72. 2015年6月28日 23:53:19
: ZWJW54n0eo
総理大臣としての責務2015年6月現在、平和安全法制が国会で審議されていますが、国民の皆様への理解をさらに進めていく努力が必要だと感じています。 「そもそも、なぜ今平和安全法制が必要なのか」ーこの点は、我々与党における議論の中心的な議題とも言えるものでした。 わが国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増しています。 先般、北朝鮮は潜水艦発射型弾道ミサイルの水中発射に成功したと発表しました。北朝鮮の数百発もの弾道ミサイルは、日本の大半を射程に入れています。そのミサイルに搭載できる核兵器の開発も深刻さを増しています。 中国公船などによる尖閣諸島の領海侵犯ならびに接続水域への入城は、連日のように繰り返されている。中国の公表国防費は過去27年で約41倍、過去10年で約3.6倍に増えています。東シナ海、南シナ海において力による現状変更の試みを進めていることは皆様ご存知のとおりです。 わが国に近づいてくる国籍不明の航空機に対する自衛隊機の緊急発進、いわゆるスクランブルの回数は、10年前と比べて実に7倍に増加しています。平成25年(2013年)1月に起きた中国軍艦による海自護衛艦へのレーダー照射事件は、極めて危険な行為でした。米軍なら直ちに反撃していたかもしれません。それほど緊迫した状況でした。 ISILをはじめとする国際テロ、サイバー攻撃のような国境を超える新しい脅威も増大しています。 私たちはこの厳しい現実から目を背けることはできません。そして、そのような状況下においては、もはやどの国も一国のみで自国の安全を守ることはできない時代であり、国際社会と協力して地域や世界の平和と安定を確保していくことが不可欠です。 国際社会の安定が、日本の平和と安定にも資する。そも意味において、平和安全法制を今国会(2015年通常国会)で成立させる必要があると考えています。 「平和」という言葉を唱えれば、それで平和が維持できるわけではありません。積極的に平和を維持していく、あるいは平和をクリエイトしていくために何をなすべきか。日本はその責任を積極的に果たしていく必要があるのです。 反対派に問いたい 私は総理就任以来、地球儀を俯瞰する視点で積極的な外交を展開して参りました。いかなる紛争も、武力や威嚇ではなく国際法に基づいて平和的に解決すべきである。この原則を私は国際社会で繰り返し主張し、多くの国々から賛同を得てきました。 そしてまた、私には総理大臣として国民の命と幸せな暮らしを守る責務があります。わが国の平和と安全を確実に守っていくためには、日米の協力をはじめ、域内外のパートナーとの信頼や協力関係を深めていかなくてはなりません。そのうえで、あらゆる事態に対応することができるよう法整備を行う。 万が一への備えも怠ってはなりません。そのため、私はわが国の安全保障の基軸である日米同盟の強化に努めて参りました。先般(2015年4月)のアメリカ訪問によって、日米同盟の絆は揺るぎないものとなりました。日米の絆を一層強化していくことによって効率的に日本の国を守ることが可能となり、争いを未然に防ぐこと、すなわち他国から日本に対して戦争うを仕掛けようとする企みを挫く「抑止力」を高めていくことが可能となります。それが、ひいては地域の平和と安定にも繋がっていくのだろうと考えています。 日米同盟の下、日本が攻撃を受ければ米軍は日本を防衛するために力を尽くしてくれます。そして、安保条約の義務を全うするため、日本近海で適時適切に警戒監視の任務に当たっています。 ところが、私たちのためにその任務に当たる米軍が攻撃を受けても、私たちは日本自身への攻撃がなければ何もできない、何もしない。これがこれまでの日本の立場でありました。本当にこれでよいんでしょうか。 日本の周辺国有事の際に出動した米軍の兵士が公海上で遭難し、自衛隊が彼らの救助に当たっている時に敵から攻撃を受けたら、自衛隊はその場から立ち去らなければならなかった。 海外で紛争が発生してそこから逃れようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が救助してわが国へ移送しようとしている時、日本近海で攻撃を受けるかもしれない。このような場合でも、これまでは日本自身が攻撃を受けていなければ、船を守ることも、日本人救出することもできなかった。 国民の命と幸せな暮らしを守り抜くうえで、十分な法制となっていなかったのです。 私は、平和安全法制に反対している人たちにこう問いたいと思います。 「では、米国の艦船を守る必要はないとの考えなんでしょうか。あるは、集団的自衛権という冠がついているからとにかく反対をしているのでしょうか」と。 PKO協力法改正の意義 今回(2015年)の平和安全法制におきましては、国連平和維持活動(PKO)協力法を改正するとともに、新たに国際平和支援法を整備することも盛り込みました。 日本はこれまで20年以上にわたり、国際平和協力のため、カンボジア、ゴラン高原、東ティモール、ハイチなど世界の様々な地域において国際平和協力業務などを実施し、その実績は内外から高い評価を得てきました。