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ふたたび「安倍話法」について - 鈴木耕
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マガジン9 2015年06月03日 12:05 BLOGOS
だいぶ前のことだけれど、このコラム「風塵だより17」で、ぼくは「『安倍話法』という詐術」を書いた。読者少数のこのコラムには珍しく、ずいぶん多くの人たちが読んでくれたようだった。それだけ、安倍首相の話しぶりに違和感を持っている人が多かったということだろう。
最近では、新聞記事にも、チラホラと「安倍話法」という言葉が散見されるようになった。提唱者としては嬉しいけれど、こんな言葉が流行るような人物が我らの国の“最高責任者”であることは、いかにも辛い。
その安倍首相だが、最近は「安倍話法」に、ますます磨きをかけているようで(苦笑)、しゃべることが支離滅裂になってきた。
しかも、親分がそんな具合だから、子分たちだって支離滅裂ぶりを競い合うようなあんばい。だから、国会での質疑がきちんと成立するはずもない。それこそ“ハンパない”惨状に陥っている(無理して若者言葉を使いたくなるほど、ハチャメチャだ)。
つまり「安倍話法」が「安倍内閣話法」へと拡大(?)しつつあるのだ。むろん、安倍のシリメツレツぶりが突出しているのは、さすがに親分の貫録(?)というところか。
1. きちんと説明できないことは、ペラペラと関係ないことまで持ち出して長々としゃべりまくり、相手のやる気を殺ぐ。
これが、国会審議の場で、もっとも目につく「安倍話法」の真髄だろう。
何しろ、うるさい。あの舌足らずな話し方で、訊かれてもいないことを延々としゃべり続ける。1分ほどの質問に5分以上も使って、中身のないペラペラ答弁をまくし立てる。持ち時間が決められている質問者にとっては、たまったもんじゃない。
説明のつかない「安全保障関連法案(戦争法案)」に関しては、この傾向がことのほか強い。
しかも、質問に対応できずに右往左往する中谷防衛相を抑えて、自分が指名されてもいないのに答弁に立つ。質問者に「ソウリ、あなたに質問しているんじゃない」と言われても「答弁者の指名権は委員長にある。あんたに指名権はないんだ」と開き直る。
もはや、制御不能のメルトダウン原発みたいなものである。危なくってしょうがない。
2. ほとんど意味不明の下品なヤジを飛ばすが、謝れば済むと思っている。
まあ、これほどヒドイ首相ってのも、日本政治史上初めてだろう。なにしろ国家の最高責任者である首相自らがヤジを飛ばし、しかもそのヤジに品がないときている。よく「世界に対して恥ずかしい」なんてことを言う人がいる。それこそ誰かさんたちがよく言う“自虐”っぽいので、ぼくは使わないけれど、今回ばかりは、本気で「世界に対して恥ずかしい」と赤面しちゃう。実際、下品なヤジを飛ばしてヌニヤニヤ笑う“国の最高責任者”の姿を目にしたら、世界の人はどう思うだろう?
2月19日の衆院予算委員会では、民主党玉木議員の質問中に「日教組、日教組、日教組どうすんの!」とヤジ。これは日教組が補助金をもらっているというほとんど“ネット右翼情報”並みの怪情報を信じ込んでいたというお粗末。むろん、数日後に陳謝せざるをえなくなった。
5月28日には、民主党の辻元清美議員の質問中、「早く質問しろよ」と恫喝まがいのヤジ。@で指摘したように、自分では延々と質問者の持ち時間を浪費するような、無意味で冗長な答弁でごまかすばかりだが、相手に対しては威丈高に吠え立てる。ある意味、幼児性むき出し。もっと言えば、言葉は悪いけれど“ガキ”だ。
これも、陳謝に追い込まれたが「言葉が少し強かったとすれば、お詫びする」と、わけの分からない言い逃れでごまかした。言葉の「強い・弱い」の問題ではあるまい。まさに、首相としての資質が問われる問題なのだ。
だが、もっと深刻で下品なヤジもあったのだ。実は、同じ辻元議員への別のヤジだ。
辻元「人の生死とか、戦争に関わる話なんですよ。なにも大げさな話を申し上げているわけではないんです」
安倍「大げさなんだよっ」
安倍の無知蒙昧、というより冷酷さがはっきりと現れたヤジだ。辻元議員が「人の生死や戦争に関わる話」と言っているのに、それが「大げさ」だとまぜっ返す。人間としての最低限の品性さえ感じられない。
安倍の頭の中では、人の生死も戦争も、何の現実感もないらしい。自分の妄想(ノブスケじいちゃんの渇望の実現)だけが膨らんでいるのだろう。
こんな首相が振り回す「戦争法案」で海外派遣される自衛隊員は、ほんとうにたまったもんじゃない。なぜか、このヤジはあまり伝えられず、これについての安倍の陳謝もないままだが、本質的にはこのヤジのほうが最悪だと、ぼくは強く思う。
これだけでも、安倍退陣の理由になるほどだろう。
3. まったく根拠のないことでも、さも裏付けのある事実のように粉飾して相手を煙に巻く。
たとえばこの「戦争法案」で海外派遣される「自衛隊員のリスク」に関する質疑だ。自衛隊員の任務はこの法案によって、膨大に拡大する(はずだ)。危険極まりないのが「後方支援」「治安維持」「駆け付け警護」などだろう。
