以前、元慶応大学講師の近藤誠医師が書いた「クスリに殺されない47の心得」(アスコム)という本をご紹介したことがある。その第1章冒頭に夕張市の例が取り上げられている。
財政破綻した夕張市では市立病院も連鎖破綻、市内に病院がなくなり市立の診療所だけになってしまった。かつて171床あったベッド数は19床へと激減した。
まさに医療崩壊という事態に直面してしまったわけだが、市民の健康に深刻な問題が発生したかと言えば、そうではなかった。
逆に、日本人の三大死因であるがん、心臓病、肺炎で亡くなる人が減り、多くのお年寄りが自宅で老衰で亡くなるようになったという。高齢者1人当たりの年間医療費も80万円から70万円へと減った。
この実例から日本の医療の問題点と解決策がはっきりと見えてくる。
今回は、その夕張市で市立診療所の所長を務めた森田洋之さんにインタビューした。森田さんは一橋大学を卒業後いったんは公認会計士を目指したものの阪神・淡路大震災を契機に医者になることを決意、医学部に入り直した異色の医師である。
現在は鹿児島市で実際に患者を診るかたわら南日本ヘルスリサーチラボ代表として日本の医療問題の研究にも取り組んでいる。
公立病院が介護施設代わりに?
横浜生まれ。一橋大学経済学部を卒業後、宮崎医科大学医学部に入学。北海道夕張市立診療所所長を経て、現在は鹿児島県で研究・執筆を中心に活動。専門は在宅医療・地域医療・医療政策など。2012年には医事新報で「夕張希望の杜の軌跡」を1年間連載。日本内科学会認定内科医、日本医師会認定産業医、日本ヘリコバクター学会H.pylori(ピロリ菌)感染症認定医。
川嶋 森田先生は、財政破綻した北海道の夕張市で、市立診療所の所長を務めていらっしゃいました。市の財政破綻に伴って市立の総合病院も経営破綻したわけですが、そういう町の診療所というのは大変だったと思います。
その後も日本各地で公立病院が経営難に陥っています。なぜ公立病院は経営難に陥ってしまうのでしょうか。
森田 中小規模の公立病院が抱える問題の1つに、比較的多くの入院患者が寝たきりの高齢者という介護施設的な位置づけになってしまっていることがあります。
なぜかと言うと、介護施設の入所基準は厳しくて、入りたくてもすぐには入れない。しかし、病院は療養病床のベッドが空いていればすぐに入れてくれる。
通常、療養病床は1人当たりの医療報酬が低く抑えられていますが、医師も少なくていいので、それだけやるのであれば経営は一応成り立ちます。
しかし、公立病院は療養型病院ではなく、一般病院と謳っているところが多いので、医師も職員もそれなりに雇わなくてはならない。だから赤字体質になりやすいのです。
森田 本来の公立病院は治療や手術を行う急性期医療を担うもので、住民はそれを求めているはずなのですが、実情はと言うと、老人病院になってしまっているケースが多い。それが公立病院のジレンマになっている現状があります。
加えて、ここにきてさらに公立病院の淘汰が進むような状況になっています。この3月末に総務省から「新公立病院改革ガイドライン」が出され、地方公共団体に通知されたのです。
地方交付税による財政支援を切り詰める方向で、はっきりと「公立病院の役割を従来にも増して精査する」と書かれています。赤字の公立病院にとっては厳しい内容です。
世界でダントツに病床数が多い日本
川嶋 そういう淘汰の波は中小規模の民間病院にも及んでいるのでしょうか。
森田 それが興味深い数字がありまして、実は病床数は都道府県によって大きな差があるのです。
たとえば人口10万人当たりの病床数で見ると、高知県は約2400床なのに対し、神奈川県は800床ちょっと。しかも病床数が多いほど1人当たりの医療費がかかる。これはきれいに正比例します。
ちなみに、海外と比較すると日本は非常に病床数が多い。英国やドイツなどの先進国の場合、人口10万人当たりの病床数はだいたい200〜300床です。つまり病床数はどの程度が適正かという正解はないんです。
(出所:神奈川県医療費適正化に関するデータ分析「病床数の状況(平成25年度)」)
