61. 2015年6月06日 02:10:41
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>>60 タイトルと文章をセットでコピペすると消されるので別にしました。 読んでおいても損はないと思います。 >GHQピンカーズが日本を破壊する目的で作成した日本国憲法を、いまだ、すばらしい憲法だと信じている日本人が哀れでなりません・・・
SALUMERA
「いまなお取り憑く、GHQレジームの亡霊 1」 の全文 ■日本国憲法の誕生
●私は九条は直したほうがよいと思っています。 憲法誕生の話を聞いてもやはり日本人が日本人の手で憲法を作り直すべきだと思うのです。 ●昭和20年10月頃にマッカーサーが近衛公に会見し、憲法改正の必要性を説いたので、近衛公は佐々木惣一博士(憲法学者)に新しい憲法づくりを依頼しました。 しかし、10月下旬にマッカーサは「指示した覚えはない」と否定。 ●一方、10月末には幣原内閣で松本国務相を責任者とする「憲法問題調査委員会」が設置され、松本草案が作成されます。 しかし、GHQは拒絶。 ここで出てきたのが「マッカーサー草案」です。 ● GHQの民政局長であるホイットニー准将は後に「たった一週間で作った」と豪語したといいます。 昭和21年2月13日、この草案を手渡されたときは吉田外相、松本国務相、白洲次郎の三名がその場にいました。 ● 草案を手渡したホイットニー准将はこの時の様子を次のように書いています。 ●「私の言葉は、すぐに日本人代表達の表情に変化をもたらした。 白洲はピョコンと跳び上がり、松本博士は息を深く吸い込んだ。 吉田の顔は、黒雲のごとく曇った」 ホイットニー准将が去った後、 松本国務相 「総理、じつに途方も無い文章です。 こんな憲法はいまだかつて見たことも無い。 こういうものを決めては、わが国は混乱するばかりです。 ● まるで共産主義者の作文ですよ」 幣原首相 ● 「ウム・・・英語もまずいですねえ」 ●マッカーサー草案は憲法学者ではない複数の法律家によって作成されたもので、他国の憲法を見よう見真似で作成したものでした。 これにはGHQ内に潜入していたノイマンというフランクフルトシューレの共産主義者も関わっていたようです。 ● これをすったもんだした挙句、ホイットニー准将は白洲次郎を呼び出し、直ぐに翻訳者を連れてこい、となり、一晩で翻訳させられ、若干の修正を加えて帝国議会における憲法改正手続を経て、昭和21年10月7日可決しました。 こうしてオギャーと生まれた日本国憲法ですが、 ● いったい誰の子でしょうか??? ■日本国憲法と白洲次郎 ●白洲次郎は終戦連絡中央事務局の参与で日本国憲法作成に関わった人で「マッカーサーを叱った男」「従順ならざる唯一の日本人」とか「日本は戦争に負けたが奴隷になったわけではない」と言い有名です。 ● 彼の手記を見ると興味深いことが書かれています。 マッカーサー草案づくりを担当したGHQ民政局長のホイットニー准将の言葉を記しています。 ---- ● 「ミスターシラス、あの憲法に関係したスタッフは、ここにいるだけではないんだ。 日本には来ていないが、豪州時代にこの仕事に参加した人間が、まだほかに何人もいるのだよ」 ●つまり”マッカーサー草案”は、すでにマッカーサー将軍が豪州の地にあって”日本本土侵攻作戦”を開始したとき、その作業に取りかかりはじめていたというのである。 ● GHQやアメリカ側が殊更「一週間で作り上げた」と強調するのは、彼らの草案が大したシロモノではなく、あくまで新憲法は日本人自身の手で作られたかの印象を内外に与えんがためだったのではないかと、ぼくは考える。 ----- ● また、白洲次郎はホイットニー准将を信用しがたい人物として以下のように記しています。 ------ ● だいたい、一国の憲法を一週間で作ったなどと自慢たっぷりに話すような不謹慎を、ぼくはとらないものである。 また彼の細君は、うそかまことか、当時、休暇で日本に来ていた大学在学中の彼の息子が、草案の一章か一項を書いたんだと親バカ流に広言していたそうである。 ぼくはそのことを、GHQのさる高官から聞かされたのではあるが、そのとき、この高官もなげかわしいといった表情で語ってくれたのを、今でもハッキリ覚えている。 ----- ●まったく日本と言う国はコケにされていたものです。(今もか) 白洲次郎と翻訳者は一夜でマッカーサー草案を翻訳しますが、外務省翻訳官の小畑氏とのエピソードを以下のように記しています。 ------ ● 「白洲さん、シンボルというのは何やねん?」 小畑氏はぼくに向かって、大阪弁で問いかけた。 ぼくは「井上の英和辞典を引いてみたら、どや?」と応じた。 やがて辞書を見ていた小畑氏は、アタマを振り振りこう答えた。 「やっぱり白洲さん、シンボルは象徴や」 新憲法の「象徴」という言葉は、こうして一冊の辞書によって決まったのである。 ------- ● 現憲法では誇りがもてませんね。 ●話は違いますが、法学部の試験で明治憲法の主権は?との問いに「天皇陛下」と書くと×になるそうです。 ● 明治憲法下で主権は存在しないのが正解なのだそうです。 ● 「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著では「明治憲法は国家主権の所在などは規定してはいない」と書かれています。 ●学校でウソ教えられてた・・ ■ジープ・ウエイ ●昭和21年2月3日に憲法改正案(松本案)がGHQへ提出されましたが、それから10日後に民政局ホイットニー准将より”マッカーサー草案”を提出してきました。 ●このとき幣原首相と松本国務相はこの草案はひとつの案だと捉えていました。 しかし、白洲次郎はホイットニー准将に面会し、”マッカーサー草案”は指令であることを感じます。 それを松本国務相に話をしたところ、松本国務相は手元の紙片に絵を描いて白洲次郎に示しました。 その絵が「ジープウエイ」です。 ● 白洲次郎はホイットニー准将にこの絵を添えて手紙を書きます。 「彼をはじめ閣僚は貴下のものと彼らのものとは、同じ目的を目指しているが、選ぶ道に次のような大きな差異があると考えています。 ● 貴下の道は、直線的、直接的なもので、非常にアメリカ的です。 彼らの道(日本政府閣僚のこと)は回り道で曲がりくねり、狭いもので、日本的にであるに違いありません。 貴下の道はエアウエイ(航空路)といえましょうし、彼らの道はでこぼこ道を行くジープウエイといえましょう・・・松本博士は、その感想を次のよう(な絵)に描きました・・・」 ●これはホイットニーには時間稼ぎと思われ、極めて強い返書が返されました。 「あなたのお手紙では、13日に私がお渡しした文書(マッカーサー草案)が『あまりに急進的な』という言葉で形容されているが、(これを受け入れなければ)そのような言葉で表現できないほどにさらに厳しいものになり、最高司令官がお渡しした文書で保持できるよう計らっておられる(日本の)伝統と体制さえも、洗い流してしまうようなものとなるでしょう」 ●もはやこれは恫喝でしょう。 これにも白洲次郎と松本国務相ひるまず、返書を書いたところ、48時間の期限付き最終通告が出されました。 幣原内閣は揺れに揺れて2月21日に幣原首相がマッカーサーと会見し、受け入れを決定します。 ●3月6日に閣議で新憲法の最終草案が了承され、発表されると間髪いれずにマッカーサーは声明を出します。 「天皇、政府によって作られた新しく開明的な憲法が、日本国民に予の全面的承認の下に提示されたことに深く満足する」 ●このGHQ憲法には日本を管理する為の政策機関として設けられた極東委員会からも「国民は憲法を理解していない。時期尚早である」と反発があがります。 しかし、GHQは、4月10日の総選挙で日本自由党が第一党になり、鳩山総裁が首相の指名を待つばかりとなっていましたが、鳩山一郎を公職追放とし、 吉田内閣のもと、8月24日に衆議院圧倒的多数で可決してしまいました。 ■GHQ憲法記念日 〜 恥辱の日 5月3日はGHQ憲法記念日です。 ● 以前記事にしましたが、OSSというアメリカ戦略情報局によって作成された「日本計画」にもとづき、戦後直後、 GHQの日本統治が進められました。 ●その中にはフランクフルト学派と呼ばれる知識人向けマルクス主義者が多くおり、日本を破壊し、共産革命に導くため、日本国憲法は作られました。 ●日本国憲法の英語原文を見たとき松本国務相は幣原首相にこのように述べています。 ●「総理、実に途方もない文書です。 こんな憲法はいまだかつて見たこともない。 こういうものを決めては、わが国は混乱するばかりです。 ● まるで共産主義者の作文ですよ」 ●GHQ民政局のケーディス大佐(GHQ草案作成の中心的役割を担う)は帰国後、国務省にジョージ・ケナンを訪ねたとき、ケナンはケーディスに向かってこう言ったそうです。 ● 「あなた方には日本を共産主義にしてソ連に進呈しようとしていたのだという噂もあります」 ●GHQ憲法は英文を一夜で訳したせいか、憲法前文もよく読まないと何が言いたいのかよくわかりません。 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」 ●この部分は日本以外の国はすべて平和を愛する国だといっており、「生存」まで他国に預けるような言い方をしています。 ● 日本には主権がないような言い方です。 また日本だけ悪い国で他の国はいいくにだ、とも解釈でき、日本が悪さしなければ平和なんだと言わんばかりです。 ●GHQ統治下の日本には主権がなく、その時、日本の憲法が勝手にGHQによって作られたのですから、詐欺に等しい。ハーグ陸戦法規でも占領地ではそこの現行法に従うよう定められていますし、ポツダム宣言にも憲法を変えてよいことなど書いていません。 ● 戦後占領下、プレスコードによって憲法批判を禁じ、公職追放という恐怖で言論を封じました。 ● 憲法記念日は恥辱の日といえるでしょう。 ● しかし、多くの日本人はGHQが作ったウソの歴史を前提に「GHQ憲法はすばらしい」と洗脳され憲法記念日を祝っているのです。 ■マッカーサーを激怒させた男
●ニューズウィーク東京支局長で英国人のコンプトン・パケナム記者は米軍占領時代に日本を取材し、昭和天皇の信頼が厚かった松平康昌や鳩山一郎、吉田茂、樺山愛輔、白洲次郎、野村吉三郎らと交流がありました。 この人の肉筆の日記が発見され、ジャーナリストの青木冨貴子さんが新潮45の8月号よりパケナムの日記をもとに戦後の日米秘史を連載しています。 ●パケナムは公職追放された元駐米大使の野村吉三郎に会いにいき、銀行口座も凍結され、収入もなく、病身の妻の薬すら手に入れることができないのを目にし、野村に缶詰やタバコを差し入れするようになります。 そして早速「占領は失敗の連続」とニューヨーク本社へ打電。 ●「産業界、金融界、商業界のリーダー25,000から30,000人が職を奪われることになった。・・・要するに日本の経済構造全体を支えている人々が仕事から締め出されようとしている」 ●そしてこの追放抗争については占領軍将校のなかにも困惑する勢力があり、実態調査のためにワシントンから日本に調査団を送るべき、と主張しました。 「自分の指揮下にある民生局の行動がどのようなイデオロギー的意味をもっているのかについて、果たしてマッカーサーは気づいているのだろうか」 ●パケナムの上司ハリー・カーンも来日し、取材してまわり、「日本で起きている驚くべき危機的状況をはじめて包括的にリポートする」と発表します。 「真に抜本的な対策がとられないかぎり・・・アメリカの世界再建と共産主義封じ込め政策の一環として、日本を『極東の工場』にする機会は消えうせるだろう」 「公職追放があれほど大規模に行われたのは、ひとつには民生局のホイットニーの性格ではないか」 「民生局内でもホイットニーは人気のある人物とはいえない。 ● 日本人は”キツネが憑いているのではないか”とさえ言っているのだ」 ●マッカーサーは激怒し、パケナムを「ファシスト」、カーンを「反動」とののしり、パケナムの記者証再発行を拒否するという異例な事態にまで発展しました。 ●パケナムが主張している内容の詳細は、記事ではわかりませんが、おそらくGHQ内のピンカーズ(赤いやつ)のことを指しており、彼らのマルクス主義の虚偽意識から来る行動を非難しているのだと思います。 マッカーサーも既に気づいていたのでしょうが、ホイットニーなど片腕とも言える人です。 こうあからさまに指摘されたので激怒したのでしょう。 ● ホイットニーはマルクス主義の虚偽意識を条文化した日本国憲法を押し付けた張本人でしたね。 ■GHQが誕生させた教育破壊組織「日教組」
