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本当は「海洋国家」ではない日本
今こそ打ち出すべき日本外交の自画像(前篇)
2015.6.17(水) 部谷 直亮
日本は四方を海に囲まれている。しかし、本当の「海洋国家」と言えるのだろうか。(写真はイメージ)
日本は四方の海に囲まれているから海洋国家、そういう議論がよくありますが、果たして、地政学とは地理的な変数だけで論じられるものでしょうか。
海洋国家論の父とされる、アルフレッド・セイヤー・マハン提督(1840〜1914年)は、地理的変数だけではなく、文化的、社会的な変数も重視しています。そもそも四方が海というだけで海洋国家と言うならば、マダガスカルもニュージーランドもアイルランドも海洋国家でしょう。
実際、日本が海洋国家ではないということは、75年前に太平洋戦争の帰趨を正確に予想した米国の研究者も指摘している点ですし、海洋国家論の始祖であるマハンの定義に鑑みても正しいのです。
求められる新しい日本外交の自画像
我が国が海洋国家か否かを論じる前に、その問題を考えることがなぜ重要なのかについて説明したいと存じます。
そもそも、日本外交の課題は普遍的な外交思想、言うなれば自画像を描けないことです。外交史家でハーバード大学名誉教授の入江昭先生によれば、わずかな「東と西」という概念以外には普遍的な外交思想を持てなかった近代日本外交は、実利論に基づく過度な現実主義で埋め尽くされ、過剰な不安感を自らに醸し出し、自縄自縛に陥ったことで第2次大戦の敗北に至ったといいます。
それは米中ソが確固たる普遍的な自画像を持っていたのとは対照的な姿だったと入江先生は指摘しています。つまり、入江先生は、普遍的な自画像を持たない現実主義は、国際環境が不安定になれば、危機に対する過剰反応を引き起こし自滅すると指摘したのです。
また、マサチューセッツ工科大学政治学部教授で日本の安保政策が専門のリチャード・サミュエルズは、戦後も含めて日本外交が一貫して、アジアにも欧米にも偏らず、中庸的な現実主義的な政策を展開してきたと肯定的に指摘しています。しかし、これは裏を返せば、一貫する外交の自画像を描けなかったという入江先生の指摘に通じるものです。
実際、戦後においても日本外交の自画像はなかなか見つかりません。慶應義塾大学教授の添谷芳秀先生も指摘しているように、アジアの中での日本の位置付けすら明確なコンセンサスがないことからも明らかでしょう。
こうした指摘に対して、日本外交の自画像としては、国際政治学者の高坂正堯先生らが指摘してきた海洋国家論があるという指摘があるでしょう。しかし、果たして海洋国家論は日本外交の自画像たり得たのでしょうか。高坂先生自身が日本は海洋国家ではなく、海洋国家のなりそこないの「島国」だと結論しています。
また、防衛研究所国際紛争史研究室長で戦史研究の世界的権威である石津朋之先生も、我が国は歴史的・文化的には、むしろ大陸国家的な政策が実施されてきたと指摘しています。確かに我が国の国家政策、特に明治維新後のそれは、朝鮮半島経由での大陸への進出、鉄道の重視、国家による統制重視、近隣での植民地獲得(通常、海洋国家は遠隔地に植民地を獲得します)等と、ほとんど大陸国家的なものでした。
そして、仮にかつては妥当だったとしても、高度経済成長期の時代精神を前提とする海洋国家論が、中国やASEAN諸国に対して、相対的に国力が小さくなった日本の外交における自画像として適切かどうかという疑問もあります。となれば、海洋国家論を日本外交の普遍的な自画像とするのは難があるのではないでしょうか。
一方、最近の日本周辺の国際環境の不安化は、戦前と同様の日本への強い心理的圧力となる可能性があり、入江先生が指摘したようなかつての過度な現実主義の傾斜による安全保障のジレンマを引き起こす可能性があります。
つまり、「国益」という概念の基盤となる価値観がないままに外交を行えば、即物的な利益に基づく機会主義的な外交となり、諸外国からの信頼を失う、もしくは過剰に攻撃的な外交となって自滅してしまうのです。これは何の信念もない、機会主義的な人間が危機に際して、どのような行動をとり、周囲からどのような扱いを受けるかを考えてみれば明らかでしょう。
こうした事態を防ぎ、安定的な日本外交を展開するには、海洋国家論とは違い、日本の歴史や文化に沿った普遍的な外交思想、つまり、新しい日本外交の自画像を打ち出す必要があります。
欧米の海洋国家の定義から逸脱している日本
繰り返しますが日本は海洋国家ではありません。この主張は奇異に聞こえるかもしれません。日本が海洋国家であるとの前提は、日本の戦略論を語る上で、疑うべくもない枕詞になっているからです。
しかし、日本が欧米における海洋国家の定義からかなり逸脱しているのではないかという指摘は、既に70年以上前から存在しています。
例えば、戦前・中に日本海軍の専門家として活躍したアレキサンダー・キラルフィは、1942年の著作、1943年の論文で以下のように記し、日本が欧米の理論が指摘する海洋国家としては余りに異質な存在であるとしています。
「日本の戦力の柱はランドパワーである」
