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大都市の農家にぶつけられる“黒い感情”
「地価の値上がりでボロ儲け」は大きな誤解
2015.5.29(金) 有坪 民雄
最近、東京23区内のサラリーマンの方と意見交換する機会がありました。別件で連絡するついでに、私が書いたこちらの記事(「飼料米への転作でコメ農家は生き延びられるのか?」)の感想を聞いたのです。
記事の内容は、米価の暴落で大規模コメ農家が窮地に陥り、地域が崩壊するおそれがあるというものでしたが、彼は「言いたいことは分かるが、都市住民に理解されるだろうか」との疑問を呈しました。そもそも彼は、都市(この場合は東京23区内)で農業を続ける人に対して「黒い感情」を持っていると言うのです。
大都市やその近郊の元農家は、高騰する地価のおかげで労せず金持ちになり、現在農家を続けている人も土地のさらなる値上がりを待っているだけではないのか? それが「黒い感情」の正体です。
持たざる者の嫉妬と言い捨てることもできますが、私自身、大都市でサラリーマンをやっていた経験もあるわけで、確かにそういう感情を持たれるのも分かります。それどころか、そういう人がどれだけ多いか、実は彼以上に知っていたりもするのです。
かといって、彼の言うことに全面的に賛同できない自分がいます。大都市のサラリーマンのメンタリティを知りつつも、農村のメンタリティも理解できる境界線上に私がいるからです。
正直なところ、このテーマで書くと宗教の異端論争に匹敵する論争になりそうで気が重いのですが。一時期流行したキャッチフレーズである「都市と農村の共生」にきれい事ではなく本気で踏み込める人も限られると思いますので、無謀にも私が踏み込んでいくことにします。
30年は農業を続けなければならない「生産緑地」
まず、「黒い感情」をお持ちの方に、大都市近郊で地価高騰に期待している農家と、そうでない農家とを区別する方法をお教えしましょう。
区別の方法。それは、農家が税制として「宅地並み課税」を選択しているかどうかです。地価高騰に期待している農家は「宅地並み課税」を選択する傾向があります。
農地の固定資産税は、農業が他の産業に比べて面積あたり生産性が悪いので、工業用地、商業用地、住宅用地と比べて相当に低く設定されています。大都市近郊の場合、元々農業をしていたのに周囲に住宅などができて営農継続が困難になっても、税制面で応援する制度があります。「生産緑地」と呼ばれる制度です。
「生産緑地」は、申請後30年は営農を続ける意思がある人のみ申請できる制度で、申請すると極めて安い固定資産税を課されるようになります。反面、申請後30年農業を続けないと、農業をやめた途端にどっさりと宅地並み課税がやってきて、相続税もどっさりと払わなければならなくなります。
大都市の地価の高騰は農家が仕掛けたものではなく、不可抗力として上昇してしまったわけで、政府としては、高騰した地価に応じた税金を農家に課すのは現実的ではないと判断して作られた制度です。
そんなわけで、地価の値上がりに期待し、あわよくば大儲けしたいと思っている大都市近郊農家は、生産緑地の申請をせず、市街化調整区域内の農地の税制として「宅地並み課税」を選択します。
すると、こうした農家は、所有している農地の面積に比例して多額の税金を払うことになります。第2種兼業農家でも、2反、3反の土地を持つ農家は小さい農家です。1反は約300坪ですから一般サラリーマンのマイホームの敷地面積を40坪と考えれば、一反農家でも一般サラリーマンの7.5倍の固定資産税を払っていることになります。実際は地価の評価で造成費などが除外されているので7.5倍よりは低いでしょうが、それでも高額になるのは間違いありません。
そのため、大都市圏の農地所有者で宅地並み課税を選択しているのは、一般に郊外の地価の安いところに限られます。これが東京23区内のような場所の農地ですと、普通の生活をしていたらまず払えないほど高額の固定資産税が科せられるでしょう。
よって、現在東京23区内で農業が行われているのは、生産緑地以外にはないはずです。そして生産緑地の指定を受けると、先に書いたように原則30年は指定解除できません。解除できるのは耕作者が死亡して農業を継続する後継者がいないなど、よほどの場合に限られます。
そうなると、今でも東京23区内で農業をしている人たちは、地価の値上がりなど全く期待していない人たちだと断言してもいいのではないでしょうか。農地を宅地などに転用する気があるなら、とうの昔にやっているはずですし、何より筆者が見聞きする大都市の農家は、たいていが「どうしたら“新住民”と折り合いがつけられるんでしょうか」と嘆いているのが現実なのです。
幸せな大都市住民の「犠牲」になった農家
すると、黒い感情を持つなら元農家の土地持ち相手に持つべきである、となりそうです。半分はその通りであると言っていいでしょう。しかし残り半分の元農家の土地持ちは、都市化の犠牲者と言っていい経験をしています。
ある地域で、札束を積まれて一部の農家が廃業する。これが繰り返されて、従来あった農地の半分くらいが宅地になったりすると、新住民のわがままのために残りの農家は営農自体が困難になるのです。
昔、そうした事情で不動産屋に転じた人の話を聞いたことがあります。まだ牛を飼っていた時代でしたから、隣に立った家から「臭い」と言われ、牛糞堆肥をまけば周囲から再び「臭い」と苦情を言われる。それで当時普及し始めていた耕耘機に変えて朝から働いていたら、またしても「うるさい」と苦情が出る。雑草を燃やせば洗濯物に臭いがつくとクレームをつけられ、農薬を散布していたら、もう犯罪者扱いです。
「ALWAYS 三丁目の夕日」に描かれる“幸せな時代”は、こんな大都市農家の犠牲の上に成り立っていたと言ってもいいでしょう。
農業だけに打ち込んできた人たちが突然商売替えしろと事実上強制されて、それで自分の土地で都市住民のためにアパートやマンションを作って儲けたらまた批判される。それは、少々酷というものではないでしょうか?
