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2011年1月、会談して握手する橋下氏(右)(当時は大阪府知事)と東国原氏
東国原氏、引退表明の橋下市長にエール「橋下徹が必要になる時が来ます」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150518-00000097-sph-soci
スポーツ報知 5月18日(月)11時34分配信
橋下徹大阪市長と親交があり、本紙コラム「東奔西走」でも、おなじみの前衆院議員・東国原英夫氏(57)が「大阪都構想」の住民投票結果を受け、手記を寄稿。政治生命を懸けた構想を否決され、政界引退を表明した橋下市長に「前を向け! リベンジせよ」とエールを送った。
今はただただ、残念な気持ちでいっぱいです。橋下さんは、本当に政界引退なのか、信じられない気持ちです。まずは、ご苦労さまと言いたいですね。
残念な結果になりましたが、私の知る橋下徹という男について思い返してみます。みなさんは、茶髪で色付き眼鏡をかけた橋下さんを覚えているでしょうか? 大阪の番組で活躍していた橋下さんを「面白い」と目をつけたのは、島田紳助さんでした。2003年ごろ、紳助さんが司会をしていた「行列のできる法律相談所」(日テレ系)に出演を依頼して、東京での活動が始まりました。
橋下さんとは、ちょうどそのころ、“ある事件”をきっかけに親しくなりました。週刊誌に私と女性とのツーショット写真と不倫をにおわすような記事が掲載されました。当時、私には奥さん(女優・かとうかず子)や子供もいましたし、女性にも夫がいて、私もよく知っている方でした。グループで食事をしただけなのに…。私も相手方も家庭はムチャクチャになりました。周囲の弁護士に相談したところ、みなさん難色を示した。でも、橋下さんに相談したところ、「東さん、(週刊誌相手に)裁判やりましょうよ」と言ってくれました。その心意気がうれしかったですね。
有名な話ですが、橋下さんが弁護士になったのは、早大時代に革ジャンを売るビジネスで不渡り手形をつかまされたことがきっかけです。リベンジのために弁護士になった。もともと正義感が強く、世の中は公平であるべき、という思いを持った男です。芯の強さみたいなものは弁護士活動を通じて、磨かれていったのでしょう。「敵を作って相手をやり込める」政治手法と言われています。イエスかノーか、白か黒か、を迫る。「小泉純一郎元首相の手法をまねている」と言われますが、私は違うと思います。橋下さんは、弁護士活動する中で二項対立で思考し、解決策を見いだしていく方法を身につけたのだと思います。
府知事、市長を経験して直感的に問題に気づき、二重行政などを是正する「大阪都構想」を打ち出しました。しかし、橋下さんは敗れました。でも、これで終わりですか? 橋下さん。2020年の東京五輪まで日本はある種の高揚感に包まれるでしょう。それは素晴らしいことですが、一方で、少子高齢化が進むなど難しい局面を迎えます。その時、誰が必要か。日本が不況やピンチになった時、必ず橋下徹という男が必要になる時が来ます。それが国政なのか、首長なのか。リベンジのチャンスはまだあります。
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