http://www.asyura2.com/15/senkyo185/msg/161.html
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橋下市長が政界引退、「大阪都構想」わずか0・8%差で否決
http://www.hochi.co.jp/topics/20150518-OHT1T50049.html
◆住民投票開票結果 反対50・38%(705,585票)―賛成49・62%(694,844票)
大阪市を廃止し、5つの特別区を新設する「大阪都構想」への賛否を問う住民投票が17日投開票され、大接戦の末に反対多数で否決された。1889年の市制施行で誕生した大阪市は、政令市のまま存続が決定。自らの政治生命を懸け、二重行政の解消などを訴えてきた大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長(45)は、今年12月の市長任期を全うした上で政界引退することをあらためて明言した。
死力を尽くしての敗北に、橋下氏はどこまでもすがすがしい表情だった。午後11時すぎから大阪市内のホテルで開かれた会見で「最高の舞台で、自分で政治家としての期限まで切らせてもらって、こんな最高の人生はない。本当に悔いなし」。2008年の府知事初当選から7年、大阪都構想を掲げ、10年4月に大阪維新の会をたち上げてから5年。自らの政治生命を懸けた戦いに敗れ、改めて政界引退を明言した。
一大旋風を巻き起こした橋下人気も、反対派の強固な岩盤を突き崩すことはできなかった。告示後の世論調査で明らかな劣勢が伝えられる中、連日午前10時から午後9時すぎまで演説。最終日のこの日も、投票締め切り直前まで市内を回り、その合間にツイッターまで更新して支持を呼びかけた。しかし執念は実らず。「自分なりに悔いのない7年半。思う存分やらさせてもらった。大変幸せな7年半だった」。その表情は笑みに満ちていた。
11年の大阪市長、大阪府知事のダブル選で都構想を争点に掲げ、松井一郎大阪府知事(51)とともに圧勝。その後、協力を約束していた公明党が府市両議会で反対に転じるなどし、都構想は何度も頓挫しかけた。それでも昨年3月には出直し市長選、同12月の衆院選では公明議員の対抗馬として自らの出馬もちらつかせるなどして難局を打開。強引との批判をたびたび浴びながら、住民投票までこぎつけた。
今月上旬には、スポーツ報知の取材に「家族はこの7、8年、ずっと我慢。負担ばっかりです」と吐露。「父親がこれだけ批判されて、子供は普通ならグレてもおかしくない。自分で言うのもなんだけど、本当にできた子供です」と、7人の子を持つ父親の顔も見せた。この日も「なんとか8年分取り戻していきたい」と、あらためて感謝の気持ちを表現した。
今年12月の任期までは市長職を全うするが、11月か12月に実施される次期市長選には立候補せず、弁護士に戻る。街頭演説中、支持する市民から「ここで辞めたらもったいない」と続投を期待されたが、「負けるなら住民投票を仕掛けるべきじゃない。住民のみなさんの気持ちをくみ取れていなかった」と、住民投票の再挑戦も否定。「これからは自分の人生。弁護士としてプロフェッショナルの仕事をしていく」と、高らかに宣言した。
12年に日本維新の会、14年に維新の党の共同代表として衆院選を戦い、国政でも自民、民主に次ぐ第3勢力を作り上げた。維新の党では来夏の参院選に向けて国政転出を望む声も根強い。08年の府知事選では「2万%ない」と断言しながら出馬した経緯があり、引退宣言には疑問がつきまとうが、橋下氏は「あの時は番組出演が決まっていて、出馬すると言うわけにはいかなかった。今は何も制約がない。政治家人生は終了です」と重ねて断言した。「光り輝く大阪を作る」との志は実現できないまま、政界を去る。その表情は、どこまでもさわやかだった。
