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戦後70年首相談話懇談会プレゼン資料:「日本は、戦後70年、韓国とどのような和解の道を歩んできたか」平岩俊司氏
http://www.asyura2.com/15/senkyo186/msg/447.html
投稿者 あっしら 日時 2015 年 6 月 10 日 03:14:17: Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: 戦後70年首相談話懇談会第5回議事要旨:安倍首相を「歴史修正主義者」と見る米国の識者もいるので談話により払拭をとの声 投稿者 あっしら 日時 2015 年 6 月 10 日 03:11:28)


「日本は、戦後70年、韓国とどのような和解の道を歩んできたか」
平岩俊司(関西学院大学国際学部教授)

はじめに

・日韓関係について整理・・・国交正常化まで、国交正常化以降、そして今後
・日韓関係を規定するもの・・・韓国の対日姿勢、国際情勢、韓国政権の性格など
・日本の試みについて・・・これまでの評価、今後の課題

1.植民地統治,終戦、そして日韓国交正常化

・日韓併合・・・35年間におよぶ日本の植民地統治(1910〜45年)
・第二次世界大戦の終焉・・・朝鮮半島の解放と分断
・朝鮮半島の政権担当者にとっての“独立”・・・日本は“克服”の対象
・冷戦と朝鮮半島・・・政権の正統性を争う南北→日本との向き合い方
・李承晩政権とサンフランシスコ平和会議・・・韓国の条約署名参加要請は拒否
・韓国の葛藤・・・日本は「克服の対象(「心情」)」であり「協力の対象(「理性」)」
・日韓国交正常化(1965.6)・・・予備会談(1951.10)〜、7次14年におよぶ交渉
*韓国の対日姿勢・・・「心情」と「理性」、国際関係、政権の性格、北朝鮮要因

2.冷戦と日韓関係

・朴正煕政権→強力なリーダーシップ、安保、経済面からの「理性」的選択
・残される「心情」→歴史問題、竹島問題は「管理」の対象
・金大中事件と大統領暗殺未遂事件・・・日韓関係の動揺→冷戦を背景→「修復」
・新冷戦と全斗煥政権・・・安保経済協力と中曽根政権→全斗煥大統領の初訪日
・教科書問題(1982)・・・国民の「心情」については依然として「管理」
・ソウルオリンピック(1988)の成功・・・韓国の国際的地位の向上と冷戦の終焉
・河野談話(1993.08)・・・歴代政権が「踏襲」
・アジア女性基金(1995.07〜)と村山総理談話(1995.08)
*小渕・金大中日韓パートナーシップ宣言(1998.10)
「過去の両国の関係を総括し、現在の友好協力関係を再確認するとともに、未来のあるべき両国関係について意見を交換した」。
「両首脳は日韓両国が、自由・民主主義、市場経済という普遍的理念に立脚した協力関係を、両国国民間の広範な交流と相互理解に基づいて今後更に発展させていくとの決意を表明した」。

3.韓国の民主化と冷戦の終焉

・ワールドカップ共催(2002)と韓流ブーム・・・肯定的側面と否定的側面
・相手に対する双方の“誤解”・・・“共有したはずの価値観”についてのズレ
・盧武鉉政権の発足(2003.02)小泉政権・・・「未来志向」、シャトル外交
・386世代の台頭・・・世論の影響力→韓国社会の「心情」の表出
・日韓歴史共同研究(第1期:2002.05〜2005.06、第2期:2007.06〜2010.03)
・盧武鉉大統領の3.1記念式典演説(2005)・・・“謝罪と反省、賠償の要求”
・小泉談話(2005.08)・・・村山談話を「踏襲」
・李明博政権(2008〜2013)・・・経済大統領としての「理性」的選択に期待
・日韓新時代共同研究(第1期:2009.02〜2010.10、第2期2011.12〜2013.12)
・韓国憲法裁判所の判決(2011.08)・・・“具体的解決のために努力していない”
・野田・李明博京都会談(2011.12)・・・日本に対する「誠意」要求
・日韓秘密情報保護協定問題(2012.06)・・・延期→「心情」と「理性」の混乱
・李明博大統領の竹島上陸(2012.08)・・・複雑化する日韓関係
*日韓関係の構造的変化・・・冷戦の終焉、韓国における民主化、韓国にとっての日本の役割の“変化”、双方の相手に対する“誤解”、そして日本の姿勢

