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戦争をしない国 〜明仁天皇からのメッセージ〜
http://tanakaryusaku.jp/2015/06/00011426
2015年6月22日 17:03 田中龍作ジャーナル
著者・矢部宏治氏は陛下のお言葉と足跡を丹念に追った。
安倍首相が戦後史を根こそぎ否定しようとしていることがよく分かる著作だ。
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』の著者・矢部宏治氏が放つ“問題作”である。
明仁天皇の足跡と発言をたどる構成だ。それは日本の戦後70年を見つめることでもある。(太字は田中のコメント/細字は本書引用)
(極東軍事裁判で)絞首刑を宣告された7人が処刑されたのが1948年12月23日。その日は明仁皇太子15歳の誕生日だ。
昭和天皇の誕生日、4月29日(1946年)にはA級戦犯たちが起訴されている。
これらは占領軍による強くて重いメッセージだ。著者は「明仁天皇が15歳の誕生日に受けた衝撃が70年に及ぶ思索の旅の根底に常にあった」としている。
自民党は東京(極東軍事)裁判を検証する組織を稲田政務調査会長の下に設ける方針だ。戦後史の否定であることは言を待たないが、明仁天皇の個人史に対する否定でもある。
政府主催の「主権回復の日」式典に臨席するため会場の憲政記念館に向かう天皇皇后両陛下。=2013年4月28日、三宅坂交差点付近 写真:取材班=
先の戦争への深い悔悟は、沖縄への強い思いへとつながる。
明仁天皇は皇太子時代も含めて沖縄を10回も訪問している。初訪問(昭和50年・1975年)では過激派に火炎ビンを投げつけられる事件が起きた。
その夜、殿下は文書で談話を出した。「…沖縄が先の大戦で、我が国では唯一の住民を巻き込んだ戦場と化し、幾多の犠牲を払い今日に至ったことは忘れることのできない不幸であり…」と。
沖縄が過去に払った尊い犠牲に対し、記憶し続け、考え続け、心を寄せ続けることを約束しますというメッセージだった。
それは沖縄基地問題についての見解にも表れている。
63歳(平成8年・1996年)の誕生日(12月23日)の記者会見では「沖縄の問題は、日米両政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」と述べられた。
この年の春に来日したクリントン米大統領との会見でも同じお言葉を述べられている。
沖縄問題へのお心の砕きようは、並々ならぬものがある。
外交努力を放棄したまま「辺野古しかない」を繰り返す安倍首相や政府官僚とは、沖縄を思い遣る気持ちにおいて天と地ほどの開きがある。
陛下がお心を砕き続ける沖縄基地問題。=2013年8月、普天間基地 写真:筆者=
皇国教育の時代に幼少期を過ごされた明仁天皇は思想の統制を嫌う。
平成16年(2004年)秋の園遊会で東京都教育委員をつとめていた米長邦雄氏が陛下に「日本中の学校にですね、国旗をあげて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」と言った。
陛下はこう返答された。「やはり強制になるということではない方が望ましいですね」。この場面はテレビニュースでも紹介されたのでご記憶の方も多いだろう。
つい最近、下村博文文科相が国立大学の学長に国歌斉唱と国旗掲揚を事実上要請し物議を醸した。
陛下は今年(平成27年・2015年)1月1日、新年にあたっての感想では次のように述べられた―
「本年は終戦から70年という節目の年にあたります…(中略)この機会に満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えて行くことが、いま、極めて大切なことだと思っています」 ・・・安倍首相に音読させたいくらいだ。
だが、戦後日本の始発点とも言えるポツダム宣言も満足に知らない戦後最暗愚の首相は、戦争法案の制定にまっしぐらだ。
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