33. 母系社会 2015年5月25日 06:08:56
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●確かに、今回の党首討論で安倍首相が、日本の政治家にとっては基礎的文献であるはずの「ポツダム宣言」を読んだことがないことを暴露したのは志位氏の大きな功績です。そして、志位氏が言うように、日本は、日本に無条件降伏を求める「ポツダム宣言」を受諾したし、現在の世界秩序は「ポツダム宣言」を前提として成り立っている。だから日本は、この「ポツダム宣言」を前提とした外交を行わないと、世界の孤児となりかねないことも志位氏の言う通りです。そして、「ポツダム宣言」には、言論や宗教、思想の自由、そして基本的人権尊重の確立のような、戦後の日本国民にとっても良い日本の改革構想が書かれているのも確かだが、一方では、戦勝国である連合国側の見地を述べた部分もあるので、全面的に肯定しなければならないような文献ではありません。 というのは、あの大戦は日本の軍国主義が引き起こした戦争であり、日本の軍国主義を除去すれば、二度と再びあのような世界大戦は起きないという見地に立っているからで、こうした「日本悪者論」はブルジョア民主主義的な総括に過ぎないからです。 ●志位氏は資本主義の克服と、主権国家の消滅を目指す共産党の最高幹部なのですから、「ポツダム宣言」を論じる場合には、まずは、レーニンの「帝国主義論」と、そして、先の大戦はレーニンが予想した帝国主義国間戦争であったことを論じなければならないはずです。 つまり、先の大戦は、米英仏などの先行的に帝国主義化したことで広大な植民地を持つ連合国に対し、独日伊などの帝国主義化が遅れたため、わずかな植民地しか持っていなかった枢軸国が、植民地の再配分を求めて戦った帝国主義国同士の戦争だったというマルクス派の戦争論を言わなければなりません。 そして、連合国も枢軸国も、マスゴミを悪用して国民を騙していたので、連合国は民主主義で善であり、枢軸国はファシズムで悪という構図は、戦勝国である連合国が創りあげた自己正当化のための幻想であること、つまり、枢軸国が民主主義をないがしろにしていたのは確かですが、連合国側も偽装民主主義国に過ぎないことを確認し、こうしたことを前提として「ポツダム宣言」を論じなければならないはずです。 ★なぜなら、戦後の世界はグローバル経済化が進んだことで、戦前のブロック経済とは異なっているとは言え、リーマンショックが起きた時、多くの人が1929年のような世界的大恐慌へと発展し、その結果、先の大戦のような世界的な規模の全面戦争を危惧した人は少数でしょうが、現在の世界を支配する米国の巨大資本(軍産複合体)が恐慌による「需要不足」を補うため、何らかの形の戦争(代理戦争)を引き起こしてことを心配したのではないかと思います。 現代資本主義が、恐慌が戦争を引き起こす市場経済の習性的メカニズムを克服したかどうかは誰にもわかりません。グローバル経済化が進んだ現在でも、世界的な不況=恐慌が最も矛盾が蓄積した地域での戦争を引き起こす可能性はあるからです。 ●米国も帝国主義化していたことは、スペインやフランス、メキシコとの戦争で奪った植民地を国土化し、海外でも、ハワイやキューバなどのカリブ海諸国を事実上の植民地にしたし、義和団事件では中国も侵略し、レーニンの革命政権を潰すためにロシアにも派兵したことからも確かです。 また、米国が民主主義国ではないことは、戦前の米国では労働運動が弾圧され、多くの社会主義者が殺害されたこと、また戦争直前までは米国でも、フォードやスタンダード石油、デュポンのようにヒットラーを支持する有力な勢力がいたし、戦後も1950年代には「マッカーシズム」が席巻して、チャップリンまでもが左翼と見なされて米国から追放され、この時には、米国の学者も迫害を恐れ、左派と誤解されそうなテーマの研究は避けるとか、ソ連と同じような事態になったことでもわかります。 その後も米国は、イランや南米チリで反動派を使い、選挙で成立した合法政権を武力で親米傀儡政権に変えたり、親米派であれば王政や軍事政権も支援したので、連合国を代表する米国が民主主義国などというのは全くのウソです。 ●ですから、「ポツダム宣言」についての議論を行う前に、連合国も枢軸国も、どちらも帝国主義国であって、その点では日本と米国などの連合国は対等であること、二度の大戦で1億人近い犠牲者を出したのは、個々に武装した主権国家体制と、その資本主義経済=市場経済が主な「原因」であることを確認するべきでした。 つまり、戦前の世界も、戦後の世界と同じように、自然必然的に不信感や警戒感を相互的に醸成する主権国家から成る世界なので、国家は相互に「敵対」し合う関係でした。また、皆、資本主義国ですから、国内の企業も国家同士と同じように、生き残るための経済競争で「敵対」し合う関係で、政府は不況が定期的に起きるのを防止できませんし、個々の国家の根底には、資本と労働とが対立し合う関係があります。 こうした国家の内外の敵対的な関係があの大戦を起したのであり、先の大戦を、連合国と枢軸国のどちらがどちらが軍国主義で悪であり、どちらが民主主義で善であるかというような問題に還元してしまうのは観念論です。つまり、親鸞が「わがこころのよくてころさぬにはあらず。また、害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし。」と言ったように、マルクス思想の立場も仏教と同じように、関係こそが全ての情況を規定していると考える立場です。つまり、善人や民主主義なら戦争はしないというのも幻想で、これらは二次的な関係性の自覚化に過ぎず、関係性が敵対的なら、善人や民主主義国でも戦争をする場合もあります。 ★マルクス思想の立場では、あの二度の大戦の真の「原因」は、主権国家体制と資本主義経済と考え、この二つの克服を目指すのが共産党の立場のはずです。この国家の内外の敵対的な関係性こそが、あの大戦を引き起こしたのであり、戦争を防ぐには、国家同士、企業、階級同士の敵対的関係性を変えることこそが重要です。つまり、<関係の革命>を目指すのがマルクス思想の立場です。 とは言え、善悪の規範(道徳)や民主主義などの思想も重要で、これらを無視することは危険ですから、志位氏がこれらに拘るのも理解できます。 ★しかし、志位氏がマルクス派の立場なら、まずは、先の大戦は帝国主義戦争であったということ、そして、その点では日本と米・英・蘭などの連合国は同罪であったことを前提として確認してから、「ポツダム宣言」について論ずるべきでした。 |