4.日韓国交正常化50年の意味

・朴槿恵政権に対する期待・・・しかし、政権発足当初から厳しい日韓関係
・朴槿惠政権の対日姿勢・・・歴史問題、韓国挺身隊問題対策協議会
・韓国におけるG2論・・・中国傾斜→経済関係と統一問題
・日本の存在・・・東アジアにおける日本との関係→“競争”関係
・日韓関係の“組み替え”・・・「65年体制」を前提とする“対等な関係”へ
*日韓首脳会談を目指す動き・・・外相会談、防衛相会談、日米韓、日中韓など

おわりに

・朴槿恵大統領・・・歴史・領土問題と安全保障・経済問題→「2トラック戦略」
・「理性」・・・具体的協力の促進、同時に日韓関係の重要性の再定義の必要性
・「心情」・・・個別対応への積極的姿勢、同時に日韓共同で検討する必要性

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/dai5/siryou2.pdf

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(3)ついで、平岩俊司関西学院大学教授から、「日本は、戦後70年、韓国とどのような和解の道を歩んできたか」というテーマの下、概要以下の発表があった。

本日は、「日本は、戦後70年、韓国とどのような和解の道を歩んできたか」というテーマについて発表を行うが、現在の日韓関係は、和解の道を歩んできたことがイメージしにくい様な状況が続いている。本年は戦後70周年であると同時に、韓国との関係では、1965年に行われた日韓国交正常化の50周年にも当たる。そういった観点から、これまでの歴史を、日韓国交正常化までの時期、及び、日韓国交正常化から現在までの時期、今後、という三つの時期に分けて整理したい。その際、その時々の日韓関係がどのような要因で規定されていたか、例えば、韓国の対日姿勢、その時々の国際関係、韓国の政権の性格等によって規定されていくが、こうした要因を意識しながらまとめていき、最後に日本の姿勢について評価をし、今後の課題についても述べる。

レジュメに基づき、「植民地統治、終戦、そして日韓国交正常化」から始める。1910年から45年までの35年間、朝鮮半島は日本の植民地統治下にあった。改めて指摘するまでもなく、朝鮮半島の人々が日本に対して特別な感覚を持つのはこのためである。こうした経験を乗り越えて両者が和解をしていくためには、双方の忍耐と妥協が必要であることは、欧米の経験、或いは、日米の経験が教えるところである。他方、朝鮮半島と日本の関係はより複雑であり、第二次世界大戦の終結により朝鮮半島は解放されたが、どの政治グループが中心となるかがわからなかったため、米国とソ連の軍政の下に置かれ、朝鮮の人々が直ちに独立をすることにはならなかった。それゆえ、真の意味で朝鮮の人々が独立を勝ち取るためには、植民地統治を行ってきた日本を克服し、否定しなければならなかった。更に、冷戦を背景として朝鮮半島が分断されてしまったため、韓国と北朝鮮の間で立場の違いが生じた。社会主義陣営に属した北朝鮮では、日本を否定することが東西冷戦と同じ文脈、同じ方向に位置づけられていた。しかし、韓国にとって、日本は、否定、克服する対象ではあったが、同時に、西側陣営の一員として協力しなければならない対象でもあり、ねじれが生じた状態であった。本来、韓国は、日本が主権を回復するサンフランシスコ講和会議に参加し、条約に署名して戦勝国として日本と向き合いたかったのであろうが、拒否されてしまう。これにより、韓国は更に日本に対して複雑な立場に追い込まれるようになる。理性的には日本との協力が必要であることを理解しつつも、どうしても心情的な部分が残る。韓国の対日政策には、この理性と心情のジレンマが存在しているということを我々は確認する必要がある。この葛藤に整合性を与えるため、韓国にとって、戦後の日本と戦前の日本が異なるものでなければならず、ある種の断続性が要求されており、韓国が日本の歴史認識に非常にこだわるのはそのためであるとの説明もできる。また、正当性を求めて争う北朝鮮との比較においても、韓国は日本に安易な妥協はできないという宿命を負っていることも指摘できる。北朝鮮では、金日成将軍が日本に大勝利をしたこととなっているので、これは、韓国は政権の正統性という観点からも難しい状況にあった。

こうして主権を回復した日本は、同じ西側陣営に属する韓国と国交正常化交渉を開始するが、1951年10月に予備交渉を開始してから実に14年、7次にわたる本会議での交渉を経て、ようやく国交正常化を行い、日韓が新たな段階に入ることとなった。国交正常化を行うまでの時期は、分断国家である韓国が、心情と理性のアンビバレントな思いを常に持ち、そのいずれを優先させるのかが時々の国際関係や韓国の政権の性格、北朝鮮との関係等の要因によって定まるという、日韓関係の構造が定まった時期であったと言える。

