのです。 山本太郎さんは、この行動をもって分離している国民同士、いい意味でのある種の触媒の役割を身を持って果たしてくれたと私は思っています。 官邸前原発デモでこの両者は初めてすれ違いましたが、当時山本太郎さんは一般人。片や小沢一郎氏はSPを伴って登場し、両者とも同じ舞台の上で入れ替わり登壇をしていました。 この時は両者すれ違いでしたが、流石にこのお二人が先の将来に同じ党の共同代表になるとまでは全く想像すら出来ませんでした。 でも、当時はこの時に山本太郎さんの呼びかけに小沢氏が一瞬でも立ち止まっていれば、もしかしたら歴史は変わったかもしれないと凄く残念な気持ちなったものです。でも結局は希望通り以上の形でこの両者が一緒になってくれたので結果としては良かったのですけどね。 この象徴的なシーンを舞台の目の前で見ていましたが、山本太郎さんは当時からデモ参加層に当然支持をされていました。私が見にいった理由は現場での小沢氏に対する聴衆の反応を肌で感じたかったから。 要はこれらデモを行う意識の高い方々にあの小沢一郎が受け入れられるかどうかを見に行ったのです。 官邸前デモに小沢氏が来るという事前情報から、もしかしたらかなりの批判もあるのかもしれないと少々心配をしていたのですが、結論を言えばそれは杞憂であり、現実は国民はそこまで馬鹿ではなく思った通りの反応だったのです。 要は盛大な拍手をもってこれら政府にNo!と声を挙げている意識の高い方々に迎えられて登壇したのですよね。 現実はマスコミ報道やネット社会での批判などとは全く違うのです。 私が体感して確認した事は現場に出てみれば、意識の高い国民は例え声には出していなくてもきちんも分かっていたという事なのです。 気付きは意識の高い方々から情弱の方向に一方向に波及していくものですし、それは増加はすれど決して減る事はあり得ません。 その気づきが真実を根拠にしたものであるならばそうなる事は必然なのですから。 勿論、拍手をせずに人を判断すべくただじっと見つめている方々もいた事は確かです。 ですが、あの当時で政府の欺瞞に声を挙げてきた方々からあれだけの拍手と歓迎を持って迎えられたのですから、それから数年経った今、Sealsなどが行う渋谷デモの聴衆などの前に立った時、一体どれだけの歓迎を持って迎えられるのかと何となく期待すると同時にその光景を何となく勝手に想像してしまうのですよね。 小沢氏自身は自分が前面に出るとマスコミに叩かれるという過去の経緯もあり、仲間に迷惑を掛けたくないという性格上からか中々そのような場には現れませんが、実は国民は何処かで小沢氏のような強い政治家を求めているような気もするのですよね。 なので、どうしても勝手に期待してしまうところがあるのですが、じゃあ一体何に期待するかといえば、それは小沢氏には最後には是非我々国民を信じて欲しいという事、その一点のみなのです。 何故なら我々はマスコミではないのですから。 国民の味方をしてくれる政治家、それも国民の生活が第一と公然と聴衆の目の前で語ってくれる政治家を求めているのです。 あの数年前の出来事から一体国民の気付きはどの程度進んだのでしょうか。 良きことはカタツムリのようにゆっくり進むとあのガンジーは言いましたが、そのカタツムリがあれからどのくらい進んだのか是非とも体感してみたいのですよね。 日本会議、マスコミ、企業、所謂既得権益側の象徴が安倍総理であれば、その対極に立つ我々国民側の象徴、謂わば民意を司る受け皿の頂点に立つトップ。そんな存在が遅から早かれいずれは必ず必要になってくると思います。 jkさんの仰る通り、民意が自動的にそれを求める形がベストなのかもしれません。杞憂せずにあせらず世間の動向を出来る限りは参加しながら見守りたいと思います。 私自身は日本人の知性を最終的には信じていますので、jkさん仰るように何も心配いらないのかもしれませんね。時代の転換期は何かが生まれる もしれない妙にワクワクする何かを感じます。 都民
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