◆橋下 徹(はしもと・とおる)1969年6月29日、東京都生まれ。45歳。府立北野高校を経て早大政経学部を卒業。タレント弁護士の先駆けとして2003年ごろからテレビ番組で活躍した。08年の大阪府知事選で初当選。10年4月に大阪都構想を掲げて「大阪維新の会」を設立。11年、知事を辞職して大阪市長選に出馬し、当選。12年には「日本維新の会」をたち上げ、国政にも進出する。14年3月、出直し市長選で再選。同年9月「結いの党」との合併で誕生した「維新の党」でも共同代表に就任したが、同年12月の衆院選後に辞任、最高顧問に就任した。
[スポーツ報知 2015/5/18]
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橋下氏、夢破れた「大阪都」 引退表明「政治家終了です」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2015/05/18/kiji/K20150518010370780.html
大阪市を廃止し5つの特別区に再編する「大阪都構想」の賛否を問う住民投票の投開票が17日行われ、反対派が過半数を上回り都構想廃案が決まった。結果を受け大阪維新の会の橋下徹大阪市長(45)は「政治家は僕の人生で終了です」と政界からの引退を宣言。結果は反対が70万5585票、賛成が69万4844票。わずか1万741票差で大阪市の存続が決まった。
午後11時10分すぎ、大阪市内の会見場にスーツ姿で現れた橋下氏。マイクを手に「大阪市民の皆さんに受け入れられず、間違っていたということになるんでしょうね」と悔しさをにじませながらも「政治家冥利(みょうり)に尽きる活動をさせていただき、ありがとうございました」と感謝の意を示した。
注目はなんと言っても、橋下氏の進退問題。報道陣からの質問を受け「(12月の市長任期満了)それ以降は政治家はやりません」とあらためて政界からの“完全引退”を表明し、国政進出の噂も打ち消した。今後については「弁護士やります。維新(の党)の法律顧問に雇ってもらえないかと、さっき相談した」とちゃめっ気たっぷり。過去には前言を覆して大阪府知事選に立候補したことを指摘されると、「また2万%ないと言わせたいんですか?」と笑い、「政治家は僕の人生で終了です」と言い切り、潔さを見せた。
僅差とはいえ、根強い人気を誇る本丸・大阪での敗北。今月初旬のスポニチ本紙取材では「公約に掲げてきた都構想を住民投票まで持ってこられ一定の仕事、役割は果たせた」と自己評価するも「これだけエネルギーを割いて結局住民の意向に沿っていなければ政治家の能力ナシ。運転能力のない運転手はハンドルを離さないといけない」としていた。
4月27日の告示以降、21日間に及んだ賛成・反対両派による壮絶な論戦。最後の演説となった投票日当日の17日、大阪・なんば高島屋前では毒舌を封印。「一歩踏み出して光り輝く大阪を」との言葉に勢いはなく自民、公明、民主、共産各党の包囲網を破る起死回生の一撃にはならなかった。
約210万4000人による“史上最大の住民投票”は、10年4月に都構想実現を掲げて大阪維新の会を立ち上げた橋下政治の集大成。パネルを使っての街頭演説は600回を超え、テレビ討論でも熱弁を振るった。
CMや新聞広告、賛成を呼び掛ける自動音声電話も100万件かけるなど、約5億円を投じて大規模な広報作戦を展開。党員には街頭演説100回のノルマを課し、14日からは国会議員秘書や地方議員らを運動員として「1日1000人」を目標に市内に派遣した。
“大看板”を守り抜けなかった維新の党。党勢衰退を避けられない状況となった。
[スポニチ 2015/5/18]
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橋下氏、政界引退へ…「大阪都構想」わずか1万741票差で否決
http://www.sanspo.com/geino/news/20150518/pol15051803230001-n1.html
