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安保法案 正当性さらに揺らぐ 歴代法制局長官4氏「違憲」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015062090071044.html
2015年6月20日 07時10分 東京新聞
他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案について、内閣法制局の歴代長官で故人を除く十氏のうち五人が本紙の取材にコメントし、四氏が「違憲」もしくは「運用上は違憲」との考えを示した。合憲はいなかった。安倍政権は安保法案について「従来の憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない」として、合憲と主張している。しかし、歴代内閣で憲法解釈の中心的役割を担った元長官が合憲性を否定したことで、法案の合法性はさらに揺らいだ。 (金杉貴雄)
本紙は個別に十氏を取材し、五十八〜六十二代(現在の横畠裕介長官は六十六代)の五氏から回答を得た。
第一次安倍内閣(二〇〇六〜〇七年)などで長官だった宮崎礼壹(れいいち)氏は、集団的自衛権の行使について「憲法をどう読んでも許されないのは、論理的な帰結。最小限なら当てはまると言うが、従来の見解と断絶した考えだ」として、違憲と断じた。
日本周辺で有事が起きた際、米軍支援を可能にした周辺事態法の制定当時(九九年)に長官だった大森政輔(まさすけ)氏も「政府がどんな理屈でも武力行使できる法案。九条に違反している」と述べた。
小泉政権で長官だった阪田雅裕氏は、憲法解釈の変更は全く認められないわけではないとしながら、集団的自衛権行使は「戦争がわが国に及ぶ状況でなければ従来の論理と合わない」と指摘。「(中東の)ホルムズ海峡で(行使が)あり得るとする説明は憲法論理を超え、その説明では法案は違憲だ」と語った。
イラク戦争(〇三年)に長官として直面した秋山収氏は、新たな憲法解釈は違憲とまで断じるべきではないとしつつも「具体的運用の説明には違憲のものが含まれ、違憲の運用の恐れがある」と指摘した。
〇一年の米中枢同時テロ当時長官だった津野修氏は「法案の内容が抽象的すぎて具体的な条文が違憲かは分からない」と述べた。
取材に応じた五氏のほか、第二次安倍政権で長官を辞め、最高裁判事(現職)になった山本庸幸(つねゆき)氏は就任会見で「(集団的自衛権の行使容認は)解釈変更で対応するのは非常に難しい」と明言。本紙の取材には「現在は立場上差し控える」とした。安保法案の違憲訴訟が起こされた場合、合憲か違憲かを判断する立場になるが「白紙の状態で判断したい」と述べた。
梶田信一郎、工藤敦夫、茂串俊(もぐしたかし)、角田(つのだ)礼次郎の四氏は、体調や高齢、立場上などを理由にコメントしなかった。
◇
歴代法制局長官5氏の見解要旨
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015062002000138.html
2015年6月20日 東京新聞
内閣法制局の歴代長官の安保法案に関する見解の要旨は次の通り。
◆宮崎礼壹氏 歴代の政府見解と断絶
集団的自衛権の行使に関する憲法解釈は、一九七二年の政府見解で説明されている。安倍政権はこの七二年見解の論理は維持しながら、集団的自衛権の一部が限定的に認められると主張している。
だが、この見解はそもそも、憲法上、集団的自衛権の行使が許されないことの理由を説明したものだ。
当時の吉国一郎内閣法制局長官は「論理的帰結としてわが国への侵略がない場合の武力行使は、憲法上許されない」「憲法をどう読んでもだめだ」と語っている。集団的自衛権の行使は、まだわが国が侵略を受けていない段階で武力行使することだから、九条でどうしても読めない。
少しは集団的自衛権もいいじゃないかというが、七二年見解は今のところはだめとか、ごく少しであればいいとか全く何も留保していない。それを根拠にするなんて百八十度違う話だ。
七二年以降も国会で質疑がたびたびあった。だが、集団的自衛権が限定的とか一部とか認められる余地は、全くないと示されている。
安倍政権の新解釈は、都合のよいところだけ取り出し、最小限の集団的自衛権なら当てはまるというが、それはまったく無理。これまでの政府見解から断絶した考えだ。
今回はあまりにおかしな、ひどい議論が行われている。七二年見解の部分部分をつぎはぎし、集団的自衛権が認められるかどうかは事実の当てはめにすぎないと強弁するのは、こじつけ以外の何物でもない。
