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2015.06.26
安保法制が否定されれば自衛官は死を覚悟して防衛するのだろう
書こうかどうかためらっているうちに、すすっと時は過ぎてしまい、まあ、それでもいいやというとき、なにかもにょんとしたものが残る場合がある。今回も、ちょっともにょんとした感じがあるので、とりあえず書いてみよう。とま、ごちゃごちゃ言うのは、書く前から批判が想定されて、げんなり感があるからだ。最初に言っておきたいのだけど、以下の話は、安保法制を肯定せよ、という結論ありきで言うわけではない。日本の防衛のありかたは日本国民が決めればいいことだし、その結果がどうなっても日本国民が受け止めればいいだけのことである。私は一市民として民主主義の制度の帰結を尊重するだけである。
さてと、で、なんの話かというと、安保法制が否定されれば自衛官は死を覚悟して防衛するのだろう、ということだ。こういう言い方は物騒なんで、もっと曖昧にすればいいのかもしれないが、自分のもにょん感がそこにあるのは確かなので、とりあえずそうしておく。
話のきっかは、18日の予算委員会の小野寺五典・衆議院議員の質問である(参照)。話題は「存立危機事態」の事例説明である。想定される状況はこう。
我が国の近隣で武力紛争が発生し、多くの日本人が救助を求めている事態を想定します。この紛争当事国双方がミサイルや砲撃を繰り返し、危険な状況になれば、当然、民間の航空機は飛行禁止となります。民間船舶も運航を停止することとなります。この場合、相手国の要請があれば、自衛隊の輸送船が日本人の救出に当たることができます。
しかし、その隻数には限界があるため、多数の日本人を退避させるために、アメリカ軍の輸送船などを共同でお願いし、輸送することになります。このことは、日米の防衛協力ガイドラインにも規定があります。これにより、米軍の輸送艦が日本人を含めた市民を輸送して、我が国に退避させることになります。
露骨に言ってしまえば、北朝鮮が本気でソウルを火の海にするという事態になるとき、在韓邦人の救援をしなければならないのだが、その際、「日米の防衛協力ガイドライン」でアメリカ軍の輸送船を使うことになっている。つまり、(1)その規定はすでに決まっている、(2)自衛隊では無理、ということ。
そういう事態にならないことを願いたいが、北朝鮮はかねてから「ソウルを火の海にする」と言っており、在韓米軍もその想定で対応している、というか、そこがちょっと微妙なので、少し横道にそれるが言及しておくと、まず、2012年時点では、2015年、というから今年、戦時作戦統制権を韓国側に委譲し、韓米連合司令部を解体することになっていた(参照)。だがいろいろあって延期され(参照)、米軍基地移転も延期された。焦点は韓米連合司令部のソウル残留(参照)とも言ってよく、これはぶっちゃけ「ソウルを火の海にする」のに米軍は巻き込まれたくないよねという意味合いもあった。在韓米軍の今後やそれと日本の関係は複雑なので、ここではこれ以上触れない。
話を戻して、日本人を乗せた米軍の輸送艦だがこれが公海で攻撃を受けたらどうなるか? 公海というのは日本国内ではないということ。これは、「個別的自衛権」では防衛できない。
岸田文雄外務大臣
ただいま委員が示された例、すなわち、我が国への武力攻撃がない場合に、在留邦人を輸送している米艦艇が武力攻撃を受け、そして同艦艇を我が国が防護すること、こうした行為は、国際法上、集団的自衛権の行使に該当すると考えられます。
というわけで、日本人を乗せた米軍の輸送艦が攻撃を受けた場合、その近辺に自衛隊がいてもなんにもできない。米軍が護ってくれるといいよね、という話で終わる、というかそう終わるのかなと思っていた、が、この先に、小野寺五典衆議院議員から、考えようによってはちょっと奇妙な話があった。
私は、実際、防衛大臣当時、このような問題について現場の隊員に聞いてみました。答えは大変悲しいものでありました。攻撃を受けている船の間に自分の船を割り込ませ、まず自分が敵に攻撃を受け、自分が攻撃を受けたことをもって反撃をし、日本人の乗ったこの米軍の船を守る。まず自分の船を危険にさらし、部下を危険にさらし、そして自分が攻撃されたことをもって反撃をする。日本人を守るためにこのことをしなければいけない。こんなことってあるでしょうか。
え?と思った。
自衛官は死を覚悟して敵の弾に当たり出るというのである。
再び、え?と思った。それって、「おまえ、お国のために死んでこい」ということではないのか?
