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憲法=民主主義と勘違いしてきた日本人
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2015-06-11 反戦な家づくり
なんだか極右が喜びそうなタイトルだが、その意味はこういうことだ。
70年前に戦争が終わったとき、日本には民主主義のかけらもなかった。
ただ、民主主義を作ろうという熱意だけはあった。
そこに、日本列島(なかでも沖縄)を基地の島にしたい米国が、日本を武装解除する方針を持ってきた。
駐留する米軍にとって危険なファシストを絶滅するために、民主主義的な手続きも実施されることになった。
日本に民主主義を作りたいと思った人たちは、きわめて不完全ながらも、米国の提示した憲法を「使える」と判断した。
まだ憲法を作るための民主主義がない日本において、今から民主主義を作るための時間を稼げる と判断した。
こうして、1948年 米国起草でありつつ日本の民主主義者の支持を得た日本国憲法が成立した。
しかし、成立してしまってからは、「稼いだ時間で、これから民主主義を作るんだ」という熱意が急速に失われていった。
それどころか、憲法=民主主義と勘違いし、もうこれで日本は民主主義の国になったのだと、浮かれてしまった。
以来70年近くのあいだ、憲法によって暫定的に保証された「自由時間」を、これから民主主義を作ることに費やすのではなく、のんべんだらりと「戦後民主主義」を享受してきてしまった。
宗主国である米国や、戦前を引き継ぐファシズムとの「停戦協定」であった日本国憲法を、まるで永遠に続く魔法のように思い込み、これさえあれば大丈夫とニコニコ暮らしてきた。
しかし、停戦協定の有効期限は、何もしなければ早晩やってくる。
それは、宗主国=米国と、ファシスト勢力との対立関係が終わるときだ。
ファシストが本当に絶滅するか、両者が妥協するか が憲法が有効に機能する期限だった。
それまでに、日本人は民主主義の感性と作法を身につけ、容易にひっくり返されない実力をつけていなかればならなかった。
しかし、ほとんど何もせずに、憲法さえ護っていれば大丈夫と信じて疑わず、その結果、大多数の人はそんな問題が横たわっていることすら気がつかず、政治にも民主主義にも何の関心も失っていった。
今、オバマと安倍晋三の関係は、まさに宗主国とファシストの妥協そのものだ。
軍隊を単独で維持できなくなった米国は、危険なファシストであると知りながら、安倍晋三を使って自衛隊を米軍の傭兵化し、異次元緩和で無尽蔵にカネを刷って貢がせるしかなくなっている。
オバマ個人は嫌で嫌でたまらないが、米国の破産寸前の現実は、選択の余地がない。
その妥協が成立した瞬間、憲法は無力化してしまった。
70年かけて強力に補強すべきだった憲法は、憲法大好きな人にも、大嫌いな人にも、無関心な人にも、ずっと皆から放置され、今この修羅場に投げ出された。
70年前以上に民主主義の熱さえ残っていない今日、憲法という言葉の羅列は、為政者によって「拘らない」「新法に沿わせる」とまで言われ、抵抗する術もない。
憲法違反だ!と叫んでみたところで、敵は最初から守る気は無いのだから、なんとも思いはしない。
遅きに失したとはいえ、今からでも「民主主義を作るんだ」という気概を持つしかない。
言い換えれば、日本には民主主義なんて無かったのに、「憲法ができたから日本は民主主義だ」と思い込み、それを作るための時間を無為に過ごしてしまったことを、私たち自身が痛切に反省することからしか、始まりはしない。
誰かがやってくれるのではない。
偉い政治家がやってくれるのでもない。
勇気ある活動家がやってくれるのでもない。
私たちひとり一人が、誰かを頼って動かなかったことが、今日の安倍一族の跳梁跋扈を許しているのだ。
羽仁五郎氏が言うとおり 「君の心が戦争を起こす」 のである。
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