●昭和5年、非合法で発足した日本教育労働者組合はマルクス・レーニン主義を綱領に掲げました。 しかし、昭和8年に関係教員が大量検挙され挫折します。 そのため地下に潜るようになります。 ●これが一気に表に出てきたのはGHQのおかげでした。 昭和20年10月10日、府中刑務所に収監されていた徳田球一や志賀義雄ら16名を解放します。 ● この役割を荷ったのが日本国憲法に関わったハーバート・ノーマンであり、共産主義者です。 彼はこのときほど楽しかったことは自分の生涯でなかったと無邪気にはしゃいでいます。 ● GHQには知識人向けマルクス主義と言われるフランクフルト学派が多く潜入していたのです。 ●GHQは労働組合の結成を奨励し、昭和20年12月に全日本教員組合が結成され、その後装いを新たにしながら、別途社会主義志向の教全連と1947年に合同し、教員50万人が所属する巨大組織として日教組が誕生します。 この誕生の支えたのはGHQによる教職追放で12万人もの教員が教壇を追われています。 ●GHQは教員組合にデモやストのやり方を教えます。 それから文部省の命令一下、中央集権で動いていた戦前の教育システムを打破しなければならないと考え、各自治体に教育委員会をつくり文部省の権限を地方に分散させます。 ●ところがこの流れにマッカーサーは急ブレーキをかけます。 昭和22年2月のゼネストを中止する命令を出します。 ● おそらくマッカーサーはこの頃にはGHQにピンカーズ(赤いやつ)が潜んでいることを知り、予想以上に日本に巨大な共産勢力が誕生することを恐れたのだと思います。 教員を含む公務員の争議権、団体交渉権を禁止します。 昭和25年には共産党、赤旗幹部41人を追放。 教員5千人を追放します。 ● しかし、50万人のうちの5千人ですから、大した効果はありません。 ● 既に教育を握った日教組ピンカーズ教員は日本教育破壊を進め、破壊の先にある革命を志向していったのです。 ●昭和28年には夏季手当て1ヶ月分の支給を求めて大臣室の廊下に座り込み、秘書室に押し入り、ステッカー2万枚を省内に運び込んで大臣室の床や壁、廊下に張り巡らし、大達大臣の私邸にまで押しかけます。 ●昭和33年に「道徳の時間」が特設されると反対運動を展開し、国家統制だと反発し、指導講習会が行われる御茶ノ水女子大学に集結したり、奈良では会場の門扉を破壊されるなど暴力的行為が繰り返されました。 ◆フランクフルト学派が革命のために破壊すべきとするもの ●キリスト教(日本の場合は神道)、 教会、 家族制度、父権、権威、 性的節度、 伝統、国家、愛国心、尊敬心、心、 ●国旗国歌を敬わない。 自由や権利だけ教えて義務、責任、モラルを教えない。 道徳教育に反対。 過激な性教育。 「国を愛する心」や「日本の伝統尊重」に強く反対。 ●「早寝・早起き・朝ご飯」までが憲法違反などと言っています。 「人の生活の仕方、生き方という、憲法の下でけっしてその価値の優劣を示してはいけないことがらに踏み込もうとする違憲のスローガンである」 「少なくとも、夜更かしや朝食を食べないことが公共の福祉に反しないことは確かである」 などと言っています。 このあたりはフランクフルト学派第二世代、憲法愛国主義、ハーバマスによるコミュニケーション論的理性という「強制なき合意」「支配なき融和」に影響を受けていると思います。 ●GHQのピンカーズ(赤いやつ)が日本破壊と革命を目的として誕生した教育破壊組織「日教組」を解体せねば日本に未来はありません。 ■GHQ憲法九条から生まれた悲しいウソ ●1990年以降、ワシントンの国立公文書館でCIAの前身にあたるOSSの機密文書が再調査されています。 これにより、「日本計画」といわれる対外基本戦略が作成されていることがわかっています。 ● このOSSが知識人向けのマルクス主義と言われる「フランクフルト学派」の巣窟になっていました。 OSS計画のもとGHQは占領政策を行っていきます。 ●GHQピンカーズ(赤い奴)たちは「二段階革命理論」で日本共産化を目指しました。 ●「社会主義は軍国主義の破壊を通して、ブルジョア民主革命を達した後に得られる」というものです。 ●象徴天皇を通して日本を統治し、他の改革を待ってその後、天皇廃絶に追い込むというものです。 ● これらはそもそも天皇を「KING」と誤解しており、日本の伝統的民主主義を理解していなかったことから出発しています。 ●日本国憲法はこの理論に基づいて作成され、憲法第九条の軍隊を持たない、というのも第二段階の革命を行いやすくするためのものでした。 ● 憲法九条は国防に関することが目的ではなく、内政の問題だったのです。 ●マッカーサーは憲法第九条を強く推し進めています。 憲法が国会で成立した後、1946年10月と1947年5月の天皇・マッカーサ会談で国際情勢に対して、憲法九条を懸念する昭和天皇に対してマッカーサーが憲法九条の必要性を力説していることから伺えます。 マッカーサーはOSSの計画通り進めていたのです。 ● ちなみにマッカーサー側の通訳は憲法作成に加担した共産主義者ハーバート・ノーマンです。 ●マッカーサーはどの時点でGHQ内にピンカーズ(赤い奴)が占めていることに気がついたのでしょうか。 