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町村信孝の父、金五は戦前、思想弾圧を指揮したひとりで、戦後の民主化がインチキだと示す人物
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2015.06.05 00:22:04 櫻井ジャーナル
町村信孝が6月1日に死亡した。文部科学相、外相、官房長官、衆院議長を歴任した人物だが、それ以上の注目すべき事実は町村金五の息子だということ。金五は敗戦前の内務官僚で、1943年4月から44年7月にかけて特別高等警察(思想警察)の最高責任者である警保局長を務めている。そのときに金五の上司、つまり内務次官だったのが東条英機の側近だった唐沢俊樹だ。
言論弾圧の象徴として有名な「横浜事件」のシナリオを書いたのは、この唐沢だとも言われ、その背後には平沼騏一郎がいたと見られている。近衛文麿らの「旧勢力」を蹴落とすことが目的だったと言うのだ。(奥村康弘著『治安維持法小史』筑摩書房、1977年)なお、平沼赳夫は平沼騏一郎の兄の曾孫。生後間もなく赳夫は騏一郎の養子になった。
本ブログで何度も書いてきたが、日本は関東大震災からウォール街の属国。イギリスとアメリカをアングロ・サクソンと括ると、幕末から日本はその勢力に支配されていると言える。19世紀の前半、経済力で清(中国)に完敗していたイギリスは麻薬(アヘン)を清い売りつけようとし、戦争になる。1840年から42年にかけての「アヘン戦争」だ。この戦争で勝利したイギリスは南京条約で多くの利権を手に入れるが、そのひとつが香港の割譲。この戦争で大儲けした麻薬業者のひとつがジャーディン・マセソン商会だ。
しかし、南京条約では不満なイギリスは1856に「アロー戦争(第2次アヘン戦争)」を始める。その最中、ジャーディン・マセソン商会が日本に派遣したエージェントがトーマス・グラバー。日本人好みの「歴史物語」に出てくる人物だ。グラバーは1861年にグラバー商会を設立、武器取引を始め、彼の下には坂本龍馬、後藤象二郎、岩崎弥太郎たちも出入りしていた。
1863年にはグラバーの手配で長州藩が井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)をイギリスへ送り出している。渡航にはジャーディン・マセソン商会の船が使われている。明治政府の誕生には麻薬業者が協力していたということだ。
新政府が成立して間もない1872年、厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダーが来日、外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を進めたという。このアメリカ人は1875年まで外務省の顧問を務めている。
明治政府は中央集権制を推進するため、1871年7月に廃藩置県を実施するのだが、72年には琉球王国を併合して琉球藩をでっち上げた。最初から琉球併合を予定していたなら廃藩置県の前に行うはず。順番が逆になったのは、何か突発的な出来事が起こったことを意味している。
1871年10月に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、そのうち何人かが殺されたと言われている。日本政府は清に対して被害者に対する賠償や謝罪を要求、1874年には軍隊を台湾に送り込むが、それを正当化するため、「琉球は日本だ」という形を作りたかったのだろう。リ・ジェンダーのアドバイスも影響したかもしれない。ちなみに、2003年に公開されたトム・クルーズ主演の映画「ザ・ラスト・サムライ」は、このアメリカ人をモデルにしている。
台湾派兵の翌年、1875年に明治政府は李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功、無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。条規の批准交換にル・ジェンダーも陪席した。
その後、日本のアジア侵略が本格化していくが、それと並行して国内では「治安維持」つまり戦争に反対する人びとに対する弾圧が激化する。その幕開けを告げるのが1910年の「大逆事件」だ。これもでっち上げだった。
法律としては1900年に治安警察法、25年には治安維持法が制定され、思想や言論を統制する体制を強化していく。そうした法律を運用するのが特高や思想検察、そして判事たちであり、「戦前レジーム」の屋台骨だ。
町村信孝の父、金五は1945年4月に警視総監となり、戦後は衆院議員や参議院議員、北海道知事を務め、金五の上司だった唐沢は岸信介内閣で法務大臣になった。そのほかにも官僚機構に戻った特高関係者は多く、そのひとりが高村正彦の父、坂彦。
国会議員になった人も少なくない。町村金五や唐沢俊樹のほか、内務次官だった灘尾弘吉、大達茂雄、館哲二、湯沢三千男、警保局長だった古井喜実、大村清一、岡田忠彦、後藤文夫、鹿児島県特高課長だった奥野誠亮、警保局保安課事務官だった原文兵衛も国会議員に選ばれている。奥野誠亮の息子である信亮や警視庁特高部長を経て警保局長も務めた安倍源基の息子、基雄も衆議院議員を経験している。
唐沢のボスだった東条英機は東京裁判で死刑が言い渡されたが、東条と「二キ三スケ」を構成していたひとり、岸信介は戦後、首相になっている。孫の安倍晋三は首相として日本をアメリカへ叩き売ろうとしている。戦後、岸に近い政治家たちは「新日本政治経済調査会」を結成、1955年に岸は40名の同志を虎ノ門の「晩翠軒」に集めて岸派の基盤を作り、その流れの中に小泉純一郎や町村信孝もいた。
安倍晋三が言うところの「戦後レジーム」とは「戦前レジーム」にニューディール的な味付けをしたものにすぎず、本質的に戦前と戦後に大きな違いはなく、それを体現しているひとりが町村だが、安倍にとってニューディール的スローガンは自らを拘束するものに感じられ、捨て去りたがっている。つまり、安倍は「むき出しの戦前」を再現したがっている。
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