森田 それに、普通は同業者が多いと過当競争になって質が悪いところからつぶれていくじゃないですか。でも1人当たりの医療費がこれだけあるということは、病院がいっぱいあって病床数が多くてもつぶれていないということなんです。
しかも規模の経済でもない。一つひとつの病院は小さくて中小企業みたいなものです。それでも高齢化は進んでいくので患者は途絶えない。そして、病院はすぐ高齢者をすぐ受け入れてくれる。その日にでも入院させてくれますから。
これは誰が悪いということではなく、病院が困ったときの駆け込み寺のようになっている状況があります。そうやって頼らざるを得ない国民がいて、それを受け入れる病院がある。
川嶋 そうした日本の医療システムの問題は、実は国民が作ってしまった一面があるということですね。
これからは予防医療へのシフトを
森田 病床数の適正規模に正解はありませんが、少なくとも今の医療水準を今後も維持していくのは不可能だということはほぼ確かです。持続可能な社会をどう構築するか、私たちは子供たちにそれを説明する責任があるけれど、今は何も説明できていない。
川嶋 そう考えると、根本から考え直さないといけないわけですね。
森田 だから、これからの日本の医療は病院に頼るだけではなく、病気にならないための予防医療を考えることが重要だと思っています。これは自分の夕張での経験からも言えます。
予防は結果が出るまで時間がかかるので、それで医療費が減ったということまでは言えませんが、肺炎予防で肺炎は減っていますし、病院がなくなっても健康被害がなかったことの裏には夕張市民の予防意識があったのではないかと思います。
ここで言っておきたいのは、医療は万能ではないということです。こういう話をすると、おまえは医療を否定するのかと言われるんですが、医療は有用なものだけれども万能ではない。万能だと思うと人は依存してしまいます。
発展途上国の医療支援でバイブルのようになっている『医者のいないところで 村の健康管理ハンドブック』というのがあって、その中にこういうことに気をつけなさいということが書かれている。
森田 たとえば、村人が下痢になったり風邪をひいたりした時に、医師がそのつど薬を出すと、住民は依存してしまう。つまり次また同じ症状になった時に薬がないと助からないと思ってしまうわけです。
そうではなくて、下痢の原因が生水だとすれば、水を沸かすことや、料理にきちんと火を通すことを教える。風邪についても、衛生環境や寒暖の差に気をつけるといった知識を与える。一緒に考えていこうよという姿勢が必要なんです。
ところが、いまの医療はすぐに薬を与える。患者さんの家族も、お医者さんにお任せしてとりあえず病院に預けておこうと。
川嶋 日本は明らかにそうですね。
ベッドで管につながれる高齢者は幸せか?
森田 結局、今の医療、高齢になって入院してベッドで管につながれる医療というのは、昔はごく一部だったんですが、現在はかなりの割合になっている。それは高齢者が増えたことと、病院にお任せという意識が国民から抜けないからです。
お任せされると医師も生かすためには管をつながざるを得ない。でも、これから必要なのは、本当にそれでいいのかをみんなで考えていこうということです。
最近、『ご飯が食べられなくなったらどうしますか? 永源寺の地域まるごとケア』という本が出て話題になっています。滋賀県東近江市永源寺診療所長の方が出版されたものです。
そこでは70〜80歳の患者さんにまだ元気な時から、先生が聞くんです。ご飯が食べられなくなったらどうしますかと。家族とも相談する。
川嶋 なるほど。家族も含めたコンサルテーションをして希望を聞いておいて、いざという時はそれに基づいて判断すると。
森田 そうです。それでこの地区では現在、在宅看取り率が約5割に達している。福井県おおい町名田庄診療所にも同じように取り組んでいる医師がいます。ここは研修医の受け入れも積極的で、大学とも連携してモデル地域にして広げようとしています。
勘違いしていただきたくないのは、これは医療の切り捨てではなく、国民の意識を変革する取り組みだということです。そして、議論を尽くした先に、自分は管につながれても長生きしたいという人がいるなら、それはそれでいいと思います。
川嶋 そうですね。逆に言うと、それで国民のコンセンサスができたら、そういう医療は保険ではなく自己負担です、と言うこともできますね。