1948年(昭和23年)に米国務省政策企画部長のジョージ・ケナンが来日し、GHQ民政局のピンカーズの危険性を警告しています。 1948年(昭和23年)米国で出版された「アメリカの鏡・日本」の著者ヘレン・ミアーズ女史とマッカーサーは激しく論争しています。 ● おそらくこの頃から「失敗」を意識したでしょう。 そして日本は吉田茂らにより戦後レジームを決めていきます。 「軍備はやらん・経済再建一本で行く。米国は日本を守れ・それが米国の義務だ」 ●その後、日本人はこんなウソをつき始めます。 「憲法九条があったから日本は平和を維持できた」 「軍備にお金を使わなかったから経済が発展して豊かになった」 ● 日本の憲法九条のようなものをもっていなくてもほとんどの国が第二次世界大戦後は世界全体が平和への努力をし、局地的に戦争はあったものの世界大戦を回避しています。 ● 平和と憲法九条は因果関係はありません。 ● 軍事バランスや核の抑止力がもたらした平和でしょう。 ● 核兵器を持った大国同士はもう戦争はできません。 ● 日本は安保によって核の傘下で平和が守られてきたに過ぎません。 ●昭和初期から日本は軍事大国でしたが、GNPはどんどん上がり豊かになっています。 現在の中共も軍事力を拡大しても経済成長し、豊かになっています。 ● 軍備と経済の因果関係はありません。 ●豊かになった日本、戦後の成功が日本人を思い上がらせ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(1980年ごろ)の声に高揚し、戦後を全肯定し、ウソを撒き散らしたのです。 ■GHQ憲法の罠「国民主権」 ●私は子供の頃、日本で誰が一番偉いか?というような冊子を読んだ覚えがあり、最終的に国民主権だから国民が一番偉い、というようなことが書いてあったと記憶しています。 ●昭和22年に文部省が「あたらしい憲法の話」を中学一年生用に発行しています。 これには「国では誰が『いちばんえらい』といえるでしょう」の問いに「民主主義の憲法ですから」「国民全体が一番えらいといわなければなりません」「主権はとうぜん日本国民にあるわけです」と書かれており、私が読んだ冊子もこの流れを汲んでのものでしょう。 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
●現在の憲法は戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって作成されました。 ● 憲法の一条は天皇の存在は国民の総意に基づくと書かれています。 ● つまり国民の総意がなければ皇室は廃止できるということです。 戦後まもなく、イギリス、オーストラリア、ソ連らが日本の皇室廃止を訴えていたのに対して、マッカーサーはそんなことをすれば日本が大混乱になり統治できなくなると考え、皇室を残したといわれています。 玉砕覚悟で突撃した日本兵やカミカゼ特攻隊が背景にあります。 しかし、ソ連が強く要望するので、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」を入れました。 ● 将来、皇室を廃止可能にしたわけです。また、皇室よりも国民が上であるかのような意識を持たせ、皇室を軽んじさせる効果も狙っています。 マッカーサーもこの後ずっと皇室を残すつもりはなく、皇族の数を制限し、華族を廃止して「立ち枯れ作戦」をとっています。 これは現在の皇位継承権を持つ皇室皇族の方の年齢を見ればボディーブローのように効いてきているのがわかると思います。 ●国民主権というのはもともとは危険思想であり、国民の意思自体が法になり暴走可能な無限定な力なりえるとされています。 ● このため米国は自国の憲法に「国民主権」を入れていません。 ● 日本を実験台にしたのでしょう。 ● うまくすると日本が勝手に破滅してくれて労せず米国の脅威でなくなると思ったのでしょう。 ●ちなみに明治憲法は天皇主権だったが、戦後、国民主権になったと教えられた人が多いと思いますが、これはウソっぱちで、明治憲法では主権は明記してていません。 国家に主権があったという解釈が多いようです。(緒論あり) ●法学部の試験で明治憲法の主権者を「天皇」と書くとペケになるそうです。 このウソは天皇を特権階級のように見せかけ、国民と対立構造にしたいがためのGHQの罠でした。 ● 「天皇制」という言葉はコミンテルンが作った悪意の言葉です。 天皇は「制度」ではありません。 ■戦前は天皇主権の恐ろしい憲法だったと教えられた戦後日本人
私は子供の頃から「日本国憲法」は「国民主権」であり、自由と権利、平等が保障されており、すばらしい! 大日本帝国憲法は「天皇主権」で国民にとってひどいものだった、教えられました。 ● よくまあ、こんなウソを教えられたものです。 大日本帝国憲法一章
第1条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す第2条 皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を継承す 第3条 天皇は神聖にして侵すへからす 第4条 天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ 1条から4条の途中まで「国体」を表しており、 4条の「此の憲法の条規に依り之を行ふ」が立憲君主制の政体を表しています。 ●「天皇之を統治す」というのは「シラス」ということで「お知りになる」が由来で、天皇が国民の心を知って国民のために公平に統治するという「統治理念」をいいます。 これは古事記からきています。 反語として「ウシハク」というのがあり、西洋や支那のように国土国民を私物にして支配するものです。 「シラス」は支配なき自己統治形態といえます。 ●「天皇は神聖にして侵すへからす」は国政に関する無答責(政治的には責任はない)を述べており、「国体」と「政体」は別であることを言っています。 仮に天皇が主権者であれば無答責のはずがありません。 ●「天皇は国の元首にして統治権を総攬し」の国体論として「元首」を規定し、 「統治権を総攬」というシラスを手に取ると述べ(有することではない) 「此の憲法の条規に依り之を行ふ」 と憲法の規定に縛られるとなっています。 ●どこにも主権など述べていません。←← 天皇主体説など「天皇主権」を唱える解釈もあり、天皇機関説事件がありましたが、天皇主権であれば日米開戦は昭和天皇は反対だったわけで、主権者の意思が通らないはずがありません。 ■GHQ憲法の罠「政教分離」
