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安倍政権の国会運営にとって維新「大阪組」の協力が不可欠だからだ
2015.06.16 大阪都構想住民投票の否決後も橋下氏を評価する論調が依然として続いているのはなぜか、 安倍政権の国会運営にとって維新「大阪組」の協力が不可欠だからだ、大阪都構想住民投票を分析する(その3)
〜関西から(167)〜
東京ではもう大阪都構想住民投票のことなど覚えている人はたいしていないだろうと思う。5月17日の投開票日から数日も経つと、関西でも眼に見えて「橋下マター」の関連記事が減った。でも時評欄やオピニオン欄などを見ると、「橋下復活」への期待がまだ衰えていないことに気づく。マスメディア各紙の論壇に起用されている政治学者たち(行政学者も含めて)の多くが依然として都構想を評価し、問題提起者である橋下氏の存在価値を認めているからだ。
このことは最近の国会情勢とも無関係ではない。安保法制議案の審議過程において集団的自衛権を容認する憲法解釈が悉く破綻し、参考人の3憲法学者がこれら法案を「違憲」と表明してから風向きが変わったにもかかわらず、安倍政権は法案成立を(絶対に)諦めていない。アメリカ上下両院総会で「夏までに成立」を約束した以上、あくまでも強硬路線を貫き与党単独採決も辞さない構えだと言われている。
しかし、安倍政権にとって問題はその先にある。与党単独採決が国民世論の大きな反発を呼び、これまで高水準で維持して来た内閣支持率が一挙に崩れるような状態は避けなければならない。さすれば、改憲容認の野党を巻き込んで強行採決の印象を薄めることが不可欠となる。その格好の標的とされているのが維新の党なのである。松野代表は民主との連携に重心があるように見受けられるが、橋下氏の影響下にある「大阪組」はそうではない。彼らは首相官邸とりわけ菅官房長官の指揮下にある事実上の「安倍側近グループ」だと見た方がよい。今日明日にも衆院で採決される予定の労働者派遣法改正案に維新の党が賛成するのは、全て菅氏の指示によるものだろう。
朝日新聞の解説記事(6月11日)はその事情を次のように言う。「維新の党が労働者派遣法改正案の採決に応じる形で安倍政権に協力した背景には、『大阪都構想』の住民投票にエールを送った安倍晋三首相らに対する大阪選出議員の『恩返し』があった。松野頼久代表は野党連携を掲げるが、『大阪組』との分裂を避けようと政権への協力を追認せざるを得なかった。(略)維新幹部は『大阪の議員にとって首相官邸に義理を果たす意味があった』と語り、5月17日の『大阪都構想』の住民投票で、橋下氏にエールを送った首相と菅義偉官房長官への『義理』だと説明する」と言った具合だ。
しかし私は、それに続く次の一節に注目したい。それは「大阪組が忠実に『義理』を果たすのは、『親政権』路線を維持しておく狙いもある。大阪組は『橋下氏を引退させない』(馬場伸幸国対委員長)と明言しており、橋下氏が国政進出を果たした暁には、政権との協力も視野に入れる。大阪組は憲法改正による統治機構改革にもこだわりが強く、改憲を目指す首相に期待している」との一節だ。つまり、大阪都構想住民投票は「大阪のかたち」を変えるといった単なる一地方レベルの話ではなく、「国のかたち」を変える改憲策動の前哨戦としての性格が濃厚だったということだ。そして都構想は否決されたものの、安倍政権は都構想支援と引き換えに、国会での維新大阪組の協力を得るという大きな見返りを得たのである。
大阪都構想住民投票後の論壇政治学者たちの論評に共通する著しい特徴は、かくの如き住民投票をめぐる政治的背景を一切捨象して純粋に「大阪のかたち=大阪マター」に限定して話を進め、しかも「どっちもどっち論」で橋下氏を免罪する点にある。たとえば、毎日新聞「関西政治ウォッチ」のコラムを書いている待鳥聡史京大教授(比較政治学)は、「大規模な住民投票まで行いながら、政策論としては十分に深まらない印象が残った。大阪を中心とする関西圏は、とくに社会と経済の活気という点で長期低落傾向にある。そこで多くの人は、自治体の持つ財源や人材を活用し、活気を取り戻そうという発想を抱いてきた。都構想はその具体的な方法の一つという面を持っていた。大阪の場合、経済圏や生活圏に比べて大阪市が狭すぎ、そのことが的確な活性化策を妨げてきたのではないか、と言う問題提起は、完全に否定されるべきではないだろう」(毎日新聞、5月29日)などと論評する。