なんだ、そのシュールな話は? と思った。そもそもそういう事態を想定するのがシュールだと言いたいことだが、小野寺はぼかしていたが、そうシュールな事態でもない。すると、「お国のために死んでこい」をなくすには、(1) 全面的に米軍に依頼して日本人が死んじゃったら不運だったなあ、(2) 日米の防衛協力ガイドライン規定を改定して日本人の安全は日本国が全部責任を持て、ということである。
理詰めで考えると、(2)が正しいと思う。つまり、日米の防衛協力ガイドライン規定を改定すべきだろう。逆にいえば、日米の防衛協力ガイドライン規定があるから、その弥縫策をまとめるために、限定的な集団的自衛権が必要じゃねという話でもあるのだろう。
ただ思うのだが、(1)でもいいんじゃないか、というのはアリだろうか? これはつまり、日本国は軍事力を持たない平和国家だから日本国市民はこういう事態に決死の覚悟をしておけ、と。しかしそれも「お国のために死んでこい」の改変バージョンではないのかな。
実際のところ、集団的自衛権はダメだから安保法制も否定とすると、おそらく自衛官には「お国のために死んでこい」が維持されるのだろう。つまり、「平和憲法を守るために、おまえらは死んでこい」的な状況になるのだろう。
私は日本国のいち市民として、自衛官に「死んでこい」とは言えないので、どっちかというと、市民の側に「平和憲法を守るためには死ぬ覚悟をしておけ」ということになりそうだなと思う。日本国から出たら、巨人に食われちゃうよという閉ざされた世界にいるわけだろう。
小野寺五典衆議院議員の質問はその後も続き、次ネタは「ミサイル防衛」だが、この説明は曖昧すぎてよくわからなかった。「このミサイルがグアムやハワイに到達した場合」ということから察するに、米国下域へのミサイルに日本は対応してはいけないが、それだと「ミサイル防衛」そのものが成立しないだろう、という話のようだ。
私個人としては「ミサイル防衛」にはあまり賛成できないのだが、逆にだからこの間の経緯を見ていると、すでにミサイル防衛は整備されているわけで、ここでも安保法制は弥縫策の事後処理的な意味しかない。つまり、現行のミサイル防衛をするには、こうした安保法制が必要だったでしょうということである。
そしてその次の話題は「駆けつけ警護」と続く。この話題にはここでは触れないが、民主党でも実際には容認していると見られる(参照)。民主党的な考えでは集団的自衛権ではないとしているし、そうした議論もありえるだろう。
それでも、いずれにせよ安保法制のような対応は必要になるだろう。というか、「必要になるだろう」で、これまでずるずるとしてきて、今後の見通しもなく、ずるずるではあるのだろう。駆けつけ警護を含めPKO派遣部隊が直面する課題を整合的に考えるなら、かつての小沢一郎案のような国連派遣部隊を創設すべきなのだろう。
こうした事例を見ると総じて、安保法制は弥縫策のパッケージ化という以上の意味を見いだすのは難しい。つまり、現政権が長期政権化してきたので、これまでずるずる先延ばしにしてきた弥縫策を成文整理するということだ。おそらく安保法制パッケージが否定されても、ずるずる弥縫策の現状というのは変わらないのではないか。
2015.06.26 時事 | 固定リンク
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