軍事ジャーナリストの田岡俊次さんも、次のように強調している(週刊金曜日、5月29日号)。と題する論考だ。
軍事がわからない安倍首相の暗愚
(略)同法(注・PKO協力法)改定案には住民などに対する危害の防止や区域の保安のために「監視、駐留、巡回、検問、警護」を行うとしている。イラクの例を見れば、テロリスト、ゲリラの監視のため、もし家宅捜索をすれば反撃を受けることがあり、街路を装甲車で巡回すれば道路脇爆弾や対戦車ロケットの犠牲となることも多い。(略)
「国際平和支援法案」では、自衛隊が提供する役務の中に「補給、輸送」が入っているが、ゲリラは戦闘部隊と正面衝突するよりは、後方に潜入して補給を妨害しようとし、輸送車列は攻撃を受けやすい。安倍首相は「戦闘が起きれば、ただちに部隊の責任者の判断で一時中止、あるいは退避する」というが、車列が停止し、Uターンして退避しようとすればかえって狙われやすく、応戦して突破する方が合理的な場合もある。(略)
こうした任務を自衛隊に課しながら「戦闘に参加することは決してない」と言うのは、もし戦闘になって、死傷者が出れば、この発言が非難の的となるだけに政治的方便としてもおかしいが、メディアがこの矛盾を十分指摘したとは言い難い。(略)
どうだろうか。この他にも田岡さんは「駆け付け警護」のデタラメさも、「デモクラTV」などで指摘している。
すなわち「駆け付け警護」とは、現に武装勢力からの攻撃に遭っている他国軍や国連機関、NPOなどの救出に向かうものであり、戦闘そのものに参加することだ。ここで「戦闘が起きたから、はい、中止、撤退」などということをしたら、それこそ世界中の物笑いの種になるし、批判の的になるのは当たり前だろう。
安倍は、そんなことも知らずにこんな法案を推進するのか、と田岡さんが慨嘆するのだ。誰が聞いても当然な指摘だと思う。
4. 「“絶対に”大丈夫」とか「“決して”起きない」などと、根拠のない強い表現を好むが、そこを突かれると逆切れする。
田岡さんもBで触れているけれど、安倍は「自衛隊員のリスクが増えるではないか」と指摘されると「戦闘に参加することは決してない」と胸を張った。どうしてそういうことになるのか、説明はまったくない。ただ、自信たっぷりに「決してない」を繰り返すだけ。もはや壊れた録音機である。その“根拠なき自信”がどこから来ているのか、さっぱり分からない。
審議後の記者会見でも、安倍は「アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか、という声もあるわけですが、はっきり申し上げます。絶対にありません!」と、根拠のない“絶対”を繰り返した。どこにこの“絶対”の根拠があるのかについては、まったく答えない。
田岡さんの指摘にどう反論できるのか。国会審議の質問者も、その点をもっと突けばいいのに…と、国会中継を見ながら、ぼくも思った。
5. 意味不明の言葉を新語・造語をやたらと持ち出す。その言葉の定義があいまいだから、議論がうまく噛み合わない。むしろ、そこを狙っているのかもしれない。
とにかく、今回の「戦争法案」は、妙な言葉の大安売りだ。その中でも特に訳が分からないのが「事態」だ。
「重要影響事態」「存立危機事態」「武力攻撃予測事態」「武力攻撃切迫事態」「武力攻撃切迫事態」「国際平和共同対処事態」…。これらをきちんと説明できる人がいたら、ぜひお目にかかりたい。
しかも、それらの「事態」が互いに入り組んでいて、どこからが「重要影響事態」で、どこから「存立危機事態」に変化するのか、訊いている質問者も答弁する大臣らも、よく分かっていないらしい。だから答えがバラついて、よけい訳が分からなくなる。
麻生財務相が「議員の奥さんたちを集めて説明会を開いたが、まったく理解できなかった」というほどだから、奥さんたちに限らず議員たちだって理解の外なのだろう。
これは、安倍個人だけではなく、もう安倍内閣の閣僚や自民党の重鎮たちにまで蔓延している。
たとえばこんな例。
「武器使用」と「武力行使」は違うのだという。これは、中谷防衛相も繰り返していることだが、「武器の使用は正当防衛などの警察権の範囲内で行うものであり、武力行使は国家もしくは国家に準ずる組織との戦闘行為であるから、両者はまったく違う概念」だというのだ。
5月27日の国会審議で、維新の柿沢議員の質問に対し中谷防衛相は、「武器の使用と武力行使の違い、ほんとうに分かりませんか。分からないのなら議論はできませんよ」と開き直った。だが、この質疑における中谷防衛相の説明は、以下のようなものだった。
「武力の行使」とは、我が国の物的人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為を行います。これが武力行使です。一方「武器の使用」とは、直接人を殺傷し、または武力闘争の手段としてものを破壊する機械を、その本来の用法にしたがって用いることを言います。
この説明で「武器使用」と「武力行使」の違いを、きちんと理解できる人がいるだろうか?
