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国旗国歌について(内田樹の研究室)
http://www.asyura2.com/15/senkyo185/msg/693.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 5 月 28 日 16:40:05: igsppGRN/E9PQ
 

国旗国歌について
http://blog.tatsuru.com/2015/05/28_1617.php
2015年05月28日 16:17 内田樹の研究室


国立大学での国旗掲揚国歌斉唱を求める文科省の要請に対して、大学人として反対している。

その理由が「わからない」という人が散見される(散見どころじゃないけど)。

同じことを何度もいうのも面倒なので、国旗国歌についての私の基本的な見解をまた掲げておく。

今から16年前、1999年に書かれたものである。

私の意見はそのときと変わっていない。

国旗国歌法案が参院を通過した。

このような法的規制によって現代の若者たちに決定的に欠落している公共心を再建できるとは私はまったく思わない。すでに繰り返し指摘しているように、「公」という観念こそは戦後日本社会が半世紀かけて全力を尽くして破壊してきたものである。半世紀かけて国全体が壊してきたものをいまさら一編の法律条文でどうにかしようとするのはどだい無理なことだ。

ともあれ、遠からず、この立法化で勢いを得て騒ぎ出すお調子者が出てくるだろう。式典などで君が代に唱和しないものを指さして「出ていけ」とよばわったり、「声が小さい」と会衆をどなりつけたり、国旗への礼の角度が浅いと小学生をいたぶったりする愚か者が続々と出てくるだろう。

こういう頭の悪い人間に「他人をどなりつける大義名分」を与えるという一点で、私はこの法案は希代の悪法になる可能性があると思う。 

一世代上の人々ならよく覚えているだろうが、戦時中にまわりの人間の「愛国心」の度合いを自分勝手なものさしで計測して、おのれの意に添わない隣人を「非国民」よばわりしていたひとたちは、8月15日を境にして、一転「民主主義」の旗持ちになって、こんどはまわりの人間の「民主化」の度合いをあれこれを言い立てて、おのれの意に添わない隣人を「軍国主義者」よばわりした。こういうひとたちのやることは昔も今も変わらない。

私たちの世代には全共闘の「マルクス主義者」がいた。私はその渦中にいたのでよく覚えているが、他人の「革命的忠誠心」やら「革命的戦闘性」についてがたがたうるさいことを言って、自分勝手なものさしでひとを「プチブル急進主義者」よばわりしてこづきまわしたひとたちは、だいたいが中学高校生のころは生徒会長などしていて、校則違反の同級生をつかまえて「髪が肩に掛かっている」だの「ハイソックスの折り返しが少ない」だのとがたがた言っていた連中であった。その連中の多くは卒業前になると、彼らの恫喝に屈してこつこつと「プロレタリア的人格改造」に励んでいたうすのろの学友を置き去りにして、きれいに髪を切りそろえて、雪崩打つように官庁や大企業に就職してしまった。バブル経済のころ、やぐらの上で踊り回っていたのはこの世代のひとたちである。こういうひとたちのやることはいつでも変わらない。

いつでもなんらかの大義名分をかかげてひとを査定し、論争をふきかけ、こづきまわし、怒鳴りつけることが好きなひとたちがいる。彼らがいちばん好きなのは「公共性」という大義名分である。「公共性」という大義名分を掲げて騒ぐ人たちが(おそらくは本人たちも知らぬままに)ほんとうにしたがっているのは他人に対して圧倒的優位に立ち、反論のできない立場にいる人間に恫喝を加えることである。ねずみをいたぶる猫の立場になりたいのである。

私は絶対王政も軍国主義もスターリン主義もフェミニズムも全部嫌いだが、それはその「イズム」そのものの論理的不整合をとがめてそう言うのではない。それらの「イズム」が、その構造的必然として、小ずるい人間であればあるほど権力にアクセスしやすい体制を生み出すことが嫌いなのである。

正直に言って、日本が中国や太平洋で戦争をしたことについて、私はそれなりの歴史的必然があったと思う。その当時の国際関係のなかで、他に効果的な外交的なオプションがあったかどうか、私には分からない。たぶん生まれたばかりの近代国民国家が生き延びるためには戦争という手だてしかなかったのだろう。

