http://www.asyura2.com/15/senkyo184/msg/824.html
Tweet |
大阪都構想は、マジで洒落にならん話(2) 〜「対案がないぞ!」というデマ編〜文/京都大学大学院教授 藤井聡
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43334
2015年05月15日 現代ビジネス
ふじい・さとし 京都大学大学院教授、同大学レジリエンス研究ユニット長。1968年生。京都大学卒業後、イエテボリ大学心理学科客員研究員、同大学助教授等を経て現職。専門は公共政策論、国土・都市計画論.著書は「大阪都構想が日本を破壊する」「凡庸という悪魔〜21世紀の全体主義」等多数。
■「洒落にならん」(笑)と「マジ洒落にならん」(怒)の雲泥の差
関東など、よその地域の方には分かっていただけないのかも知れないが、「おもろい事」を大切にする関西の風土、とりわけ、大阪の文化は本当に素晴らしいものだと思う。
まじめ過ぎる事でオカシクなっていることが山ほどあるのが今の日本だからだ。そんな時、要所要所で笑いを入れていけば、物事が驚くほどスムースに流れ、活力が生まれていく。
そんな関西、大阪には、「笑い」を演出する代表的なテクニックの一つに「そりゃ、洒落にならんで(笑)」とツッコミを入れる、というのがある。
少々不適切な振る舞いがあっても、「それ洒落にならんで(笑)」とツッコミ一発で、「洒落=笑いにしてしまう」というテクニックだ。だから、大阪の盛り場では「洒落にならん(笑)」という台詞が一晩中飛び交っている。
しかし時には度を越すこともある。いわゆる「ふざけ過ぎ」という奴だ。その時の大阪人の反応は早い。ついさっきまで笑い顔だったのに、急にまじめな顔になり、低めのトーンで次のように突っ込む。
「おい、それはマジで洒落にならんわ(怒)」
「大阪都構想」はまさに今、この「マジ洒落にならんわ(怒)」というツッコミがガッツリに入れられている状況なのである。
通常、こうしたツッコミを入れられる方は、まさか、それが一線を超えているものだとは思っていない。ふざけている時には、往々にして「一線」がどこにあるかが見えずらいからだ。
しかし、他人には「一線」がどこにあるかが冷静に見えている。だから、やり過ぎた奴、ふざけすぎた奴が居たときには、ガッツリと「マジで洒落にならん」と突っ込む事ができる訳だ。
今回の都構想が、一体どういう一線越えなのかといえば、それは、「市民の暮らしを支えてきた『大阪市という自治体』をつぶそうとしている」ところにある。
事実、前回の原稿(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43312)でも紹介したが、僅か1週間の呼びかけで集まった100以上のあらゆる分野の学者が、一斉にこの「大阪市の解体=都構想」に対してダメ出しをしている。
108名全員の所見についてはこちら(http://satoshi-fujii.com/scholarviews/)をご覧いただくとして、その中から一つだけ、神戸大学名誉教授の都市計画の早川和男氏(環境都市計画)の所見をご紹介しよう。
「「都構想」は市民社会の基盤を弱体化させる。自治は制限され、安全、医療、福祉、生活環境の水準は低下し、公営住宅入居も一層困難になろう。政令指定都市である大阪市の廃止は、市民の暮らしを損なうことになる。」
そもそも、「市」という仕組みは、「市民の命と暮らしの砦」(宮入興一・愛知大学名誉教授・地方財政学)だ。だから「市をつぶす」(そして、特別に自治の弱い特別区にする)という都構想が実現すれば「自治が制限される」のは必定だ。
そしてそうなれば、自分たちのための行政は自分の思いではなくどこか余所の人の都合に左右されるようになる。いわば、自分の家の事の色々な事を隣の家族やよその親戚の都合で決められるようになって行くようなものだ。毎晩の夕飯の献立が隣のオッサンの気分で決められたんじゃぁ、幸せな家庭なんてできるはずもない。
だから大阪市を潰せば、もう大阪市民は自分たちの豊かな暮らしをまもり続ける行政そのものが、もうできなくなるのだ。
そしてそれをよく知る「行政」を専門とする学者たちは、都構想でできあがる東京の都区制度なるものは「すでに失敗している」(白藤博行・専修大学教授・行政法)と言い、「最悪の制度」だと言い(菅原敏夫・法政大学元非常勤講師・地方財政学)、「粗悪品」(堀雅晴・立命館大学教授・行政学)だと辛辣に批判しているのである。
■「都構想」で防災はボロボロに
ここまでダメなものが都構想なのだから、ありとあらゆる側面でボロが出る。そもそも、行政において財源と権限が失われ、その上、五分割によって組織力も技術力も低迷させるのが今回の都構想なのだから、当たり前だ。
中でも深刻なのが「防災」の側面。
大阪は今、南海トラフ地震に直面しており、最悪13万人の死者が懸念されている。とりわけ、津波の直撃を「湾岸区」の被害は深刻だ。
これについて維新側は、湾岸区の人々に「都構想で防災は強くなる」というメッセージを発信し続けている。しかしこのメッセージもまた言語道断なデマだ。
そもそも防災分野の第一人者、河田恵昭京大名誉教授は次のように指摘している。
「防災・減災は選挙の票につながらないと素人政治家は判断し、今回の大阪都構想における大阪市の区割りや大阪府との役割分担において、防災・減災は全く考慮されていない。」
一方、このコメントが記者会見で公表された直後に、橋下市長は次のようなコメントをツイートしている。
「大阪都構想は防災の観点が考慮されていないと言っている学者がいるらしいが、東京都と特別区の防災対策の実務を何も知らないのだろう。防災対策や大都市戦略を実行する実務プロセスを知らない学者は、今の大阪府、市の問題点に気付かない。大阪の防災を強化するには都構想が必要だ。」
これは「噴飯モノ」の発言だ。橋下市長は「実務を知らない学者」と切って捨てているが、河田教授は全国の防災を指導し続けている人物だ。橋下氏と河田名誉教授、防災に関してどちらが現場を知っているのかと言えば、それは一目瞭然ではないか。
しかもそもそも市長は市民の安全を守るべき存在だ。にも関わらず防災の第一人者から「危険」と言われているのに、その忠告を切って捨てるなぞ、言語道断ではないか。市民の命を守るためには、専門家に危ないと言われればまずは話を聞くべきなのではないか。それとも、橋下市長は地震で市民の命が失われてもいいとでも言うのか?
