http://www.asyura2.com/15/senkyo187/msg/300.html
Tweet |
尖閣諸島の領有権は日本にあると判断しているが、12年の石原東京都知事(当時)の挑発に焦った野田政権の性急な「国有化」策は愚だったと考えている。
当時首相補佐官であった長島昭久代議士は、日経新聞記者に、「尖閣国有化を決断すれば、日中関係が相当後退すると予測していた。新指導部が発足する前にやったほうがいいのかそうじゃないか。どちらがよりマシかという話だ。関係悪化は想定内だった。都ではなく国が購入したことやタイミングを含め、あの決断をする以外に道はなかった。私は今もそう信じている」と語っているが、率直に言って、政治家としての資質を疑う。
まず、野田政権が、石原氏の動きがあるなかで、「都が買って好き放題されるよりも、国がしっかり安定的に維持・管理するほうが穏当」との判断には同意する。
しかし、そうできるための入り口をどうやって“穏当”につくるのかが政府の腕の見せ所である。
驚くのは、長島氏の「関係悪化は想定内だった」という発言である。どれほどのレベルかは別として、日中の関係は悪くなるだろうというのなら、政治や外交に関心があるひとならほぼ100%そう想定していたはずである。
問題は関係が悪化するレベルや内実である。
「尖閣諸島国有化」表明から2年半にわたって続いたリアルな日中関係の悪化状況を想定したうえ、それを覚悟しつつ「尖閣諸島国有化」政策を断行したというのなら一国会議員としても資質を疑わざるを得ない。
何より、長島氏が補佐官として支えた野田首相が、中国側の要望で、石原東京都知事と揃って職を辞さなければならないハメになったことを考えれば(野田首相は衆議院解散という選択なので辞職というのは実質的な意味)、「関係悪化は想定内だった」という総括はあまりに無責任である。
中国側は、12年9月の段階で第一段階の収拾策として、野田首相と石原東京都知事の辞職を求め、野田首相の後任として安倍晋三氏の再任を望んだ。
長島氏は、「中国は胡錦濤政権から習近平政権への移行期にあった。政権が変わる前後のどちらがいいのか。ものすごく困難な選択だった」と語り、「我々は政権が変わることで関係をリセットする可能性を視野に入れたほうがよいと判断した。確かに日中関係は悪くなり、経済的なダメージもあった。しかし、あのタイミングでああいう決断する以外に道はなかった。『他策なかりしを信ぜむと欲す』(陸奥宗光)の思いだ」と説明している。
中国共産党の旧指導部がまもなく任期を終えるというタイミングで野田政権は国有化を表明したのだが、長島氏は、新しい指導部に泥をひっかけるより、やめていく旧指導部に泥をひっかけるほうが関係悪化の度合いが低いとでも考えたのだろうか?
というより、「政権が変わることで関係をリセット」できると本気で考えたのだろうか?
私の感覚では、新旧二つの指導部に責任と課題をかぶせるよりも、新しい指導部とじっくり交渉したうえ、表立って同意を得られないとしても国有化的政策を遂行したほうが関係悪化の度合いは低かったと思う。
退任する胡指導部は、最後の最後になって因縁が深い日本から手ひどい仕打ちを受けたというだけでなく、難しい政治課題を新たな習指導部に引き渡さなければならない負い目を感じながらやめていったわけである。有終の美どころか、餞別として毒まんじゅうを贈られたようなものである。
習新指導部も、前任の胡指導部の“無念”を考えれば、日本政府の真意がどこにあるにせよ妥協的融和的な対日政策は採れない。
中学生ならいざしらず、首相補佐官の職にあった政治家が、中国共産党の「政権が変わることで関係をリセット」できると考えたという話に唖然とする。
12年秋の中国共産党大会の開会が1ヶ月ほど延期された理由は、日本の尖閣諸島国有化表明にどう対応するかを内部で討議する時間が必要だったからだと推測している。
(共産党大会の議題にして大騒ぎするわけにはいかない)
12年は、日中国交正常化40周年と10年に一度の中国共産党指導部交替というタイミングの極めて重要な年だった。
中国共産党は、そのような時機に、日中関係の“トゲ“である尖閣諸島問題で中国側の意向を踏みにじるかたちで日本政府が新たな動きを見せたことに怒ったわけである。
恥知らずの長島氏は、安倍政権の対中外交について、「こちらがあまり譲らず、大局観にたっている点ではそれなりに評価している。野田政権が続いていても同じようになっていただろう。安倍晋三首相らの靖国神社参拝以外は。現状をみると我々が想定していたように、リセットした後は日中関係は改善しつつある」と語っている。
安倍首相の靖国神社参拝も、いやな手法だが、中国や韓国にしっかり根回しして実行したものである。だから、韓国はやや強硬だったが、中国は非難らしい非難を行わなかったのである。
中国は、野田政権が続けば関係改善はできないとして、“肝胆相照らす”安倍政権の再登場を願ったのである。
長島氏は、しぶとく、「リセットした後は日中関係は改善しつつある」と説明しているが、リセットしたのは、中国共産党の指導部ではなく、日本の内閣なのである。
=============================================================================================================
長島昭久氏「尖閣国有化、決断するしか道はなかった」
(6月21日付朝刊 日曜に考える・政界面関連インタビュー)
2015/6/21 3:30
民主党政権の2012年9月、野田佳彦首相が沖縄県・尖閣諸島の国有化に踏み切った。中国に強い姿勢で臨むべきだとの持論がある当時の石原慎太郎東京都知事が都による購入計画を進める中、領有権を主張する中国との対立を懸念。阻むには国有化が唯一の選択肢と判断したが、それも中国の猛反発を招いた。首相補佐官として調整に携わった長島昭久氏に話を聞いた。
■「来るべきときがきた」