次に、「冷戦と日韓関係」について述べる。上述した整理に従い考えれば、日韓国交正常化は、軍事クーデターによって政権を獲得した朴正熙政権による、ある意味での、理性的な選択であったと言える。朴正熙政権は強権的な政権であったので国民の心情を抑え込むことが可能であった。当然ながら、国民の心情的な部分が無くなったわけではないので、歴史問題や竹島等は日韓両政府が管理をしていくこととなった。日韓間では、後に大統領となる金大中候補の拉致事件、日本の警察官の拳銃を盗んだ在日朝鮮人による朴正熙大統領暗殺未遂事件等、様々な問題が発生した。こうした事件は日韓関係に大きな動揺をもたらしたが、その時々で、冷戦という大枠の存在が日韓間に生じた亀裂を修復していくという構造にあった。更に、戦前の人脈もこうした状況を補填した。いわゆる1965年体制モデルと言われる構造が存在し、問題は発生しつつも、日韓関係はある程度安定した状況が続いていた。

こうした状況は、70年代後半、80年代も続き、とりわけ、新冷戦が発生した際に日本側は中曽根総理が積極的に韓国との関係を強化する姿勢を示す。1981年、当時の全斗煥政権は、日本に対して安保経協と呼ばれた100億ドルの経済協力を要請した。これは、韓国は冷戦の最前線で防波堤の役割をしており、日本はその恩恵に浴しているので、経済協力をしてほしいというものであった。日本には受け入れがたいものであったが、紆余曲折を経て、中曽根総理は40億ドルの経済協力を約束し、それを受けて、全斗煥大統領が1984年に韓国大統領として初めて訪日した。宮中晩餐会での天皇陛下のお言葉もあり、日韓関係は大きく前進した。ある意味で理性が優先された時期であるが、朴正熙政権同様、全斗煥政権は極めて強権的な政権であったため、国民の心情の部分を抑え込むことが可能であった。先ほどの川島委員からの報告にもあったが、1982年に教科書問題が発生するが、これについても韓国側と日本側が管理をしていった。韓国との関係で気を付けなければならないことは、韓国の政権担当者は、心情と理性をきれいに分けるというよりは、最終的な目標は理性的な決断であっても、そこに至るまでに心情を上手く利用し交渉カードとして用いてきたことである。しかしながら、この時期、依然として、最終的な目的は理性的な選択をすることであった。余談となるが、韓国には人気歌手が歌う「独島」の歌があるが、1984年の全斗煥大統領が日本を訪問する直前に禁止された。当時、学生運動を行っていた韓国の友人によれば、全斗煥大統領がこの歌を禁止したことに、竹島を日本に渡すのではないかとの警戒感を持ったとのことである。当時、全斗煥政権が心情的な部分を強権的に抑え込んできたことの一例と言えるのではないか。

その後、韓国は、民主化を達成し、ソウルオリンピックを成功させ、国際的地位が更に高まった。また、日本側からは、河野談話や村山談話、アジア女性基金等の韓国側の心情に対する働きかけも行われた。これらは、後に様々な問題が指摘され、課題を残したことも事実であるが、少なくともこの時期に限れば、日本の試みはある程度功を奏し、日韓関係にプラスに働いたと言える。

韓国では民主化の象徴であった金大中氏が大統領となり、1998年10月には訪日し、当時の小渕総理との間で日韓パートナーシップ宣言が採択され、未来志向の日韓関係を双方が確認し、より高い次元に日韓関係を高めていくことが確認された。今にして思えば、この時が日韓関係のピークであったと言えるのではないか。

2002年には、日韓共催によるワールドカップが行われ、また、いわゆる韓流ブームが発生する。年配の方々のみならず、若者もKポップを楽しむようになり、日韓関係は質的、量的な変化を始めた。しかし、接触が増えることは摩擦の増大も意味する。また、身近に感じた分、相手も自分と同じ様な考え方をしているというある種の錯覚、勘違いも生じ、同じだと思っていたのに裏切られたという思いが日韓関係をかえって難しくしている側面もある。我々は、こうした変化に注意すべきである。