●天皇陛下は国民の安寧と五穀豊穣を祈り続けられる祭祀王です。 昭和天皇は崩御される数日前まで侍従に稲のみの具合や小麦の取り入れ具合のことばかり尋ねられたといいます。 ● 天皇陛下の祈りは「私」でないはずです。 しかし、憲法の定める「政教分離」によって天皇陛下の祈りは「私」にされてしまっています。 皇室費には内廷費、宮廷費、皇族費とあり、皇室の生活費に相当するのは「内廷費」になります。 ● 皇室祭祀はこの内廷費になっています。神官、巫女他内廷職員二十五名、祭祀に関する様々な経費は天皇の私事として内廷費になっています。 なんとも妙な姿です。 ●戦後日本の占領軍支配下で「国家神道」という宗教イデオロギーを破壊して日本を内面から弱体化させようとしたGHQは「神道指令」を発します。 憲法の「政教分離」もその流れを汲んでいます。 これはGHQの、「国家神道こそが日本人を優れた民族と信じさせ、神である天皇を世界に君臨させ世界征服につながっている」という誇大妄想によるものでした。 ● しかし当時でも神道はイデオロギーでも何でもなく、「宗教ではない」とさえ言われていました。 「神道指令」は国家神道、神社神道に対して政府の直接的な支援を廃止していましたが、憲法の「政教分離」は実は「限定的政教分離」といわれ、社会生活に不合理を生じないように限定するというものです。 例えばミッション系の学校に助成金を出したり、文化財の維持、保全に補助金を支出するなどということは問題ないわけです。 憲法では「国およびその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と書かれています。 「宗教的活動」というのは積極的に布教、伝道を行うことです。 宗教行為を禁止しているわけではありません。 ●天皇陛下は民のために祈っているのであって布教、伝道しているわけではありません。 総理大臣の靖国神社参拝を「政教分離」に反するという人がいますが、布教、伝道しているわけではありません。 宗教行為に留まります。 そもそも戦没者を追悼するのは宗教行為というより昔からの日本人の習俗でしょう。 ● 例えばお正月というのも宗教ですが習俗でしょう。 正月に門松やしめ縄をするのも実は宗教行為ですが習俗でしょう。 ● 総理大臣は正月をやってはいけないなんて事はないはずです。 ●日本を弱体化させようとした政教分離は実はGHQ憲法下では宗教行為は問題なかったわけですが、それをあたかも行為さえも禁止されているような実態や論調があります。 ● GHQから何者かに日本弱体化作戦が引き継がれていると認識しておくべきでしょう。 ■戦後になって民主主義になったというウソ ●戦前は民主主義ではなく、戦後になってGHQが日本を変え日本国憲法が定められ民主主義になりました、と私は教えられて育ちました。 ああ、GHQってありがたかったのか。戦前はひどかったのか。 日本人は解放されたのだ、 と思って大人になりました。 ●ポツダム宣言という連合国から日本の降伏条件を記した宣言書の十項にこう書かれています。 「日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化における一切の障害を除去すべし」 「民主主義的傾向の復活強化」と書かれており、戦前民主主義的傾向があったと言っています。 これは英国の日本専門家であるサムソン卿が加筆したものだそうです。 ●昭和21年1月1日に昭和天皇は「新日本建設に関する詔書」を発布し、 一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。 一、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし・・・ ●と明治天皇の五箇条の御誓文を提示し、日本には独自の民主主義があることを強調しています。 ● 明治天皇の五箇条の御誓文は自由民権運動、大日本帝国憲法につながっています。 ●戦争中は戦時体制として軍部が主導権を持っていましたが、もともと日本には民主主義の考え方があったのです。 戦時体制下でも国民の声の影響力は強かったと私は思っています。 ● 東條英機は首相のときに、市中に出かけ、衣料品が不足している、おしめに困っている、砂糖が足りないなどの主婦の声を聞いてまわっています。 対米開戦に踏み切ったのも国民が支持したから行えたのでしょう。 ● 幣原外交に代表される弱腰外交に怒り、米の執拗な嫌がらせに国民が怒ったのです。 ●戦後の婦人参政権や男女平等に基づく労働基準法というのは実は大日本帝国憲法下の帝国議会で日本主導で行っています。 婦人参政権はワイマール時代にドイツ留学した堀切善次郎内相と大正デモクラシーの普通選挙法を担当した坂千秋次官で行われています。 ●大日本帝国憲法は先に書いたように五箇条の御誓文、自由民権化運動の結晶であり、運動婦人参政権や労働基準法を認めるのになんら障害にはなっていなかったのです。 ●言論の自由や結社の自由は東久邇宮内閣が組閣(昭和20年年8月17日)直後に方針を出しています。 ●このように何でもかんでも戦前は悪で、戦後のGHQが与えた民主主義によって光がもたらされたというのはGHQがつくったウソで、GHQに媚びるマスコミや知識人たちが広め、彼等はそういってきた以上、自分達の権益を守るため「ウソでした」とは言えなくなって今日に至っているのです。
