http://www.asyura2.com/15/senkyo185/msg/560.html
Tweet |
不毛で最悪だったポツダム宣言をめぐるやり取り
ポツダム宣言は、しょせんは勝者による敗者への宣言
2015.5.26(火) 筆坂 秀世
安倍首相、アジアに1100億ドル投資を表明 AIIB資本金上回る
都内・首相官邸で会見する安倍晋三首相(2015年5月14日撮影、資料写真)。(c)AFP/TOSHIFUMI KITAMURA〔AFPBB News〕
5月20日、久しぶりに党首討論が行われた。安倍首相と各党党首が討論することは、大いに結構なことではあるが、共産党の志位委員長と安倍首相のポツダム宣言をめぐるやり取りは、正直、最悪だと思った。
志位氏は、「戦後の日本は1945年8月、ポツダム宣言を受諾して始まった。ポツダム宣言では、日本の戦争についての認識を2つの項目で明らかにしている」
「1つは第6項で、日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服に出ずるの過誤を犯した勢力を永久に取り除くと述べている。日本の戦争について世界征服のための戦争だったと明瞭に判定している。日本がドイツと組んでアジアとヨーロッパで世界征服の戦争に乗り出したことへの厳しい批判だ。もう1つ、ポツダム宣言は第8項で、カイロ宣言の条項は履行せられるべく、と述べている。カイロ宣言とは1943年、米英中3国によって発せられた対日戦争の目的を述べた宣言だが、そこでは3大同盟国は日本国の侵略を制止し、罰するため、今次の戦争を行っていると日本の戦争について、侵略と明瞭に規定するとともに、日本が暴力と強欲によって奪った地域の返還を求めている。この認識を認めるのか」と安倍首相に問い質した。
これに安倍首相は、「このポツダム宣言を、われわれは受諾し、そして敗戦となったわけだ。そして今、私もつまびらかに承知しているわけではないが、ポツダム宣言の中にあった連合国側の理解、例えば日本が世界征服をたくらんでいたということなども今、ご紹介になられた。私はまだその部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから、ここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思うが、いずれにせよ、まさに先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけであって、われわれはそのことは忘れてはならない。このように思っている」と答弁した。
今さらながらのこんなやり取りが何にとって有益なのか。志位氏は、何を期待してこんな質問をしたのか。まったく生産的とは思えない。
安倍首相のポツダム宣言に対する認識とは
そもそも安倍首相が、ポツダム宣言と同様の認識を示さないことなど、志位氏は百も承知だったはずだ。もし安倍首相が、「私はポツダム宣言の一語一句と同様の認識をしています。共産党と一緒です」などと答弁すれば、志位氏は、後の質問を続けることはできなかった。認めないことを分かっていたからこそ、成り立つ質問だったのだ。
「しんぶん赤旗」には、「考え抜かれた論理だった」という、いつもの浅薄な党員による自画自賛の感想が掲載されているが、別に大して考えずとも、ちょっと安倍首相を困らせてやろうと思えば思いつく程度のことである。
実際、その後の志位氏の記者会見を見てみると、手の内がバレバレである。5月22日付「しんぶん赤旗」によると、志位氏は21日の記者会見で次のように語ったというのだ( [ ] 内は筆者による補足)。
「 [志位氏は] 安倍首相が自民党幹事長代理だった2005年当時、『Voice』7月号の誌上対談で『ポツダム宣言というのは、アメリカが原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、『どうだ』とばかり叩(たた)きつけたものです』と述べていたことを示し、『政治家として根本的な資質が疑われます』と語りました」
「問題の発言は、 『ポツダム宣言』に触れて小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝をただした民主党の衆院議員を [安倍首相が] 批判するくだり。 [安倍首相は] 『ポツダム宣言』について先のようにのべたあと、『そんなものをもちだし、あたかも自分自身が戦勝国であるかのような態度で、日本の総理を責めあげる。大変な違和感を覚えました』と語っています。
