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幕末の安倍晋三
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2015.06.28 きっこのブログ
司馬遼太郎と言えば、実在した歴史上の人物を主人公にした歴史小説家、というのが一般的な認識だろう。もちろん、違ったジャンルの著作も多いけど、代表作とされるのは、坂本龍馬を描いた『竜馬がゆく』、土方歳三を描いた『燃えよ剣』、斉藤道三、織田信長、明智光秀を描いた『国盗り物語』、豊臣秀吉を描いた『新史太閤記』、島左近、石田三成、徳川家康を描いた『関ヶ原』、小幡景憲を描いた『城塞』、秋山好古、秋山真之兄弟、正岡子規を描いた『坂の上の雲』など、多くは実在した歴史上の人物が主人公だ。
これらは「歴史書」じゃなくて、あくまでも「小説」だから、ザックリ言えば「フィクション」だ。だけど、坂本龍馬が実はタイムマシンでやってきた未来人だったり、土方歳三が実は男装の麗人だったりという、今どきのライトノベルみたいな内容じゃなくて、それなりの時代考証に基づいてホントっぽく書かれてる。だから、何も知らずに読むと、実際に起こったことだと勘違いしちゃう人もいる。
司馬遼太郎の歴史小説は、その人物や事件や出来事について多くの資料を集めて、綿密に調べた上で書かれてるので、すべてがフィクションというワケじゃない。実際に起こった歴史的な事件が正確に描かれてて、その上で、そこに登場する人たちの考えや感情やセリフが創作だったりする。そして、そこに完全にオリジナルの枝葉が広がったりもしてるので、一体どこまでが史実でどこからがフィクションなのか分からなくなる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、司馬遼太郎と言えば「長編」とか「大作」とかのイメージが強いけど、短編でも面白い作品がいろいろある。あたしは、今、『アームストロング砲』(講談社文庫)という短編集を読んでるんだけど、これは、幕末の男たちを描いた短編9作が収められている。題名を順番に挙げると、「薩摩浄福寺党」「倉敷の若旦那」「五条陣屋」「壬生狂言の夜」「侠客万助珍談」「斬ってはみたが」「太夫殿坂」「理心流異聞」「アームストロング砲」の9作で、このうち何作かは土方歳三や沖田総司などの登場する新撰組に関連した作品だし、新撰組の隊員が登場しない作品でも、時代背景が同じなので、どこかで関連してたりする。
で、今回、あたしが取り上げるのは、新撰組の隊員は直接は登場しないけど、2番目の「倉敷の若旦那」という作品だ。今日のブログの変なタイトルを見て「なんだろう?」と思った皆さん、ここでようやく種明かしするけど、この短編の中に、安倍晋三にソックリの人物が登場するのだ。もちろん実在した人物で、私利私欲のために権力を悪用して平然と法律を無視する極悪人だ。
この短編は、慶応2年(1866年)に実際に起こった「倉敷浅尾騒動(くらしきあさおそうどう)」を描いた作品で、『オール読物』(昭和40年6月号)に発表されたものだ。ちなみに、この作品は、司馬遼太郎の没後に、倉敷の郷土史家が長年かけて調べてまとめた自費出版の著書からの「盗作疑惑」が報じられた「いわく付き」の短編なんだけど、この点にまで触れると収拾がつかなくなっちゃうので、今回は内容だけに絞って書いていく。
この「倉敷の若旦那」は、ほぼ史実の通りに書かれている。主人公である倉敷の大町人の養子、大橋敬之助(後の立石孫一郎)や、他の登場人物のセリフなどは、もちろん司馬遼太郎の創作だけど、人間関係や事件のあらましなどについては、特に大きく手が加えられている部分はない。実際に起こった事件を下敷きにして、実際に関わった人たちを登場させ、その人たちがどんな会話をしてどんなふうに動いたのかという部分を司馬遼太郎が想像して書いているワケだ。
‥‥そんなワケで、ぜんぶを書いたら長くなりすぎちゃうし、これから作品を読もうと思ってる人にはネタバレになっちゃうから、導入部分だけを紹介する。まず、主人公の大橋敬之助は、播州の大庄屋の生まれて、幼いころから剣術や学問を学んでいた。17歳の時に倉敷の裕福な商家、大橋家の娘のお慶と結婚して婿養子になり、二男一女の3人の子どもをもうけて、婿養子としての役割も果たして、「大橋の若旦那」と呼ばれるようになる。大橋家は大町人だったので、町人と言えども「苗字」と「帯刀」を許されていた。
当時は「天保の大飢饉」で、全国的にコメの不作が続いていたため、コメの値段は3年で8倍にまで跳ね上がり、自殺する人や行き倒れになる人が続出した。そんな中、ここ倉敷の下津井屋という大きな商人は、他の領地にまで手代を走らせて、カネにものを言わせて百姓からコメを買い集め、瀬戸内の港で船に積み込み、京都や大阪へ運んでボロ儲けをしていた。