しかし、それでも戦争遂行の過程で、国論を統一するために、国威を高めるために、お調子者のイデオローグたちが「滅私奉公」のイデオロギーをふりまわして、静かに暮らしているひとびとの私的領域に踏み込んで騒ぎ回ったことに対しては、私は嫌悪感以外のものを感じない。

小津安二郎の『秋刀魚の味』の中に、戦時中駆逐艦の艦長だった初老のサラリーマン(笠智衆)が、街で昔の乗組員だった修理工(加東大介)に出会って、トリスバーで一献傾ける場面がある。元水兵はバーの女の子に「軍艦マーチ」をリクエストして、雄壮なマーチをBGMに昔を懐かしむ。そして「あの戦争に勝っていたら、いまごろ艦長も私もニューヨークですよ」という酔客のSF的想像を語る。すると元艦長はにこやかに微笑みながら「いやあ、あれは負けてよかったよ」とつぶやく。それを聞いてきょとんとした元水兵はこう言う。「そうですかね。そういやそうですね。くだらない奴がえばらなくなっただけでも負けてよかったか。」

私はこの映画をはじめてみたとき、この言葉に衝撃を覚えた。戦争はときに不可避である。戦わなければ座して死ぬだけというときもあるだろう。それは、こどもにも分かる。けれども、その不可避の戦いの時運に乗じて、愛国の旗印を振り回し、国難の急なるを口実に、他人をどなりつけ、脅し、いたぶった人間がいたということ、それも非常にたくさんいたということ、その害悪は「敗戦」の悲惨よりもさらに大きいものだったという一人の戦中派のつぶやきは少年の私には意外だった。

その後、半世紀生きてきて、私はこの言葉の正しさを骨身にしみて知った。

国難に直面した国家のためであれ、搾取された階級のためであれ、踏みにじられた民族の誇りのためであれ、抑圧されたジェンダーの解放のためであれ、それらの戦いのすべては、それを口実に他人をどなりつけ、脅し、いたぶる人間を大量に生み出した。そしてそのことがもたらす人心の荒廃は、国難そのもの、搾取そのもの、抑圧そのものよりもときに有害である。

現代の若い人たちに「公」への配慮が欠如していることを私は認める。彼らに公共性の重要であることを教えるのは急務であるとも思う。しかし、おのれの私的な欲望充足のために、「公」の旗を振り回す者たち(戦後日本社会で声高に発言してきたのはほぼ全員がその種類の人間たちである)から若者たちが学ぶのは、そういう小ずるい生き方をすれば、他人をどなりつける側に回れるという最悪の教訓だけだと私は思う。

国旗国歌法によって日本社会はより悪くなるだろうと私は思う。だが、それは国旗や国歌のせいではない。
 

 

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コメント
 
01. 2015年5月28日 17:04:10 : 2DNR4Amrxs
ともあれ、遠からず、この立法化で勢いを得て騒ぎ出すお調子者が出てくるだろう。式典などで君が代に唱和しないものを指さして「出ていけ」とよばわったり、「声が小さい」と会衆をどなりつけたり、国旗への礼の角度が浅いと小学生をいたぶったりする愚か者が続々と出てくるだろう。