――国有化のきっかけは12年4月に石原都知事が尖閣購入の方針を明らかにしたことでした。
「いつかは政府がきちんと対応せざるを得ないと思っていたので、聞いたときは『来るべきときが来た』と思った。石原さんが尖閣に強い思いを持っていたのは以前から知っていた。もう一つは10年の尖閣諸島沖での漁船衝突事件以来、尖閣が日中摩擦の焦点になりつつあったためだ」
――4月27日に野田首相と石原氏が会談しました。
「このときは米軍横田基地の軍民共用化の話が主で、尖閣についてはほとんど話さなかった。石原さんが『うちは尖閣を買うから』という宣言をしただけだ」
「5月の米国の主要国首脳会議(サミット)帰りの機中で野田さんと『そろそろ検討に入らないといけない』という話になった。地権者と都、中国政府の3方面と交渉せよと野田さんから我々に指示があったのはそのころだ。長浜博行官房副長官が地権者、私が都、中国は外務省という役割分担だった」
■「黙認する感触があった」
――日中関係への影響をどうみていましたか。
「国有化を決断すれば日中関係が相当後退すると予測していた。ただ、こちらが強調したのは現状を崩すものではないという点だ。石原さんは漁船が退避するための船だまりなどを造ると言っていた。『都が買って好き放題されるよりも、国がしっかり安定的に維持・管理するほうが穏当ではないか』と中国側に説明した」
「我々の認識では、中国から『了解』や『承認』まではいかないが『黙認』くらいはとれるのではないかという感触があった。さらに、中国は胡錦濤政権から習近平政権への移行期にあった。政権が変わる前後のどちらがいいのか。ものすごく困難な選択だった」
――9月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、野田首相と胡国家主席が接触しました。その直後に野田政権が国有化を決定します。
「政府内の一部にも直後の国有化はまずいから延期したほうがいいという声はあった。しかし、我々は政権が変わることで関係をリセットする可能性を視野に入れたほうがよいと判断した。確かに日中関係は悪くなり、経済的なダメージもあった。しかし、あのタイミングでああいう決断する以外に道はなかった。『他策なかりしを信ぜむと欲す』(陸奥宗光)の思いだ」
――現政権の対中政策をどうみますか。
「こちらがあまり譲らず、大局観にたっている点ではそれなりに評価している。野田政権が続いていても同じようになっていただろう。安倍晋三首相らの靖国神社参拝以外は。現状をみると我々が想定していたように、リセットした後は日中関係は改善しつつある」
(聞き手は永沢毅)
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO88229640Y5A610C1I10000/
===================================================================================================================
[政 その瞬間」後退する妥協はあり得ない(12年9月、野田首相) 尖閣国有化、中国が猛反発
2012年9月9日、ロシア・ウラジオストクでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議。沖縄県・尖閣諸島の国有化に踏み切る意向を伝えた首相の野田佳彦に中国国家主席、胡錦濤から激しい言葉が返ってきた。「すべて不法で無効だ。断固反対する」。日本政府が翌10日の関係閣僚会議で国有化を正式決定すると、中国の反発は激しさを増した。
反日デモが中国全土に広がり、日系スーパーの建物が破壊され工場は操業停止を強いられた。中国の海洋監視船などによる尖閣周辺への領海侵入も頻発した。
それでも野田は動かなかった。26日、国連総会のため訪れたニューヨークで記者会見に臨み「(尖閣に)領有権の問題は存在しない。後退する妥協はあり得ない」。国有化が中国の反発を最小限にとどめる唯一の方法と考えていたからだ。
4月、東京都知事の石原慎太郎が民間地権者から尖閣3島の購入方針を表明。中国を刺激する言動を重ねる石原が購入した場合の影響を懸念した野田は国による買い取りを探り始めた。5月に地権者、都、中国と交渉を進めるよう官房副長官の長浜博行、首相補佐官の長島昭久に指示した。
8月19日、公邸で野田と向きあった石原は「最後は国の責任であの島の実効支配をやってくれ」。都が購入後、直ちに国に転売する案を示唆した。条件は尖閣での漁船の退避施設整備などだった。野田がそれを受ければ、領有権を主張する中国と決定的な衝突に発展しかねない。「日中関係が破裂するから到底受け入れられない」と拒んだ野田はここで国有化を決断した。
中国はこの年の秋が指導部の交代期。APEC直後の国有化は、その後に発足する新指導部と関係を仕切り直した方が得策との判断だった。しかし野田政権で首脳会談は開かれず、自民党が政権復帰した今も尖閣は日中摩擦の種だ。
=肩書は当時、敬称略
(永沢毅)
◆「政 その瞬間」は政治が大きく動いた場面を検証し、象徴する言葉とともに人間模様を描きます。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
新指導部発足前がマシだと決断した
長島昭久・元首相補佐官 「尖閣国有化を決断すれば、日中関係が相当後退すると予測していた。新指導部が発足する前にやったほうがいいのかそうじゃないか。どちらがよりマシかという話だ。関係悪化は想定内だった。都ではなく国が購入したことやタイミングを含め、あの決断をする以外に道はなかった。私は今もそう信じている」
[日経新聞6月21日朝刊P.14]
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK187掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。