現在の横畠裕介長官が最近、非常に問題のある解説をしている。七二年見解で憲法が武力行使をぎりぎり容認している「外国の武力攻撃で国民の生命、権利が根底から覆される急迫、不正の事態」の「外国の武力攻撃」に、「『他国への外国の武力攻撃』も含まれる」とした。
ものすごく形式的な読み方をすればいいと思っているが、これは「日本に対する武力攻撃」と読まなければおかしい。何重の意味でもそんなことは読めない。
政府解釈の根幹は変わっていないなどととても言えない。今までの論理を捨てるなら別の大きな問題となるが、法的な連続性が保たれているというなら、その主張は無理、うそだ。法案は違憲というのが正しい。
◆阪田雅裕氏 「ホルムズ海峡」憲法逸脱
集団的自衛権の行使はこれまでおよそ認められない、必要ないと考えられてきた。法律の考え方は、理屈と事実をどう当てはめるかという問題がある。これまでは全否定だったが、自国の安全、侵略と関係あるような個別的自衛権と同じレベルのものもあり得る、としたのだろう。
問題は、なぜそのように変える必要があるのかという十分な説明ができなければならないことだ。安全保障環境が変わったとの抽象的な説明しかしていないが、他国への攻撃に対処することが、国民を守ることとどう結び付くのか。分からない。
憲法で武力行使が許されるのは、日本に影響があるようなことでは足りず、経済的な損失程度なら憲法の基本的論理の外になる。
他国に対する攻撃でわが国に戦火が及ぶような状況という説明で、安倍晋三首相は「戦禍」(戦争による被害)という意味で言っているが、その程度ではだめで、「戦火」、まさに戦争が国に及ぶ状況でなければ従来の論理には合わない。政府は中東・ホルムズ海峡での機雷掃海もあり得ると言っているが、憲法論理の枠内に入らない。ホルムズ海峡での事態も法案に当てはまる可能性があるとの政府の説明なら違憲だ。
◆秋山 収氏 参戦に導く苦渋見えぬ
集団的自衛権の行使を容認する政府の新解釈は、通常の言語感覚で理解すれば違憲とまで断ずべきものではない。ただ抽象的で多様に解しうる表現を使っているために「歯止め」が不十分だ。できるだけ自衛隊の活動の範囲を広げたい政府の具体的な運用の説明には、合憲の範囲を超えて違憲になるものを含んでおり、違憲の運用が行われる恐れがある。例えば「ホルムズ海峡が機雷で封鎖された場合、一定期間エネルギー危機に陥る」とか、「自衛隊を戦闘に派遣しなければ米国世論に見放され、日米安保が瓦解する」などの理由で派兵がなされるケースだ。
首相の対応を初めから見ていると、一国のリーダーとして国を参戦に導くことの重さや苦渋がほとんど感じられず、解釈の範囲を広げられるだけ広げようという姿勢が見える。このような人を最高責任者に持つことに強い不安を覚える。
◆津野 修氏 条文ごとに具体説明を
憲法上、集団的自衛権は一般的には行使できないのは当然だ。個別的自衛権でさえ国際法上のものより限定的で解釈されているのに、なぜ集団的自衛権の行使が認められるのか。
集団的自衛権は違憲だと一般論では言ってきたが、全く何も認められないかというと分からない。政府の論理は非常に抽象的。具体論として条文が本当に違憲なのかは難しい問題。具体の条文については説明を聞かないと分からない。政府は分かるように説明すべきだ。
◆大森政輔氏 政府の理屈で武力行使
集団的自衛権行使を解釈変更で認めるのは、憲法九条に照らし認められない。
解釈変更と今回の法案が憲法上認められないのは、議論するまでもない。国会では常に問題にされ、政府の説明は国際法上は有しているが憲法九条に照らすと行使は認められないと一貫してきた。ほとんど自民党内閣がそう言い続けてきた。それが突如、憲法解釈の変更で認められるとなった。今更解釈変更と称してできるはずがない。
解釈変更で武力行使できる新たな要件に、従来の「国民の生命、権利が根底から覆される事態」に「明白な危険がある場合」と余分な文言がついた。国民の生命、権利が覆される状態にまだない段階で武力行使する。九条とは相いれない。
何をやるかの説明でホルムズの機雷掃海の話が出てくる。これで集団的自衛権を行使できるのなら、どんな事例でも理屈をつけたらほとんどできるようになる。非常に限定されているような文言だが、政府がやろうと思えば理屈がいくらでもつけられる要件だ。あの文言はうそを言っていることになる。違憲ということは明らかだ。
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