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基地はなぜ沖縄に集中しているのか/NHK取材班 2011年
NHK出版 2011 編集:宮本英樹ほか 装幀:須山悠里
〔松岡正剛の千夜千冊〕
http://1000ya.isis.ne.jp/1481.html
(前半略)
シーン47。では、そうした本土に散っていた海兵隊がなぜ沖縄に集中的に移転するようになったかというと、ぼくも意外だったのだが、これまでその点に関する正確な資料が見つかっていなかった。正確な記述もなかったらしい。シーン48。不思議なことに、日本の研究者やジャーナリストも、「日本の市民の反対運動に押し出される形で沖縄に移転していった」としか書いてこなかったようなのだ。
シーン49。NHKの取材グループはそこを探そうとする。決定的な文書は探し当てられなかったものの、アイゼンハワーの大統領就任以降、極東戦略が見直され、1953年12月の国家安全保障会議で「極東の陸上へ威力の削減」が議題に浮上したあたりから、なんらかの方針転換がおこったようなのである。
シーン50。それでも、4カ月後に統合参謀本部がウィルソン国防長官に提出した「極東アメリカ軍の包括的な再配置計画」では、とくに日本国内の配置変更は言及されていなかった。シーン51。それがさらに4カ月後に、突如として海兵隊の沖縄移駐案が取り沙汰されたのだ。
シーン52。この案を強く勧告したのはジェームズ・バンフリート元陸軍大将だった。この勧告書のことを、NHKは「バンフリート・レポート」と名付けている。シーン53。主旨は「日本本土は反対運動が激しいが、沖縄は二個師団規模の戦略的予備軍のための大演習区域を供給できる。中国南部・中央部に作戦を実行する場合の主要な後方支援基地にもなりうる」というもので、この勧告がどうやら大きな影響力をもったようなのである。
シーン54。けれども、決定的な理由はそこに「コストの問題」がかかわったからだという説明をするアメリカの海兵隊史の研究者もいる。
シーン55。ともかくも、こうして海兵隊は沖縄に根を下ろすことになった。そのためにアメリカは合法的に土地を収用するための布令109号を発した。シーン56。「土地収用令」である。沖縄の人々はこれを“土地強奪法”と言っている。
シーン57。強引な土地接収に住民は反対したが、那覇、小禄村、読谷村、伊江島、伊佐浜などが次々に接収されていった。シーン58。そのひとつに辺野古があった。
シーン59。辺野古には当時500人の住民が住んでいた。平地が少ないために、丘を開墾して細々と生計をたてていた。シーン60。この住民たちが辺野古の接収に抵抗して、要望書をつくった。500人の生活を守るため、アメリカ軍と軍民共生をはかる要望書だ。シーン61。ところが、この前後から米兵による暴行事件が頻発し、事態はなかなか進捗しなくなった。シーン62。これを一蹴したのが、1955年10月にプライス下院議員を団長とする調査団が嘉手納基地に入った。半年後に「プライス勧告」が発表された。これで沖縄住民の期待が打ち砕かれた。
シーン63。なかで辺野古は軍民共生を受け入れて、アメリカ軍の基地施設建設を許容した。いまは名越市辺野古になっている。シーン64。たちまち1957年からキャンプ・シュワブの工事が着工し、5年間で辺野古の人口が4倍に膨れ上がった。シーン65。アップル・タウンもできた。アップルとは、アメリカ国民政府の土地課長として辺野古住民との軍用地契約の交渉にあたったハリー・アップルのことだった。
シーン66。沖縄における基地事情はかなり屈折している。日本政府と外務省は「アメリカが施政権を保持し、日本は潜在的主権をもっている」というような、はなはだ曖昧な解釈と表明しかできなかった。海兵隊の駐留についてをほほ黙認していた。
シーン67。それでも、沖縄の基地問題や海兵隊駐留問題を“変化”させるチャンスはあった。シーン68。それが1972年の「沖縄の本土復帰」であり、それに伴う基地返還計画である。
シーン70。ニクソンと佐藤栄作のあいだに交わされた沖縄返還の合意には、両政府による通称「関東計画」と呼ばれる基地返還計画が付随していた。首都圏のアメリカ空軍基地を大幅に削減して、軍の機能を横田基地に集約させるかわりに6つの基地を日本に返還するというものだ。
シーン71。こうして府中・立川・日立・水戸など6つの基地が返還されることになった。面積を合計すれば、普天間基地4つぶんの面積の返還だった。シーン72。返還は速やかだったが、日本政府は代替施設の建設費用など、約450億円という多額の予算を投入した。シーン73。このとき沖縄基地にはまったく手が伸ばされず、考慮もされなかった。それどころか、F4戦闘爆撃機ファントムの部隊が横田から嘉手納に移されるありさまだった。シーン74。「本土並み」という合言葉はどんどん空語化されたのである。
シーン75。辺野古を嚆矢として、沖縄の各地で軍用地契約が結ばれ、沖縄は基地の島になっていった。シーン76。軍用契約は広域にも及んだ。キャンプ・フォスターは沖縄市・宜野湾市・北谷町・北中城村にまたがり、キャンプ・ハンセンは沖縄本島北部の金武町など4つの市町村にまたがった。普天間飛行場があるのが宜野湾市である。
(後半略)
・沖縄と本土を隔てる”溝”〜「日米地位協定」の不条理/23日の報ステ
http://www.asyura2.com/15/senkyo187/msg/500.html
投稿者 仁王像 日時 2015 年 6 月 26 日 20:09:56: jdZgmZ21Prm8E
・沖縄と違うイタリア(&ドイツ)の米軍〜「主権は譲り渡しはしない」/23日の報ステ
http://www.asyura2.com/15/senkyo187/msg/502.html
投稿者 仁王像 日時 2015 年 6 月 26 日 20:21:22: jdZgmZ21Prm8E
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