更に、当然ながら、韓国にとって民主化は歓迎すべきことであるが、日韓関係に関して言えば、民主化がマイナスに作用した部分も少しあった。民主化した韓国政権は、それまでと異なり、国民の心情を管理するのではなく、国民の心情に積極的に応じる傾向が強くなる。とりわけ、盧武鉉政権の後半にこの傾向が顕著となる。1980年代、90年代に学生運動のリーダーであった、1990年代に30代であり、80年代に大学を卒業し、60年代に生まれた「386世代」が、盧武鉉政権に参加しており、極めて理念的な部分を持つ政権であった。民主化の政権と言えば金大中政権を思い出すが、60年代から政治家として政争を繰り返してきた金大中大統領は、理念的な部分が無かったわけではないが、極めて現実主義的な大統領であった。他方、盧武鉉政権も発足当初は未来志向を強調し、小泉総理との間で首脳が年に一往復はするシャトル外交を行うという理性的な選択をしようとしたことも事実である。この時期、心情に関しては日韓歴史共同研究による配慮もなされたが、韓国側が日本側に対して「正しい」歴史を教えようとするのに対し、日本側は日韓の立場の違いを確認することから始めようとしたことから、ずれが生じていたと仄聞している。心情を管理することが難しくなってきたことを反映し、2005年3月、盧武鉉大統領は3.1独立運動の記念式典における演説にて、日本に対して謝罪と反省を求め、必要な場合には補償もしなければならないと主張した。韓国側からすれば、直前に、島根県で竹島の日を制定する動きがあったことも関係している。日本側では、同年8月に村山談話を踏襲した小泉談話が発出される等、冷静な対応が行われた。この時期、北朝鮮の核問題もあり、日本と韓国は緊密に協力する必要があったが、韓国側が心情を前面に押し出し、日韓関係は難しい状況が続いた。

このような中、10年ぶりに保守系の李明博政権が登場した。財界出身で経済大統領と呼ばれた李明博大統領に対し、日本側は理性的選択を期待した。確かに、盧武鉉政権とは異なり、当時の李明博政権は日米との関係強化を図った。この時期に、第二期の歴史共同研究が行われたが、同時に、未来志向を目指した日韓新時代共同研究が始まったことは、当時の日韓関係を象徴していた。しかし、韓国側の事情により状況が大きく変わることとなる。2011年8月、韓国憲法裁判所は、韓国政府が慰安婦問題について日本と交渉を行わないことは、具体的解決のための努力をしておらず憲法違反であるとの判決を行う。これを受け、李明博大統領は同年12月に京都で行われた野田総理との首脳会談にて日本政府に対し誠意を示すよう求めた。この直後、金正日総書記が死亡し、北朝鮮の動向を世界が注目するようになった。北朝鮮情勢が動いている中、日韓の協力がより必要とされていたが、例えば、日韓秘密情報保護協定(GSOMIA)が締結直前に韓国側の都合で延期となる等、韓国の対日姿勢は心情と理性が混乱した状態に陥り、ついには8月に李明博大統領が竹島に上陸することとなる。更に、李明博大統領による、天皇陛下に対する非常に失礼な発言や、もはや日本は国際社会で影響力が無いとの発言等が重なり、李明博政権末期の日韓関係は最悪の状態に陥った。この時期は、冷戦の大枠が無くなり、国際情勢が日韓関係を後押しや修復することが無くなり、韓国の民主化により、国民心情を管理したり抑えたりすることもなく、むしろ、日韓関係は新しい関係を模索しなければならない時期であった。そのような過渡期に、李明博大統領による竹島上陸という衝撃的な事件が発生したため、日韓関係は大きく混乱し、現在の日韓関係へとつながることになる。

