http://www.asyura2.com/15/senkyo184/msg/713.html
Tweet |
「今の国会は静かで葬式みたい」と小沢氏(C)日刊ゲンダイ
私の四十年前から今を見る 小沢一郎氏「あの頃は国会も自民党もエネルギーがあった」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/159698
2015年5月13日 日刊ゲンダイ
【小沢一郎(72)・ 生活の党と山本太郎となかまたち代表】
当時のことで印象に残っているのは、ベトナム戦争の終結(1975年4月)と田中内閣の崩壊(74年12月)だね。国会議員の若いので一緒にベトナムに行ったんです。大使館は嫌がったけど、ベトコンの激しいところまで行って、そうしたら前を走っていた米軍の軍用車が爆破された。その途端に銃撃戦が始まって。機関銃って「ダダダダ」なんて音はしない。「カタカタ」って乾いた音だった。大使館員は青くなっていたけれどね。あの時、もうアメリカは勝てないと思った。
田中先生が(首相を)辞めた時はショックだった。なんで辞める必要があったのか、今もってわからないけれど。田中先生はああ見えて、実はものすごく神経がこまやかなんです。文芸春秋で「田中角栄研究」「淋しき越山会の女王」という文章が出て、あんなのなんてことないのに、先生は「血圧が上がって、血糖値が300くらいになった。大変だ」って言って結局、辞めてしまった。それでいったら、僕なんて犯罪人扱いされたんだから、血糖値1000ぐらいになってたっていいくらい(笑い)。とにかく辞めたのは残念だった。
あの頃は国会も自民党もエネルギーがあった。日中国交正常化の時なんて自民党の総務会が荒れて荒れて。1年生の時、佐藤栄作首相の施政方針演説を集団で欠席したりもした。国会は55年体制で中身は自社談合なんだけれど、表ではワンワンやった。議場の入り口に座り込んだ社会党議員を、突き飛ばして、どかしたり。当時は自民党議員の方が若くて、社会党は年寄りが多かったから、すぐやっつけちゃった。
今は自民党も野党も喧嘩しない。おとなしい。だから官邸はいい気になって何でもやる。安保法制だって、委員会で机を突き飛ばしてでも反対する、っていう騒ぎになったら、そう簡単にいかない。マスコミも報道するし、国民の関心も高まる。
驚くねえ。国会が静かで葬式みたい。お経の声さえ聞こえてこないよ。
75年といえば、12月に三木内閣で科学技術庁の政務次官になった。同期で一番最後。若かったからね。誰もやりたがらなかったのが科技庁だったけど、後になってみれば、やってよかった。ちょうどその頃、原発の商業化のための研究がなされていて、原子力というのは安全で安上がりで準国産エネルギーだって官僚から教えられた。
その時、いま問題になっている高レベルの廃棄物について「どうするんだ」と聞いたら、「ガラス固化技術ができておりまして、大丈夫です」という説明だった。でも、日本みたいな断層が入り乱れているところは、(地震によって)地下でガラスが壊れる可能性があるから全然安全じゃない。その当時は私も疑問を挟むほどの知識がなかったけれど、40年後のいまでも同じ技術しかない。結局全然、進歩していない。高レベル廃棄物の処理方法は見つかっていないんです。社会も人間も、40年じゃ変わらないんだよね。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK184掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。