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森を見ず木も語らぬ愚 抑止力を議論し尽くせ
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2015/06/14/post-126.html
サンデー毎日 2015年6月14日号 サンデー時評
倉重篤郎のサンデー時評 連載57
「木を見て森を見ず」
細かなことばかりに気を取られて、大局を見失うことなかれ、という警句。好きな言葉だ。おのれの思考のスケールの小ささに気づくたびに自ら言い聞かせている。
ただ、新安保法制論議の中から、以下の文脈で聞こえてきたこの言葉には首をひねりたくなるものがある。つまり、自衛隊の活動拡大はリスクを増大するだろう、という議論が「木」であって、そのことによって得られる抑止力が「森」だというのである。野党やメディアは「木」ばかり喧伝(けんでん)するが、肝心な「森」効果を忘れていませんか、とのたまうのである。
高村正彦自民党副総裁が5月27日の衆院特別委での質問でそれを語り、安倍晋三首相が感に堪えぬように相づちを打つのであった。
だが、果たしてその語法は正しいか。疑問が次々に湧いてくる。
集団的自衛権行使容認で他国艦船防護のための戦闘を新たに認め、後方支援というある意味戦闘行為並みに危険な業務をワールドワイドに展開するようになっても、そのリスクについてまともに語ろうとせず、「木」として貶(おとし)め、切り捨てる姿勢はいかがなものか。
自衛官はこれまでも災害支援などでリスクの高い仕事をしてきており、訓練活動などでの殉職者は1800人を数え、新法制でもその安全については十分配慮している、というのが、安倍氏、中谷元(げん)防衛相の答弁の大意である。
そこからは、新法制で日本の自衛官を従来と質の違う任務に従事させる、という最高指揮官としての使命感や責任感が伝わってこない。リスクは増えるものの、それを大きく上回る抑止力が得られる、と言いたいのであれば、まずはリスク増を率直に認め、それがどういうものかをあらゆる角度から詳(つまび)らかにし、それを軽減させるための措置の効果と限界を説明しないことには、派遣される側が家族も含めて納得できないであろう。
この法制を推進する自民、公明の議員も裏に回れば「リスクが増えるのは当然だ」と語るし、現場の自衛官も敏感にそれを感じ取っている。齋藤隆・元統合幕僚長は、戦死者にどのように向き合うか、その際に自衛官、警察官、海上保安官の合祀(ごうし)の問題をどうするか、そういった議論を開始すべき時期にきている、とまで語っている。
◇1000兆円の借金で社会保障切り刻む国が軍事拡大予算どうする
要は、皆本音ではそう思っていることについて、建前論でしか答弁できないことの不健全さである。まさに、頭隠して尻隠さず。「王様は裸」状態ではないか。政府側の懸念は、リスクを公言すると、国民世論からの感情的な反発が一層高まり、法案の円滑審議に支障をきたす、ということらしい。だが、この重要問題に対しそんな覚悟のない半端な対応で法案成立までこぎつけようというのであれば、数の驕(おご)り極まれり、である。
派遣リスクだけではない。語るべき「木」はまだ他にもある。
一つは、立憲主義との整合である。憲法9条の縛りによって歴代内閣が戦後一貫してできない、としてきた集団的自衛権行使を一部でもできるとした法理は、政府側説明を何度聞いても理解困難である。自衛権一般を「国家固有の権能」と認めたにすぎない1959年砂川判決と、結果的に集団的自衛権を否定している72年政府見解を論拠としていること自体が「牽強付会(けんきようふかい)」(山崎拓・元自民党幹事長)であり、法の支配を表看板にする国家としては、国民の大半が理解でき、世界からもナルホドと思われる理論武装をすべきである。
リスクは、自衛官の命だけではない。これだけの軍事活動の拡大にどれだけの予算、人員が必要になるのか。自衛隊のキャパシティー(能力)リスクについてもほとんど説得力のあるデータが開示されていない。1000兆円の借金を抱え、社会保障を大幅に切り刻んでいくしかない国家がどこからそれをひねり出すのであろうか。
戦後70年かけて作り上げてきた専守防衛という国家ブランドの維持、発展も考えなければならない。いったん失ったものをまた手にするのは思いのほか難しい。
安倍氏が本当に「森」全体を見ているのかどうかも疑わしい。
確かに、軍事的な意味での抑止力は増強されるであろう。
『平和のための戦争論』(ちくま新書)で、植木千可子早大教授がわかりやすく説くところによると、抑止力とは、相手に戦争を思いとどまらせる力であるが、軍事力だけではそれを達成できない。こちらの能力、意図を相手に正しく伝える意思疎通のパイプと、状況についての共通認識が必要だ。
要はミサイルや艦船、戦闘機、兵員数といったハードパワーだけではない。それを背景に相手国としぶとくかつ冷静に対話し、そのことが双方にとっておもわしくない結果をもたらす、という共通認識を作り出すコミュニケーション力が必須である、ということだ。だが、この2年余の安倍政権を見て、中韓両国と腹を割って話し合ったとは、とても言えない。むしろ、いたずらに相手を警戒させ、相手国の反日ナショナリズムを煽(あお)り立ててきたのではなかろうか。
ここでは抑止力はジレンマとして働く。ある国が相手国の脅威を感じ軍備を増強する。相手国もその脅威に負けてはならじと対抗する。そのエスカレーションが軍拡競争となり、結果的に前線での紛争確率を高めることになる。軍事合理性に基づいた個々の行為の総和が、結果としてより戦争に接近させるという合成の誤謬(ごびゆう)である。
外交力の強靱(きようじん)化により、軍事的な抑止力の足らざる部分を補えないか、という問題意識もある。70年間一回も戦争をしてこなかった日本こそ、その論議の有資格者であり、イノベーター(革新者)としての資質を持つ、と信じたい。
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■人物略歴
◇倉重篤郎(くらしげ・あつろう)
1953年7月東京生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局。政治部、経済部。2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員
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