「日本の海軍思想は西欧と著しく異なっている」
「日本海軍は、(中略)攻勢作戦をとる強力な陸軍の浮橋だった。その理論と実施が、比較的小さな陸軍を背後にもつ有力な防御的兵力である米英の海軍と、大きく異なるのは当然である」
「日本は、英米と違って最終的な勝利は陸上戦力によってもたらされると信じており、海上戦力は陸上戦力の兵站及び通信線維持のために活用している。日本はそれ以外のために海上戦力を危険にさらそうとはしない」
要するに、キラルフィは、日本は海洋国家や島国とは、とても言えないと指摘しているのです。
日本が海洋国家とは言えない理由
さて、海洋国家を語る上で外せないのは、「海上権力史論」で知られるアルフレッド・セイヤー・マハンです。日本海海戦時の連合艦隊の作戦参謀で知られる秋山真之が米国留学中に何回か訪問し指導を受けたことや、日本海軍の理論家、佐藤鉄太郎が大きな影響を受けたことでも知られている人物です。
なぜ、マハンを出したのか。それは、マハンの海洋国家の定義に当てはめれば、キラルフィの主張はより理解できるからです(注1)。マハンは、海洋国家の条件として、(1)有利な地理的位置と自然条件 、(2)海岸線の長さと良港、 (3)その領域を守るのに十分な人口、(4)海洋に対する国民性、(5)政府の性格(政策などを含む)を掲げているのですが、この条件が、我が国には意外と当てはまらないのです。
例えば、「海洋に対する国民性」については、我が国の海洋への国民的関心は低く、鎖国論が繰り返し出てくることからも明らかでしょう。実際、古くは米の輸入自由化、近年ではTPPに代表される自由貿易への根強い反発や嫌悪を見ても、海洋というよりも“自給自足の陸上国家”へのこだわりが見て取れます。
歴史的に見ても、土地への異常とも言える執念に比べて、海へのそれは我が国の国民性においては、かなり低いと言えます。そもそも海洋国家では当然の移民は受け入れもしませんし、出ていきもしません。留学した人間の多くが日本に帰ってきてしまっています。首都の選定にしても、難波宮が若干の時期において使用されたことを除けば、ほとんどの首都は内陸部でした。鎌倉は純軍事的な理由で選ばれただけですし、その後、やっと沿岸部の江戸を選定したと思えば、その後に「鎖国」をしてしまっています。
「政府の性格」についても、ようやく8年前に海洋基本法が制定されたように、政府も伝統的に海洋政策への取組は小さなものにとどまっています。外国船によるEEZ内での資源探査を規制する法律も、2011年8月に61年ぶりに改定された改正鉱業法までほとんどありませんでしたし、話題にもほとんどなりませんでした。離島の衰退する人口問題に対する対策もまだまだですし、離島防衛もいまだ途上です。
そして、多くの海洋国家論者も、日本の海洋政策への取り組みを批判する形で、政府の政策が不足していると認めていることを忘れてはなりません。これは「海洋国家日本」というようなフレーズが頻出する論文や書籍を紐解いてみれば、多くの論者が「日本は海洋国家であるのに、必要な政策が不足している」と批判していることがほとんどであることからも明らかでしょう。
このように、「海洋に対する国民性」や「政府の性格」といった面では、我が国が海洋国家とは言えないことが分かりました。マハンが、地理や自然条件以外の要素も同様に重視すべきとしていたことを考えれば、このことからも日本は海洋国家とは言い難い存在でしょう。
地理的な条件を指す、「有利な地理的位置と自然条件」「海岸線の長さと良港」「その領域を守るのに十分な人口」にしても、日本は地質学的にはユーラシアプレートの一部もしくはユーラシア大陸の沿岸地帯という解釈も可能であり、必ずしも四方を海に囲まれという表現は当てはまりません。
実際、日本史を専門とする網野善彦先生は、歴史的に日本はアジア大陸の北方と南方を結ぶ架け橋であり、孤立した島国などではなく、周辺の大陸地域と密接に社会的、経済的、文化的に結びついていたと主張しています。実際、我が国は古代から朝鮮半島、シベリア、渤海国のような満州、東南アジアといった地域と密接に結びついてきましたし、米国との接触後もひたすらユーラシア大陸に向かって進出していきました。
日本は「レイクパワー国家」である
では、 日本が海洋国家でなければどのような存在なのでしょうか。歴史的・文化的に考えれば、海洋国家(シーパワー)と大陸国家(ランドパワー)の双方の性格を限定的に保有する、「レイクパワー国家」と位置付けるべきです。
なぜ、日本がレイクパワー国家であり、それがどのようなものなのか、そして、そう見做すのが国益になぜかなうかについては、次回に譲りたいと存じます。
(注1)
マハンの定義を我が国に当てはめるというアイディアは以下に拠るものである。
石津朋之「シー・パワー―その過去、現在、将来」立川京一、石津朋之、道下徳成、塚本勝也共編著『シー・パワー ―その理論と実践』芙蓉書房出版、2008年。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44021
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