当時、領主は、コメなどの特定物資を領内外に移送することを「津留(つどめ)」と言って禁止していた。「津」とは「港」のことで、港が運搬の起点になっていたのでそう呼ばれていた。つまり、この下津井屋は、「津留」を破って、密輸出でカネ儲けをしていたワケだ。
下津井屋がコメを買い占めるため、倉敷のコメの値段はさらに高騰し、町民たちの暮らしは限界に達していた。そこで、商家の月まわりの当番だった大橋敬之助は、持ち前の正義感で下津井屋の悪事を調べ上げ、密輸出の証拠とともに倉敷の代官所へ訴え出た。しかし、これほど大掛かりな悪事を働いていた下津井屋のことだから、当然、代官所にも手を回してある。当時の代官、大竹左馬太郎のところには、下津井屋からワイロが届けられていた。時代劇でよく見る、和菓子の折の中に大判が敷き詰められている例のアレだ。
だから、いくら大橋敬之助が訴え出ても、代官所は、そう簡単に下津井屋を呼び出して罰することはできなかった。でも、大橋敬之助も負けていなかった。自分の商家のお金をどんどんつぎ込んで調査を続けて、これでもか、これでもかと新たな証拠を持って行った。そして、とうとう代官所も下津井屋の悪事を認めざるを得なくなり、下津井屋の一味を呼び出して、当主の吉左衛門には「手錠」、息子の寿太郎には「入牢」という罰が与えられた。「手錠」というのは、牢には入らなくて良いが、決められた期間、鉄製の手錠をして生活しなくてはならないという刑罰だそうだ。
もちろん、下津井屋は激怒した。だって、これまでタップリとワイロを渡しておいたのに、「これじゃあ話が違うじゃん!」ってことだ。そして、この作品では「この事件とはなんのかかわりもない」と解説されてるけど、この事件の直後、下津井屋に刑罰を与えた代官の大竹左馬太郎は更迭されたのだ。
そして、大竹左馬太郎の代わりに倉敷の代官所にやってくる新任の代官は、旗本の桜井久之助だった。下津井屋の一味は、江戸から赴任してくる桜井久之助を途中の大阪で待ち伏せし、大阪での宿を探し出し、まんまと大金をつかませることに成功した。そのため、桜井久之助は倉敷の代官所に着任早々、この下津井屋の事件を裁き直し、下津井屋を「無罪」、訴え出た大橋敬之助を「敗訴」としたのだ。このクダリを「倉敷の若旦那」の本分から、そのまま引用する。
(引用ここから)
桜井久之助は着任早々、右の事件をさばきなおし、
「倉敷は港ではないから、津留があるわけがない」
という新解釈によって下津井屋一味を無罪とし、敬之助は敗訴となった。
(引用ここまで)
※司馬遼太郎著『アームストロング砲』(講談社文庫)の「倉敷の若旦那」より引用
そう!この悪代官、桜井久之助こそが「幕末の安倍晋三」なのだ!倉敷に港がないことは最初から分かっていたワケで、だから下津井屋は他の領地の瀬戸内の港を使って密輸出をしていたワケで、それに関する証拠はすでに大橋敬之助が山のように提出していたワケで、だからこそ先代の代官の大竹左馬太郎はワイロを受け取りながらも下津井屋を「有罪」にするしかなかったワケなのに、おいおいおいおいおーーーーい!「新解釈」って何ですかーーーー!?
この桜井久之助の「倉敷は港ではないから、津留があるわけがない」というトンチンカンな説明は、「自衛隊の行く場所は戦闘地域ではないから、リスクがあるわけがない」とまったく同じ構造の屁理屈だ。ま、これくらいの支離滅裂さがなければ、多くの憲法学者の指摘を無視することなんてできないだろうけど、それにしても、誰がどう見ても完全に法律に違反していた「有罪」の事件を、結論ありきのトンチンカンな「新解釈」で正反対の「無罪」にしちゃうなんて、まさに「幕末の安倍晋三」だろう。
‥‥そんなワケで、このデタラメなお裁きに激怒した大橋敬之助は、城下町の刀屋へ行き、百両を支払って「摂津鍛冶鬼神丸国重(せっつかじ きじんまるくにしげ)」という二尺三寸の業物の刀を手に入れる。そして、私利私欲のために悪行三昧の親子に天誅を下すため、仲間とともに覆面をして下津井屋に押し入り、当主の吉左衛門と息子の寿太郎の首を撥ねた。それから、話はどんどん進み、最終的には多くの兵を従えて倉敷の代官所と浅尾藩陣屋を襲撃する。これが「倉敷浅尾騒動」なんだけど、天誅の目的だった「幕末の安倍晋三」こと桜井久之助は広島へ出張中で助かり、代官所に詰めていた幕府側の上級武士たちも自分たちだけトットと逃げ、殺されたのは身分の低い者たちばかりだった。ま、詳しくは「倉敷の若旦那」を読んでほしいけど、いつの世も、権力者と金持ちが手を組んで一般市民を苦しめる構図は同じだと思った今日この頃なのだ。
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