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2015年06月29日
古村治彦です。
アメリカの有名なジャーナリストであり、地政学に関する記事が多いロバート・カプランの記事を皆様にご紹介します。
この記事の中で、カプランは帝国が万能ではないこと、不毛な争いに深く関与させられるのは愚であること、戦いは他に任せるべきことなどを主張しています。
現在、日本では安保法制が可決しようとしています。憲法改正も行わず、自衛隊を米軍のお先棒担ぎに使えるようにしようとしています。調子に乗って「南シナ海で中国と戦うんだ」と勇ましいことを言っていると、アメリカの「代理」をさせられて、日本は大きく傷つくことになるでしょう。
日本で戦争を実際に体験した人たちがどんどん減っていく中で、自分たちは安全な場所にいて、愛国心やらショーヴィズム、崇高な理念とやらをやたらと声高に訴える政治家たちが増えてきました。彼らは日本のため、国民のためという顔をしながら、私たちを地獄へと誘う存在であると思います。実際に地獄まで突き進むのかどうか、今は重要なポイントであると思います。
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戦争を避ける技術(The Art of Avoiding War)
―実際に戦うことはないであろう敵を打ち破るのはどうしてとても大変なことなのか。そして、イスラム国から中国までこのことはアメリカの戦略にとって何を意味するのか。
ロバート・D・カプラン(Robert D. Kaplan)筆
2015年6月号掲載
『ジ・アトランティック』誌
http://www.theatlantic.com/magazine/archive/2015/06/the-art-of-avoiding-war/392060/
スキタイは騎馬の遊牧民族で国会北部から現在のウクライナ、ロシア南部にかけての広大な草原地帯(ポンティック草原地帯)を紀元前7世紀から紀元前3世紀まで支配した。その足跡を残すことなく消え去った古代の諸民族とは異なり、スキタイは姿を消した後も人々の記憶に残り、恐怖心を掻き立てる存在であり続けた。歴史家ヘロドトスはスキタイが「全アジアを荒らしまわった。彼らは支配した人々から貢物を取っただけでなく、襲撃をかけ人々が持つもの全てを略奪した」と記録している。ナポレオンはロシア侵攻の際、ロシア人たちが首都を敵手に渡すよりはと自ら火をかける様子を目撃し、「彼らはスキタイのようだ」と述べたと伝えられている。
現代を生きる私たちを恐怖させるのは、スキタイの残酷さではなく、紀元前6世紀初めにダレイオス一世率いるペルシア軍が侵攻してきた際の戦術である。ダレイオス一世率いる歩兵がアゾフ海東部まで進軍してきた。ペルシア軍はここでスキタイ軍と決戦を行うことを望んでいた。しかし、スキタイは自分たちの支配地域の奥深くにまで撤退してしまった。ダレイオス一世は困惑し、スキタイ王アガテュルソイに挑発のための使者を送り、「自分たちが私たちよりも強いと思うなら、戦場に立って戦え。そうでないのなら降伏せよ」というメッセージを伝えた。
イダンテュルソスは、「スキタイの支配地域には、敵が破壊目標とする都市や農地はない。私たちには防衛すべきものはない。従って戦う理由は存在しない」と回答した。スキタイ軍はペルシア軍との決戦を避けつつ、小競り合いを繰り返し出血を強要した。スキタイ軍は素早い撤退を繰り返した。小規模のペルシアの騎士隊はスキタイ軍を蹴散らしたが、ダレイオス一世率いる主力は根拠地と補給線から離れて進軍するにつれて弱体化していった。sの結果、ダレイオス一世はスキタイから完全撤退した。戦う機会を得ることなく実質的に敗北したのである。
この故事から言えることは、「敵を殺害することは容易であが、その敵を探し出すことが困難だ」ということだ。これは今日でもその通りである。戦争の様相は、産業革命時代の用意周到に計画された戦いよりも、より巨大になり、戦闘員はより希薄に配置されるようになっている。これに関連する教訓は次の通りとなる。「幽霊を探してはならない。文明の利点が役に立たない状況にまで進んではならない」。中国古代の兵法家孫子は次のような有名な言葉を遺している。「いつ戦い、いつ戦わないかを知っている側が勝利を得られる。進んではいけない道、攻撃してはいけない敵、攻撃してはいけない城というものが存在する」。これに当てはまるケースは紀元前5世紀末の悲惨な結果に終わったアテネによるシチリア遠征である。これについては歴史家ツキティディスが詳細な記録を残している。アテネは同盟諸都市を支援するために遠くシチリアに小規模の軍隊を送ったが、その結果として徐々に紛争へと引きずり込まれていった。アテネ海洋帝国の威容をもってすれば勝利は確実なはずであった。ツキティディスの記録は私たちにヴェトナム戦争とイラク戦争を思い起こさせ、胸に痛みを覚えさせる。アテネとダレイオス一世のケースは、大国が名誉と名声を得ようとすると悲惨な運命が待っているという事実を示しており、私たちを驚かせる。ダレイオス一世の軍たちが決して姿を見せることのない敵を求めてあてどもなく遮蔽物のない荒れ果てた草原を進軍しているというイメージは強烈であり、ただの象徴や想像を超えるものだ。