また若手の砂原庸介阪大準教授(行政学)も同様に、「橋下大阪市長の「『大阪都構想』の当初の狙いは、大阪市と周辺市を統合して再編し、周辺部と負担を共有しながら集権的に中心部への重点投資を可能にする」ことをまず前提に置き、「中心部の活性化には、どこからかお金を持ってくるしかない」、「活力を取り戻すことを目指して『集権』を図ることと、効率的な住民サービスを行うための『分権』を両立させることは難しい」、「大阪維新の会も反対した党も、『どちらもやります』と言っていたのでは議論にならない」として、「今回の住民投票では、都構想の細かな制度案、つまり『手段』ばかりが語られ、その手段を用いてどういう大阪にしたいのか、という『目的』が語られなかった」と総括するのである(同上)。
これは各紙社説にも共通するが、橋下氏にとっては大変都合のいい論評であり、悪いのは橋下市長ではなく「大阪をどうするか」を語らなかった各政党にあるということになる。しかし事態は逆なのではないか。彼らが住民投票否決の政治的意義を語らなかったことこそが、結果として橋下市長を免罪し、「引退」表明をした橋下氏の復活を期待させる方向に世論を「ミスリード」していると言わなければならないのである。
大阪都構想の住民投票においてなぜ賛成・反対の差がこれほど僅差だったのか、7年有余に亘る橋下府市政(悪政)の実態を知るものにとっては不思議でならなかった。私はその原因を、マスメディア報道や論壇学者たちの都構想賛成派をあたかも「市政改革派」、反対派を「市政守旧派」の如く扱う論調に求め、その背景にある都構想住民投票を「統治機構改革=道州制導入」の突破口にしたいとする体制側(支配権力)の意図の存在を指摘して来た。
しかし今国会における安倍政権の強引な国会運営を見るとき、大阪都構想住民投票の事実上の推進力は実は安倍政権それ自体であり、橋下市長や維新大阪組はその代理人(エージェント)に過ぎなかったことに思い当たる。つまり、大阪市民は強大な国家権力そのもの(安倍政権)と真正面から対峙して戦ったのであり、それゆえにこそ苦戦を強いられたのである。だからこそ、その勝利は僅差であったといえ、いくら評価してもし切れるものではないのである。
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
東京ではもう大阪都構想住民投票のことなど覚えている人はたいしていないだろうと思う。5月17日の投開票日から数日も経つと、関西でも眼に見えて「橋下マター」の関連記事が減った。でも時評欄やオピニオン欄などを見ると、「橋下復活」への期待がまだ衰えていないことに気づく。マスメディア各紙の論壇に起用されている政治学者たち(行政学者も含めて)の多くが依然として都構想を評価し、問題提起者である橋下氏の存在価値を認めているからだ。
このことは最近の国会情勢とも無関係ではない。安保法制議案の審議過程において集団的自衛権を容認する憲法解釈が悉く破綻し、参考人の3憲法学者がこれら法案を「違憲」と表明してから風向きが変わったにもかかわらず、安倍政権は法案成立を(絶対に)諦めていない。アメリカ上下両院総会で「夏までに成立」を約束した以上、あくまでも強硬路線を貫き与党単独採決も辞さない構えだと言われている。
しかし、安倍政権にとって問題はその先にある。与党単独採決が国民世論の大きな反発を呼び、これまで高水準で維持して来た内閣支持率が一挙に崩れるような状態は避けなければならない。さすれば、改憲容認の野党を巻き込んで強行採決の印象を薄めることが不可欠となる。その格好の標的とされているのが維新の党なのである。松野代表は民主との連携に重心があるように見受けられるが、橋下氏の影響下にある「大阪組」はそうではない。彼らは首相官邸とりわけ菅官房長官の指揮下にある事実上の「安倍側近グループ」だと見た方がよい。今日明日にも衆院で採決される予定の労働者派遣法改正案に維新の党が賛成するのは、全て菅氏の指示によるものだろう。
朝日新聞の解説記事(6月11日)はその事情を次のように言う。「維新の党が労働者派遣法改正案の採決に応じる形で安倍政権に協力した背景には、『大阪都構想』の住民投票にエールを送った安倍晋三首相らに対する大阪選出議員の『恩返し』があった。松野頼久代表は野党連携を掲げるが、『大阪組』との分裂を避けようと政権への協力を追認せざるを得なかった。(略)維新幹部は『大阪の議員にとって首相官邸に義理を果たす意味があった』と語り、5月17日の『大阪都構想』の住民投票で、橋下氏にエールを送った首相と菅義偉官房長官への『義理』だと説明する」と言った具合だ。