こういう頭の悪い人間に「他人をどなりつける大義名分」を与えるという一点で、私はこの法案は希代の悪法になる可能性があると思う。 


これこそが、キャリアコンサルタントから見た私たち日本人にとっての本質的な見立てそのものではないかと見破れば、卒業式や入学式のみならず、君が代斉唱をやるかやらないかということについては、各学校側の判断で決めれば良いだけのことだし、君が代斉唱をやるとなった場合には、歌うか歌わないかということ自体は、子供たちのみならず、各自が自ら判断すべきことであって然るべきではないかと見破れば、歌いたいのならば、どうぞご自由に、ということで歌わせてあげれば良いのだし、歌いたくなければ、どうぞご自由に、ということで歌わなくても構わないだけのことだと割り切れば、公式な場では、お互いに起立だけすることで、誰ひとりとして歌う人は一人もいない雰囲気になったほうが良いのではないかというのが本質的な見立てそのものではないかと見破れば、音楽教師であれば、ピアノ伴奏については、命令されることがなくても、誇りを持って引き受けることにすれば、誰も歌わないなかでも、誇りを持ってピアノ伴奏をしてもらえれば、良いのではないでしょうか。
これを、強制するようなことこそが、本質的な間違いであり、これが「歌わなければ、お山行き」なんていうようなことにでも仕出かす様なことになれば、さすがに怒りなんていうものを通り越して聞いて呆れるばかりとしか言い様がないし、ましてや、文部科学省にしてみれば、このような幼稚なことを強制するくらいならば、まんまと騙されたふりをして、起立だけして歌わなければ良いだけのことだし、このような卑劣なことをしてくるならば、それこそ、ふざけるな!お前らこそ、勝手に歌えば良いだけのことだし、歌いたくなければ、お前らだけで、幾らでも勝手に涙を流しながら、日本からとっとと出て行け!」ということで突き放してしまえば良いのだし、自分ならば、子供たちには、歌いたくなければ歌わなくても構わないのだし、ただ起立だけはすることが礼儀であるのだからね、ということで教えてあげたいし、これならば、大人になってから君が代斉唱をやる機会があった時には、他国の国歌に対しても、君が代斉唱に対しても、誇りを持って敬意を表することで、愛国心というものを分かち合うことが出来れば、此れ程喜ばしいことはないし、日の丸を焼いたり、君が代にブーイングしたりするようなことに対しては、そっと静かに、誇りを持って無視をしてあげるくらいのことで丁度良いのではないだけのことではないでしょうか。


02. 2015年5月28日 17:23:33 : 4Q80R8Zler
>現代の若い人たちに「公」への配慮が欠如していることを私は認める。
>彼らに公共性の重要であることを教えるのは急務であるとも思う。

もっとも欠如しているのは当の本人だろう。

自分が国立大学の教員として税金のおかげで生活させていただいていることもわかっていないようだ。ほぼ公務員のようなもの嫌なら私立の学校へ変われ!



03. 2015年5月28日 17:34:57 : sRyOlHh9Us
税金で飯を食ってる奴らは気楽でいいね。
民間企業で業務命令に従わなかったらどうなるか。
嫌なら辞めるという選択になるはずだけどね。

極論すれば生徒の選択には自由が与えられてもよいが、日本人の団体行動を規律正しくできるという特性は企業の国際競争力を高める効果があるので、余り自由って言うのも考え物。


04. 2015年5月28日 17:39:18 : RRHB3K9wS6
 日の丸君が代問題(私は強制に奔走・狂奔する体制側の意図を推定して、血の丸・血見が世、と表現することが多い)での議論は「賛成派・反対派」でいつもかみ合いません。

 賛成派は「職務命令に従うべし・税金で運営される機関は政府に従うべし・・・」等々を言い立てます。

 反対派は「思想信条の自由・強制の理不尽さ・・・」等々を主張します。

 いつもこの両論が延々と繰り返されて、全く議論がかみ合いません。

 この問題で議論するときは是非に同じ土俵で議論してほしいと思います。即ち
どちらの観点から議論するか?を明確に分けてほしいのです。

 それぞれの観点で別々の議論を尽くし、どちらがより日本国憲法に沿った正しい主張か?を追及して欲しいのです。(ただし憲法否定論は論外です。それは全く別の議論になりますからね。それを言ったら更に議論は無意味になりますし)

 私は「思想信条の自由最大限尊重・強制反対」です。ただしだからと言って自ら「掲揚したい・歌いたい」という人に強制的にやめよとは言いません。やりたい人だけがやればいいと言う考えです。

 日の丸君が代反対派が「反日・亡国」ではなく多くの場合「真の愛国(現時点で国家という概念を肯定・到達した人類の真の意味での愛国と考えている)」観からそのような主張をしていると捉えています。

 


05. 2015年5月28日 17:55:31 : RRHB3K9wS6
>>02さん

 あまり「バカ」をさらさないほうが良いですよ。

 内田樹先生は「国立大学」の教員ではありませんよ。何も知らないでコメントするから、恥晒しになり「バカウヨ」と揶揄されるんですよ。

>>03さん

 あなたも「バカ」さらしなさんな。
 上記の通り内田樹氏は私大の教員だよ。(というと、私大だって補助金という税金が入っているとへ理屈をいうだろうがな)