むろん、官僚が書いた作文を中谷大臣が棒読みしただけのことだろうが、そもそもこんなわけの分からない文章を読み上げて、「これが分からないなら議論できない」などと開き直るところが、なんともスゴイ!
この内閣、一事が万事こうなのだ。特に、「安全保障関連法案(戦争法案)」の審議に入ってから、こういう理解不能な問答(とても議論とは言えない)が多くなったのだ。
そんな有り様なのに、安倍以下閣僚たちは「国民に丁寧に説明して理解を求めていく」と繰り返す。
6. 無知を恥じない。恥の上塗りをする。
もう有名になってしまったが、5月20日の党首討論において、志位和夫共産党委員長の質問に、なんと安倍首相はポツダム宣言について「その部分をつまびらかに読んでいないので、ただちに論評することは差し控えたい」と、まさに驚天動地の答弁をしてしまったのだ。
「ポツダム宣言」とは、日本に無条件降伏を迫るために、1945年7月26日に、米英中の首脳がドイツのポツダムで合意した歴史的文書だ。これによって、日本の戦後の道筋が決められたといってもいいほどの重要な意味を持つ。
そんな重要文書を、当事国の首相である安倍が「つまびらかに読んでいない」と口走ってしまったのだ。
さらに、志位氏によれば、安倍首相は2005年、自民党幹事長代理だった当時、月刊誌「Voice」(05年7月号)で次のように語っていたという(朝日新聞5月22日付)。
(略)(安倍氏は)「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかり(に)たたきつけたものだ」と語っていたと指摘。だが、宣言は1945年7月26日に米英中の名で発表され、同8月6日と9日の原爆投下後、日本が同14日に受諾した。志位氏は「(宣言は)二つ原爆が落ちた後に『たたきつけられた』ものではない。事実誤認がある」と述べた。(略)
つまり、安倍首相は、事実関係さえ知らずに、その時の思いつきでペラペラと分かったようなフリをして、話をしてしまうのだろう。この時だって、自民党幹事長代理という要職にあったのだから、こんなに言葉を軽く扱っていいわけはない。
だが、これは彼の本質のようだ。何度間違いを犯しても、まるで反省の色もなく、それを指摘されると逆切れする。
7. 開き直る。
とにかく批判されると開き直る。
これも、5月20日の党首討論、岡田民主党代表に問い詰められると、安倍首相、なんとも奇妙な開き直り。
「法案の説明についてはまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」…??????……
いったい何なのでしょうか、この答弁。
わけが分からなくなったり、答えに窮したりすると、こういうなんとも珍妙な開き直りをするのも「安倍話法」の大きな特徴だということは、憶えておいたほうがいい。
「安倍話法」のデタラメさは、もっともっとたくさんある。書いても書いても書き切れない。書いているほうも、くたびれてしまう。だから、今回はこの辺でやめとこう…。
最近も、ぼくはいろいろな集会やデモに参加している。反原発、秘密保護法、戦争法案、沖縄米軍新基地建設反対、マスメディアと表現の自由、改憲…とテーマはさまざまだ。あんまりいろんなことがあるので、参加するだけでけっこう忙しい。
そんな場では、「もうさまざまなテーマ別にやっていては間に合わない。『安倍退陣!』こそが、いまや最大最重要のテーマだ」という声が、とても大きくなっている。
ぼくも、心からそう思う。
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