現在の日韓関係について述べる。韓国では政権末期に反日カードが人気取りのために使われることが指摘されている。これを逆に見れば、韓国では政権発足時には日本の協力を得るための理性的な選択をすると言うことができる。例えば、経済面での協力や、盧武鉉政権がそうであったように北朝鮮に関する協力が必要となることもあった。このような観点から見れば、政権発足当初から日本に対して厳しい姿勢で臨んだ朴槿恵政権は、理性を優先する理由が無かったと言えるのかもしれない。もちろん、国内の権力構造や、厳しい世論、とりわけ慰安婦を支援する韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)のような団体の意向が極めて強く、理性的な対応を難しくしたことも事実であり、また、様々指摘されているように本人の個性も関係しているのかもしれない。しかし、こうした点だけでなく、台頭する中国とどう向き合うのかという問題が、影響していると考える。韓国では依然として朝鮮半島におけるG2論が強調されている。韓国の中国に対する経済的依存度の高さや、統一問題における中国の役割への期待から、中国を大きく見ているものと思われるが、日本との立場の違いは大きく、なかなか溝は埋まらない。更に、日本の存在そのものが韓国の対外姿勢を複雑にしていることも覚えておくべきである。韓国は常に日本との位置関係を意識している。例えば、韓国にとり米国との関係は極めて重要であるが、日本と同じ様な形で米国に臨めば、日本の後塵を拝することになるとの思いを韓国は抱いている。かつて、イラク戦争の際に、友人たちが、日韓のイラク戦争に対する関与の違いに対する米国の評価について、米国が韓国に対して冷たすぎると不満を述べていた。こういったことも含め、韓国は、日本との競争がある中で、米国を中心とする国際関係よりも、中国を含めたより複雑な国際関係の中で自身の立ち位置を模索していると言える。

このような状況の中、日本は韓国との関係を組み換えようとしている。当然ながら、かつてのように、日本が韓国のことを特別扱いする時代は過ぎ、韓国を対等の関係として考える様になっている。1965年の日韓国交正常化を前提とし、韓国が先進国の仲間入りをしたことを反映し、真の意味での対等な関係に向けた動きが進んでいるところであると考える。

朴槿恵政権期における日韓関係はかなり悪い状態が続いているが、徐々に変化が生まれている。外相会談が開催され、防衛相会談が予定され、その先に首脳会談が目指されており、まさに、準備段階にある。

これまでの日本の対応について評価をしたい。日韓関係について、冷戦期はある程度うまく処理してきたと考える。色々な問題はあったが、韓国の理性的な部分に働きかけながら関係を構築し、不協和音となる心情の部分については管理するという行い方が、一定程度効果を上げてきた。しかし、冷戦が終わり、韓国の民主化等により、こうしたモデルが徐々にうまくいかなくなってきている。それを新しい時代における日韓関係に上手く組み替えていけるかどうかが今後の課題となっている。

朴槿恵大統領は最近になって、歴史・領土問題と、安全保障・経済問題を分ける、ツートラック戦略を強調している。これは正に、これまで日本が行ってきたことであり、理性について言えば、延期されている日韓秘密情報保護協定(GSOMIA)等で具体的な働きかけを行っていくことが一つのきっかけになるとは思うが、もう少し大きなグランドデザインを構築する必要がある。日韓関係が日本と韓国にとり、なぜ必要であるのかを最定義する必要がある。先ほど、冷戦期は比較的うまくいっていたと述べたが、逆に言えば、冷戦期には、なぜ日韓関係が重要であるのかを考える必要がなく、それ以外の選択肢が現実的でなかったとも言える。現在の日韓関係はなぜ日韓関係が重要であるのかを考える必要があり、それは自由、民主主義、市場経済といったものではなく、もう少し説得力のあるものでなければならない。残念ながら自分はそれを見つけられていないが、これを考えていくことが今後の課題である。全く韓国抜きでやっていくという選択肢も無いわけではないが、韓国は大きくなり、その韓国とうまくやってく方法を考えることが必要である。

心情については、慰安婦問題を始めとし、韓国だけでなく、米国を始め世界も注目しており、粛々と行う必要がある。韓国政府に働きかけ、日韓共同でゴールを作る必要があると考える。韓国側は、自分のような研究者に対しても、度々、誠意を見せて欲しいとの言い方をしてきている。これでは、いくらやっても韓国側が満足することはできず、韓国側の不満が残ることとなる。もちろん、個別具体的な問題について日本側が姿勢を示すことも重要であるが、日韓関係でこの心情の部分を管理するためには、やはり韓国が一緒に参加する枠組みを作らなければならない。半島の専門家なのだから具体的な案を出せと叱られることもあるが、残念ながらいい案が浮かばない。これは、自分の能力不足、努力不足もあるが、やはり、韓国側が一緒にゴールを作る努力をしない限り、ゴールが動いてしまうため、提案を行うことができない。心情の部分について更に言えば、日本側の心情の問題も存在している。

こうした点も踏まえ、日韓関係を成熟した関係にするためには、なぜ日韓関係が重要であるのかという原点に立ち戻って、韓国と一緒に日韓関係を考えていく必要があると考える。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/dai5/gijiyousi.pdf
より抜粋

 

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