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43883
「ニッポン農業生き残りのヒント」
「チャライ農業女子」が自給率農政を打倒する
古い価値観を捨て、新たな付加価値を
2015年5月29日(金) 吉田 忠則
農業女子はチャライか――。ここ最近、ずっとそのことを考えてきた。これまでの農家の女性のイメージとは違い、おしゃれな服を着てきれいに化粧をし、メディアの取材に流ちょうに答える。既存の農家なら十中八九、「農業はそんなに甘くない」と思うだろう。彼女たちを冷ややかに見る心情が正しいのか、それとも彼女たちの存在には可能性があるのか。
農業女子プロジェクトのメンバー。左端は首相夫人の安倍昭恵さん(2014年9月、ダイハツ工業の記者会見で)
ここで言う農業女子は、農林水産省が進める「農業女子プロジェクト」に集う女性たちをイメージしてもらえばいい。この連載でも取り上げてきたように(2014年10月24日「農業女子『補助金ゼロ』の仕掛け人」)、農業で働く女性と企業を結びつけ、新しい商品やサービスを開発するための活動だ。
農業女子から見える新たな可能性
一連の取材で分かったのは、華やかに表に出てくる農家の女性は必ずしも多数派ではなく、農村ではいまもかなりストレスフルな環境で働いているということだった(2014年8月8日「まるで都議会のヤジ」)。そこでまず思ったのは、彼女たちがもっと自由に伸び伸びと働けるような仕事になることが、農業がふつうの産業になるための第一歩ということだった。
それは間違っていないとは思うが、あまりに当然すぎて広がりに欠ける指摘だったと思う。農業女子というキーワードを手がかりにすれば、農業のもっと様々な可能性がみえてくるはずだ。最近はそう思うようになった。
一番のきっかけは、農水省が掲げる食料自給率(カロリーベース)の向上目標について考えたことだ。政府は3月末、5年に1回見直す農政の基本計画で、いまは40%前後しかない自給率を45%に高める目標を決定した。
カロリーベースの自給率に対しては、以前から様々な批判がある。代表例は「国内で家畜を育てても、餌を海外から輸入すればその分を自給率から差し引く」という計算式への疑問だ。
これは、ふつうの人の皮膚感覚でも違和感を覚える試算だろう。餌を輸入しているから自給率を下げる。それなら、いまの農業はほとんど機械に頼っているから、海外から原油の輸入が途絶えれば絶対に成り立たない。では、自給率はもっと低いと考えるべきなのか。
こういう疑問が当然わくが、自給率という指標がはらむ矛盾はほかにもある。例えば、家庭の主婦にマイクを向けて、「4割しかない自給率をどう思いますか」と聞けば、たいてい「食料のことが心配です」などと答えるだろう。
自給率が暗黙のうちに想起させるのは、食料問題だ。もちろん、食料輸入が突然途絶えれば、日本はパニックに陥るのは確実だ。だが現実の日本は、数百万トンもの食品を、まだ食べられるのに捨てている「飽食の国」だ。
こんな状態は日本の歴史上、初めてと言っていい。だから、消費者の深層心理に、食料問題への切羽詰まった危機感があるとは考えにくい。日々無駄に食料を捨てまくっていることを、みんな心の底で知っているからだ。
自給率と自給力と
一方、今回の基本計画は自給率とは別に、食料自給力という新たな指標を出した。国内の農地をフルに使って食料を生産した場合、国民に必要なカロリーをどれだけまかなえるかを指す。答えは7割。名古屋大の生源寺真一教授が著書『日本農業の真実』で書いているように、「日本農業の資源と生産性は、絶対的なカロリー供給力という点で、すでに危険水域に入り込んでいる」のだ。
自給率の向上より、農地の保全が優先課題(栃木県茂木町の放棄地)
どちらも、「日本の食料は大変だ」ということをイメージさせる指標だが、政策的には違う方向を示す。まず自給率は、日本の農業の弱い部分を守ることが課題になる。競争力がないため、外国産が入ってきて自給率を押し下げているからだ。だから、政策は補助金に頼りがちになる。既存の農政がそれだ。
一方、「潜在的な食料の供給能力」を示す自給力は反対に、農業の強い部分を応援することにつながる。補助金を使い、いますぐ外国産を追い出す必要はない。平時は競争力のある作物を育てて農地を守り、いざというときにカロリーの高い穀物に植え替えるという選択肢が生まれるからだ。野菜がその典型。穀物と違い、カロリ―は低いから、自給率にはあまり貢献しない。だが、野菜をつくっていても、食料基地としての農地は残る。
農水省はまだそこまでの政策転換は考えていないだろう。だが、補助金を増やし続けることを前提にしたいまの農政は、いつか財政の壁にぶち当たる。そのとき自給力という指標は、新しい農政と農業経営を考えるさいの指針になる。