大阪市を廃止し、5つの特別区を新設する「大阪都構想」への賛否を問う住民投票が17日投開票され、反対70万5585票、賛成69万4844票のわずか1万741票差で否決された。大阪維新の会代表の橋下徹市長(45)は12月までの市長任期を全うした上で政界を引退する意向を表明した。市選管によると、20歳以上の大阪市民が対象で、当日有権者数は210万4076人。投票率は66・83%だった。
わずか1万741票差。大阪市を二分した激戦に橋下市長が敗れた。進退を懸けた“究極の民主主義”による大勝負は空前の接戦となったが、民意は市の存続を選んだ。
午後11時ごろから大阪市内で約2時間にわたって会見した橋下氏は時折笑顔も交えて「大変重く受け止める。大阪都構想が受け入れられなかったのは(維新の主張が)間違っていたということになる」と敗戦の弁を語った。
そして、自身の進退については「(12月の)市長任期後は政治家はやりません。政治家は僕の人生で終了です。僕のような政治家が長くやるのは世の中にとって害悪」と政界引退を明言した。
お茶の間をにぎわせた「茶髪の弁護士」から大阪府知事、大阪市長へと転身を遂げた橋下氏。異を唱える相手を抵抗勢力に仕立て、闘う「改革者」のイメージをつくり上げた。巧みな弁舌で民意を獲得し、こぎ着けた「大阪都構想」の住民投票は、政治家としての総決算だった。
都構想を実現するため地域政党、大阪維新の会を立ち上げたのは2010年4月。頓挫する瀬戸際まで何度も追い込まれたが、自ら辞職した14年3月の出直し市長選で得た民意を後ろ盾に息を吹き返した。
「衰退する大阪を変える最初で最後のチャンス」と強調。昨年1月から続けてきた対話集会は600回を超えた。通常の選挙と異なり投票日当日も午後8時まで街頭演説ができるため、この日も遊説。「今を守るだけでは未来は開けない。都構想で光り輝く大阪に」などと呼びかけたが、惜しくも大願成就とはならなかった。
最後まで賛否が拮抗(きっこう)する中、大阪市内のホテルの一室で連絡を待った。負けた瞬間は「終わった」と感じたという。中央政界も巻き込んでブームを起こした橋下氏は会見で「こんな最高の終わり方ない。本当に悔いがない」とも述べた。大阪都構想を提唱して5年あまり。「橋下劇場」がついに幕を閉じる。
★24行政区中13区で反対
住民投票では、大阪市内24行政区のうち13区で反対が賛成を上回る一方、市中心部を含む11区では賛成が上回っており、地域によって賛否が分かれた形だ。中小零細企業が多い大正区では56.0%、住宅街が広がる平野区で55.3%、住吉区で54.3%が反対に回った。都構想による変革の象徴ともなっていた西成区も反対が53.3%だった。一方、賛成が多かったのは、官公庁街や繁華街のキタを抱える北区で59.0%。キタに近い福島区も55.6%、多くの企業が集中する中央区も54.1%を占めた。
大阪都構想
政令指定都市である大阪市を解体して5つの特別区を新設し、大阪府と行政機能を再編する構想。協定書(制度案)によると、大規模開発や成長戦略などを府が、福祉など身近な住民サービスを特別区が担う。特別区は人口34万〜70万人の北、湾岸、東、南、中央の各区。区長と区議は選挙で選ぶ。公平性や効率性を確保する必要のある約120事務は、特別区が共同設立する「一部事務組合」が実施。固定資産税や法人住民税などを府がいったん徴収し、5特別区と府に配分する。
橋下 徹(はしもと・とおる)
1969(昭和44)年6月29日生まれ、45歳。東京都出身。大阪府立北野高ではラグビー部に所属し、3年時に全国大会出場。早大政経学部卒。94年、司法試験に合格して弁護士に。98年に橋下綜合法律事務所(大阪)を開設する一方、タレント弁護士としても人気に。2008年1月の大阪府知事選で初当選。10年4月に「大阪維新の会」を立ち上げ代表就任、「大阪都構想」を掲げる。11年11月に大阪市長選にくら替え出馬して当選。14年3月に再選された。家族は妻と3男4女。
[SANSPO.COM 2015/5/18]
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