いずれにせよ、大阪市民にとってはこれは深刻な問題だ。ついてはここでは、河田教授の指摘に耳を傾けてみよう。
まず都構想では大阪府が消防を担うと言っているが、今の大阪府には消防局はない。だから、今の大阪市の消防局をそのまま大阪府が担う事になる。その時、大阪府の危機管理室が、それを所管する見通しだが、彼らには当然消防経験はない。
いわば素人がプロの上司になるわけだから、消防力がガタ落ちになるのも当然だ(ちなみに、これと全く同じことが都市計画の現場でも起こり、大阪のまちづくりの実力もまた、ガタ落ちになる http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42509)。
ただし、それだけではない。
そもそも都構想の基本思想が「効率化」だ。二重行政の解消などは、その最たるものだし、民営化もその類いだ。しかしこうした「効率化」の姿勢は、防災力の低下、つまり脆弱化に直結している。たとえば、非常階段と普通の階段という「二重」のシステムがあるからこそ、最低限の安心が確保されているのだ。
この点について、遠州美教授(大阪経済大学・地域政策学)は、次のように言う。
「「二重行政解消」を声高に叫ぶことは,市民のくらしをないがしろする維新の政治姿勢を自ら暴露するものに他ならない。危機管理の基本は「ダブルチェック」,東日本大震災の経験から導かれた減災の基本は「多重防御」であることを思い起こして欲しい。」あるいは、塩崎賢明教授(立命館大学・都市計画学)は、「5つの区への再編というのは市町村合併と同じで、地域自治を破壊し、災害時に大変な困難をもたらすことが、東日本大震災で明らかです。」
つまり、「都構想」が実現すれば、自ずと防災力は低下していく他ないのだ。このまま都構想が実現してしまえば、大阪市民、とりわけ深刻な津波被害が懸念されている「湾岸区」の住民は、文字通り枕を高くして寝られなくなるだろう。
つまりこれは文字通り、「マジで洒落にならん」話としか言いようがない。何しろ、大阪市民の「命」がかかっている話だからだ。
■「反論しているような印象を与える」という手口
こう考えれば、「都構想」は、自治を弱体化させ、それを通して福祉、医療、教育、まちづくり、そして防災といったあらゆる側面で、行政サービスを劣化させ、結果、大阪市民の暮らしは劣化し、大阪の街の活力それ自身も低迷することとなる、論外中の論外の代物だ、という実態が見えてくる。
だから話がここまで及べば、もう誰も以上の議論に反論なんてできないのではないだろうか、と思えてくるのだが――ネット界を見ればどうやら以上の議論に対して二つの反論パターンがあるようだ。
第一のパターンは、とにかく内容についての議論は避け、ひたすら藤井論が間違っているという「印象」を植え付けようとする「印象操作」パターン。
例えば、記者会見で100名以上の学者の所見を公表して以降、ここ数日、「論外という藤井こそ論外だ」(足立やすし衆議議員)http://blogos.com/article/112100/
「僕のことが嫌いなんでしょう」(橋下大阪市長)http://satoshi-fujii.com/150514-8/
といった種類の反論(モドキ)がなされている。これに類するものとしては、「藤井は土建屋だからだ!」とか「原発推進論者だからだ!」とか、もうワケワカな名誉毀損の誹謗中傷な言説がネット界では飛び交っている。
これらはもう、ある意味「笑いのセンス」のおありの方ならギャグにしか見えないのではないかと思う。
何といってもそれはもう既に「ゲンカで言い負かされた小学生がお前のかぁちゃんデベソッ!と言っている状態」としか言いようがないからだ。
もう少し真面目に言うなら、「あからさまな敗北宣言」と言うこともできるだろう。われわれの批判を真正面から受け止め、正々堂々、反論すればいいところ、話をすり替え、ただただ「藤井が間違っている」と叫び続けるのだから、理論的な反論することができないのだろう、と考えざるを得ないわけだ。
■「批判する者には対案が無い」というデマ
もう一つのパターンの反論は、「藤井は都構想の批判ばかりしている。対案が無いぞ!」という、いわば「逆ギレ」のパターンだ(たとえば、https://www.youtube.com/watch?v=SBJTSqglBD8)。
しかし、実はこれもまたかなり滑稽な反論だ。そもそも対案なんて、いくらでもあるからだ!