敵というものはこちらの思い通りには動いてくれない。敵は敵自身の考えで動くものだ。戦争が非対称であるのは有史以来のことだ。活発な武装勢力がイラクのごみごみした町々で自動車による自爆テロ攻撃を行い、アメリカ海兵隊員や兵士を苦しめる時、彼らはスキタイのようなのである。中国が、アメリカ海軍と対峙することを避けながら、漁船、沿岸警備隊の船舶、油田採掘プラットフォームを使ってフィリピン海軍を悩ませつつ、領海の主張を行う時、彼らはスキタイのように行動しているのである。イスラム国の兵士がナイフとヴィデオカメラで武装する時、彼らはスキタイと同じなのだ。彼らはスキタイのように行動するので、アメリカは超大国ではあるが、多くの紛争の結果を決定する能力が限定されてしまうのである。アメリカは帝国の抱える皮肉な真実を学んでいる最中なのである。その真実とは、「戦いをするのではなく我慢しなければならない」というものだ。紀元一世紀、ローマ帝国第二代皇帝ティベリウスは、北部国境を越えて血なまぐさい紛争に関わらないようにしたことでローマ帝国自体を保全した。ローマに対する大虐殺が起きた時も戦略的な忍耐を維持した。彼はローマ帝国の力の限界を理解していた。
ダレイオス一世がスキタイでやったこととは異なり、アメリカは軍を送ってイエメンにおいて戦うべき相手を追いかけ回したりしていない。しかし、アメリカは空からの攻撃によって敵対勢力の人々を殺害している。ドローン(無人飛行機)を使用していることは、アメリカの強さの証明ではなく、アメリカの限界を示しているのである。オバマ政権はこの限界をしっかりと認識しなければならない。そして、シリアにおける紛争に対してより深く関与してはならない。今週の水曜日にアメリカが支援して独裁者バシャール・アル・アサドを追い落としたとして、木曜日にアサド政権に代わってスンニ派が聖戦を遂行するための政権を樹立することになったら、アメリカはどうするのか?もしくは金曜日にシーア派勢力によって民族浄化が始まったら、アメリカはどうするのか?これは、孫子が言うところの戦うべきではない戦いなのである。しかし、アサドはこれまでに数百数千、いやもっと多くの人々をも殺害し、イランから支援を受けているではないか!確かにその通り。しかし、こうした感情は確かに正しいのだが、分析を行う際の邪魔になってしまうのだ。
どのようにすればアメリカはダレイオス一世の陥った運命を避けることが出来るか?どのようにすれば大国としての矜持と道徳的責任を果たしながらその運命を避けることが出来るか?アメリカは代理を使うべきだ。どの場所においても代理をしてくれる国を見つけることが出来たらそれを使うべきだ。たとえ敵の中に代理を務められる国があれば利用すべきだ。イランから支援を受けている武装勢力ホーシがイエメンでアルカイーダと戦いたがっているのなら、アメリカはどうしてそれに反対できるだろうか?イランがイラクで新たな宗派間の戦争を始めようとしているのなら、それは彼らの先祖がスキタイから教えられた教訓を理解していないということなのだから、やらせておく。中東ではスキタイのように行動する国々の間でダラダラとした争いが続いている。トルコ、エジプト、イスラエル、サウジアラビア、イランが壊れにくい勢力均衡状態に到達するまで争わせておく。この時、慎重さは、何もかも放り投げることとは違うことに留意する。アメリカは半歩だけ下がる。最後に、アメリカはその根幹である「アジアにおいては海洋大国、ヨーロッパにおいては陸上における守護者」の立場に立ち戻るべきだ。ヨーロッパにはスキタイのように行動する国は中東に比べて少ないが、ずる賢く立ち回る国は多い。スキタイは、自分たちの限界を知らない、主義や価値観を世界中に押し付けようとする国に復讐者として出現する。そうなのだ、アメリカは手を差し伸べるべきだが、手を伸ばし過ぎてはならないのだ。
(終わり)
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