■フランクフルト学派 ●フランクフルト学派は西欧マルクス主義、知識人向けのマルクス主義といわれ、1923年ドイツのフランクフルト大学内に設立された「社会研究所」が起点となっています。 初代所長はマルクス主義者のカール・グリュンベルクで、彼の死によって1930年にホルクハイマーが所長として指導的な立場につきます。 ●フランクフルト学派はロシア革命後にヨーロッパ革命が敗北していき、プロレタリアートが革命の主体となっていない現実をみて、古いマルクス・レーニン主義は自覚しないままに権力奪取に成功してしまった。 革命意識に鋭く目覚めた一団の「前衛」たちが文化破壊の状況のロシアを突破して革命に成功した。 ● 人間を疎外している文化を破壊しなければ共産主義に到達できない。 革命の主導者は阻害された労働者ではなく、知識人でなければならない。 批判理論を駆使し、諸学問を学際的に統合し、資本主義社会の構造を批判の対象として構造化できるのは知識人だと考えるようになりました。 (ルカーチの理論) ●フランクフルト学派はあらゆる徳目や価値は批判されるべきとしています。 キリスト教(日本で言えば神道) 教会 家族制度 父権 権威 性的節度 伝統 国家 愛国心 尊敬心 ● 心 ●このフランクフルト学派は戦後、GHQによって日本を席巻します。 近年公開された米国の史料でCIAの前身であるOSSはフランクフルト学派の巣窟であったことがわかっています。 ● 占領政策はコミンテルンの要領とは異なっており、ルカーチの理論に基づいています。 ● OSSの史料にはマルキストの日本人学者やアジア専門家が多く名を連ねています。 ● この人たちもGHQの占領政策にかかわり、公職追放によって空席となった大学や教育機関、研究機関、行政に潜入していきました。 ●一ツ橋大学名誉教授だった都留重人氏は有名でしょう。 ● 彼は共産主義者ハーバート・ノーマンの同志です。 憲法作成に関わっています。 ● 東大法学部憲法学者の宮沢俊義氏もフランクフルト学派でその教えは弟子に受け継がれているでしょう。 ● 民法学者の我妻栄氏もそうです。 ●「ジェンダー・フリー」「ゆとり教育」は文部省に潜入したフランクフルト学派のエリート官僚の賜物です。 男女共同参画社会なんていうのも出来ましたね。 男らしさ女らしさを全否定したわけです。 ● 日教組の変態教育も「古い性道徳からの脱却」というフランクフルト学派の影響を強く受けています。 「憲法愛国主義」というのを聞いたことがあるでしょうか。 国家観がなく憲法を最上に頂くものです。 フランクフルト学派第二世代、ハーバマスによるものです。 これに侵されている人の特徴は「強制」という言葉に反応することです。 ● 国歌斉唱時の起立も自由意志と叫びます。 これはハーバマスのコミュニケーション論的理性という「強制なき合意」「支配なき融和」がもとになっていると思います。 ●フランクフルト学派は日本を破壊し、革命を導くというテロ的思想であり、これが日本の中枢に入り込み、教育やメディアを支配しています。 ● このイデオロギーの洗礼をまともに浴びたのが団塊の世代です。 現在が最高潮の時期となっており、現政権からもそれと匂う政策の話しが続々と出ていると思います。 ● 日本は今、非常に危険な状態にあると思います。 ■GHQ憲法作成のために葬られた近衛公 ●1945年(昭和20年)9月13日、終戦直後、東條内閣の前の内閣総理大臣、近衛文麿はマッカーサーと会談します。 ● このときは米軍の通訳の水準が低すぎ、実りのない内容でしたが、10月4日の会談で近衛公は日本の赤化懸念を強調します。 ● そしてマッカーサーより憲法改正に関する案を作成することを大役を貰うことになります。 ●「公はいやゆる封建的勢力の出身であるが、コスモポリタンで世界の事情にも通じておられる、又、公はまだお若い。 敢然として指導の陣頭に立たれよ。 もし公がその周囲に自由主義分子を糾合して、憲法改正に関する提案を天下に公表せらるるならば、議会もこれについてくると思う」 会談の席ではバーンズ国務長官より派遣されたアチソン政治顧問から私案がいくつか提示されます。 ● そして近衛公は憲法学者の佐々木惣一郎博士に憲法作成を依頼します。 ● ところが、10月末になりマッカーサーが「自分は近衛に憲法改正を指示した覚えはない」と否定します。 そして幣原内閣のもと「憲法問題調査委員会」を設置することになります。 ● 終戦連絡中央事務局の白洲次郎は以下のように回想しています。 ●「マッカーサーのこの”前言取り消し”談話の背景には、アメリカ国内に『新憲法を敗戦国民に作らせるとは何事』という批判が会ったとも言われるし、またこの頃、占領国側に、やがて近衛公を戦犯として逮捕しようと言う認識が固まりつつあったとも思われる。」 ●実際、白洲次郎が言うような記事が10月26日にニューヨーク・タイムズ紙に載り、10月29日に朝日新聞と毎日新聞がこの記事を紹介しました。 この前言取り消しには9月初めに日本に入国したハーバート・ノーマンと都留重人が関わっていました。 ● この両者は共産主義者の同志です。 ● ノーマンは後に共産主義者として糾弾を受け、カイロで自殺しています。 ノーマンは都留の情報をもとに「戦争責任に関する覚書」を作成しています。 ●この覚書の中はほとんど近衛批判であり以下の言葉が書かれています。 ●「一つ確かなこのは、彼がなんらか重要な地位を占めることをゆるされるかぎり、潜在的に可能な自由主義、民主主義的運動を阻止し挫折させてしまうことである。 彼が憲法起草委員会を支配するかぎり、民主的な憲法を作成しようとするまじめな試みをすべて愚弄することになるであろう。 かれが手を触れるものはみな残骸と化す」 ●なんと悪意に満ちた覚書でしょうか。 近衛公は昭和20年2月に昭和天皇へ上奏した際に敗戦よりも赤化阻止が課題であることを述べています。 