延べ5万人を超える自衛隊員たちの献身的な努力に、私は心から敬意を表したいと思います。 そして今も、灼熱のアフリカにあって独立したばかりの南スーダンを応援しています。そこでは、日本がかつて復興を支援したカンボジアがともにPKOに参加しています。 そうしたPKO活動を積み重ねてきた経験上、これまでの法案では自衛隊の諸君が任務を全うするうえで多くの課題や困難がありました。その点、今回(2015年)の改正案では必要な活動をより効率的に行うことができるようにします。 たとえば、PKO活動を行っている自衛隊の近傍にNGOの方々がいて、彼らが突然、武装集団に襲われて救出を要請された場合でも、自衛隊は彼らを救うことができなかった。それを今回の改正案では可能にしました。 法改正により、PKO活動の役割を果たすうえで機能が向上し、国際貢献の幅は広がります。わが国の平和と安全に資する活動を行う、米軍をはじめとする外国の軍隊を後方支援するための法改正も行います。 しかし、これらは集団的自衛権とは関係のない活動であって、いずれの活動においても武力の行使は決して行いません。そのことを明確に申し上げておきたいと思います。 「法案撤回」の考えはない 先般(2015年4月)の米国の上下両院の合同会議の演説において、私は「平和安全法制の成立をこの夏までに」という決意を述べました。それに対し、野党が「国会審議もしていないのに米国で約束してくるとは何事だ。国会軽視だ」と批判しました。 しかし平和安全法制の整備は、私は自民党総裁として、またわが党としても平成24年(2012年)の衆議院総選挙以来、翌平成25年の参議院選挙、そして昨年(2014年)12月の衆議院総選挙と3回の国政選挙において常に公約として掲げてきたことであり、テレビの討論会においても、私は法案成立に対する決意を繰り返し訴えてきました。 特に、昨年(2014年)12月末に行われた衆議院総選挙においては、集団的自衛権の一部行使を可能にした昨年(2014年)7月1日の閣議決定に基づいて、平和安全法制を速やかに整備することを明確に公約として掲げ、国民の審判を受けました。 総選挙の結果を受けて発足した第三次安倍内閣の組閣に当たっての記者会見でも、本国会(2015年通常国会)において平和安全法制の成立を期すと明確に申し上げましたし、今年(2015年)2月の衆院本会議においても、2度にわたって本国会(2015年通常国会)での成立を図る旨、答弁しております。 したがって、これまで一貫して申し上げてきたことを改めて米議会における演説で繰り返し述べたのであって、何も突然、言い出したわけではありません。「国会審議もせずに米国で約束してきた」との批判は一切当たらないわけで、現にこのような説明をして以降は、野党側からもそうした批判は少なくなりました。 法整備の方針を閣議決定したうえで、選挙で公約に掲げて国民にお約束した以上、選挙直後の通常国会で実現を図ることは当然のことではないでしょうか。逆に、選挙で約束をしていないことを実行すればどうなるかー。それは先の民主党政権が示したとおりです。 提出した平和安全法制は、与党において25回にわたって協議を重ねたものです。私たちとしてはベストなものであると確信しておりますので、法案を撤回するという考えはありません。ただし、議論のなかで建設的な提言があれば、我々も進んで耳を傾けていきたいと思っています。批判のための批判や、単なる揚げ足取りの議論では国民の心に響きませんし、建設的な議論にも繋がっていきません。 砂川判決と軌を一にする 平和安全法制に関しては「違憲ではないか」という批判も多く見られます。そうした批判は当たらないということを、きちんとご説明したいと思います。 今回(2015年時点)の法整備にあたって、憲法解釈の基本的な論理は全く変わっていません。この基本的な論理は、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものです。 憲法判断の最高の権威は最高裁判所です。その最高裁が自衛権について述べた唯一の判決が、昭和34年(1959年)の砂川判決です。憲法の番人である最高裁が下した判決こそ、我々がよって立つべき法理であって、当然この法理に基づいて解釈する。いわばこの法理を超えた解釈はできない、ということになります。 砂川判決は憲法前文の平和的生存権を引いたうえで、次のように明確に述べています。 「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするため必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」 判決に記された「必要な自衛のための措置」については、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしておりません。この点は非常に重要です。 そして、砂川判決は次のようにはっきりと述べています。 「わが国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従う」 すなわち、国の存立に関わる安全保障政策については、どのような方針のもと、どのゆな政策をとり、それをどのように具体化していくかは、第一次的には内閣と国会の責任で取り進めていくものなのです。 