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『九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実』(岩波書店)
軍の命令で米兵捕虜を生きたまま解剖…70年目に明らかになったあの戦争の“真実”
http://lite-ra.com/2015/05/post-1125.html
2015.05.23. リテラ
先日、安倍政権が閣議決定した安保法制。この法制について参議院予算委員会で「戦争法案」ではないか、と疑問を呈したのが福島瑞穂議員だ。福島氏の発言を自民党の理事は「不適切」とし、議事録での修正を求めるという言論弾圧を平然と申し出たが、当然ながら修正要求に応じるはずもなく、そのまま公開された。
国会での論議中に発せられた「戦争法案」発言すら揉み消そうとする面々は、安保法制を「平和安全法制」という命名で広めようと躍起になっている。安倍首相は14日の会見で「戦争に巻き込まれる、という批判がまったく的外れであったことは歴史が証明している」と語っているが、「平和安全を守るために」という大義名分が、いくつもの戦争の動機になってきたことは、それこそ歴史が証明している。
安倍首相は会見で「まるで自衛隊員の方々が、今まで殉職した方がおられないかのような思いを持っておられる方がいらっしゃるかもしれませんが、自衛隊発足以来、今までにも1,800名の自衛隊員の方々が、様々な任務等で殉職をされておられます」と語っている。平和安全のためには、人が血を流すこともやむを得ないという本音を漏らすことで、自らがレッテル貼りだと断じたはずの「戦争法案」という命名を呼び寄せてしまった。
「戦争に巻き込まれる、という批判がまったく的外れであったことは歴史が証明している」という首相からの空疎な宣言を頭に残しながら読んだのが、熊野以素『九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実』(岩波書店)。著者が「再び『戦争のできる国』になろうという逆流が渦巻く今日こそ、明らかにしなければという思いで、本稿を記した」とする一冊。先の戦争に巻き込まれ、国の都合を個人の責任として押し付けられ、死刑判決まで受けた若き医師の苦悩が描かれる。
九州大学生体解剖事件とは、終戦直前の1945年春、九州大学医学部が日本軍から米軍捕虜の提供を受け、生体実験によって米軍捕虜8名を殺した事件のこと。著者の伯父である鳥巣太郎助教授は4回行なわれた手術のうち、抵抗しつつも2回の手術に参加してしまう。補助作業のみだったが、終戦後に開かれた裁判では生体実験の首謀者の1人に仕立て上げられ、死刑判決を受けることになったのだ。著者は、入手した裁判資料のなかに再審査資料が多く含まれていることを発見し、親族の証言などを交えながらその真実に迫った。
1945年5月、阿蘇山中にB29が墜落、搭乗員11名のうち2名は村人になぶり殺され、残りの9名は福岡の仮説収容所に入れられた。後に機長だけが東京に送られたが、その理由は、大本営から「飛行機の操縦士および情報価値のある捕虜のみは東京に送るべし。以下は適当に処置せよ」と指令が下っていたから。そう、実力者以外は「適当に処置」しなければならなかったのだ。
当時、九大医学部では軍からの依頼で代用血液の研究が進んでいた。本土決戦の日も近いとされるなかで、その研究が急がれていた。小森軍医見習士官と石山福二郎教授が捕虜による生体実験を画策、大学内では公然の秘密として、実施に向けての動きが早まっていく。1回目の実験手術では、1人の飛行士には「治療をするため」、もう1人の飛行士には「正式の捕虜収容所に移す前に予防注射をするため病院に移送する」と嘘をつき、目隠しをし、手錠を掛け、手術台まで移送される。
「着剣し参謀憲章をつけた高級将校」の2人が立ち会うなかで、胸膜が開かれ、右肺全部が切り離され、代用血液である海水が、弱った飛行士に注射される。小森見習士官が「生かしていくわけにはいかなかった」と後に語ったように、今にも呼吸が止まりそうな飛行士に対して、わざわざ「縫合した糸を切りほどいて傷口を再切開した」という。
執刀の補助をしていた鳥巣助教授は「肺の切除をやる必要があるのだろうか?」と不審に思ったが、口に出すことなど許されなかった。2回目の手術の時、鳥巣は意を決して手術について問い質すと、石山教授から「この手術は自分が軍から直接依頼を受けてやるのである。君らはわしの命令に従えばよいのだ。あれこれ言う立場ではない」と叱責されてしまう。その日の手術では、胃を全摘、心臓を露出させて切開・縫合を行なった。この日も室内には参謀将校が、ドアには武装兵士がおり、事の流れに従うしかなかった。
ほどなくして終戦を迎えると、仮設収容所に残っていた捕虜は残らず惨殺された。著者は、この事実こそ「生体実験が軍の行為であったという証拠」だと指摘している。ポツダム宣言第10条にある「日本の捕虜になっている者に対して虐待を加えた者を含む総ての戦争犯罪人に対しては厳格なる裁き」の適用を逃れようと、捕虜殺害は隠蔽された。やがて石山教授が自殺し、新聞報道で捕虜殺害が明らかになると、どこからともなく「鳥巣先生は石山教授の第一助手だった」との声が高まっていく。
証言台で、自分はむしろ手術の中止を申し出た、軍の命令だったと繰り返し訴えるも、鳥巣に対して死刑判決が下る。妻が受け取った外務省からの判決通知書には「教授鳥巣太郎」とあった。皮肉なことに、助教授だった鳥巣は責任を取らされるかのように教授に昇格していたのだ。妻の献身的な活動が実を結び、減刑を勝ち取ることになるが、国の絶対的な命令に必死に逆らった若き医者が、むしろその責任を背負わされる立場へと変転していく様はただただ恐ろしい。
著者は、古希を迎えた自身がこの本を書き上げた動機として、「せめて戦争がどんな残酷なものか、どれほど人の心を狂わせるかを若い世代に伝えるのが義務である」とした。刑期を終えた伯父は晩年、「日米安保条約と自衛隊の補強をテーマにした報道番組」に映る自衛隊の戦車の映像を、厳しい目で見つめていたという。
安倍首相は今回の安保法制の閣議決定は「戦争」に繋がるものだとする指摘を「レッテル」とし、あくまでも「平和安全」の強化だと言い張った。著者は本書で70年前の事件を掘り返し、戦争というものが、いかにじわりじわり人を蝕んでいくかを明らかにしていく。先日の会見で「私たちは、自信を持つべきです。時代の変化から目を背け、立ち止まるのはやめましょう」と前向きなJ-POPの歌詞のような宣言で会見を締めくくった、何かと未来志向な安倍首相。こういった歴史の具体的な断片に「つまびらかに」目を向けることはない。本書は、逃げ足の早い国家がいかにして個人に責任を押し付けてきたのか、戦争の古傷を静かに教えてくれる。
(武田砂鉄)
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