反共の急先鋒だったわけです。 ノーマンや都留や潜伏していたGHQのピンカーズ(共産主義者)にとっては極めて目障りな存在だったでしょう。 ●昭和20年12月6日、GHQより近衛逮捕命令が出ます。 出頭の最終期限の12月16日、近衛公は巣鴨出頭を拒否。 ● 青酸カリで自決しました。 ● その後、共産主義者たちの日本破壊を目的とする憲法は白洲次郎らの抵抗むなしく成立してしまいます。 ■OSSが仕掛けた日本共産化計画「GHQ憲法」 ●1990年以降、ワシントンの国立公文書館でCIAの前身にあたるOSSの機密文書が再調査されています。 ● まだ全部は公開されていないようです。これによると「日本計画」といわれる対外基本戦略が作成されていることがわかっています。 ● このOSSが知識人向けのマルクス主義と言われる「フランクフルト学派」の巣窟になっており、マルクーゼ、ホルクハイマー、E・フロムなどがいます。 ● このOSSはコミンテルンの方針に従っていたわけでもないこともわかっています。 ●この日本計画は1941年12月の日米開戦直後から準備され、日本の敗北を見越し、日本をいかに軍事的に壊滅させ、以降に戦後の日本社会を攪乱させるかを目的化したものです。 ● 天皇を象徴とする方針もこのとき立てられ、伝統の力を利用して、国内を対立させ、軍事力の膨張を抑える方向へと誘導するというものです。 これらはマッカーサーにも伝えられています。 ● この話しは終戦連絡中央事務局の白洲次郎の回想と符合するところがあり、憲法改正にあたって白洲次郎は以下の回想をしています。 ------ ホイットニー(GHQ民政局)氏はつい、口を滑らせた。 ● 「ミスター・シラス、あの憲法に関係したスタッフは、ここにいるだけではないんだ。日本には来ていないが、豪州時代にこの仕事に参加した人間が、まだほかに何人もいるのだよ」 ● つまり、”マッカーサー草案”は、既にマ将軍が豪州の地にあって、”日本本土侵攻作戦”を開始した時、その作業に取り掛かり始めていたのである。 ------ ●OSSの日本計画がマッカーサーに伝えられ、豪州で憲法作成の準備が行われていたということでしょう。 ● 白洲次郎がこの事実を知ったら「やっぱりそうか!」というに違いありません。 ●OSSの計画は「社会主義は軍国主義の破壊を通して、ブルジョア民主革命を達した後に得られる」という2段階革命論であり、一気に天皇打倒するのではなく、他の改革を待って廃絶させる段階を待つというものです。 ● 以前書きましたが、憲法の「国民主権」「天皇は国民の総意に基づく」というのはまず第一段階のことなのです。 ● ソ連が強行に皇室の廃止を求めたのに対してGHQは計画通り遂行していたのです。 ● 皇室の数を制限して立ち枯れ作戦も第二段階を意識してのことでしょう。 憲法九条も次の革命のときに軍隊がなければ革命を起こしやすいという目的で作成されました。 ●こうして日本共産化のための日本国憲法はGHQピンカーズ(共産主義者)によって着々と進められます。 ハーバート・ノーマンや都留重人氏らが中心になっていたといわれています。 ●よく日本国憲法は7日間で作成されたといわれていますが、実際には準備周到だったわけです。 ←← ● ただ、7日間と言われるのは実際にGHQの民政局の局員を動員して作成していますから、骨子から条文を作るのはその期間で行ったと思われます。 ● ナチス・ドイツの迫害からの逃れて日本にやってきたユダヤ人のベアテ・シロタさんは民政局に配属され、この作業を行っています。 民政局のホイットニー准将はこういったと言います。 ●「紳士淑女諸君! 君たちは今日から、憲法制定会議のメンバーとなった。 マッカーサー元帥が日本国民に与える、新しい憲法をつくる歴史的任務を、我々に与えた」 ●22歳だったペアテさんは驚きました。 回想録には以下のように記してあります。 ●「憲法の専門家といったら、畏怖する対象でしかなかった。 とにかく、私が憲法について知っていることといったら、高校の社会科で学んだだけのことだった」 ●民政局の25人が全くのど素人で、その中の一人、ミルトン・エスマンというユダヤ人の青年が「日本の専門家を招いて、相談するべきだ」と提案したところクビになってしまいました。 ●GHQピンカーズが日本を破壊する目的で作成した日本国憲法を、いまだ、すばらしい憲法だと信じている日本人が哀れでなりません・・・ ■刷り込まれたマルクス階級闘争観 小林よしのり著「天皇論」で小林氏の助手のぽかQ君が一般参賀で「天皇陛下万歳」とまわりにつられてやりましたが、その後、懺悔するところが書かれています。 ----- ぽかQ君 「実は万歳するのをためらった。 俺はすごく抵抗があった。 あの人たちが階級の頂上で、俺なんか底辺の身分なんだろうなあと思って!」 ----- こうした階級闘争観は学校教育やメディアを通して日本人に刷り込まれている感があります。 天皇は特権階級ではないのですが、すり込まれた人は天皇を特権階級とみなし、国民と対立軸にみるでしょう。 実は私の妻も同じで、ある日私が聞いてみましたら、 「いつも一流のものを身につけ、一流のものを食べている特権階級の人」 と答えました。ヤレヤレです。 天皇は無私の存在であり、国民の安寧のために祈られる祭祀王であることを教えなければなりません。 また私の妻は企業も搾取的なものと捉えているようです。 何か特別な主張を持っているというより自然にそんなイメージを持ってしまっているようです。 経営者と労動者を対立軸に考えています。 ● 日本型企業というのは日本の「村社会」を肩代わりしており、わかりやすいところでいえば冠婚葬祭を手伝ったりしているでしょう。 ● 退職金制度などの福利厚生もそうで、老後や社員の家族らも含んだ考え方をします。 ● そして日本型企業は理念型経営であり、「金儲け」でなく、「企業理念」を中心におきます。 ● 企業の所有者は株主というより社員に重きをおきます。 