 私も消費税・揮発油税・酒税・・・などなど大枚に税金を納めているがだからと言って「国公立学校」に「日の丸・君が代を強制」せよなんぞと一寸たりとも思わない。強制しろなんて言うやつは一部だ。(それは愛国心という名目で大いなる「下心」があるからにすぎん。)それをなぜ「強制・職務命令」できるんだ?ぜひとも説明願いたい。

 なお、小生の04のコメントを読んでから、反論願いたい。

 


06. 2015年5月28日 18:03:56 : HQo67bRKvs
公の精神なんてものは昔も今もありゃしないよ内田さん。
ついでに言っておけば、今の若い人たちは世間が言うほど荒れてもいなければ非常識でもない。
いや、むしろ30年前の若者のほうが剥き出しに荒れてたし公衆道徳は廃れていた。
大体、横道入るとちょっとした陰で立小便をしてたなんてことは普通にあった。
70年代の青春映画には長髪にジーパンの俳優が立ち小便しながら、咥えタバコなんてシーンが普通に入っていたりするしな。
何を言いたいのかっつうと、いつの時代にもそうやって公がどうとか国旗国家に愛着を示せないやつは社会道徳なんて持てるはずがないとか、日教組が無軌道で荒れた生徒たちを生み出したとか、いちいち言いたがるやつがいるってことで、そういうやつってのは大抵、昔は良かったとか何の根拠もなく言い出す若年寄りみたいなつまらねえやつだってことだ。
日の丸と君が代を振りかざさして、愛国心を測ることで国を愛す資格のあるなしを決め付ける、そんな馬鹿げた話があるか。
そんなことをやったり言ったりするやつらは、自分に自信がないだけだ。
くだらねえ。

07. 2015年5月28日 18:12:26 : K2IvysfbEo
こういう人類的視点を持たない輩が多すぎる。

一度の人生。

だからこそ
今の問題も大事だが、
生きてる間に人間(自分)というものの
本質を掴む思索がどれほど大事なことか。

それが
この世での自分への土産である。


08. 2015年5月28日 18:15:55 : K2IvysfbEo
07追記

文章が未熟で
意味を取り違えられかねないので付け加えると

内田氏のこの文章は
人類的思索をしている視点の
素晴らしい文章という事です。


09. ダイナモ 2015年5月28日 19:15:52 : mY9T/8MdR98ug : Kr2S1L17Og
>自分勝手なものさしでひとを「プチブル急進主義者」よばわりしてこづきまわしたひとたちは、だいたいが中学高校生のころは生徒会長などしていて、

内田樹と言う人物は、自らの狭い個人的体験を、あたかも普遍的な真実であるかのように騙るトンデモな人物である、ということはよく分かった。


10. 無段活用 2015年5月28日 19:27:09 : 2iUYbJALJ4TtU : hzznhdAYkA

大学は何よりも「知」の継承・発展を責務とする。

「知」とは人類普遍の財産であり、国の都合で変わることはない。

例えば、"f=ma"は米国でも中国でもどこでも"f=ma"で、国によってこれが変わ
ることはない。そのようなことは有り得ないのだ。

教員であれ学生であれ、大学に籍を置くならば、その中では何よりもまずこの
「知」に仕えるべきで、国旗・国歌は二の次でいい、ということだと思う。

ただ、高校・中学くらいまでは事情は違ってくる。そこは公教育の場であり、
公教育の目的には「国民をつくること」が含まれる。だから、そこでは国旗・
国歌がないがしろにされてはいけないと思う。


11. 2015年5月28日 20:24:10 : LjMCkTbcIQ
つーか皇族の子女が学習院辞めて国際基督教大学に入り直して
人生エンジョイしてんのに、下々の草は君が代斉唱とかアホじゃないかと思う。
GHQが作った国際基督教大学で日の丸君が代やってんの(笑)

君が代なんかいらないし、防衛大学だけでは日の丸掲揚しときゃいい
他は学校教育の自治を最大限認めて各自の判断に任せればいい。


12. 2015年5月28日 20:39:25 : LjMCkTbcIQ
下村文科大臣も子供は海外に「疎開教育」を受けさせて
国内の下々の草には国家教育を押し付けようとするダブルスタンダード。
日本の統治者なんて明治期から累々とこんな輩ばかりだろう。
同化同調を教育する、日本の教育システムなんぞ従うだけ損だ。
世田谷の市長見てたら、”中二病”もこじらせて行き着くところまでいったら
社会に貢献できる人材が生まれる。