まず思いつくのは、需要のある作物を組み合わせ、規模を拡大する大規模複合経営だ。これは効率化と同時に、天候や市場が変動するリスクに対応できる強みがある。ひとつの経営で難しければ、複数の農家が集まってグループをつくる手もある。げんにいくつかの先進経営がこういうやり方で成功している。
だがこの方法も、日本の農業が背負っている課題を免れることはできない。冒頭で、農業女子をみた既存の農家は「農業はそんなに甘くない」と思うだろうと書いた。食品が供給過剰の状態にある日本で、農業で利益を出すのが難しいという意味なら、そうしたぼやきはあながち間違いではない。人口減少で日本人の胃袋はますます小さくなるから、この問題はもっと深刻になる。
別の角度から付加価値をつける
そこで新たな戦略が必要になる。首都圏を中心に市民農園を急展開しているアグリメディア(2015年3月13日「『ライバルはフィットネス』の異次元農場」)や、国立市のイベント農場「はたけんぼ」(2月6日「ニンジャが畑を守る意味」)は、そうした例だ。田んぼや畑をたんなる生産の場ではなく、サービス業の場ととらえる発想に新しさがあり、ふつうの農業よりずっと収益性は高い。供給過剰の食料と違い、圧倒的に需要が多いからだ。
イベント農場で畑はサービス業の場になる(東京都国立市の「はたけんぼ」)
市民が農作業に親しむ機会を増やすことは、時代の要請でもある。作物の栽培は創意工夫が必要で、高齢者が体力と知力を維持するのに役立つ。子ども夫婦や孫と交流する場にもなる。高齢化社会にとって、こんな健全なビジネスモデルがあるだろうか。しかも、食料の生産基地としての農地は守られる。
そう考えると、チャラチャラしてみえる農業女子にも新たな光が当たる。「寡黙で地味」が既存の農家のイメージなら、彼女たちはその対極。食べ物があふれかえる飽食の時代に黙々と食料を生産し続ける農業ではなく、食料と畑と田んぼに別の角度から付加価値をつける。そのために必要なのは、古い農業の価値観を脱ぎ捨てることだ。
大事なのは、まずビジネスに徹することだ。農業女子プロジェクトは補助金を使わずにスタートした。交通費さえでないことに驚き、参加しなかった企業もあった。集まったのは、ビジネスチャンスがあると信じた企業だけだ。そして、すでに軽トラや作業着などプロジェクトを通していくつかの新商品が発売され、参加企業も増え続けている。
外交と備蓄と農地の維持と
もちろん、イベント農場が登場し、農業女子が脚光を集めたからと言って、農地の荒廃に簡単にブレーキがかかるわけではない。大切なのは、総力戦だ。今後ますます食料の需要が減るという逆境のなか、だれもがうなるおいしい作物をつくる匠(たくみ)の農家や効率化を追求する法人経営、そして新興勢力が多様な知恵で日本の農地を次代へ伝えるのだ。
最後に「安全・安心」について一言。中国産で事故や事件が相次ぎ、日本人の国産志向は高まった。だが、スーパーでは中国産を敬遠する人の多くが、なぜかレストランの食事や総菜を買うときは、原産地がどこだかあまり気にしない。農水省前には東日本大震災を念頭に「食べて応援しよう」と書いたのぼりがあるが、そういうアプローチで日本の農業に活路が開けるとは思えない。
そうではなく、海外から食料を買い付けることのできる経済力と輸入が途絶えないようにするための外交努力、穀物の備蓄、そして国内の農地の維持を通し、いざというときに国民が食べるものに困らないような体制を築く。それこそが、本当の意味での食の安全・安心だと思う。
新刊! 新たな農の生きる道とは
『コメをやめる勇気』
『コメをやめる勇気』
兼業農家の急減、止まらない高齢化−−。再生のために減反廃止、農協改革などの農政転換が図られているが、コメを前提としていては問題解決は不可能だ。新たな農業の生きる道を、日経ビジネスオンライン『ニッポン農業生き残りのヒント』著者が正面から問う。
日本経済新聞出版社刊 2015年1月16日発売
このコラムについて
ニッポン農業生き残りのヒント
TPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加が決まり、日本の農業の将来をめぐる論議がにわかに騒がしくなってきた。高齢化と放棄地の増大でバケツの底が抜けるような崩壊の危機に直面する一方、次代を担う新しい経営者が登場し、企業も参入の機会をうかがっている。農業はこのまま衰退してしまうのか。それとも再生できるのか。リスクとチャンスをともに抱える現場を取材し、生き残りのヒントをさぐる。http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150525/281528/
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