そして企業活動の目的を顧客、社員、株主、地域社会といったステークホルダーズを融合したところにおきます。 ● 欧米などではやたら多い役員がバカ高い報酬をもらい、株主が利権を主張しますが、日本ではそのようなことはありません。 ●学校教育やメディアの報道に染まってしまうと、ポカQ君やわが妻のようになると思います。 もちろん私も社会人になったばかりのときは同じでした。 会社で退職するときに余っている年休を全部消化したいという社員がいると思いますが、階級闘争観でみると労働者の権利であるとし、経営者と対立軸で考えます。 権利は行使するもの、それによって生ずることは会社が何とかするもの、と考えます。 おそらく「それはそうだ」という人が多いと思います。 ●しかし、日本型の考えは年休というものは一人が年間これぐらい休んでも周りの人や顧客に迷惑がかからない、一年間通して計画的にそれぞれ取得していきましょう、という考え方をします。 ●Company by employee(会社を構成するのは従業員)という考え方があるのです。 (そもそもリンカーンの言葉) ●そしてCompany for stakeholderといって、「会社は誰のたのものか」を追求しています。 ●メディアも弱者に注目して権威や権力を敵視する報道をしますね。 派遣でクビになった人にスポットを当てて企業がひどい、政府が悪いといわんばかりの報道をします。 ● 数年前は派遣社員の組織にしばられない生き方、生活に仕事をあわせる生き方にスポットをあてて賞賛していたはずです。 ● 派遣村がマルクス系のイデオロギーに利用されていることも報道しません。 ●このように我々は何でも階級闘争としてみる癖をつけさせられているので、本質を見誤る危険があります。 ● 日本には日本的なものがあると思うのです。 ■ゆとり教育とフランクフルト学派 ●「ゆとり教育」がいろいろ言われていますが、調べてみると昭和47年(1972年)日教組が、「ゆとり教育」とともに「学校5日制」を提起したのがスタートです。 ● 昭和59年の中曽根内閣あたりから強化されていき、平成14年(2002年)から実質的に開始しています。 現在では学力低下が問題になっています。 * 学習内容、授業時数の削減 * 完全学校週5日制の実施 * 「総合的な学習の時間」の新設 * 「絶対評価」の導入 若狭和朋著「続・日本人が知ってはならない歴史」によると、この「ゆとり教育」に文部省(当時)の事務次官が強くかかわっており、仮にO氏としておきます。 ● O氏は「ゆとり教育」だけでなく「ジェンダーフリー」の旗手でもあります。 つまりフランクフルト学派です。 ●フランクフルト学派は戦後GHQの中に潜んでいた隠れ共産主義者が持ち込んだ知識人向けのマルクス主義といわれる思想です。 GHQは本国のOSS戦略情報局より指令を受けていましたが、このOSSにマルクーゼ、ホルクハイマー、E・フロムというフランクフルト学派がいました。 ●彼らは日本が古い封建社会だと誤って認識し、ルカーチの理論に基づき日本破壊と革命の芽を植え付けました。 「日本は21世紀の文明社会ということであるが、実体は、西洋諸国が400年前に捨てた封建社会に近い国だった。 日本の生活には、それよりもさらに古く、どうしようもないものがあった」 ちょっと驚きますね。 ● 華族や士族はありましたが、権力はなく貧乏でとても封建社会というものではありませんでした。 ● マッカーサーも日本は封建社会だと思っていたようで、終戦直後の近衛文麿との会見では近衛に向かって「公はいわゆる封建的勢力の出身ではあるが」と述べています。 ●こうしてフランクフルト学派はルカーチ理論に基づき、人間を疎外している文化を破壊し日本を共産主義へ導こうとしました。 そのためにはあらゆる徳目や「価値」は批判されなければなりません。 神道 神社、家族制度、権威、性的節度、伝統、愛国心、国家、民族、尊敬心… ●フランクフルト学派は特に教育界やメディア関係に浸透していきました。 教育では師と教え子の関係を破壊しなければなりませんし、多くの教科による縛りから子供を解放しなければなりません。 そして「ゆとり教育」なるものが生まれてきます。 ● 「性的節度」を破壊するために学校では日教組による過激な性教育が行われます。 性差をなくすジェンダーフリーや男女共同参画社会なるものが叫ばれました。 ●このフランクフルト学派の特徴は「潜る」ことにあります。 O事務次官は2001年、毎日新聞にこのように述べています。 ●「大学では過激な学生運動をしていた。 権力を倒すには暴力が必要であると考え本気でデモもした」 「しかし本当に世の中を変えるには内部に入ってやらねばと公務員になりました」 ●同氏は若い頃、このようにも言っています。 ●「俺は国家の中枢に入るつもりだ。 プロレタリアートなんぞ、いまは幻想だ。 2・26事件でおれは一個中隊を指揮したかった。 ● 諸君もこれからどんどん国家の中枢に入れよ。 ● 総評(当時 日本労働組合総評議会)なんかにいくら説教しても革命は来ない。 ● 中から、そして上から知力と権力で革命はやるのだ。 マルクスも『ドイツ・イデオロギー』あたりではそう言えばよかったのだ。 マックス・ウエーバーはマルクスの裏を取ったのだ。 ルカーチはそれを知ったのだ。 だから潜るのさ」 ●潜入して気づかれないように時間をかけて日本人を教育、洗脳し、日本を破壊へ導き、共産革命を起こしていくということです。 ●既にわれわれ洗脳されてきています。 「ゆとり教育」 「ジェンダーフリー」 「男女共同参画社会」 「夫婦別姓」 「こども人権」 「地球市民」 「特別なオンリーワン」 ・・・ 新しい考えでいいなー、と刷り込まれていませんか? ● すべてが危険な考えだと言っているわけではありませんが、われわれはこれらの本質を見極めなければならないでしょう。 (貼り付け終わり)
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