けれども金太郎飴教育じゃ何も生まれない。


13. 2015年5月28日 20:59:42 : YHw9VFcAP6
馬鹿はもうそこらじゅうに出現している。

そう君が代の斉唱で口元チェッククしたがるやつがいるだろう。
そうハシシタとか何とかいったかな。
そいつが集めた公募校長に教育委員は全部、同種の人間だった。
セクハラ、パワハラ、自分勝手な価値基準。邪魔者は追い出す。


14. 2015年5月28日 21:00:36 : 2DNR4Amrxs
このようなことを強制しようとすれば、中国にしてみれば、まんまと騙されたふりをして、この君が代が四面楚歌代わりに利用されるなんてことになったところで、中国にしてみれば、まんまと騙されたふりをして「そりゃそうだろう。こんなことになったところで文部科学省が自ら招いたことなのだからな」とでも言い返されても反論の余地は何処にもないのは当たり前のこととしか言い様がありませんね。

まともな日本人からすれば、「こういうものは基本的に自由であり、歌い人だけが歌えば良いのだし、歌いたくない人は歌わなくても、ただお互いに起立するだけで、誇りを持って分かち合うことが出来さえすれば、それで良い」というだけのことですよね。

天皇陛下にしてみれば、「天皇制を全体主義の象徴とされること自体が、此れ程迷惑極まりないものはないし、たまったものではない」というのが主訴なのだとするならば、天皇制というのは、あくまでも個人主義の象徴として受け容れることが出来ない連中が、このような幼稚なことを仕出かして、憲法9条を亡き物にしようとしているだけのことではないのか、というのが本質的な見立てそのものではないかと見破れば、文部科学省にしても、外務省と本質的には同じ穴の貉に過ぎない使い物にならない間抜け官僚に過ぎないことを、自ら明らかにしてくれたものだと「見破れば、こんな使い物にならない間抜け官僚なんかは、誇りを持って無視をして、いざとなれば、誰も歌わない雰囲気を作り上げることを誇りとして、このような使い物にならない間抜け官僚のみならず、強制したがる権力者共と、これに従属して歌いたがる賛成派の皆様だけを、幾らでも、そっと静かに悔し涙を流し続けていただく様に、誇りを持って四面楚歌代わりに聞かせてあげる位の方が、ちょうど良いのかもしれませんね。


15. 2015年5月28日 21:37:32 : QmyrjoZuIs
アメリカでは国旗を破いたり、焼いたりする行為が罪に問われるかという裁判でアメリカの最高裁は無罪を宣告した。
その結果はこのような行為が激減したと言われている。
アメリカは日本のように自然発生的にできた国ではない。
アメリカ国民をまとめるための幾つかあるであろう象徴の一部が国旗、国歌である。
この国旗を貶める行為をしたものが罪に問われないことになった。
これは非常に国家として、国民として意識の高い判断である。
国民の国に対する意識を重んじるということだ。

日本に於いてこの国旗、国歌の強要する人間は、人間としてとして非常にレベルの低い人たちの判断行動だと言える。
あのアメリカに比べて余りにも国歌を率いていく、まとめていく意識の低さに唖然とするばかりである。
もうこれはネトウヨのレベルである。
小泉時代に選挙の時に使われたB層ということだ。
せめてC層であればまだしもだ。


16. 2015年5月28日 22:31:44 : fDG1cWsHyw

たかが映画ごときにそこまで感化されてほざける余裕があるなら

 き み が よ 丸

の存在背景も知った上でのことなんでしょうね?

http://www.asyura2.com/13/senkyo153/msg/903.html


17. 2015年5月28日 22:41:57 : 4D8dNDDNDk
君が代不起立で都に賠償命令=停職処分は違法、元教諭ら勝訴―東京高裁
時事通信 5月28日(木)20時47分配信

 卒業式などの君が代斉唱で不起立を繰り返し、停職処分を受けた元都立学校教諭ら2人が、都に処分取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決が28日、東京高裁であった。須藤典明裁判長は、1人の訴えのみ認めた一審東京地裁判決を取り消し、2人に対する処分を違法と認定、都に計20万円の損害賠償も支払うよう命じた。