市民にも医師にも起きている変化
森田 まずは議論をすることが大事で、徐々に関心も高まってきています。たとえば『「平穏死」のすすめ』や『大往生したけりゃ医療とかかわるな』といった本が売れている。
昨年、TEDxKagoshimaというスピーチフォーラムで「医療崩壊のすすめ」というテーマで話をしたのですが、その内容が掲載された記事に12万も「いいね」がついたのは驚きでした。それもこれも日本人の意識が変化し始めていることの表れだと思います。
誤解がないように申し上げたいのは、先端医療は必要だということです。これは本当に大事です。その上で、もう1つの医療はどうあるべきかを考えると、やはり家庭医です。
患者さんの顔と病歴とが一致するような医師が、地域にずっと根を張っていくという姿が理想だと僕は思います。病気だけではなく患者さんの生活にも目を配れるような。
川嶋 そういう話は昔からあるのに、なかなか進みませんね。
森田 ただ、最近は若手の医師に総合医や家庭医を目指す人が増えてきています。10年ほど前に研修医制度が変わったのですが、それ以前は医大を卒業して国家試験に合格すると、すぐに外科や産婦人科という専門別の医局に入った。
ところが現在の研修医制度では、最初の2年間は内科、外科、精神科、麻酔科、産婦人科、地域医療・・・というようにすべての診療科を回る。そこでかなり意識が変わる医師が多くなりました。
この2年間の初期研修の後にどの医局に行くかを決めるんですが、総合診療科を選ぶ人が増えてきています。
マクロ経済の視点を医療の変革に生かす”異端児”
川嶋 ところで、森田先生は医学部の前に一橋大学の経済学部を卒業されているという変わり種ですよね。
森田 最初は公認会計士になるための勉強をしていたんですが、何かおもしろくないと感じるようになってしまった。ちょうどその頃に阪神・淡路大震災が起き、半年ぐらい仮設住宅のバイトに行って建設現場の仕事をしたのです。
それで被災地で炊き出しをしている時などに、たまにお医者さんが来るわけです。それこそ『Dr. コトー診療所』のような世界で、気さくに話を聞いたりしてくれたりして、そういう姿を見て医師になろうと医大に入り直しました。
川嶋 財政破綻した夕張の診療所に行こうと思ったのはなぜですか。
森田 やはり阪神・淡路大震災の時に目にした全人的な医療、いわゆる病気だけではなく、その人の生活も含めた医療に取り組みたいと思ったのが理由の1つ。
もう1つは、財政破綻で町から病院がなくなることでどういう変化が起きるのか、経済学的な観点から興味があった。病院があって安心だったところで、病院がなくなるというケースはそれまでほとんどなかったわけです。
そこで夕張市全体の医療費がどうなっているのか、市の財政はどうなるのか、死亡率はどうなるのかを分析したいと考え、その結果を「夕張市の高齢者1人あたり診療費減少に対する要因分析」としてまとめました。
大学でマクロ経済を学んでいたので全体を見るクセがついていたからかもしれません。患者さんを診る虫の視点も大事だし、全体を俯瞰する鳥の視点も大事だと。
川嶋 経済を学んだというバックボーンがあったからできたことですね。医療界では異端児かもしれませんが、とても大事な異端児ですね。
森田 同じことをやっている人は少ないので確かに異端児かもしれません。私自身はこれが世の中にとって大事なことだと思い、しかも楽しいからやっています。ただ、価値があるかどうかは世間が判断し評価することです。
今は夕張から戻って丸2年で、非常勤で在宅医療をやったり、外来をやりながら研究や講演活動をしています。どこかで固定されるより、自由度を持って全体が見えるような位置にいるのが好きなんですね。
川嶋 それは今までにない役割ですね。
森田 私に役割が1つあるとすれば、自分が知り得たことを広く市民に訴え、知ってもらうことだと思っています。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43808
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