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明仁天皇と昭和天皇の最大の違い おことば収録本の著者考察
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150630-00000011-pseven-soci
週刊ポスト2015年7月10日号
今年1月1日の年頭挨拶、天皇はこう述べた。
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります」
「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」
「象徴天皇」という制約のもと、政治的言動の許されない天皇が、「満州事変」という具体的な外交事変の名を口にしたのは異例である。1931年、本国の指令を聞かずに暴走した関東軍は南満州鉄道を爆破、中国側の破壊工作だと発表して軍事行動に移った。
「この事変をきっかけに日本は戦争への道を進みはじめる。軍部の暴走に、政府は、そして憲法はいかにストップをかけられるか──国の“ありかた”を考える上で、満州事変は戦前の大きな反省であり、戦後乗り越えるべき課題でもある。わざわざ具体名まで口にしたのは、日本がいま危険な方向に向かいつつある、との警鐘だと私は思いました」
そう語るのは、今上天皇の「おことば」を収録した『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(小学館刊)を6月30日に上梓する矢部宏治氏である。
「私は天皇という立場にある方の言葉だから、『聞いてほしい』というわけではありません。ひとりの知識人、思索と行動を兼ね備えた尊敬できる方の言葉だから、もっと知ってほしい、と思ってこの本を書きました」
同書は、“声なき人々”の苦しみに寄り添いながら、天皇が折々に発した29のおことばを、写真家・須田慎太郎氏の写真とともに紹介している。須田氏は、天皇の訪れたサイパン、パラオ、沖縄、広島、福島に赴き、その足跡を辿った。そこから浮かび上がってきたのは平和への切なる思いを抱きながら、象徴天皇のあるべき姿を体現しようと努める天皇の固い意思だった。冒頭に紹介した年頭挨拶も、その思いが貫かれた言葉の一つだ。
「日本はなぜ、戦争を止められなかったのか。この究極の問いに対して、もっとも深く、強く思いを巡らしてこられたのが明仁天皇ではないでしょうか。明仁皇太子が天皇に即位するため、考え続けた最大の問題は、前の時代に起きた大きな過ちをどうすれば自分の時代に繰り返さないで済むか──だったと私は思うからです」(矢部氏)
2013年12月18日、天皇は80歳の誕生日に際して、先の戦争を思いつつ、こんな言葉を発している。
「この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行なって、今日の日本を築きました」
その日本は現在、大きな曲がり角にある。安保法制を巡って安倍政権が「解釈」ひとつで憲法を変えようとし、憲法の意義が大きく揺らぎつつあることは誰しも感じるところだろう。矢部氏はこう語った。
「戦前を憂え、その過ちを決して繰り返さないことを誓った明仁天皇が最終的に辿り着いた立脚点──それが日本国憲法です。ここが明仁天皇と昭和天皇の最大の違いだと私は考えます」
昭和天皇も立憲君主制のもと、憲法を守るという意識があったのは間違いない。決して「国民の生活」をないがしろにしたわけではない、と矢部氏はいう。
「その一方、戦前の憲法の法的枠組みのなか、国家の非常事態に際しては、あらゆる制約を超えて行動することが許されるのだという意識を、昭和天皇が持っていたこともまた事実です。それを感じている明仁天皇は、自分は現憲法を徹底して守っていくのだという強い決意を折々に示されているのだと思います」
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