しかし私は、それに続く次の一節に注目したい。それは「大阪組が忠実に『義理』を果たすのは、『親政権』路線を維持しておく狙いもある。大阪組は『橋下氏を引退させない』(馬場伸幸国対委員長)と明言しており、橋下氏が国政進出を果たした暁には、政権との協力も視野に入れる。大阪組は憲法改正による統治機構改革にもこだわりが強く、改憲を目指す首相に期待している」との一節だ。つまり、大阪都構想住民投票は「大阪のかたち」を変えるといった単なる一地方レベルの話ではなく、「国のかたち」を変える改憲策動の前哨戦としての性格が濃厚だったということだ。そして都構想は否決されたものの、安倍政権は都構想支援と引き換えに、国会での維新大阪組の協力を得るという大きな見返りを得たのである。
大阪都構想住民投票後の論壇政治学者たちの論評に共通する著しい特徴は、かくの如き住民投票をめぐる政治的背景を一切捨象して純粋に「大阪のかたち=大阪マター」に限定して話を進め、しかも「どっちもどっち論」で橋下氏を免罪する点にある。たとえば、毎日新聞「関西政治ウォッチ」のコラムを書いている待鳥聡史京大教授(比較政治学)は、「大規模な住民投票まで行いながら、政策論としては十分に深まらない印象が残った。大阪を中心とする関西圏は、とくに社会と経済の活気という点で長期低落傾向にある。そこで多くの人は、自治体の持つ財源や人材を活用し、活気を取り戻そうという発想を抱いてきた。都構想はその具体的な方法の一つという面を持っていた。大阪の場合、経済圏や生活圏に比べて大阪市が狭すぎ、そのことが的確な活性化策を妨げてきたのではないか、と言う問題提起は、完全に否定されるべきではないだろう」(毎日新聞、5月29日)などと論評する。
また若手の砂原庸介阪大準教授(行政学)も同様に、「橋下大阪市長の「『大阪都構想』の当初の狙いは、大阪市と周辺市を統合して再編し、周辺部と負担を共有しながら集権的に中心部への重点投資を可能にする」ことをまず前提に置き、「中心部の活性化には、どこからかお金を持ってくるしかない」、「活力を取り戻すことを目指して『集権』を図ることと、効率的な住民サービスを行うための『分権』を両立させることは難しい」、「大阪維新の会も反対した党も、『どちらもやります』と言っていたのでは議論にならない」として、「今回の住民投票では、都構想の細かな制度案、つまり『手段』ばかりが語られ、その手段を用いてどういう大阪にしたいのか、という『目的』が語られなかった」と総括するのである(同上)。
これは各紙社説にも共通するが、橋下氏にとっては大変都合のいい論評であり、悪いのは橋下市長ではなく「大阪をどうするか」を語らなかった各政党にあるということになる。しかし事態は逆なのではないか。彼らが住民投票否決の政治的意義を語らなかったことこそが、結果として橋下市長を免罪し、「引退」表明をした橋下氏の復活を期待させる方向に世論を「ミスリード」していると言わなければならないのである。
大阪都構想の住民投票においてなぜ賛成・反対の差がこれほど僅差だったのか、7年有余に亘る橋下府市政(悪政)の実態を知るものにとっては不思議でならなかった。私はその原因を、マスメディア報道や論壇学者たちの都構想賛成派をあたかも「市政改革派」、反対派を「市政守旧派」の如く扱う論調に求め、その背景にある都構想住民投票を「統治機構改革=道州制導入」の突破口にしたいとする体制側(支配権力)の意図の存在を指摘して来た。
しかし今国会における安倍政権の強引な国会運営を見るとき、大阪都構想住民投票の事実上の推進力は実は安倍政権それ自体であり、橋下市長や維新大阪組はその代理人(エージェント)に過ぎなかったことに思い当たる。つまり、大阪市民は強大な国家権力そのもの(安倍政権)と真正面から対峙して戦ったのであり、それゆえにこそ苦戦を強いられたのである。だからこそ、その勝利は僅差であったといえ、いくら評価してもし切れるものではないのである。
リベラル21(http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-3212.html)から転載
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