こうした発言について志位氏は『事実誤認があります』と指摘しました。『ポツダム宣言』が発せられたのは1945年7月26日、日本が受諾通知したのは8月14日、公式調印したのは9月2日です。他方で原爆投下は8月6日と9日だからです」
「志位氏はこの時系列を端的に示し、『2つ原爆が落ちたあとに叩きつけたものではありません。一連の発言をみると本当に [安倍首相がポツダム宣言を] 読んでなかったことがうかがわれます』とのべました」
安倍首相の過去の発言を見れば、ポツダム宣言の認識と同様でないことはよく分かっていた。同様の発言を何とか引き出したかったというのが、今回の質問の狙いであった。
だがそれには失敗したということだ。そこで「つまびらかには読んでいない」という発言を曲解して、「ポツダム宣言を本当に読んでいない」と小馬鹿にする作戦に出たということだ。わざわざ原爆投下とポツダム宣言が発せられた日を時系列に並べて見せて、「本当に読んでなかったことがうかがわれる」と言ってみせる。毎度のことだが、小賢しい手法だ。
安倍首相の自民党幹事長代理当時の発言が、やや正確さを欠いていたことは事実だが、ポツダム宣言の本質は言い当てている。何回もの無差別爆撃を行い、日本の都市を破壊し尽くした後、「どうだ」と突き付けたのがポツダム宣言だったからだ。しかも、その後に原爆を2発も投下したのだ。この米国の国際法違反の行為については、いっさい批判しないのが志位氏と日本共産党の立場なのである。
ポツダム宣言を歴史的事実に即して見る視座が必要
それにしても安倍首相の「つまびらかに読んでいない」というのは、最悪の答弁であった。「戦後レジームからの脱却」を掲げる当人が、それはないだろう。
ポツダム宣言に対しては、2つの視座が必要だと思う。それは政治的事実と歴史的事実である。
政治的な視座に立てば、日本政府がポツダム宣言を認める立場に立たざるを得ないことは明白だ。これはサンフランシスコ平和条約についても同様である。日本は、戦争を終わらせるためにポツダム宣言を受諾した。この事実を否定することなどできないからだ。だから「ポツダム宣言を認めるか、否か」などという質問を国会ですること自体が無意味なのである。
だがそれは、ポツダム宣言の内容をすべて正しいものとすることとは、おのずから別である。ポツダム宣言は、しょせんは勝者による敗者への宣言である。両者が協議して決めた内容ではない。そこには往々にして勝者の驕りや一方的な見解が入っていても何の不思議もない。そういうものである。
例えば志位氏が持ち出したポツダム宣言第6項の「世界征服の挙に・・・」というのは、明らかに不正確である。確かに日独伊防共協定を締結してはいたが、これが強力な力を発揮するようなことはなかった。日本で言えば、泥沼化していた日中戦争の局面打開、ドイツで言えばソ連軍の東西分断、イタリアで言えば、ヨーロッパ内での孤立解消など、それぞれが危機的局面の打開から行ったものであり、「欧州における新秩序建設」「大東亜における新秩序建設」などをうたってはいたが、大言壮語の類に過ぎなかった。
同じ帝国主義国家として、米英仏などに比べて植民地の少ない日独伊の生き残り戦争という面を否定できない。
ポツダム宣言は、確かに勝者から敗者に突き付けられたものだ。だが内容は、本来は勝者をも拘束するものでなければならないはずだ。だが勝者の国々がその後、植民地を自ら解放していったか。勝者が侵略と呼ばれるような強欲な戦争をしてこなかったか。答えは、すべて否である。
ポツダム宣言を受諾した事実を否定することはない。またできもしない。しかし、その内容を吟味することまで否定するというのは、思考停止と言わなければならない。安倍首相は、かつて「そんなものをもちだし、あたかも自分自身が戦勝国であるかのような態度で、日本の総理を責めあげる。大変な違和感を覚えました」と語ったそうだが、同感である。志位氏に、堂々とその態度が表明されなかったのは、残念である。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43877
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK185掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。