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[今を読み解く]日韓関係と歴史認識問題 相手の考え知る努力を
神戸大学教授 木村幹
日本の現代史にとって1964年は一つのメルクマールとなった年だった。この年、日本国内では、東京と大阪の間で新幹線が開通し、続いて東京オリンピックが開催された。国際的にも、日本は念願の経済協力開発機構(OECD)加盟を実現し、「アジアで唯一の先進国」としての地位を着々と固めつつあった時期である。戦争直後の悲惨な生活は過去のものとなり、人々は自らが享受する高度経済成長を永遠に続くようにさえ思っていた。
政治や社会、国際環境まで幅広く目配りしてこそ深い理解ができる
日韓両国が国交を回復したのはこの翌年、65年のことである。しかし、それから50年の間に、両国関係は大きく変化した。
とりわけ重要だったのは、韓国側の変化である。50年前の韓国は1人当たりの国内総生産(GDP)が名目で100ドルにも満たない貧しい発展途上国であり、朝鮮戦争終結から12年を経た当時においても、敵対する北朝鮮に比べ、圧倒的な軍事的劣位に置かれていた。加えて、60年の初代大統領李承晩による政権の崩壊と、その後の混乱の中で行われた朴正熙の軍事クーデタは、ただでさえ不安定な同国の存立基盤さえ脅かしかねない状況を作り出していた。
●「押しつけ」に不満
65年に結ばれた日韓基本条約は、このような両国の大きな力の開きを前提に作られたものである。だからこそ、これを強大な力を持つ日本に「押しつけられた」形になった韓国では、その後もこの条約とそれに支えられた体制に対する深い不満が残ることとなった。そして、このような不満はやがて、韓国が劇的な経済発展を果たし、自らの国力に自信を持つようになると、いわゆる「歴史認識問題」として噴出することとなる。
服部龍二『歴史認識』(岩波新書・2015年)は、こうして生まれた日韓両国間の歴史認識問題について、外交史家としての立場から丁寧に記述した良書である。
元来が日本外交史の専門である服部は、情報公開により得られた当時の政府関係者の書簡や新聞記事を基礎にして、それを河野洋平元官房長官や当時の外交官僚に対する豊富なインタビューにより補う形で著作を構成している。その記述からは、従軍慰安婦問題を巡る河野談話やアジア女性基金の成立過程に対する、単なる外交的経緯の記述を超えた各々(おのおの)の政策当局者間の見解のずれも垣間見ることができ、この問題の複雑さを印象的に描き出すことに成功している。
とはいえ、日韓関係を理解するためには、外交関係、とりわけ日本側の努力を知るだけでは十分ではない。日韓両国の関係の背後に、その時々における両国の政治・社会的状況、さらには国際環境が色濃く反映されているからである。その意味において、伊藤正子『戦争記憶の政治学』(平凡社・13年)は、韓国において自らを巡る「歴史認識問題」がどのように考えられ、解決に向けての努力がどのように行われているかを示す、貴重な視座を提供するものとなっている。
●「謝罪」のイメージ
知られているように、アメリカとともにベトナム戦争を戦った韓国は、韓国軍が現地に残した残留遺児等、様々な問題をベトナムとの間に抱えている。伊藤書は、この問題の解決のために、主として韓国の進歩的な団体が行ってきた努力について記したものである。我々はそこに、謝罪の対象であるベトナム側の意図さえ越え、自らの歴史における「負の部分」を積極的に曝(さら)け出すことにより、相手側の許しを乞おうとする、韓国の一部の人々の試みを知ることができる。そこには彼らが日本人に求める「謝罪」のイメージが現れている。
結局、日韓関係を考える上での一つの重要なポイントは、韓国の人々が何を考えているのかを知ることである。その意味で有益なのは、2人のジャーナリストの著作であろう。若宮啓文『日韓の未来をつくる』(慶応義塾大学出版会・15年)は、韓国の第一線で活躍する人々が今の日韓関係をどのように見ているかを丁寧なインタビュー調査でまとめた。
一方、澤田克己『韓国「反日」の真相』(文春新書・15年)は、今日の韓国の「歴史認識」の背後にある固有の思考パターンについて、儒教文化の観点から大胆に読み解こうと試みている。同書の考察は、その適否を含めて今日の日韓関係を考える一つの基盤となるだろう。
[日経新聞6月14日朝刊P.21]
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