「日本の危機」との認識を 従来より政府は一貫して昭和47年(1972年)の政府見解をとってきました。これは憲法前文に書かれた平和的生存権と憲法13条の幸福追求権から導き出されたものであり、砂川判決の考え方と軌を一にするものですが、その結論部分においては、集団的自衛権の行使は必要な自衛の措置に入らない、これを行使することはできない、としていました。 そのため、「集団的自衛権を認めていない」との議論がありますが、これは決して集団的自衛権という法理を排除したわけではなく、あくまでも当時の安全保障環境に当てはめて、集団的自衛権は「必要な自衛の措置」に当たらないと判断したものです。 一方、私たちは常に変化する安全保障環境のなかで、国民を守るための「必要な自衛の措置」について考え抜かなければなりません。それが政治家の使命であり、責任です。まさに現在、日本を取り巻く環境は厳しさを増しているわけです。そうした安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後、他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様などによっては、我が国の存立を脅かすことが現実に起こり得る。 例えば、我が国の近隣で有事が発生したとします。我が国に対する武力攻撃は発生していないものの、我が国のために活動する米軍艦艇が攻撃されることはあり得ます。そうした場合でも、私たちは日本への攻撃がなければ何もできなかった。すると当然、その後、日米が共同で事柄に対処していくうえにおいても、日本に多大な支障が生じる恐れは極めて高いと判断されます。 日本近海において米軍が攻撃される状況では、私たちにも危険が及びかねない。他人事ではなく、まさに私たち自身の危険なのです。 もはや一国のみで自国を守ることができない時代の中で、必要な自衛の措置に当たるものにどのようなものがあるかについては、国民の命と幸せな暮らしを預かる政府、国会として不断に検討していく必要があるのです。最高裁の判決で示した法理のもと、第一次的には内閣と国会に委ねられているわけで、過去の安全保障環境を前提にした当てはめの部分について検討する責任が私たちにはあります。「必要な自衛の措置」について考え抜く責任を放棄してはなりません。 「違憲」批判は当たらない 今回(2015年)の平和安全法制では、自衛の措置としての武力の行使は世界に類を見ない非常に厳しい新3要件を定め国民の命と幸せな暮らしを守るために限定的に行使できるとしました。 新3要件とは、 @わが国に対する武力攻撃が発生したこと、又はわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。 Aこれを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと。 つまり、外交的な手段はやり尽くした上で国民の命を守るためにはこれ以外に手段がないという状況になっている、ということです。 そしてどの上において、 B必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、 と定められています。 このように平和安全法制はわが国を取り巻く安全保障環境が客観的に大きく変化しているという現実を踏まえて砂川判決の法理のもとに、かつ従来の憲法解釈との論理的整合性、そして法的安定性、これに十分留意し、昭和47年見解などのこれまでの政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理、法理の枠内で、国民の命と幸せな暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの帰結を導いたものです。 これまでの政府の憲法解釈との論理的整合性および法的安定性は保たれています。従って違憲であるという批判は全く当たりません。 もちろん、憲法学界のなかには様々なご意見があっていずれも学識に基づく発言だと思います。そうしたことにも我々は当然、耳を傾けていかなければなりません。しかし他方で、砂川判決が出された当時、憲法学界の大勢は自衛隊も憲法違反との判断でした。 安保条約を改定した時にも、またPKO協力法を制定した時にも、必ずと言っていいほど「戦争に巻き込まれる」といった批判が一部の学者やメディアから噴出しました。 ところが、そうした批判が全く的外れなものであったことは、これまでの歴史が証明しています。 2015年5月20日に行われた党首討論において、維新の党の松野代表からPKO協力法成立時には3国会を要し、国会の審議によって国民の間に理解が広がり、問題点やリスクも理解されたではないか、というご指摘があったのですが、あの時、PKO法案は参議院において採決阻止のための野党の牛歩戦術によって、4泊5日に及ぶ徹夜国会になったことをご記憶の方も多いのではないでしょうか。 当時の社会党のキャッチフレーズは、「若者を戦場に送るな」でした。