第一に、「都構想」は「都構想」でも、「別の区割りの都構想」だ。これだけでもう、何十通りとあり得るではないか。なぜ、今のこの「5分割」の都構想にこだわるのか?筆者にはさっぱりわからない。
第二に、「都構想」という「行政改革」をやらなくても、全然別の行政改革の方法が、いくらでもあるではないか。別に大阪市をつぶさなくても、大阪市とほかの市を合併して、大阪をより大きくしていくという方法だって考えられる(グレーター大阪、という奴だ)。あるいは、行政の仕組みは今のままで、行政区の権限をより強くしたり、大阪市を残したまま区を再編したり、いくらでも方法はある。
第三に、「行政改革」なんて何もやらなくても、今の行政の仕組みのまま、「大阪を元気づけるプロジェクト」をさまざまに展開していく、という方法があるではないか。
リニアの同時開業、北陸新幹線の早期大阪接続、USJの拡張等、大阪を元気づけるプロジェクトはいくらでもあるのだ(筆者はそういう構想を「大大阪構想」と呼び、拙著第三章でその全容を論じている。筆者は、行政改革など無理して行わず、全力で、この大大阪構想を、周辺地域と中央政府との連携の下、徹底的に進めるべきだと考えている。http://satoshi-fujii.com/book/)
つまりなぜ、対案などいくらでもあるのに、ここまで「論外」な大阪市を廃止して5分割するだけの都構想に、そこまでこだわるのか?
例えばあなたが人に薬を勧められて、それを飲もうとしていたら、医師団が表れて口をそろえて「その薬、実は毒だ!病気になるぞ!下手したら死ぬぞ!」と叫ばれたとしよう。この時、あなたは「お前達は批判ばかりしている! 批判するなら、別の薬を出せ!出せないなら飲むぞ!」とキレるだろうか?
私なら、「えっ、そうですか」と言って、一旦、その薬を口に入れることをやめる。
そしてそのうえで、医師団に尋ねるだろう「どうすればいいですか?」と。
今の大阪は疲弊してるとはいってもまだまだ活力があるのだ。「今すぐ何かしなけりゃ死んでしまう」という状況では断じてない。
だから、最善の対案は、「ここは一旦、薬(といわれている毒かもしれないもの)を飲むことをやめ、落ち着いて、次の対処を考える」という振る舞いだ。
だから、いわゆる「反対派」と呼ばれる人々は、そういう立派な対案を示しているのだ。つまり、「一旦、落ち着いて、頭を冷やす」という振る舞いこそが、最善の「対案」なのだ。
だから「反対派には対案がない!」という言葉そのものが、実は単なるデマなのだ。
例えば、大阪府立大学教授(歴史学)の住友陽文氏は、こうした実情を憂い、次のように指摘している。
「大阪府や大阪市をめぐる問題点についての現状認識が共有されないまま『二重行政の解消』という虚構が先行し、その議論に乗らない者は「対案を示せない」と切って捨てられる議論が横行していて、民主的に議論を進める上できわめて不公正な状況にある」
あるいは、大阪経済大学の柏原誠准教授(政治学・地方自治)は、次のように冷静に指摘している。
「これらの状況から5月17日の投票については,その賛否の結果のもつ効果は等しいものではなく,賛成の結論が出た場合にはるかに重大な効果を持ちうることに鑑みて,対案やその後の議論を考える時間を生み出し,より高い水準の市民的合意を得るためには、本投票で特別区設置が否決されることが合理的であると考えざるを得ない。」
つまり、批判する人々は皆、「考える」事、それ自身を対案として提示しているのだ。
そして極めつけは、京都大学元准教授の中野剛志氏(政治思想)の次のような指摘だ。
「だって……世の中が悪くなるから辞めてくれって言ってるだけなのに、なんで悪い事を辞めるのに対案がいるのか。じゃぁノリピーかなんかがですよ、麻薬中毒になって覚醒剤辞めなさいってゆってですよ、じゃぁノリピーが、覚醒剤よりもっと気持ちいい事教えろ、対案を出せ!対案を!!って言ったら、じゃぁ、対案ないから吸ってて良いよ言うんですか。」(http://www.nicovideo.jp/watch/sm26252662)
――では、なぜ、ここまで大阪の人々が「考える」という事を停止し始めてしまったのか――実は、「大阪都構想」を巡る議論における最大の問題が、その点にある。
この点については、(筆者と共に)実に多くの学者が辛辣な批判を差し向けている。ただし、その問題を語るためにはもう紙面が尽きた。それについては、明日、改めて解説することとしたい。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK184掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。