 君が代不起立訴訟では最高裁が2012年、「戒告までは懲戒権者の裁量の範囲内」とする一方、停職など減給以上の処分は原則的に認められないとの判断を示し、同裁判長もこれを踏襲した。

 さらに、都教育委員会は不起立を繰り返す教職員への処分を機械的に重くすることで、「自らの思想信条を捨てるか、教職員の身分を捨てるか、二者択一を迫っている」と指摘。憲法が保障する思想、良心の自由の実質的な侵害につながると述べた。
 判決によると、2人は2007年3月の卒業式で起立を拒否し、停職3〜6月の処分を受けた。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150528-00000149-jij-soci


18. 2015年5月28日 23:22:51 : 2DNR4Amrxs
君が代不起立訴訟では最高裁が2012年、「戒告までは懲戒権者の裁量の範囲内」とする一方、停職など減給以上の処分は原則的に認められないとの判断

このような判断そのものからして、教職員が不起立というだけで、憲法が保障する思想、良心の自由の実質的な侵害であることは明らかなことであることは言うまでもありませんが、これ以前として、労働者に対する差別的な待遇そのものであり、これはもう断じて許されるものではないし、このような判断を容認しようとすること自体が、もう自らが反日愛国者にほかならないということを明らかにしてくれたものではないかというのが、キャリアコンサルタントから見た、こうした教育委員会のみならず、私たち日本人にとっての本質的な見立てそのものを、自ら曝け出してくれたものだと見破れば、天皇陛下にとっても、子供たちにとっても、此れ程可哀想なことはないのは当然のことですが、もう怒りなんていうものを通り越して、ただただ聞いて呆れるばかりとしか言い様がありませんね。

世界的に見れば、自らが、「どうぞ私たち日本国を馬鹿にして下さい」なんてことと同じことだし、根本的には「諸悪の根源は日本会議にあり」ということで、誇りを持って無視をすることで、起立したくなければ、どうぞご勝手に、ということで構わないのだし、事情により起立することができなければ、別に大したことではないのだし、それでも、そっと静かに敬意を表することにするだけで十分ですから、ということで、暖かく見守り、寄り添っていくことだけを誇りとすれば、このような判断なんか、もうどうでも良いことだし、ましてや小中学校であれば、子供たちにとっては、どうせ忘れてしまうだけのことならば、君が代斉唱をやろうがやるまいがどうでも良いことだし、やるとしても歌わなくてもどうでも良いことだし、仮に起立しなかったとしてもどうでも良いのだし、サッカーの国際試合などで、大人になってからは、幾らでも、このようなことは幾らでも経験するのだから、君が代斉唱の際には、日本人として誇りを持って、敬意を表するとともに、他国の国歌に対しても、誇りを持って敬意を表することで、お互いに分かち合うことが出来る様になってくれる様になれば、もうこれだけで十分なことではないでしょうか。
これならば、たとえ、中国や韓国、北朝鮮の国歌であっても、幾らでも敬意を宝珠ることで、君が代に対しても同じように敬意を表することで、二度と反日感情を向けられることもなく、そっと静かに分かち合うことが出来る様になることで、国際社会全体からすれば、幾らでも涙を流しながらも深く感謝をして応えて頂ける様になることだけを、そっと静かに誇りとして生きていけるようになりさえすれば、此れ程喜ばしいことはございませんし、此れ程素晴らしいこともございませんし、何も言うことはございませんよね。


19. 2015年5月29日 02:20:01 : fDG1cWsHyw

>>17 >>18のような事例があるから胡坐かいてる教職員という名ばかりの社会不適応者が子供を洗脳する権利を持つ立場にあると勘違いするんだよな

いずれも教師と生徒共に監視できる第三者の公的機関がないと
学校教室内で何をやっているかわかったもんじゃないからな

学校教員も多くが自分の子供を公立学校に通わせていない現実があるわけですし


20. 2015年5月29日 07:28:36 : atuowgrUnM
北欧では大学まで無償だと聞いたけど、国歌や国旗ってどうなんだろう。
中国では?
まあ、北朝鮮の大学なら四六時中鳴り響いて至るところにはためいて、奉安殿もどきをたてて崇め奉ってるだろうなあとは想像するが。

21. 2015年5月29日 08:16:36 : 2DNR4Amrxs
北欧では大学まで無償だと聞いたけど、国歌や国旗ってどうなんだろう。
中国では?

