http://www.asyura2.com/15/senkyo186/msg/141.html
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訪米した翁長知事一行は精力的に動いているが、残念ながら予想はされたことだが、成果は難しそうだ(後掲のニュース記事など参照してください)。
本当に、孤軍奮闘という言葉が思い浮かんだ。
この間のこれらのことから、今つくづく感じられた、次のように・・・。
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これまで我々は、「沖縄を含んだ日本」という1つの国がアメリカに従属させられていることが問題の根本だと考えていた。そしてその中で沖縄が、地上戦・軍事占領から引き続いて基地化された事実や、アジアにおける地理的位置から、とりわけ重い負担を負わせられていることが今とくに問題となっているのだ、とそのように考えていた。
しかしそうではなかったのではないか。
いま日米の軍事的な一体化はますます進行している。
最近でも、防衛省中央指揮所(市ヶ谷)に米軍幹部を常駐させる動きがあった。
(→ http://www.jiji.com/jc/zc?k=201504/2015041500798)
そうでなくても日米の軍事行動の「シームレスな」連携が強く言われ、着々と実現しようとしている。
いま「切れ目ない」と訳されている概念だが、見逃せないのは2013年10月の「2+2共同発表」では、これが「シームレスな二国間の協力」と訳さないカタカナ書きになっていたことだ。
これは、そのとき日本側に seamless bilateral cooperation(原文。あえて原文という)なる概念がいまだ無かったことを意味する。
つまりこれはアメリカ側から持ちだされた概念で、アメリカから発案・指示・下令のかたちで日本に対し提示されたものであることが分かる。
その後、「切れ目ない」という分けのわからない日本語に訳され、新ガイドライン(日本語訳)でもそうなっているが、 seamless cooperation=継ぎ目のないほど一体となった、という感じは出ていない。
〔それに、「シームレス」はつねに「日米2国間の(軍事的)協力・共同行動」の文脈でつかわれているのに、そこのところが曖昧にされているので、先日も国会で「海保と自衛隊の切れ目ない」連携なんていう筋違いの話題が出たりしていた。〕
いずれにせよこのような日米の(軍事的)一体化の進行を一方に見て、他方に「辺野古が唯一の解決策」などという言い方や、沖縄県民や翁長知事らの反対の気持ちの強い表われを見ると、対立点は(上に述べたように)沖縄をその一部とする日本という国と、それに対するアメリカの支配との間にあるのではなく、問題は、米日の一体となった沖縄支配ないしは「アメリカが日本および沖縄を従属させ、そのもとでさらに日本が沖縄を従属させ支配している」という構造にあるのではないか、と感じられる。
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このような見かたがあることは知っていたが、今あらためて、つくづくと実感されるという意味である。
沖縄はいわば、アメリカによる支配と、日本による支配との、二重の植民地的従属支配のもとにある。このような認識をいまあらためて確認・共有することが必要なのではないか。
これまで、アメリカの帝国主義的なアジア進出と、さらに日本の後進帝国主義的なアジア進出とを考え、1945年まではそれが対立衝突するかたちで考えられてきた。1945年以降はこれについての関係がそれほど考察・把握されてこなかった。(一時これを考えようという動きがあったが、それを除けばむしろ)主流は、アメリカに従属支配せしめられている日本(=沖縄を自国の一部として含む日本)、被害者としての日本、だったのではないか。
「加害者としての日本」は、アジアに対しては、フィリピンやインドシナ、東南アジアに対しては言われ考えられてきた。しかしその加害の対象の中に沖縄は(上記の一部の考え方にたつ場合を除いては)入っていなかったのではないか。
これからは、日本のアジア・東南アジアへの進出・支配を問題とするとき、沖縄もその対象だった=しかももっとも早い時期からもっとも深い関与をもってされた進出・支配の対象だったという観点が必要なのではないか。
(このように、先進帝国主義国たとえばアメリカの支配のもとに、後進帝国主義国すなわち日本が、前者と利害対立・衝突するのでなく、被支配従属のままでたとえばアジア進出が可能となるという体制は、1945年以降のアジアに特殊のことかも知れず、世界史上に例がないかも知れないが、日本の対米敗戦という特殊歴史的な状況のもとでとくに可能になったものと考えられます。あるいは、幕末・明治維新以降の時代についても同じ観点で考える必要もあるかも知れません。)
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そして(ただそのように論評するのではなく)、本土の日本国民としてたとえば辺野古問題を考えるとき、いかなる立場にたつべきか。「沖縄を自国の一部として含む日本という国のための抑止力」などというものに意味を見出すのか、それとも、日本に支配されてきた沖縄の人々の立場にたち、沖縄を支配してきた本土の日本国民という立場でこの問題に向き合うべきなのか。
そう考えれば答えは明らかだろう。答えはもう出ている。
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(参照記事)
翁長知事は「扇動的」 米知日派“反辺野古”を一蹴(テレ朝ニュース 06/02 13:40)
http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000051683.html
ワシントンを訪問している沖縄県の翁長雄志知事が知日派の専門家らと会談し、普天間基地の辺野古移設に反対する考えを説明しましたが、専門家は反対論を一蹴しました。
沖縄県・翁長雄志知事:「私が(辺野古移設に)反対しているというような認識を感じておられる。私からすると、(日米両政府は)つくるということしか考えていない認識ですからね。お互いさまで、それを非難される筋合いはさらさらないので」
翁長知事は、ブッシュ政権で国家安全保障会議のアジア上級部長を務めたマイケル・グリーン氏ら知日派の専門家と会談しました。グリーン氏は、持論である辺野古移設が唯一の選択肢だという考えを伝えた模様で、議論は平行線をたどりました。
新米国安全保障センター、クローニン上級顧問:「米政府にとっては、翁長知事にわざわざ時間を割く動機がほとんどないだろう。翁長知事は怒りをあおる言葉を使い過ぎている」
また、オバマ政権に近い専門家のクローニン氏は、翁長知事が希望した政府高官との会談が実現しないことについて、翁長知事が扇動的な表現で辺野古移設反対を訴えているためだと指摘しました。しかし、基地を抱える地域の知事がアメリカ側に意見を伝える権利はあるとして、意見交換には応じる考えを示しました。
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