PKO法案成立の翌日の毎日新聞には、「自衛隊の海外派遣は、戦後とってきた国是の変更である。(中略)実質的なし崩しの解釈改憲に踏み切るのは立法府の自殺行為にほかならない」(1992年6月16日)と断定しています。朝日新聞も似たような論陣を張っていました。 ところが、その10年後に朝日新聞は「ともに汗を流す貴重さ 自衛隊PKO」(2002年3月2日)という記事を紙面に掲載しています。 無責任なレッテル貼り そして先日(2015年6月17日)の党首討論で民主党の岡田代表は、平和安全法制は違憲だと決めつけました。また、先に示した米艦艇防護の例について、どう判断するのかとの問いに最後まで答えていただけませんでした。民主党は、「必要な自衛の措置」について考えることを放棄したのでしょうか。 閣議決定によって内閣で意思を統一し、国会に法案を提出して十分に審議する。法律が成立すれば、それに従って実行する。こうした一連のプロセスがおかしいということこそ、まさに立憲主義の否定ではないでしょうか。 ここまでの説明をお読みいただければ、よく言われる「アメリカのために戦争をする」とか「自国の存立にかかわりなく自衛隊が地球の裏側まで行く」といった指摘がいかに的外れであるかということも、十分にご理解いただけると思います。 「アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか」と漫然とした不安をお持ちの方に、ここではっきりと申し上げます。そのようなことは絶対にあり得ません。 新たな日米合意の中にも明確に書き込んでいます。日本が武力を行使するのは日本国民を守るため。これは日本とアメリカの共通認識です。 もし日本が危険に曝された時には、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって抑止力はさらに高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなていくのです。 ですから、「戦争法案」などといった無責任なレッテル貼りも全くの誤りです。あくまで日本人の命と幸せな暮らしを守るため、そのためにあらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行うのが今回の平和安全法制です。 海外派兵が一般に許されないという従来からの原則も、全く変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません。そのことも明確にしておきたいと思います。 リスクは認めている 今回(2015年)の平和安全法制によって自衛隊員のリスクが高まるのではないか、といった議論も見られます。 そもそも自衛隊員の皆さんは、日頃から日本人の命と幸せな暮らしを守るために苦しい訓練を積んでおられます。そうした任務をこれからも果たしていくことに変わりはありません。今までも、自衛隊員は危険な任務を担ってきました。だからこそ、私たち政治家も政策判断をする時には慎重にも慎重を期した判断が求められるのです。 まるで、今まで殉職した自衛官がいないかのようなことを言う人もいますが、自衛隊発足以来、1800名以上の自衛隊員が、様々な任務等で殉職されています。 私は総理大臣として殉職隊員追悼式には必ず出席しています。ご遺族の皆様にお目にかかると、大変厳粛な気持ちになります。国のために命を賭して職務を果たしていただいたという感謝の気持ちを胸に刻みます。こうした殉職者が1人も出ないよう心掛けていきたいと強く思うと同時に、災害においても危険な任務が伴うのだということは、より多くの国民の皆様にご理解いただきたいと思います。 よく「リスクを認めて議論しろ」という主張も見られますが、リスクは認めています。先述したように、PKO活動にいては自衛隊が行える業務の範囲は広がります。しかし、ここでリスクが8から10になるのか、というような議論がはたして本質なのか、私は疑問に感じています。 批判する方たちは「リスクが増えるからやめろ」と言いたいのかもしれませんが、では、リスクがあるものは全てやめていいのか。今この瞬間も、南スーダンで活躍している自衛隊員の諸君も、南沙諸島で活動している海上保安庁の諸君もリスクを覚悟して任務に当たっているのです。これらも全てやめなくてはならない。 自衛隊が活動する際には、隊員の安全を確保すべきことは当然のことです。今回(2015年)の平和安全法制においても、たとえば後方支援を行う場合には、部隊の安全が確保できない場所で活動を行うことはなく、万が一危険が生じた場合には、現場の部隊長の判断で直ちに活動を休止・避難することとなっているなど、明確な仕組みを設けています。 自衛隊員は自ら志願して危険を顧みず、職務を完遂することを宣誓したプロフェッショナルとして誇りを持って仕事に当たっています。日々高度の専門知識を養い、厳しい訓練を行うことで、危険な任務遂行のリスクを可能な限り軽減してきました。それは今後も変わることはありません。 第97代内閣総理大臣 安倍晋三
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