これが主訴であるならば、北欧の国民の皆様をはじめ、中国人の方々に聞いて見ないと分かりませんね。
ですが、日本においては、大学教育まで無償化することくらいのことはこの北欧諸国を見倣って実施する分には大いに結構なことだし、入学式や卒業式で君が代斉唱をやるにせよやらないにせよ、各学校側で自由に決めれば良いだけのことだし、仮にやると決めたところで、歌うかうたわないかというのは、教職員をはじめ学生の皆様が、自ら選択すれば良いだけのことだと思えば、やるとなれば、誇りを持って起立するだけで、敬意を表することで、分かち合うことが出来さえすれば、これだけで構わないだけのことではないでしょうか。
これを勘違いして、起立斉唱するのを矯正したりするようなことを仕出かす文部科学省こそが、根本的な間違いであるのではないかと見破れば、このような卑劣きわまりないことを仕出かす文部科学省による指導なんか、誇りを持って無視するだけで良いだけのことだし、他国の国歌に対しても敬意を表するならば、それこそサッカーの国際試合等では、外国人の皆様に対しては、どうぞご自由に、ということで、誇りを持って起立して、共に分かち合うことで、これこそをいくらでも良いロールモデルとして、示して行くことが出来さえすれば、音楽に国境なんかないのは当然のことだし、こうしたスポーツにしても国境なんかなくなっても構わないのだし、全体主義だけを自らやめてしまうことで、この全体主義にしがみついている連中こそが、極めて邪魔な存在でしかないだけのことだと見破れば、誇りを持って、四面楚歌代わりに聞かせながら、いくらでも心の中で、そっと静かに泣き寝入りするのを、天皇陛下と共に暖かく見守り、寄り添ってあげることで、どうぞ安心して、そっと静かに泣き寝入りして下さい、ということで、愛国心というものを分かち合うことが出来る様になりさえすれば、これだけをそっと静かに誇りとして、国際社会全体に、いくらでも見せつけて行く様にすれば良いだけのことではないでしょうか。


22. 2015年5月29日 15:38:18 : vxzMlGV8wY
そんなに歌わせたいなら大臣に、国会議員に歌わせたら。国会議員も歳費を国からたくさんもらっている。文部大臣が議場で国会議員に歌いなさいと言い、口元チェックできるか?絶対にできないであろう。国会は蜂の巣をつついたようになり、開けなくなる。学校でやっていることを国会でやってみたらよい。いかにおかしいか、実感できるであろう。
決して逆らえない立場の者にのみ、歌うのが当然だから歌えと命令する輩は卑怯である。一つのことを皆に同じように行わせ、反対するものは処罰し後ろ指を指させる。これは心理的な戦略だ。君が代によって誰かを陥れることもできるし、相手を試験することもできる。だから、この筆者の優れた意見に狂気のように反対する者が出てくる。

