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作家の高橋源一郎さん=猪飼健史撮影
特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 作家・高橋源一郎さん
http://mainichi.jp/shimen/news/20150602dde012010004000c.html?ck=1
毎日新聞 2015年06月02日 東京夕刊
◇理解やめた先に戦争
集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案が国会で審議入りした日。鎌倉の緑に囲まれたギャラリーに現れた作家は、意外なほど明るい顔をしていた。
ふと、4年前を思い出す。東日本大震災の直後、社会の雰囲気を巡って話を聞くと、眉間(みけん)にしわを寄せ「ちょっといやな感じ」と繰り返した。時代の不透明感はむしろ強まっているとも言えそうなのに、この明るさは何だろう。
法案が通れば、この国は確実に「戦争」に近づく。憲法、法律、人の心、幾重にもかけられていたストッパーが一つまた一つと外されている。「その方向に遠慮もなく国を動かしている人々が、戦争をしたがっているとまでは思いません。彼らなりに分かりやすい国の形をつくりたいだけなんでしょう。でも、彼ら自身が想像するより危険なことであるのは確かです」。ストッパーがきかなくなれば、「戦争という船」は人の意思を離れ、勝手に針路を決めて動き出してしまうから。
「希望はありますよ」。4年前決して言わなかった言葉だ。「まずは、それぞれの個人が安保論議に加わり、憲法や個々の法律を議題にして徹底的にディスカッションすること。そこからです。まあ、ここは相手の土俵に乗ってあげましょうよ」。肩の力を抜けよとうながすように笑い、「ほんとうの民主主義」について語り始めた。
この4年間、民主主義の根本を知ろうと、18世紀のフランスで活躍した哲学者ルソーの「社会契約論」を精読し、古代ギリシャの統治制度に関する本なども渉猟した。悩んだ末に新聞の時評を引き受け、自らの視座を固めるために欠かせない作業だった。
そうして見えてきたのは「個人の多様性を認め、大事にする精神」だ。「みんな意見が違うってことは、何ごとも決まりにくいということです。でもそれでいい。全員違って仕方ないね、と確認することが民主主義の一番大切なところなんです」
3年前、民主党中心の政権が「決められない政治」と指さされて退場し、「決められる政治」を掲げる安倍晋三政権が誕生した。その「決められる政治」が憲法解釈を変え、法律を変え、「戦争をする国」に変えようとしている。
「多数決で勝った人が総取りで、勝手に憲法を解釈してもいいし、力で押して法律を変えてもいいんだよというのは民主主義でもなければ法治国家でもない。それを独裁制とか王制と呼ぶんです」
「決められる政治」の化けの皮を容赦なくはがす。
「長期的に見て、いわゆる『決められない政治』と『決められる政治』のどちらが人間を幸せにするか。『決められる政治』は独裁につながる。たぶん、『決められない政治』の方が幸せだろう。歴史上、民主主義を選んだ人々は、そこに懸けたのです。だから本来、民主主義を掲げる国に『決められる政治』は存在する方がおかしいんです」
もちろんルソーは、多様性を最大限に認めながらも、何かを決めなくてはいけない時のことも記している。
その場合、問題に関わる「全員が意見を言い、それを全員が理解すること」が必要条件になる。その上で「必要悪」として選挙をする。そうやって決まったことには従うけれど、決まった意見を提案した人は「自分の意見に多くの人が反対している」のをよく知っている。「だから遠慮する。僕なんかの意見が通っちゃってごめんねって。腰を低くして、相手に譲れるところは譲る。そう。これなんですよ」
「これなんですよ」と何度もつぶやいた。
毎日新聞の世論調査では、安保関連法案には5割以上が反対しているが、安倍政権がアクセルを緩める気配はない。そこには「意見が通っちゃってごめんね」の精神はかけらもないように見える。
「そうです。今、安倍さんやこの国の空気は『自分の意見と異なるやつは消えろ』ですから」
それにしても、である。「ほんとうの民主主義」を歴史上、そして今、どれだけの国が手にしているだろうか。
「民主主義は、これまで真の意味では実現したことのない、途方もないプロジェクトなんですよ」。あっさりと言った。民主主義の本家、欧州の国々すら試行錯誤を続けているではないか、と。
一方、独裁制はその下で暮らす人々にとってある意味、楽だ。自分で考えなくても誰かが決めてくれるし、時には失政の責任すら取ってくれる。それでも私たちを含む多くの国は独裁制を嫌悪し「民主主義のようなもの」を守ろうとする。
「自分の意見を持ち、他人の意見も聞く。その作業の繰り返しが人を成長させることを、私たちが経験的に知っているからだと思います」
思いついて「自分の意見を持ち、他者の意見を理解する能力もある国同士が議論した結果、戦争を始めるようなことはあるか」と問うてみた。
「ないでしょうね」。高橋さんは笑った。「『戦争をする』とは『相手を理解しない』と決心することだから。お互いにコミュニケーションが図れているうちは戦争なんて選ぶはずがないですよ」。安保法制の抑止力に頼るのとは逆の発想が、そこにある。
民主主義への信頼とともに高橋さんの希望を強く支えているのが「国や政権が何をしようが、自分の居場所、新しい共同体をつくろうとしている人たち」の存在だ。認知症を「病気」と見ず、自立させることによって元気にさせてしまう施設、子供の多様性と自治を最大限に尊重する学校法人、たった一人でも「独立国家」を宣言する人−−。
高い場所から国を見下ろせば、人々は思考停止しているようにも見える。だが草の根では、自らの頭で考え、他者と話し合いながら生きている人たちがたくさんいることをこの4年間に知ったという。その間の時評や思索をまとめた新刊には「ぼくらの民主主義なんだぜ」とのタイトルをつけた。
「未来は混沌(こんとん)としている。でも、どんな国になっていようが、自分で道を切り開く人は必ずいる。だから絶望することなんかないんですよ」
明るい表情の意味が分かった気がした。私たちは、その一人になれるだろうか。【田村彰子】
◇
「平和安全法制整備法案」に「国際平和支援法案」。安倍政権は国会に提出した安保関連法案に「平和」と冠したが、審議を通じてその不透明さが暴露され「戦争に巻き込まれる」との懸念が広がる。この国はどこへ向かうのか。私たちは今、何をすべきなのか−−。識者と考えたい。
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■人物略歴
◇たかはし・げんいちろう
1951年生まれ。明治学院大国際学部教授。2012年、「さよならクリストファー・ロビン」で第48回谷崎潤一郎賞受賞。近著に「『あの戦争』から『この戦争』へ」「動物記」など。
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