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ラディカルな政治ということ
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2015-06-16 反戦な家づくり
ラディカリズムというと、原理主義とか過激主義と訳されることが多いが、そもそもラディカルというのは、根本的、根源的という意味だ。
原理主義とか急進主義というのは派生的な意味に過ぎない。
根本から全部ひとつの教義で規定しようとすれば原理主義だし、根本から一気に全部変えてしまえとなると急進主義ということになるのだろうが、それらは本質を語っていない。
一番大事なのは、根本的、根源的に考えること、理解すること、だ。
そのうえで、どうするかはその時代、状況によって判断すべきことであり、必ずしも原理主義や急進主義にはならない。
たとえば穏健ラジカルというやり方も、十分にありうるのである。
一般に人気があるのに、私が違和感を感じる言葉は、だいたいラジカルでないからだ。
改革、護憲、市民、リベラル ・・・・・
保守、革新、右翼、左翼 ・・・・・
どれもこれも、今の日本をラジカルに、根本的に理解しているとは思えないのだ。
言うまでも無いが、改革に違和感があるからと言って、今のままで良いとは思わないし、護憲に違和感があると言っても改憲には絶対反対だ。
しかし、どれもこれも、戦後の日本のおかれた状態から、あえて目をそらしているか、本当に見えなくなっているとしか思えないのだ。
戦後の日本は、侵略者としての罪業をあえて償うことなく、米国の植民地になった。
すねに傷を持つものは、支配しやすい。
反抗的になったら 「そんなこと言っていいのか」と黙らせることができる。
70年前に、侵略の罪を自ら償っていれば、こんなに永続的に植民地化され、抵抗の芽も出ないということにはならなかった。
責任者を自ら裁くこともできず、被害者への償いもほとんどせずに、「平和と民主主義」の仮面をかぶせられて、米国に対しては奴隷的に従属し、アジアに対しては奴隷頭として傲慢な経済侵略を行ってきた。
この根本的な構図を見ずに、「平和と民主主義」を守れ というスローガンを叫ぶのを聞くと、どうしても私は萎えてしまうのである。
もっともラディカルな問題とは、侵略の罪業を改めて償うことであり、それによって正々堂々と日本の独立を主張することだ。
右翼は前者を攻撃し、左翼は後者を攻撃することで、宗主国は何もせずに支配を維持することができた。
この忌まわしい構図を、ラディカルに衝いていくことが、もっとも大事なことなのである。
では どうするか。
自衛隊のクーデターで米軍を追い出すのか?
日本の国有資産をすべてかつての被侵略国に投げ出すのか?
もちろん、そんなことをするべきではない。
ラディカルとは、一気に変えるという意味は、本来持っていない。
圧倒的な力で植民地化され、「平和と民主主義」の仮面のおかげでほとんどの国民がそれに気がついていない現状。
そこから、どうやって立ち上がっていくのか。
一朝一夕でできるわけはない。
しかし、ラディカルな意味で戦後日本が破綻を始めたのは、沖縄だ。
オール沖縄の持つ意味は、とてつもなく大きい。
アジアの中の沖縄として、文化・観光・物流などを発展させていく方向を明確にしている。
まだまだ舵取りは難しいだろうけれども、侵略の反省と米国からの独立という根本問題を、突破していく希望が見えている。
ラディカルな目線は、かならず希望をもたらす。
今すぐの結果がともなわずとも、向かうべき方向を指し示すことができる。
今の日本の政治に必要なのは、そういうことではないのか。
しばらくは、本当に苦しい時代が続く。
戦争になり人が死ぬこともある。
できる限りの抵抗はしなければならないが、圧倒的な彼我の力の差は、すぐに埋まるものではない。
それが絶望的な抵抗、希望のない後先を考えない抵抗にならないためにも、見据えるべき未来を、進むべき方向を、ラディカルに提示しなければならないのだ。
本当の政治は、それをわかりやすく国民に示すことだ。
戦術的には、数合わせもあるだろうし、妥協もあるだろう。
しかし忘れてはいけないのは、ラディカルな希望を、常に提示し続けることだ。
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