23. 2015年5月29日 16:31:35 : IJjjrLkBu1
  04さんの提議のとおり、施行する側と受ける側、つまり統治側と被統治側との認識の乖離があるのが国旗、国歌をテーマとした論争だろうが、既に論争の域を出て、現実に統治側が実損を被統治側に与える実態となっている。
  それでは、実損を与える側に誰が位置するかといえば、行政機関である。国民が雇用する公僕が統治側に立って命令者として財布を握り、今回は被命令者に実損を課す材料として、国旗国歌を選んだ、という事になるだろう。
  いわば、経営サイドに居る納税者、主権者が、雇用している筈の事務方によって賞罰を采配されている、というのが基本的な事態である。
  従って、まずは公僕である行政機構が組織員に処罰を与える機能を、主権者が託しているのか、否か、という問いを持たなければならないだろう。
  これは明らかに否であり、なぜならば訴訟における被告は主権者代表であるからだ。主権者代表である所轄大臣が被告席に座るということは、つまり、それを選んだ主権者もしくは代表が処罰機能を有している。これは租税主義である以上当然だ。
  従って、国旗、国歌の扱いをどうするか、そして常に国旗国歌がらみの案件に従わない者には実損を与えるか、これは専ら主権者が決めることであり、事務方である行政官が決める事では無い。
  現在の、行政官による処罰の執行(幹部公務員が処分辞令を発出している)の、結果責任が主権者代表であることで、権限と責任の不一致がある以上、こうした処罰施策は行政の瑕疵であり無効である。
  これは一旦議会できちんと整理し、細部まで法制化した後、大臣署名による処分辞令をもって実損の対象とすべき事柄である。
   被処分者側は思想信条を犯されていると捉え、一方処分者側の事務方が、保持してもいない権威への不服従を処罰の理由としている事は確かに永遠の齟齬であるが、とにかく行政部内で、主権者側の署名無くして組織員に実損を与え、国費による俸給を減額することは許されないのである。
   これは、思想信条の問題以前に、血税の使途の問題である。例えば、量刑が法定されている筈の不起立事件を累積して減給としているのが処分者である。
  不起立の基本量刑が訓告なら、本来減給は無い。ゼロは何回繰り返してもゼロであるのは数学の基礎だから、減給ゼロを累積して例えば解雇という死刑宣告は、窃盗の累積に無期懲役を課すような無謀な法の乱用だ。冷遇し、かつ累積で量刑を重くするのは、明らかに行政官による私刑と言えるものである。
   こういう場合、幹部公務員は人事院に案件を送り、人事院は処分予定者、被処分予定者双方から事情を聞き、その内容を文書で大臣まで稟議、最終的に主権者代表として大臣の自筆サインにて、被処分予定者の処遇を決断すべきである。
  こうした手続きを経ずに、予算化された俸給原資を行政部内で実損を課すなどで采配し、例えば訓告相当を累積して減給とし、それを歳出戻入もせずに部内で留保しているなどは許される事では無い。
   かつまた行政部内で不適切とされる教員が必ずしも主権者にとって不適切とは限らない。行政部内で組織員があたかも私刑にて淘汰されることにより、部内の主要に残るのは、上意に従順に生き、利権や談合の構造に異議の無い者だけ、ということが言えるのである。

24. 2015年5月30日 00:15:15 : fDG1cWsHyw
>>22

>そんなに歌わせたいなら大臣に、国会議員に歌わせたら。

全くそのとおり

そうなると

民主系と公明共産社民が消えることになるだろうが


25. 2015年5月30日 07:02:54 : atuowgrUnM
もう議員じゃありません(祝)けど。
都民に強制した慎太郎は、歌わないことを公言してませんでしたっけ。
あのジジイは共産系ではないと思いますが。

26. 2015年5月30日 11:05:11 : 2DNR4Amrxs
都民に強制した慎太郎は、歌わないことを公言してませんでしたっけ。

これが主訴なのだというならば、沖縄県の翁長知事が、まんまと騙されたふりをして、中国のインフラ投資銀行のお金を貰ってから、このお金を日本政府に差し出して、尖閣諸島を沖縄県に払い下げてから、この石原慎太郎を島流しというのも予て、そっと静かに老後生活を送って頂くための老人介護施設を作ってあげることで、尖閣諸島海洋自然公園として整備するならば、この管理人というのも予て、老後生活を送って下さい、ということで応えて行けば良いのではないでしょうか。

そうすれば、この付近の海域については、そっと静かに安定した海域として維持管理することにするならば、今度は日本の海上保安庁の巡視船と、中国の海洋監視船が、共に協力し合いながら、毎朝、君が代を聞かせてあげるという逆転の罠として利用すれば良いのではないでしょうか。
石原慎太郎に対しては、どうぞ毎朝君が代を聞きながら、そっと静かに涙を流しながら、深く感謝をして応えて頂ければ、これだけで十分ですから、ということで応えてあげれば良いだけのことではないでしょうか。


27. 2015年12月13日 16:06:09 : FxUcssE0UQ : nX8oVt_tv8A[233]
>25. 2015年5月30日 07:02:54 : atuowgrUnM
>都民に強制した慎太郎は、歌わないことを公言してませんでしたっけ。

君が代の代わりになる候補詞曲を探していたってことと勘違いしてないか?


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